穏やかな日々も数ヶ月経った、8月のとても暑い日
執務を終えて家に帰ると、居間の座卓でカカシが小さな茶色い物を抱いて座っていた…。
「カカシ…、それはどうしたの?」
「道で倒れてたんだ…。ケガしてて…、かわいそうでしょ?」
「父上か、かたじけないな…、しばらく世話になる」
カカシの腕の中のものが、目をぎょろりと動かして喋った…。
「…え?」オレは驚きのあまり、それ以上言葉にできなかった…。
確かに、鉄の国の巨大狼だって喋ったし、火影様の
自来也の口寄せする蝦蟇だって喋る。
しかし、あれらは言っちゃ悪いが、いかにも喋りそうな感じがするじゃないか…
この、犬にしては鼻が潰れすぎなこれは…いったい…何?
しかも何故カカシがそれを抱いている?
オレが呆気に取られていると、犬に似たそれはまた喋った…。
「カカシ、お前から父上に説明してくれ。一日に二度同じ話をするのは拙者も疲れる」
「………」オレは愛息を茫然と見つめた。
「あのね、父さん」カカシはその日の出来事を話してくれた。
学校の帰り道、脇の林から子豚のような鳴き声が聞こえた。
「フゴッ… ブフッ… 」
カカシが覗き込むと、そこには子豚… ではなく、鼻のつぶれた犬が倒れていた。
子豚の鳴き声と思ったのは、その犬の苦しそうな息遣いだった。
「ブタ…じゃないね」
「お主…、こんな可愛いわんちゃんを見て…ブタとは…、お主の目は…節穴か?」
「っ!? ブタでも犬でもどっちでもいいけど、どっちにしろ喋るわけないよ。お前怪しすぎるでしょ!」
「ブタは知らんが…拙者は忍犬だ。喋ってもおかしくないだろう。それに、この様子を見てわからんのか…、ケガをしている」
「忍犬が喋るなんて聞いた事ないよ…。ケガしてるのは見れば分かるけど…、ブタと間違われて食べられそうになったの?」
「だから…、違うといって…」
「冗談だって。 わかったよ…、しょうがないんだから…まったく…」
カカシは言葉とは裏腹に、やさしく抱きかかえて家に連れ帰った。
「獣医さんに行った方がいいんじゃない?」
「やめてくれ…、拙者は獣医が嫌いなのだ」
「ふーん…、ま、いいけどね」
カカシはぬるま湯につけた手ぬぐいで犬の体を拭き、手慣れた様子でケガの治療をした。
「そのマスク…、お主、忍か?」
「オヌシじゃないからね、オレはカカシっていうの! まだ忍者じゃないよ。でも、まっ、すぐになるけどね!」
「そうか、カカシ、拙者はパックンと申す」
「プッ…、ごめんごめん。ホント、いかにもパックンって顔だからさ」
「名前も顔に似て可愛いか、そうかそうか」
「…いや、そんなことは…」
「カカシは
「みょうぼくざんって言うのは聞いた事あるね」
「そこには仙人と呼ばれる蝦蟇や
「そういう話も聞いたことがある」
「でも犬には仙人がいないんだ!!」
「あ…そうなんだ…」
「だがな、犬にも蝦蟇の妙木山のような聖地があるんだ」
「へぇー…」
「お前興味が無さそうだな…。しかし、これを聞いたら興味も湧くぞ! なんと、その聖地の名は…
「…………ふ…ふーん」
「あまりのネーミングセンスの良さに言葉もでないか、そうかそうか」
「…いや、そんなことは…」
「拙者はそこに住んでいる。犬ダーランドの忍犬だから、普通の忍犬と違って拙者の様に若くとも人間の言葉を話すことができるんだ」
カカシは左手を腰に当て、右手の人差し指と中指、二本だけを立ててパックンの顔に向けグイッと突き出して言った。
「…ちょっと待って! おかしいとこが二つあるでしょ」
「なんだ?」
「一つめ、普通の忍犬と違ってって、さっきも言ったけど、オレ忍犬が喋るなんて聞いたことないからね! 二つめ、若くともってパックン何歳なのよ?おじいちゃん犬じゃないの?」
パックンは元から眠そうな目を半目にして、ため息まじりに答えた。
「拙者は1歳だ! 1歳と言っても人間になおせばカカシよりも大人だ。いくら拙者の知性が外見ににじみ出ているからといって、おじいちゃんはないな」
