だがそれは、一瞬の事だった―――
第42話「追い上げ」
霊夢の言葉が響くと、辺りは静寂に包まれた。狂オシキ鬼の体に纏う殺意の波動が、穏やかに揺れている。狂オシキ鬼はギラリと光る目を一同に向けた。
「そうか…うぬらが賭すもの、それは力の向きか…!」
狂オシキ鬼は立ち上がり、両手に力を込め、ギュッと握りしめた。
「それがうぬらの賭すものか…!」
狂オシキ鬼は大事なことを確認するかのように2度同じ事を言った。支離滅裂になっているのではない。何か吹っ切れたようだ。
「汝らの賭すもの、確かに伝わった。ならば、我はこの命を賭そうぞ!!」
狂オシキ鬼が最後の力を振り絞るかのように力強く足を振り下ろした。まだ、力を残している。そして縮こまり――――
「ヌウウオオオオ―――ッ!!!」
殺意の波動によって巻き起こる風が、一同を吹き飛ばそうとする。
(!! ここまでとは…!)
星が風圧で顔をそらしながらも狂オシキ鬼を見る。
(ここからが全力…! しかしチャンスがこちらにある以上、全ての攻撃に反撃が見いだせる…! こちらとしても勝負の時!)
華扇が自然と全身に力を入れる。怖じける必要はない。自分たちの未来は、勝利か敗北の2択しかないのだからと、覚悟を決めているからだ。
「ぬん!!」
狂オシキ鬼が力強く波動拳を撃ってくる。だが今までの波動拳とはわけが違う。弾速も、勢いも強くなっている。そして何より、距離制限がかかっていたはずの波動拳が、遠くまで届いてきた。
「うおっ!?」
マミゾウが慌ててジャンプして避ける。霊夢が波動拳の行方を確認した。間違いない、飛ぶ距離が格段に伸びている。
(克服した…もう同じ手は通じないって事を強調したいみたいね…そんなことはもう分かっているわよ!)
霊夢は空中に逃れながら再び考えを巡らす。狂オシキ鬼が全力を出していないことは遠距離になったときから薄々感づいてはいた。だが気迫の面から見ると、その全力は予想を超えたものだった。
「みんな、ここから様子見は禁止にするわ! 全員全力で相手になるのよ!!」
レミリアはせわしなさそうに大声で紅魔館一同に指示する。
「お嬢様、それはつまり…!」
咲夜が言いたいことを、レミリアはうなずいて返した。
「ええ! 要するにあいつの技は全部今まで見てきたものとは別格のものだと思った方が良いって事は確かなこと! もう様子見をしたらその瞬間負ける!!」
レミリアは一度攻撃を通した本人。その本人は当然波動拳の性能が向上しているのを見ている。身体能力も大きく向上しているのは火を見るより明らかな事だ。先ほどまでの狂オシキ鬼と今の狂オシキ鬼は別人、そんな考えを持たなければ思い込みを起こして負ける。レミリアの吸血鬼としての本能がそう告げていた。
狂オシキ鬼は踊るような足裁きで後ろに下がり、電気を纏い始めた。轟雷波動拳だ。電気を蓄電するスピードも早く、一気に溜め終えて発射する。元から速かった弾速はさらに磨きがかかり、単発でも油断すれば直撃を誘い込むまでになっていた。
(こいつ…文の弾幕に勝るとも劣らない速さになって…!)
はたてが携帯電話のカメラ機能を狂オシキ鬼に向けながら文の弾幕を思い返す。今ここにいない文の弾幕も、弾数が少ない代わりに速度がある。はたての目には、轟雷波動拳がなぜか好敵手の弾幕に思えていた。
しかし狂オシキ鬼の攻撃はまだ続いていた。轟雷波動拳を撃った瞬間、元の構えに戻ることなくもう一発轟雷波動拳を撃ってきたのだ。しかもその一連の動作を流れるようにもう一度。計3発の轟雷波動拳は一同に当たることはなかったが、一同は衝撃を受けた。
「嘘でしょ!? これ3発とも当たったら、最悪感電死するわよ…!」
アリスがそう言うのも無理はない。実は3発の轟雷波動拳、全てスピードが同じだった上、遠距離戦で撃ってきたものと比べ、電気の量が多くなっていたのだ。これは1発目の軌道を避けられなければ、3発直撃が確定、そのまま感電して死亡という事があり得てしまうのだ。アリスはこの時に確信した。ここから先、狂オシキ鬼の行動全てに無駄はない。確実に自分たちを殺しに来ると。
今度の狂オシキ鬼の行動は前方にジャンプ、このまま一同の距離を詰める―――かと思いきや、フランの昇龍拳を誘ったときと同じように前方に手を出して波動を炸裂させ、勢いで後ろに下がった。そこから今度は下で波動を炸裂させる。すると狂オシキ鬼の体は飛び上がるように空中で跳ね上がった。高度を一手に保つように続け、空中で滞空し続ける。その顔は霊夢に向けている。空へはもう逃がしはしないという意思の表れだった。
(逃れる気なんてないわよ…しかもその体勢じゃ空中戦は慣れていないのも合わさって無理があるわよ…!)
