いざ聞かれてみると、答えられなくなる。
貴方は自分が何者であるか、答えられますか?

1 / 1
最後に見たもの

 とある時代の、某国。そこは徹底した管理社会を構築していた。健康情報から金融、家族構成、職業までありとあらゆる情報を管理し、それに適したサービスを国民に提供する。それは一種の国家としての完成形に近いものだったかもしれない。確かに国民の暮らしは豊かになったし、目立った争いもこれまでよりも少なくなった。最適化された選択肢を国民に提供することで、最高の居場所を与えることになったのだから。しかし、行き過ぎた管理からは反発も生まれる。自由な選択肢を求め、反抗する者も多からずいた。それを監視、規制、排除する組織が生まれたのも必然だった。

 これは、そんな国の物語。

 

 ******

 

「貴方の抹殺命令が下されました。最後に言い残すことはありますか?」

 

 きらびやかな飾り付けが施されたとある国のとある館の一室。

 突如、その者は現れた。全く気配を察せさせない動きはとても洗練されている。ゆっくりと前に進む影。

 黒いマンチェットを羽織り、フードを深く被っているためその顔は見えない。

 

「あら、貴方のそんな格好を見るのは初めてだわ」

 

 しかし、服の上からでも確認できる特有の体つきからその者が女性であることは分かった。

 

「まさか貴方が来るなんて、これでは護衛も意味がなかったわけだわ。そう、私は、死ぬのね。道半ばで」

「はい……」

 

 黒衣の女の前には白いドレスを着た少女が立っていた。金色の艶やかな髪に細く長い手足。体の一つ一つの部位が絶妙なバランスで調和し、その若さ溢れる美しさを誇っている。そのドレスは上等な生地でできており、少女の身分の高さをそのまま表していた。

 

「差し金は誰かしら?まあ、質問しても答えてくれないでしょうが」

「はい。残念ながら、そのご質問にはお答えできません」

 

 女に問うたものの、少女は誰が自分を殺せと命じたのか見当がついていた。自分を殺害せよとの命令を下せる人物は多くない。ゆえにそれ以上女に追求することもなかった。

 

「それではご依頼人に伝えてもらえるかしら?私は屈しないと。革命は最早避けられないと」

「承知致しました」

 

 女は感情のこもっていない声で答える。少女からすればまるで機械を相手にしているような感覚であった。そのことが少女にとっては少し、寂しいことに思われる。

 

「最後まで、笑った顔を見せてくれなかったわね、貴方。少し残念」

 

 苦笑した後にああそれと、と少女は付け加えた。

 

「最後が貴方で良かったわ。No.2」

「…………」

 

 一つ呼吸を置いて、少々の首からは鮮血が吹き出た。そのまま糸の切れた人形のように、少女は倒れる。

 純白のドレスは紅く紅く染まった。

 

「紅は革命の色、なのよ……?」

 

 口から血を吐き出しながら、少女は焦点の合っていない目で女を見つめる。掠れた声で呟くとそのまま事切れた。しかし最後まで少女は笑みを絶やさなかった。それが、不気味であるとすら思えるほどに。

 

「……目標を達成。帰還します」

 

 No.2と呼ばれた女は一度振り返ると、そのまま闇に消えた。

 残ったのは少女の無残な死体だけだった。

 

 ******

 

「おじいさん……」

 

 女が声をかけると、何者かの影が動いた。

 暗闇の中で小さなランプを一つ置き、老いた男が座って何かを弄っていた。周囲には機械の部品が転がっており足場がない程に積み上がっている。大きいものや、小さいもの。その形もそれぞれ異なっており、中には人間の形をしているものもあった。

 老いた男は気だるそうに女の方を向くと低い声で応える。

 

「殺して来たのか?また」

「はい……」

 

 女は少女の付き人として雇われていたが、それは監視のためだった。政府の重鎮である父親に、その娘である少女は反抗し革命派の象徴としてまで祭り上げられたのである。それを政府は警戒し、女に監視を命じたのであった。結局革命派としての態度を改めなかった少女を遂に政府は抹殺対象として決定し、女が抹殺した。

 

「そうか……いつまでもいつまでも飽きもしねえでぽんぽん殺し合いやがって、余程暇なんだな」

「依頼者からの命令には逆らえません。いくらおじいさんでもそれは聞き捨てなりませんよ」

「それならお前のやってることはなんだ?国のために邪魔な存在を排除しましたってのが正しいことだと?行き過ぎた管理は必ず反発を招くんだ」

「……」

 

 老人は冷めた口調を崩さない。鋭い視線を女へと向けた。

 

「それは……しかし私がやらなくては」

「思考の放棄はやめるんだな」

 

 老人は深くため息をついた。

 

「これだから人間ってやつは嫌いなんだ。オートマターの方が何倍もましだ。人間とは違って彼奴らはもっと正直者さ」

「おじいさんは本当に人間嫌いですね。おじいさんだって人間だというのに……」

 

 老人は人間だった。しかしその体の各部位はそれぞれ機械に置き換えられており、サイボーグという方が彼のことをよく表している。過去に事故に遭ったとのことだが、女はよく知らない。

