これ以上誰も死んでほしくない。
その思いが、春香を動かした。
「やめてっ! もうやめてぇ!!」
春香が銃を持った腕を伸ばし、小鳥に向ける。
がちがちと、歯が鳴っているのが聞こえる。
当然、手も震えている。
「は、はるるんっ!!」
「な、なんでそんなの持ってるのぉっ!?」
「春香っ・・・駄目よ、それはっ・・・」
小鳥が動きを止めて銃を見つめる。
「あら、そんなものどこから・・・?」
細い指先が、ゆっくりと引き金にかかる。
小鳥は一切避けようともしていなかった。
しかし、撃てない。
これ以上、指が動かない。
もう小鳥さんは響を殺したのに。救うべき仲間ではなくなってしまったかも知れないのに。
まさかこんなにも、大好きな人を殺すことが怖いとは。
ここまで体が震えるとは。
呆然と立ち尽くす春香に向かって、にやりと、小鳥が笑った。
「ふう~、駄目ですよ、そんな風じゃ。こういうふうに狙わないと・・・」
「ちょ、ちょっとやめっ・・・」
伊織の懇願に耳を貸さず、今度は小鳥が指を動かした。
ぱん、と乾いた音。
伊織の額にぽっかりと穴が空き、すぐ後ろにいた亜美真美へどさりと倒れ込む。
銃弾は固い後頭部の頭蓋骨に食い込んで止まり、亜美真美には当たらなかった。
しかし間違いなく、伊織は死んでしまった。
「あら、本当に出ちゃいましたね。でも、貫通しないなんて。よっぽどおデコが固いのか、文字通り体を張って後ろの二人を助けたってとこでしょうか。 えーっと・・・次は春香ちゃんよね」
「うあ、あっ・・・」
一度だけ。
一度だけ引き金を引くのだ。
早くしなければ。
早く・・・。
「躊躇ったら負けなんです。こういうのは」
「ひっ・・・」
カシンッ。
不発。
「っはぁ・・・はぁ・・・」
「何安心してるの、春香ちゃん。まだ終わらないわよ、さあ亜美ちゃん」
弾は出ない。
「真美ちゃんも」
出ない。
「そして私」
・・・出ない。
「もう順番、回ってきちゃいましたよ? 撃たなくていいんですか?」
「う・・・撃つ・・・」
「そのために持ってきたんでしょ? その銃を」
「私は・・・ここに閉じ込めた犯人への復讐の為に、銃を取った。でも小鳥さんは・・・」
「・・・そういうことなら。それはやっぱり、私に使うべきですよ」
「っ・・・!!」
どくん、どくん。
心臓の音が、うるさい位に聞こえている。
「・・・だって、犯人なんて、いないんだもの」
「そ、そんな・・・」
「あるのは、私が今伊織ちゃんと響ちゃんを射殺したという事実。それだけです」
「・・・嘘だよ・・・小鳥さんだってきっと事情があるんだよね・・・?」
「やっぱり優しいですね。素敵だわ。春香ちゃん」
小鳥が引き金を引いた。
・・・不発だ。
「さて・・・あら? さっきから静かだと思ったら、二人そろって失神しちゃったのね」
双海姉妹は、気を失っていた。
倒れる亜美の口に銃口を捻じ込む。
「でも順番はちゃんと守ってもらわないと。ばんっ」
「ぶえ゛っ」
短いうめき声と共に、亜美の中身がゆるゆると流れ出して血だまりを作った。
真美もまだ目を覚まさない。
「寝ぼすけさんね。起きなさい、朝ですよー」
カシン。今度は弾が出なかった。
「うーん、そろそろ私も危ないかな? えいっ」
不発。
「・・・えーと今、何回目? ひぃふぅみぃ・・・あと多くて5回ね、たぶん」
「っ・・・もうやめてよ・・・小鳥さん・・・」
「無理ですよ。そういうふうにプログラムされているから」
「プロ・・・グラム・・・?」
「私がここであなたたちに強いることは、初めから決まってたってこと。やめたいと思ってもやっちゃうんです。こんなふうに引き金を引いてね」
カシンッ。
「亜美ちゃんと真美ちゃんも、幼い心と体でよくここまで耐えてきたわ」
バンッ。
真美の眉間から真っ赤な血がどくどくと止め処なく湧き出てくる。