霊夢は目で狂オシキ鬼に訴えかける。狂オシキ鬼はピョンピョンと跳ね続けながら霊夢を見たままだ。その動作はどこか滑稽なものを思わせるが、羽も能力もない狂オシキ鬼の巨体が浮かぶほどの勢いで放つのだから、やはり危険なのだ。
狂オシキ鬼と霊夢のにらみ合いは数十秒にわたって続いた。そこから行動に出たのは狂オシキ鬼の方、波動炸裂の頻度を抑え、少しずつ真下に降下する。顔を地上の者に向けた。もちろん空中の霊夢への警戒は解かない。
狂オシキ鬼の体は地上すれすれに浮かんでいる。後ろに右手を出し、手の中で波動を炸裂させ、一気に藍との距離を詰める。そこから繰り出すのは強烈な一撃―――ではなく、藍の顔向けて左手を伸ばし、波動を炸裂させたのだ。そう、波動炸裂の移動法を攻撃に応用したのだ。藍は強襲に備えられるはずもなく、顔面に炸裂した波動をくらった。
「ぶおわっ!?」
藍が今まで上げたことのない声を上げて後ろに吹き飛ぶ。受け身を取って最悪のダメージは防いだが、波動炸裂によって狂オシキ鬼は後方に再び移動し、距離が離れてしまった。
「くそっ…トリッキーな動きも健在なのか…!」
神奈子が慌てたような声を出す。身体能力の向上が分かった今、さらに厄介になるのが突然の強襲を可能にするこの移動だ。これは狂オシキ鬼にとって強襲、フェイントの両面で有効打になる上、急速な加速で回避にもなる幻想郷の有力者と戦うための要に等しくなっていた。これに合わせて弾幕や殴り合いに持ち込むのはかなり難しい。彼女たちは、狂オシキ鬼の癖は見抜けていてもその要を打ち崩せないでいたのだ。
一同との距離を離した狂オシキ鬼はすぐさま本命をぶつけた。前屈みになり、一直線に突進してくる。狙いは妖夢だ。あの構えは表裏を迫るひっかき攻撃。見た瞬間そう考えた妖夢は横転した。真っ直ぐに突進してくるならば、横に避ければ通じない。
が、その回避は通じなかった。何と一直線に突っ込んでくるはずの狂オシキ鬼が、突然地面を蹴って軌道を変え、妖夢を追ってきたのだ。横転から即座に反撃に出ることができるわけもなく、狂オシキ鬼は刀を持つ妖夢の右腕をズバッと切り裂いた。
「うぐ…っ!!」
妖夢の右腕が一瞬にして血に染まる。刀が手から離され、ガランと音を立てて落ちる。左手が無意識に右腕に触れる。しかし狂オシキ鬼は目の前、それは膨大な隙さらしだ。狂オシキ鬼がハンマーを振り下ろすかのような右拳の打ち下ろしが、妖夢の後頭部に決まり、妖夢の頭が地面に埋まり込んだ。
「妖夢!!」
幽々子が叫び声を上げる。しかしそのいとまがあれば襲いかかるのが狂オシキ鬼、声を上げた幽々子向けて突撃し、その勢いのまま肋骨を砕くかのような一撃を腹にねじ込んだ。そこから素早く顔面へ強打、そして豪昇龍拳をぶちかます。元々弾幕勝負だけで肉弾戦とは縁遠かったため狂オシキ鬼の攻撃に耐えうるだけの体力は有していない幽々子の体は力なく浮き上がった。
「うおっ!」
リュウが竜巻旋風脚で突っ込んでいくが、狂オシキ鬼は見切って足を掴み、一同の元へ投げ飛ばした。リュウは空中で一回転してダメージなしで済む。続けて霊夢が足払いをかけるが、さらりとかわして下段蹴りを差し込んだ。
「ぐっ!?」
狂オシキ鬼の脚力はちょっとの肉体程度なら簡単に吹き飛ばせる。霊夢の肉体も例外ではなく、首が後ろに吹き飛ぶほどの衝撃が全身に襲ってきた。そこに波動拳を撃ってくる。霊夢はすんでの所で守りを固めるが、大きく後ろにのけぞり一同の所まで押し出された。