 

「おじいさん、私は間違ってるのでしょうか。国のために働くことは正しいことではないと?」

「俺はその質問に答えたりはしない。自分で見つけるんだな」

「はい……そう、ですよね…………」

 

 女は顔を覆うフードを払った。現れたのは人形のように整った顔。肩までかかる黒髪をそのまま垂らし、花を模したヘアピンをしている。通りかかれば恐らく十人中十人が振り返るような容姿を持った女はしかし、曇った顔を崩さなかった。

 

 ******

 

「貴方は特定危険人物に指定されています。質問にお答えください。なお、未回答の場合は抹殺対象として排除します」

「君は……ああ、そうか。私のやってることは君たちからすれば確かに邪魔だね」

 

 書斎には眼鏡をかけ、痩せた壮年の男が座っていた。手元には原稿が置かれており、更に部屋には書き終えたらしい絵が吊るされ、乾かされている。

  今、女は新たな任務のため男の前に立っている。

 

「では問います。貴方はこの本を世間に出す意思がありますか?」

 

 彼は絵本作家だった。誰もが一度は読んだことがある程のベストセラーを書いた人物である。

 男は黒いフードを被った女を目に止めても動揺した様子はなかった。むしろ、それが当然であるとすら思っているようだった。

 

「君、本は好きかい?」

「こちらの質問にお答えください」

「まあ、待ちたまえ。これはその質問の答えのためにも重要なことだ」

 

 男は椅子から立ち上がり手を後ろに組みながら書斎の本棚へ歩いていく。そして並ぶ無数の本を見つめた。本一つ一つの背表紙を愛しそうに手で撫でると、彼は再び口を開いた。

 

「本は素晴らしい。例えどんなに生きにくい世界であっても、本の中では誰もが自由だ。貧しい人だってお金持ちになれるし、王様にだってなれるんだ。赤い屋根の素敵な家に住むことだって、美味しいものを沢山食べることもできる。本は人を苦しみから解放してくれるのだよ」

「それは所詮想像では?」

「はははっ、そうだね。それは所詮想像に過ぎない。しかし私たちはその想像の中に生きているとも考えられないかね。例えば夢が現実で、現実が夢だとしたら?本当の私は飛行機のパイロットかもしれない、あるいは誰かほかの人間が見ている夢が私という存在なのかもしれない……そちらの方が「夢」があって素敵だとは思わないか?」

 

 男は子供の様な笑みを浮かべた。

 

「人間は大人になれはなるほど大きくなると思っている。しかし私はそうは思わない。子供を見たまえ。彼らの想像力を。幼い頃はどうして海は青いのか、どうして機械は動くのか、いつだって想像をしていた。想像をする余地があった。それが大人になるとどんどん常識という形になってしぼんでいくのだ。それはとてもとても寂しいことだとは思わないかね?」

「……」

 

 女は何も答えなかった。本、ましてや絵本すら読んだこともない彼女にとって男の言葉はいまいち理解できなかった。

 しかし男は書く、ということが本当に好きなのだとは理解できた。そしてこの時代では廃れて消えてしまいそうな感性を持つ者であり、この国の現状を憂いていることも。

 

「生憎ですが、私は本に興味がありませんので」

「そうか……残念だよ」

 

 絵本作家の男は心底残念そうな顔をする。この問いに何の意味があるのか女には、本を読んだことのない彼女には理解できなかった。

 

「やはりこの国に従うことはできそうにない」

「それでは貴方はこれを世に出すと?」

「ああ、私は絵本作家としてこれを世に出さなければならない。それが例え、単なる私の欺瞞だったとしても」

「今からでも書き直せば命まではとりませんが?例えここで書き直なかったとしても、この作品が世に出ることはありませんよ」

「人の心を寂しくする様なものを、私は書こうとは思わないよ。それにこの作品が世に出なくても、私の、この抵抗は残り続けるだろう」

「そうですか……ではそれが貴方の解答ということでよろしいですか?」

「ああ」

 

 女は一枚の紙を懐から取り出した。白紙だった紙に文字がうかびあがる

 

「今、貴方の抹殺命令が下されました。最後に言い残すことはありますか?」

「もう一つ、こちらから質問をしてもいいかね?」

 

 男は書斎の本棚に再び目を向ける。

 

「内容にもよりますが、どうぞ」

「君にご両親は?」

「いませんが、それが何か?」

 

 女からは男の顔が見えない。男がどんな表情をしているのか、分からなかった。

 

「そうか。なら、この本を君に贈ろう。読むことがなくとも、君に持っていて欲しいんだ」

 

 そう言って男は一冊の本を手渡した。表紙には美しい絵が描かれており、一つの芸術品の様だった。たった一冊というのに、なぜか女にはその本がとても重く感じた。

 

「確かに受け取りました。それでは」

「ああ、頼むよ……」

 

 次の瞬間、男はうつ伏せになって倒れた。女は男の手に拳銃を握らせるとそのまま去っていった。扉が閉まり、人の気配が消える。彼を中心に広がる血溜まりは、書斎の床を赤く染めた。

 血と絵の具とインクの匂いが混じった作家の書斎はどこまでも虚しかった。

 

