幻想郷の運命が、どちらか一方に傾くときが来た―――
第27話「脅威と戦う心」
~幻想郷~
次の日の朝―――噴煙は収まったようだが、あいにくの曇り空で、太陽が顔を出せるほどの隙間も見当たらなかった。それはまるで、この状況がいくらでも変わることを予期しているかのようだった。
その空を、何も考えずに霊夢は見ていた。空に何か感じるものがあるわけでもなく、決意を新たにするのでもなく、ただ単に、空を見ていた。
霊夢は次に、いつの間にか握っていた右手を見つめた。あの夜、魔理沙と約束の握りを交わした、右手だ。
霊夢は誓った。この空を、絶対に快晴にしてやると―――
結局、一同が全員目覚めたのは、霊夢が起きてから1時間後の事だった。
「ふあああ…藍、橙、体の調子はどう?」
紫はあくびをしながら藍と橙に聞く。
「ええ。永琳さんの特効薬のおかげで、完全とはいえませんが回復しました」
藍は包帯が巻かれたままの腕を動かしてみせる。その表情に躊躇は見られなかった。
「私も、とりあえず戦えるほどには動けます」
橙も体を動かして見せる。
「ならひとまずは異変解決への条件がそろったわね。後はあの2人の居場所…」
異変解決の包囲網は、今現在あの衝突を最後に殺意リュウと狂オシキ鬼の姿を確認していなかった。真夜中の見張りでも、見かけた者はいなかった。そんな時頼りになるのは…
「こればかりは、はたてさんに頼むしかないですね」
全員が目覚めると、早速はたての念写を待つ事となった。殺意リュウと狂オシキ鬼の手がかりを再び失った一同は、これまでも居場所を突き止めてきたはたての念写に頼らざるを得なかった。下手に探して、殺意リュウや狂オシキ鬼に襲われたということになったら洒落にならない。
「皆さん、できました。とりあえず、リュウだけですが…」
一同が念写した紙に集まってくる。殺意リュウが写し出されているのは言うまでもない。問題は場所が特定できるかだ。念写された殺意リュウの周りには、木々が生い茂っていた。
「…この木々、もしやリュウはまた…?」
星が念写した紙を見た瞬間に言う。そう、この森で思い当たる所は魔法の森だ。
「異変を起こしたときから魔法の森はリュウの潜伏場所のようね」
アリスが頭を抱えながらそう言う。自分の住む館があるのも魔法の森近辺なので荒らされるのは勘弁して欲しかった。
「さて、問題は次だよね。私たちの地霊殿を襲ったOniの居場所…」
こいしがいつになく真剣な表情をした。これだけ大人数が関わっているせいか、自分事ではもう片付けられないと考えての事だろう。
「じゃあ、あのOniの居場所も突き止めますね」
はたてがメモ帳の紙を一枚ちぎり、再び念写を始めようとしたその時。
「お師匠様、お師匠様~。ここにいるんでしょう~?」
外から、誰かを呼ぶ声がした。その声は、永遠亭の皆が一番聞き覚えていた。
「あ! てゐ!?」
うどんげの(年齢的な)先輩である、因幡てゐだった。
「あら、てゐには留守番を頼んでいたはずだけど…」
実は永遠亭の大移動の際、元の永遠亭は戸締まりの代わりに、てゐに留守番を任せていたのだ。だが今、てゐがこの場にやってきたという事は…
「私の元の所に患者が来たって所かしら?」
永琳が玄関の戸を開けて外に出て行く。その様子はいかにも落ち着いている。うどんげと輝夜もその後に続く。2人の様子もうどんげの包帯以外には変容がなかった。
だが霊夢とフランは、永琳が戸を開けた瞬間に感づいた。何か、悪い予感がすると。そう感じたとき、霊夢とフランの体は自然と3人の後を追って外に出ていた。
外に出たのはその5人だけで、残りは部屋の中で待機していた。
外で声をかけたのは、やはりてゐだった。
「お師匠様、ここにいたんだね」
てゐは複数の部下(迷いの竹林にいる兎の妖怪達)を連れていた。手を膝についており、少し疲れているようだ。
「因幡、そっちに急患が来たら、運んでくるって約束したわよね」
永琳が少し強めに言う。
「もちろんだよ。でも…みんな、運んできてくれ!」
てゐの『でも』には不審な重みを感じたのは霊夢とフラン、明らかにその言い方がおかしかった。そしててゐの部下が運んできたものを見た瞬間、その感覚は当たってしまった。
「…!!」
そこにいたのは、お手製の竹でできた担架に横たわる綿月姉妹、サグメ、レイセンの肉体だった。
「…!! 綿月様!? サグメ様!?」
うどんげが声を上げる。依姫と豊姫はもちろん、さらにレイセンもサグメも痛々しい生傷が体中にあった。服という服はほとんど破け、切り傷ややけどだらけになっていた。このまま地面に転がっていたら、死体と間違われてもおかしくないほどだ。