「1歳!? 1歳でそんなしわだらけなの??」
「しわではない。これはえくぼみたいなものだ。チャームポイントとも言う」
「………プッ」
カカシはパックンの桁外れのプラス思考に呆れながらも、本人の言う通り可愛く見えてくるのが不思議で、思わず笑ってしまった。
「二つめの疑問は解決したな。一つめの疑問だ。普通の忍犬でも人間の言葉を話す犬は稀にいるぞ?疑うなら犬塚一族に聞いてくると良い。でも、それは、それこそおじいちゃんの忍犬だけだ。色々な秘薬を使っているから、30歳で現役の忍犬もいる。 しかし、犬ダーランドの忍犬は秘薬を使わずとも、元から普通の犬の数倍の寿命がある。それに生まれながらにして、犬語と人間語の…言うなればバイリンガルなんだ! どうだ、すごいだろう」
目を見開いて自慢げにパックンが言う。
「…うーん。喋る犬もいるっていう事は分かったけど、パックンはその…犬ダーランドから、木ノ葉に何しに来たのよ?」
カカシは腕組みしながら半目で
「拙者は任務で木ノ葉に来たのだが、その途中でイノシシに襲われてしまったのだ。 ほら、拙者は見るからに戦闘タイプではないだろう?」
「まぁ、それは確かに…」
「そうかそうか、拙者は可愛いから愛玩犬向きだと言いたいのだな。その気持ちはわかるが忍犬であるからな。 まぁ…、それはいいとして…、怪我をしてしまったから、時空間忍術の移動に耐えられないんだ」
「時空間忍術?」
「そうだ。口寄せの術というのがあるだろ?あれも時空間忍術の一つだ。それで、拙者は怪我が治るまで犬ダーランドに帰れなくなってしまったというわけだ」
「じゃあ、怪我が治るまでうちに居てもいいよ?」
「母上や父上は構わんのか?」
「母さんはいないし、父さんも絶対居ていいって言うよ!」
「そうか、かたじけないな。拙者にできる礼と言えば…、そうだ、カカシ!口寄せの契約を結ぶと言うのはどうだ! 拙者は戦闘タイプではないが、まぁいうなれば智将タイプだ。 拙者がリーダーとなる8忍犬のチームにはいろいろな忍犬がいるから、カカシが忍者になったらきっと役に立てると思うが」
「口寄せの契約っていうのしたことないんだけど、オレできるのかな?」
「大丈夫だ。契約の巻物は拙者が持っているから、あとはそれにカカシが血でサインすればいい」
「血で!? なんか怪しくない!?」
「そうか…、まだ忍者になっていないから、血が怖いのか…」
「怖いわけないでしょー! 血でサインすればいいんでしょ! どこよ!どこにするのよ!」
カカシはムキになって言った。
「…まぁまぁそう慌てるな」
少し呆れながらパックンは背中の風呂敷包みから巻物を取り出し
それを広げながら言った。
「喜べ、カカシが最初で、第一位の契約者だ」
それを聞いてカカシは半目になって言った。
「それ…、人気がないって事じゃないよね?」
「違うわ!拙者がまだ1歳という若い忍犬だからだ! 犬ダーランドでは1歳を成犬として、成犬になってようやく、自分で契約をかわす事ができるようになるんだ」
「ふーん…、1歳で大人かー…。いいなー」
「カカシは早く大人になりたいのか?」
「うん、早く父さんみたいな忍者になって、みんなを守るんだ!」
「そうかそうか、ならば、この契約で拙者達もその手伝いをしよう」
「うん! 血でサインってどうするの…?」
「手裏剣でもクナイでも何か持っているだろう。カカシは右利きだな。それで右手の親指の先を切って人差し指にその血を付けてここにサインすればいい」
「サイン…」
「うむ。下手でもいいぞ?血でカカシだとわかるからな」
カカシはクナイを出して、切っ先を親指の先にあてて息を止める。
怪我をすることは慣れていたが、自ら身体を傷付けるという事は慣れていない…。
心の中で(えい!)と掛け声をかけ、クナイをすーっと滑らせた。
ぱっくりと割れた傷から赤い血が玉のように出てきてギョッとするが、パックンが見ているのに気付いて、冷静を装い、人差し指に血を塗り付ける。
