家を探し当て、声をかけようと玄関の扉に手をかけた時だった。中から微かな悲鳴と何かが割れる音が聞こえた。
声をかけようと思ったが、オレは、誰に聞かれてもセイランが「そんなことはない」と答えていた、と仰った火影様の言葉を思い出していた。
そっと扉を開け、抜き足で中に入り、声のする方へと向かった。
「やめて!」というセイランの声を聞き、オレはその部屋の
部屋中に酒の匂いが充満していた。
見ると、酒瓶を壁に向かって投げたのだろう、壁には酒が飛び散り、床には瓶の破片が散らばっていた。
その脇で、今まさにセイランを殴りつけている父親を目にし、オレはむせ返るような酒の匂いとその光景に吐き気を催した。
喉にこみ上げてくるものを堪え、セイランを殴っている父親の腕を掴み、そのまま引き倒すと、オレは馬乗りになって、かつてどの任務でも感じた事の無い殺意を己自身に感じながら、胸倉を掴んで言った。
「殺すぞ…てめェ、自分が何やってんのか分かってんのか!? あァ?」
オレは拳を振り上げたが、父親の黄色い目が恐怖に見開かれるのを見て、我に返った…。
…これが、元忍…だと?
オレの殺意にあてられ、抵抗すらできず、ガタガタと震え怯えている…。
…コイツを殴ったら、オレは、セイランを殴っていたコイツと同じじゃないか
「クッ…ソがっ!」
行き場を失った怒りと拳を、床に思いっきり叩きつけておいて、立ち上がり、壁際で座り込んでいるセイランの腕を取ると、彼女の手が震えていて、オレはまた父親への殺意がこみ上げてくるのを感じ、何も言わずに外に連れ出した。
このまま此処にいたら、オレはアイツを殺してしまう…。
草履を履くのももどかしく、セイランの腕を引っ張り駆け出した。
ようやく公園まで来たところで足を止め、振り返る事もなくオレは言った。
「もう家には帰るな」
「…隊長」
「オレの家に来たらいい」
「…でも」
オレは振り返って、セイランの目を見て言った。
「悪い、これじゃ順番が逆だな…。 オレはお前に惚れてる。だから、お前をあの家に帰す事はオレ自身が耐えられないんだ。オレの家が嫌ならどこか探してやるから…、あそこには帰るな」
セイランは初めて組んだ任務の時と同じように、目を真っ赤にして涙を堪えていた…。
オレはあの時、彼女は忍者の心得として涙を堪えているのだと思っていた。
彼女がこんな泣き方を覚えたのは、忍者だからではない。…父親のせいだったのだ。
「今は任務中じゃない、…泣いてもいいんだ」
オレがそう言うと、セイランは涙を溢れさせ、しゃくりあげながら言った。
「申し…訳…ありま…せん」
「言ってるだろ…、今は任務中じゃない。今のオレはお前の上官じゃない」
「隊長には…知られたく…なかった」
オレはこの言葉に少なからず傷付いていた…。
オレではセイランの支えになれないというのか…。
「すまない…、お前の気持ちを考えずに」
オレがいたたまれず顔を逸らすと、セイランは言った。
「隊長が好きだから…、隊長にだけは…知られたくなかった!」
セイランを力一杯抱きしめたかったが、怪我を思い出し、そっと抱き寄せた。
「オレは…、もっと早く気付いてやりたかったよ…。今まで気付けなくて…悪かった」
彼女は今まで堪えてきたものが堰を切って溢れたかのように、声をあげて泣いていた。
ようやく落ち着いたセイランを、オレの家に連れて帰る。
家と言っても一部屋しかない質素なアパートだ…。
とりあえず着替えも無いのでオレの服を貸してやると、シャツの上から風呂で使ったバスタオルをずっとかけている。
「それ濡れてるから冷えるだろ」
オレがそう言って手を差し出すと、彼女はおずおずとバスタオルを取った…。
…そういう事か。オレはまだ何も理解できていなかった…。
彼女にとっては大きめのオレのシャツを着ていると、任務服では隠せていたアザまで見えてしまうのだ…。