うどんげの声を聞きつけて部屋に残っていた者達が一斉に飛び出してきた。
「な、何ですか? 何があって―――」
妖夢がそう言いかけて、4人の体を見た。妖夢はその中の、レイセンに見覚えがあった。
「な…このうさ耳は、まさか月の!?」
あるときに月に行ったことのある妖夢は、現地でうさ耳の少女達を目撃していた。
「ん!? こいつって…私たちが初めて月に行ったときに戦った奴じゃないか!?」
魔理沙は依姫の顔に見覚えがあった。そう、一度だけ会ったことがある。
「こいつら、なんでこんな…」
霊夢は全員の顔を覚えていた。だが怪我での変わり果てた姿には驚きを隠せなかった。
慧音が口を手で塞ぐ。
「慧音、無理して見るな!」
妹紅が慧音の目線に4人が入らないよう体で隠す。
「…お姉様…」
フランは駆けつけたレミリアにしがみついた。おびえている。好奇心も旺盛なフランのこのおびえ方は異常だ。
「この人達、突然永遠亭の目の前に落っこちてきたもんだからね。私もこの怪我を見た時は、どうしたいいか分からず混迷したよ…」
てゐはお手上げというように手を上げてみせる。医療のことに関しては全くの素人であるてゐは、運ぶことだけが精一杯だったようだ。
「とにかく、中に入れるわ。うどんげ、手伝って」
永琳の声はわずかに強くなっていた。明らかに動揺が隠し切れていない。4人の状態を見て、尋常ではないと判断したのだろう。
「…永琳、頼むわ…!」
4人が部屋に運び込まれる際、輝夜が静かにそう言っていた。
「玉兎とサグメの方は切り傷ややけどで重体…綿月姉妹の方だけど…全身骨折していたわ。今生きているだけで奇跡よ」
永琳の顔は真剣に、だが声はごくわずかに震えていた。知人がそんな状態である事は情があって言いたくなかったが、医者としての使命から言わざるを得なかった。
「全身骨折!?」
輝夜が驚く。いくら怪力の者から衝撃を受けたとしても、重傷を越えてそこまでのものを負うことはよほど当たり所が悪くなければないはず。だが当たり所も何も、全身骨折では関係がない。だとしたら、何があって…
「月の民…しかもかつて紫様が月面戦争を起こした際に相手になった者がこの有様…月で何が起きているのでしょう…今の異変と組み合わさったら手に負えなくなります」
藍が何かしらの出来事に対する危険性を示唆する。確かに、今の異変だけで手一杯なところに月の異変が地上に落ちてきたら幻想郷はさらに混乱してしまう。
「…何か情報が欲しいけど…今月に行くわけにもいかないわ。できれば本人から、聞ければいいのだけれど…」
紫が細目になって希望的観測を言う。その希望的観測はまさかここまで早く現実になるとは知る由もなく。
「あ…くあ…」
サグメが声をわずかに漏らしたのがうどんげの耳に入る。うどんげはすぐに反応してサグメが眠る治療室へ急行し、声をかけた。一同も後に続き、治療室はサグメの言葉を聞こうと人であふれかえった。
「サグメ様、分かりますか? 私です、うどんげです!」
うどんげは反射的に顔をサグメの顔に近づけていた。
「…うど…んげ…?」
サグメは痛みに耐えながら、わずかに目を開ける。
「返事は無理にしないでください! 今は…ゆっくり体を休めてください!!」
うどんげは必死にサグメに頼んだ。うどんげも彼女を尊敬していた身、彼女の痛がる姿をこれ以上見たくなかった。
「無理に話さないで、サグメ。何があったのか、簡単に話してくれるだけでいいわ」
永琳がサグメを落ち着かせる。再会の喜びをしている状態ではないことは、体が教えてくれていた。サグメは残った力を口だけに入れ、ゆっくりと話し始めた。それも、自分の能力が発動してもいいような内容で。
だがその内容は、確実にこの場にいる人全員を震撼させるとんでもないものだった。
「あのOni…は…何者…なんだ…」
サグメの言葉で、一同の背筋が一気に凍った。その言葉に聞き覚えがありすぎたからである。
「!! ま、まさか!!」
一同の頭の中で言葉が反響していた。『あのOni』、つまり狂オシキ鬼は―――
「あのOniは―――月にいるって事ですよね!!?」
橙でも予想がついてしまうサグメの言葉には、説得力を越えて、現実感を与えていた。
「はたて!!」
魔理沙がはたてに言う。
「分かってます!!」
はたてはすぐに本来の目的である狂オシキ鬼の居場所を突き止めるために念写を始める。
一同が衝撃を受けるのは当然だが、その中でも永琳はその衝撃を飲み込むことができなかった。膝をがっくりと落とし、そのままフラフラし始め、うつ伏せに―――
「永琳!!」