(サイン、サイン、下手でもいい…)
カカシは巻物に人差し指を滑らせてサインした。
それを見たパックンが、神妙な顔をして言った。
「カカシの父上もなかなかのセンスをしているな。それでカカシと読むのか」
「え!? サインって名前の事なの!?」
「そうだ。署名、サインだ」
「じゃ!じゃあ!ちょっと待ってよ!やり直し!!」
「ダメだ。契約はやり直しはできない。大丈夫だ、血でカカシのサインと言うのはわかるから。後は右手の5本の指全部に血を塗って、サインの下に5個の血の指紋を押すんだ」
「………」
サインが署名の事だって早く言ってよ!と怒りたかったが、知らなかった事が少し恥ずかしくてカカシは黙っていた…。
そして、口寄せの術の使い方をパックンに教えてもらっている時に、ちょうどサクモが帰宅したのだった。
オレはカカシの話を聞いて、初めて「犬ダーランド」の存在を知った…。
それを偽りではと疑う事もできたが、パックンの話には少しの違和感も無く、稀に人間の言葉を話す忍犬がいるのも事実だ…。
カカシの話を聞いているうちに、オレは「犬ダーランド」の存在とパックンの話を信用していた。
しかし、話の中のカカシと同じ様に、二つの疑問を抱いていた。
木ノ葉の忍としての疑問と、カカシの父親としての疑問
まずは、木ノ葉のセキュリティ上も放置できない疑問から尋ねてみる事にした。
「話は分かった。パックン、怪我が治るまで家に居たらいいよ。 ただ、一つだけ教えて欲しいんだ。 さっき、カカシの話でパックンは任務で木ノ葉に来たって言ったよね? その任務が何なのか教えてくれないかな? 保安上の問題もあるし、事と次第によっては火影様に報告する必要もある」
カカシがハッとした顔をして、オレを見上げた。
犬が喋ったのを怪しいと思い、何しに来たのかと問いただす、これだけで十分に子供離れしている。しかし、任務で木ノ葉を訪れたという事に対しては何もおかしいと思わなかったのだろう。
まぁ、こういう所はまだまだ子供らしくて、逆にオレはホッとした。
「父上の言う通りだな。なに、別に隠し立てするような事でもない。正々堂々と里の動物達には聞き込み調査もしているしな」
パックンは眠そうな目で(恐らく元からなのだと思うが…)言った。
動物に聞き込みって…、それは「正々堂々」の範疇に入るのだろうか…
「そのお陰で、あのイノシシにやられたんだがな…。アイツら話も聞かず真っ直ぐ襲いかかってきやがったんだ!」
それはとても普通だと思うが…、まぁ、黙っていよう…
「拙者の任務は木ノ葉に出現するという狼の謎を解きに来たのだ」
「!?」…え、それは…もしかして…
「犬ダーランドにある記録では、火の国の野生狼ははるか昔に絶滅した事になっている。しかし、木ノ葉周辺での目撃情報があると言うんだ。拙者はそれを調査しに来た」
パックンのその話を聞いて、カカシが言った。
「犬塚さんとこの忍犬はすごく大きいって話だから、その犬の事じゃないの?」
「犬と狼を見間違う訳がないだろう…」
パックンはやれやれという表情で言ったが、いや…、間違えるものなんです…。
オレは控えめに聞いてみた。
「その目撃情報は…最近のものもあるのかな?」
「いや、最近ではないらしい。数年前から十数年前で、目撃数はごくわずかの様だが、なんせ同じイヌ科の事だからな、犬ダーランドでは関心が高いんだ」
「そ…そう…」
どうやら間違いなさそうだ…、オレはここ数年、あの二頭の狼を口寄せしていない…
巨大狼のチャクラにいたっては
別に忘れているという訳では無くて、あれ程の危機に陥っていないというだけだ。
二頭の狼にはあの後も何度か手助けしてもらったが、それの目撃情報という線が濃厚だろう…
オレが考えを巡らせているのに気付いたパックンが尋ねる。
「…父上は何か知っているのか?」
「あ、あぁ。恐らく…」
右の親指を咬んで、印を結び、床に右手を付ける。
「口寄せの術」
右手を付けた床に術式が浮かびあがると、ボンッという音がして、白煙とともに、部屋の中に二頭の美しい狼が現れた。