忍者なのに長い髪を結わえていないことを不思議に思った事もあったが、それも全部アザを隠す為だった…。
オレは胸が張り裂けそうだった…。
「悪い…、でも、もうオレには何も隠さなくていいんだ…」
そう言うと、セイランは悲しそうに笑って言った。
「隊長…今日、謝ってばかりです…。だから…、隊長にそんな顔させるのわかってたから、知られたくなかった…」
「すまん… あっ…」
「ほら…」
二人そろって苦笑いした後で、セイランの隣に腰を下ろしオレは言った。
「でもな、惚れた女が傷付いてて平気でいられる男なんていないだろ。 それに、オレだって、知られたくなかったって言われたりだな、任務中でもないのに、いつまでも隊長って言われて傷付いてるんだからな?」
「だって…、隊ちょ…サクモさんは里の皆が認める天才忍者で、私みたいな…の、迷惑だと」
「オレは天才なんかじゃないよ。通り名が勝手に一人歩きしてるだけだ…。正直、そう言われる事にはうんざりしてる。 とにかく、例え天才と言われてたとしても、惚れた女一人守れないようじゃ意味ないよ。 それに、私みたいなとか言わないでくれ…。お前はオレが惚れた女だ。もっと自分に自信持てよ」
「でも…、隊ちょ…サクモさんが好きになってくれたのは…、きっと任務中の私。明るくて、前向きで、いつも笑ってる。そんな私ですよね…」
「確かにそうだけど、今は、あの笑顔の裏でどれだけ耐えてたんだろう…って考えると、余計愛しくなるよ…。 それを言うならお前だってそうだろ?お前が好きだと言ってくれたのは任務中のオレだ。自信に溢れてて、いつも冷静沈着ってとこか? お前の実の父親を殺そうとしたり、お前の一言に傷付いてるようなオレじゃないだろ…」
「でも、それは私の…」
「…そうだな、お前の事に関しては、オレ、情けなくなっちまうみたいだ」
「ふふ…」セイランはやっと笑って「ちょっと嬉しいですね。白い牙のそんな姿を見られるなんて」と言った。
オレは衝動に駆られ、その笑った口元のほくろを右の親指でそっと撫で、そのまま頬を支えて唇を重ね合わせた…。
「…すまん」
オレが唇を離してそう言うと、セイランは泣き出しそうな顔をしながら言った。
「また…謝るんですね、キスした後に謝られたら、流石にへこみますよ…」
うつむいてしまったセイランが泣いているのでは…と焦ったオレは、両手でセイランの頬を支えて顔を上げさせ言った。
「違う…、こんなつもりで家に呼んだんじゃないんだ…だから」
「私は嬉しかったです…」
そう言って微笑んだセイランの唇に再び唇を重ね合わせ、そっと床に寝かせた。
オレは唇を離すと、セイランの髪を撫でながら見下ろし、抑え難い衝動と、理性の狭間で葛藤していた。
「ずっと…隊長の事、憧れてました」
セイランのこの言葉で理性が勝利を収める事になり、オレは体を起こす。
「隊長…?」
「すまん…、これ以上は… 止めておこう…」
掠れた声でそう言って、衝動にこれ以上負けないように、オレは目を逸らした。
そのオレの態度を、セイランは誤解して、腕で顔を隠しながら言った。
「…やっぱり、こんなアザだらけの身体じゃ…イヤですよね…」
「だから違うって! お前が、オレの事を天才忍者だとか、憧れの隊長だとか、その程度の想いなら…、これ以上は止めておいた方がいいんだ!」
オレは自分に言い聞かせるように言い放った。
「違います…、私、最初の任務の時から、サクモさんに惹かれてた…。だから、あの時、命令を聞かずに戻ってしまった…」
コイツ…こういう時だけしっかり名前呼びやがって…。
「…お前、オレが今… どれだけ、自制してると…」
セイランはその思惑を完全に無視して、オレの腕を取り、引き寄せようとする。
…惚れた女にここまでされて、理性が勝てる男がどれだけいると言うんだ。
「サク…」
セイランがオレの名前を呼ぶのを遮ぎるように唇を重ね、体重をかけないように気を付けながら、もう一度開いた唇を重ね合わせた…。