輝夜が永琳の体を支えてやる。永琳の顔色が風邪を引いたように真っ青になっていた。信じたくなかった。月の都が、たった1人の因縁という私的なもので偶然やってきて、滅ぼされるなんて。
「…八意…様…?」
そんな意気消沈の永琳に声をかけたのは、こちらもわずかに目を開けた依姫だった。
「依姫様!」
うどんげが依姫の顔を見る。依姫は目を動かし、辺りを確認する。するとある人物―――霊夢と目が合った。
「…まさかこんな形で再会できるとはね」
霊夢が悲しそうな目で依姫を見つめる。依姫は何も動かすこともできず、ただわずかに開いた目を変えずに見るだけだった。
そこにはたてが声をかけた。
「皆さん…念写が終わりました…」
はたては残念そうに言った。
「その言い方…やっぱりあのOniは、月にいるのね」
アリスが静かに言う。はたてが持つ紙に、何が写っているかは見るまでもなかった。
「…? ねえさとり様、これってあのOniだよね?」
はたての肩越しに後ろから何気なく紙を見ていた空が気づいたことを言う。紙に描かれているのは間違いなく月にいる狂オシキ鬼だが、その狂オシキ鬼の様子がおかしく思えたのだ。
「ちょっといい?」
空がはたての手から紙をもぎ取り、さとりと共に見る。紙に描かれている狂オシキ鬼は、姿そのものは変えてはいないものの、殺意の波動を強く体に受けているらしく、体から殺意の波動が吹き出るように纏っていた。
「あれ? なんか、私たちが戦っていた時より一段と怖くなっているような…?」
お燐も狂オシキ鬼の姿があの時とは変わっていることに気づく。
「! 確かに…こんなに姿が判別できなくなるほど殺意の波動を纏ってはいなかったはず…」
さとりも狂オシキ鬼の異様さに気づく。
「…あのOniには気をつけろ…とんでもない強さだ…あのOniが咆哮した途端…あいつは…」
依姫は意識を失ってしまったらしく、肝心の部分を話す前に再び眠りについてしまった。
「…まさか、あの時私たちが戦っていたOniは、手加減していたって事?」
水蜜が肝心の部分の憶測を言う。レミリアが肯定する。
「ええ。認めたくないけど、私を倒した事のあるこいつがこの有様ということは、考えられるわ。フランのおびえた様子…あれはどう考えても尋常じゃないわ」
それを聞いたマミゾウがゆっくりと言い出す。
「…皮肉な事じゃが、儂らは因縁に振り回されたと同時に、少なからずその因縁から一時的な救いを得たようじゃな」
一同は狂オシキ鬼の強大さを思い知らされた。今倒そうとしている相手は、完全に異次元の強さを持ち、こちらの常識は通じないのだと―――
「くっ…薬が足りないわ」
何とか落ち着きを取り戻した永琳が、嘆くように言う。
「私たちの分で、全部使っちまったのか?」
魔理沙が心配そうに言う。しかし永琳は首を横に振った。
「いいえ、その分はまだあるからいいのよ。問題は骨の回復によく効く薬の方。最近作ったのよ。試作品だけど、かなり効果がある事は実証済みよ。でもその薬に必要な薬草があまり取れていなくてね」
永琳が頭をかきむしる。それを聞いた早苗がもどかしそうに言う。
「なら、その薬草を探せばいいじゃないですか!」
早苗が簡単に言うが、諏訪子が釘をさす。
「待ちなよ、早苗。そう簡単にいくものじゃないと思うけど?」
その言葉通り、永琳がこんな事を言ったのだ。
「ええ。その薬草が、魔法の森にあるのよ」
とんでもない偶然であった。薬草のある魔法の森には、殺意リュウが待ち構えているのだ。
「…リュウ倒しと薬草探し、両方をいっぺんにやらなきゃいけないのか。なんて悪いタイミングだ」
妹紅が頭を抱える。
「そこまで同時ではなくてもいいわ。ただし、持って今から24時間、それが限界よ」
永琳が時計を指さす。現在の時刻は午前9時、つまりタイムリミットは明日のこの時間までだ。余裕があるように思えるが…
「リュウとOniの事を考えると、悠長にしていられないな」
そう、この薬草探し最大の障壁はやはり殺意リュウと狂オシキ鬼の存在だ。狂オシキ鬼はない可能性があるが、殺意リュウはどうやっても避けられない。
「全員で行動しましょう。いつ2人に会っても、最高戦力で戦えるように…」
美鈴が提案する。
「いよいよか…もう負けはせぬぞ!」
神子が意気込む。
「関係のない人達を巻き込んだあの行為…もう繰り返される訳にはいきません!」
聖も気合いを入れ直す。
「正直、花を荒らされたときよりもむかついてきたわ…あの2人にね!」
幽香がいつになく花以外のことで怖い顔をしている。
「さあ、行くわよ!」
霊夢達は外へ出た。異変解決の包囲網が、殺意リュウと狂オシキ鬼を囲み、捕らえる時が来たのだ―――