ビクンと一瞬身体が跳ねたが、その虚ろな目は、もう何も見てはいなかった。
「ねえ・・・教えてよ。ここはいったい・・・何なの・・・?」
「・・・脱出ゲームという、ゲームの中ですよ」
「・・・は?」
「セーブやコンティニューはないですけどね」
「訳わかんないよ・・・全然説明になってないよ・・・」
「もうすぐ知ることになりますよ。エンディングはもう目の前。もう春香ちゃんしかいなくなっちゃったけど、クリアする方法はあります」
そっと、小鳥が自分に銃を向ける。
春香は、ここで銃弾が出ること、出ないこと、そのどちらも願う気にはなれなかった。
「・・・あらら、出ませんでした」
銃を持ち換えて、銃の射線は再び春香へと伸びる。
「もう、あと2回。私が死ぬか春香ちゃんが死ぬか、次で決まる」
「・・・小鳥さん」
「あと10秒あげます。私を撃つなり神に祈るなり好きにしてください。10秒経ったら、残り2回の引き金を引きます」
その言葉に、再び春香の腕が前へと上がる。
その手には拳銃。
━━━━私には、小鳥さんの言っている意味なんてわからない。
言葉通りに受け取るには、納得できないことが多すぎる。
でも、もう、疑うのは、やめた。
そんなことはもう、たくさんだ。
「・・・撃つよ」
真っすぐ、構える。
「10、9、8、7」
「・・・撃つ」
「6、5、4、3」
カウントダウンに合わせるように小鳥も構える。
「2、1・・・0」
二人は同時に引き金を引いた。
ぱんっ。
一発の銃声。
それに、窓ガラスが割れる音。
沈黙。
静まり返る事務所。
春香の銃から、硝煙が立ち上る。
小鳥の銃は・・・発射されなかった。
「・・・なんで、わざと外したの? 春香ちゃん」
春香は、小鳥の顔のすぐ横を狙い、後方の窓ガラスを撃ったのだった。
「今、私は、撃ち殺した。窓ガラスに映った私を」
「・・・ふぅん?」
「小鳥さんを信じたから。犯人なんていないって言葉を。それなら、犯人っていう幻想は私のなかにいるんじゃないかって思って・・・それを消さなきゃって、私を撃った・・・」
「そんな理由で窓ガラスを? ふふっ、なるほど。春香ちゃん、本当純粋で良い子ですね」
血の火薬の匂いが立ち込める部屋の中、けらけらと笑う。
春香はただ、仲間達の死体を見渡していた。
私の判断がもっと早ければ。
私が真っ先に、小鳥さんを撃っていれば。
でも・・・私には、できなかった。
小鳥さんも仲間だから。
17年間生きてきて、間違いなく一番悩んだ10秒間。
私たちは・・・誰を仲間と呼ぶんだろう。
一体誰が守るべき仲間で、誰が憎むべき敵なんだろう。
仲間と敵というボーダーラインは、一体どこなんだろう。
最初に襲ってきた876プロは、そのどちらなんだろう。
今目の前にいるこの女性は、そのどちらなんだろう。
律子さんを殺した千早ちゃんはきっと、彼女だと気づけなかっただけだ。
律子さんが鬼だったのも、きっと得も言われぬ事情があったからだ。
根拠などないが、確信があった。
千早ちゃんは私たちを守ってくれた仲間だ。
敵だなんて絶対に思えない。
じゃあ、小鳥さんは・・・。
・・・答えは、とっくに出ていたのかもしれない。
「小鳥さんも、律子さんも、876プロも、みんな・・・仲間だもん。敵なんかいない」
ずっと笑っていた小鳥が、ふっと真顔になる。
「・・・正解」
「え?」
「よく10秒耐えきったわ。完璧な回答よ」
そう言って自分の口に銃を銜える。
「・・・小鳥さん!!」
とっさに駆け出す。
しかし、すでに引き金に指が掛かっていた。
「さあ、私が死んだらエンドロールですよ」
ばんっ。
小鳥さんが、派手に血を噴き出し、膝から崩れ落ちた。
床が真っ赤に染まっていく。
途端、猛烈な脱力感が春香を襲った。
そして喪失感。孤独感。
あらゆる負の感情が一斉に噴き出して、彼女の脳内は無で満たされる。