「ぬりゃ!!」
さらに狂オシキ鬼は竜巻旋風脚に酷似した技でフランと華扇を2人まとめて一同集結の形にするように吹き飛ばす。2人もガードが間に合うが、吹き飛ばしに耐えられる力はない。そして一同が全員固まっているのを確認した狂オシキ鬼は、刃を食いしばった。狂オシキ鬼は全力を出したときから狙っていたのだ。全員が固まるその瞬間を。
「灰燼に帰すべし!!!」
狂オシキ鬼の体から吹き出る殺意の波動が一層激しくなった。そして両手で波動拳を構える。両手の中で波動が渦を巻き、大きく球状になっていく。狂オシキ鬼の体が吹き出る殺意の波動が、さらにそれを大きくするのを助長している。
「なっ!!?」
紫が驚く。それもそのはず、狂オシキ鬼の両手にある波動が、突然狂オシキ鬼自身をも飲み込むのではないかというほど大きくふくれあがったのだ。
「どおりゃああ!!!!」
誰かに向けて直接撃ったものではなかった。狙ったのは一同が集まるその中央の地面だったのだ。
狂オシキ鬼の全身全霊の冥恫豪波動が大爆発を引き起こす。周りの大地が、一気にめくり上がり重力を無視して真上に持ち上がる。全員は抵抗する間もなくその爆発に巻き込まれていった。
「あ…くあ…」
フランがうめき声を上げる。冥恫豪波動が着弾して30秒も経っていないはずなのに、感覚的には数時間経った後のように思えた。
「最後の最後に…こんな力を隠し持っているのかよ…早く言ってくれよ…」
魔理沙は一気にボロボロになった体にむち打って立ち上がる。だが立ててもよろめいていて、まともに戦える状態ではない。よろめくのも無理はない。肘部分と膝の部分ちょうどに血が出ている。それを動かそうとすると、体全体に痛みが走るのだから、当然なのだ。結局魔理沙は痛みに耐えきれず、ガクッと膝をつき、そのまままた倒れてしまった。
「うぐ…まさか、ここまでなんてね…」
紫の体の数カ所から血が流れている。魔理沙の傷の方がまだかわいく見えるらしく、顔を上げるのさえやっとなようだ。
「一発でこれって…嘘でしょう…」
青娥は今さっき起こった事を信じられないようだった。狂オシキ鬼の攻撃は連撃になってこそ危険だと考えていたのに、一発でこれではどんなに順調でも簡単にひっくり返る。現に、この状況がそれを如実に語る。青娥の感情に、深い絶望が襲っていた。
狂オシキ鬼は皆が動かないのを確認したか、後ろを振り向いて去ろうとする。まともに体を動かすことすら叶わず、全員があきらめかけた、その時―――
「豪鬼!!」
狂オシキ鬼を呼び止める声が上がった。それはただ1人だけ―――孤高の探求者だ。膝からは、血が流れ出ている。おそらく立つだけでも大変だろう。
「…小童…!」
狂オシキ鬼が振り返り、リュウをにらみつける。おそらく今のリュウを動かしているのは精神だけ。それだけで気力を回復する相手なんて今まで見たことがなかった。
「まだ俺は負けてはいない。分かっているだろう!?」
リュウがグッと腕と脚にありったけの力を入れている。
「越えてみろ、豪鬼!!」
リュウはまるで咆哮を上げるかのように顔を上に向けた。その瞬間、彼の体から波動が吹き出て纏い始める。風圧が、月の大地の砂を巻き上げていく。
その砂が巻き上がり終えた時、リュウは―――
「この俺を!!!」
目を波動の青色に輝かせ、全身に波動のオーラを纏っていた。