カカシが目をまん丸にして口をぽかーんと開け、驚いている。
パックンも眠そうな目をギョロ目にして驚いている。
山祇ヶ原の時から、この二頭の大きさは変わらない。
恐らく、これが彼らの、成犬…じゃなくて、成狼の大きさなんだろう…
あの母狼の大きさになるにはいったいどうやったら…
久々に会った二頭の狼を見てオレがそんな事を考えていると
いかにも、「何の用だ」と言わんばかりの顔でオレを見つめた…。
夜になっても火の国の夏は暑い…
万年雪に覆われた山で暮らす二頭は既にげんなりとしている。
「今日は助けて欲しい訳じゃなくて、この子、パックンっていうんだけど、木ノ葉に出現する狼について調査しているらしいんだ…。木ノ葉でオレ以外に狼を口寄せする忍って聞いた事ないから、たぶんお前たちの事だなーっと思ってね」
オレはごく簡単に、この二頭の狼と出会った経緯をパックンに話した。
パックンの目が眠そうに見えてしまうからかも知れないが、パックンより、彼を抱いているカカシの方が興味津々に聞いているようにも見える…。
口を開けて呼吸しだした二頭に詫びを言って口寄せを解き、また部屋には二人と一匹になると、パックンがしみじみと言った。
「カカシに助けられ、任務の調査がカカシの父上の狼についてだったとは…、奇遇だな」
「………クッ」
どうも、このパックンの外見と喋り方がツボにはまってしまった…。
「そうだね、これからカカシをよろしく頼むよ」
そう言ったオレをパックンはチラリと見て、カカシに提案した。
「カカシ、父上にも口寄せの契約を結んでもらってはどうだ?」
カカシは嬉しそうに答える。
「うん、そうだね!」
「戦闘では父上の狼には敵わないが、捜索や追跡といった用向きならば役にも立てるだろう。カカシ、さっきの巻物を父上に渡すのだ」
「えぇっ!?」
嬉しそうに承諾した割には、すごく嫌そうに言った…。
「その巻物が契約の巻物なのだから、カカシがやったように父上にもサインをしてもらうんだ」
「わ、わかったよ…」
カカシは苦虫をかみ潰した様な顔をして、巻物をオレに渡した…。
オレはそれを受け取って、カカシに確認する。
「カカシ…?父さんも契約していいのか?」
「…うん、…いいよ」
と言いながら、ぷいっと横を向いてしまった…。
これはカカシがもっと小さい頃からやる仕草で、だいたい、恥ずかしくていたたまれない…という様な時の仕草だった…。
「わかった…、ありがとな」
と言いながら、巻物を広げると…
オレが先刻、カカシの話で疑問に思った、父親としての疑問の方が解決した…。
カカシが署名と間違えて、何と書いたのか…気になっていたのだ。
カカシのサイン、署名には「へのへのもへじ」が書かれていた…。
それが可愛くて、オレは笑いそうになるのを下唇を噛んで必死に堪えた…
なんせ、カカシがぷいっと横を向きながらもこちらを窺っているのだから…
…忍たるもの如何なる時も平常心。平常心だ…
オレは上忍の意地を見せて、笑いを堪え
それでも唇が震えそうになるのを我慢して、なんとか親指を咬み署名することに成功した。
そういえば、カカシは「へのへのもへじ」が好きだ。
何かにつけてそれを書いている。
一度、学校の教科書を見たら、その端に「へのへのもへじ」が徐々に笑っていくというパラパラ漫画が描かれているのを見付けたことがある。
授業が相当暇だったのだろう…。
「ありがとな、カカシ。パックン、よろしくね。 そうだカカシ、パックン達はカカシの忍犬になったんだから、今はまだ無理だけど、カカシが忍者になったら、忍者登録室っていうところに行って、パックン達の忍犬登録もするといいよ。そうすると木ノ葉の額当てがパックン達の分ももらえるからね」
「うん、わかった!じゃあ、パックンももうすぐ木ノ葉の忍犬になれるよ!」
このカカシの言葉を、オレは特に深くも考えず聞いていた。
約一か月半の後…、それをひどく後悔する事になる…