「・・・終わった。一人ぼっちになっちゃった」
よろよろと、割れた窓に近づき、外を眺める。
何もない、虚空だ。
ここから飛び降りたら・・・終わり、なんだろうか。
みんないなくなってしまった。
だから、私もいなくなれば・・・。
顔を出してみる。
風もない。
温かくも、寒くもない。
ただ、虚しい。
でも、ひとつだけ、確信できることがある。
ここは、元の世界じゃ、ない。
元の世界に、帰れないのか。
私は、ここで死ぬのか。
ふと、何か大事なことを、思い出さなくちゃいけないような気がした。
少し、考える。
どうして。
なんで小鳥さんが自分に向けて引き金を引く必要なんか、あるんだ。
彼女が言っていたゲームって何なんだ。
ゲーム・・・。
「ゲーム・・・?」
突然、脳裏に浮かんできた。
ここで目を覚ます前の事。
いや、正確には、ここに「来た理由」。
私は、私たちは、ここに来る前、ライブのリハが終わった後、誘拐されて・・・。
違う。
ライブのリハなんて、やってない。
それは、嘘だ。
嘘の記憶だ。
本当の私たちは・・・。
ここでゲームをするために、ここに来たような、そんな気がする・・・。
動向を監視している人がいるという、アナウンス・・・小鳥さんの言葉も。
私はその真意を、知っているはず。
むしろ『見られる為』に、やっていたような・・・。
もう少しで、何か思い出せそうなのだ。
もう少しで、このもやもやから、脱出できそうなのに・・・。
「・・・か」
「えっ?」
誰かの声がして、はっと前を向く。
「・・・るか。春香」
声が聞こえる。
おかしい。
幻聴だろうか。
もうみんな、死んだはずなのに。
「春香。聞こえるか。俺だ」
「ぷ、プロ・・・デューサー・・・さん?」
大粒の涙が、雨の様に流れて、虚空に吸い込まれていく。
そっと、振り向く。
私たちが潜り抜けてきたドアの向こうから。
愛しい、温かい、声がした。
「プロデューサーさん!!」
私は走った。
窓からドアまで、ほんの短い距離を、私は全力で走った。
ドアにぶつかる。
ドアノブを回す。
力を籠める。
開かない。
「プロデューサーさん! こっちからじゃ開きません! そっちから押してください!」
「・・・春香? 聞こえているのか、俺の声が!」
大声でその名を呼ぶ。
「聞こえてます! プロデューサーさん、開けて! 開けてください!!」
「開けて、と言われても・・・俺にもどうすればいいか・・・」
「そんな・・・プロデューサーさんでも、ダメなんですか・・・?」
「・・・すまない。春香」
「謝らないでください、脱出する方法はまだ何か、必ず・・・」
「お前たちをこのゲームに参加させたのは俺だ。全て俺の責任だ」
「・・・えっ?」
「俺が、このゲームに参加することを承諾し、そしてゲームをさせた」
「あ・・・」
「こんな事になるとは思わなかった。許してくれ。春香」
突然の最愛の人の告白。
プロデューサーが、このゲームに参加させた。
その、彼自身の言葉が、春香の、どこか奥深くの部分に、響いて。
春香はすべてを、思い出した。
「・・・すまない・・・」
「・・・ふふっ」
「・・・春香?」
「ははっ、あははっ、あははははは!!!」
ドアノブに手を掛けたまま、笑った。
それはそれは、高らかに、笑った。
「なーんだ。そうだったんですね。いえ・・・そうでしたね」
「・・・は、春香!」
「じゃあ何も、心配いらないじゃないですか。プロデューサーさんがさせたことなら」
「先生! 春香が! 春香の指が動きました! 先生!!」
「何も、怖れることないじゃないですか。私、ホントに・・・」
もう一度、ドアノブを回す。
今度は、ちゃんと回った。
ドアが、開かれた。
「プロデューサーさんの事、信じてますから」
最後に、もう一言。
「・・・大好きですから」
━━━━視界が、白に染まった。