 ******

 

「今度は誰を殺した?」

 

 機械を弄る年老いた男は尋ねた。

 

「絵本作家です」

「そうか。あいつも死んだか。どうだった、奴の最後は?」

「何も。命乞いなんてしませんでした。むしろあの人はずっと待っていたようです」

「何をだ?」

「私のような者、と言いましょうか?」

「そうか、あいつらしいな」

 

 この老人は絵本作家の男のことを知っていたのか、どこか納得した様子だった。

 人間の腕を模した機械の部品を解体しながら一つ一つの配線を丁寧に調べている。その作りの精巧さは一見すれば人間と見間違う程のもの。女はその光景は見慣れているのか、何も言わなかった。以前に聞いたことがあったが老人は答えてくれなかったのだ。

 

「また、殺すのか。お前は」

「ええ、きっとまた」

「そうか……」

 

 老人はそれきり何も言わなくなった。

 

 ******

 

「ようやくこの紛争が終わるぞ!これでやっと国を立て直せる!」

 

 男はとある国の総統だった。彼は争いを好まず、いつまで経ってもまともな議案を通すこともできない議会をなんとか説得し、レジスタンスと和平交渉まで取り付けたのだ。

 国が疲弊する様を憂いていた総統。若かりし頃より抱いていた理想は現実になりつつあった。

 

「長かった……本当に……ほんとうに…………」

 

 感極まった男は目に涙を浮かべた。

 明日の正午に和平交渉が始まる。レジスタンス側のトップとは既に秘密裏に交渉を行なっており、滞りなく協定を結べるだろう。

 国の新たな時代はもうすぐそこにきている。

 しかし、その輝かしい未来はーー

 

「総統、貴方の抹殺命令が下されました。お命頂戴します」

 

 絶たれた。

 

「貴様っ……!?ま、まさか……!?」

「はい。レジスタンスのリーダーは既にこの世にはいません」

 

 男は事態がつかめてきたのかすぐに冷静になると、

 

「つまり、私のしてきたことは無駄になったと?そうか、読めたぞ。」

 

 女の胸倉を掴み、壁に押し付けた。

 

「我々に殺し合わせて国力を削ごうというのか。確かに貴様らからすればこの和平交渉は都合が悪いだろうよ!」

 

 護衛がいない。それが意味するのは、既に女によって全滅させられたということである。男に生きる望みはなかった。

 

「貴様ら!貴様らさえいなければっ!」

 

 総統の目は怒りに燃えている。長い年月をかけてきた夢をたった一人の女に潰されたのだ。怒り狂うのも当然である。

 女はただ無感情な目で総統を見つめるだけ。しかし女は心の中ではざらついた感情を覚えていた。あの少女を殺したときから燻り続けているある感情。それは虚しさだった。

 

「聞こえないか?この国に住まう9000万の人々の叫び声が!」

 

 女の首を絞め上げる力が強くなっていく。

 

「同じ国民同士の殺し合いの悲惨さを、その悲鳴を想像したことがあるか?」

 

 このとき、冷たい女の心に確かに何かが宿った。しかしそれはすぐに彼女の胸の奥に消えた。

 

「これは初めから、そう決まっていたことです」

「そうだろうな」

 

 男の手にかかる力が緩む。彼は深く、溜息をついた。内通者がいたというのであれば、初めから結末は決まっていたのだ。

 

「図られたか。考えてみればおかしいはずだな。明日には大事な和平交渉が控えている私に派遣された護衛があれだけとは」

「最後に言い残すことはありますか?」

「言い残すこと、ね。あり過ぎて何を言えばいいか、分からんよ。しかし話には聞いていたがやはりお前達は死神だな。それもかなりタチの悪い」

 

 彼が死ねば完全に振り出しに戻る。お互いにリーダを失った両陣営は血で血を洗う戦いを始めるだろう。そもそも協定は二人の圧倒的なカリスマによって実現されようとしていたのだから。

 女を派遣した国が男の国を攻め込まないのには理由がある。もし国を滅ぼして占領したとしても、現地のレジスタンスによるゲリラ戦での抵抗が予想される。まともに相手をすれば厄介この上ない。一方で放置していると分裂していた国がまとまってしまい、女の国を脅かす存在になってしまう。これだけ長い間紛争状態にあっても国の形を保っていられるのだからその脅威は明白である。

 

「なら、娘夫婦に伝えてもらえるか?すぐにこの国を離れよ、と」

「了承しました。それでは」

「終わったか。私も、この国も」

 

 翌日、両陣営のトップが殺害されたことにより紛争は再燃した。これより、総統の国では泥沼の争いが始まる。それは国が亡ぶまで続けられるのであった。

 

 ******

 

「おじいさん」

「なんだ?」

「私、この前言いましたよね。国の為にすることが悪いことなのかと」

「ああ、言ってたな」

 

 積み上がる部品の上で体育座りをしている女は下で胴体の部品を解体している老人を見下ろした。

 

「分からなくなってきました。自分のやってることが」

「そうかい」

「おじいさんは今自分がやってることに迷いはないのですか?」

「さあな、迷いなんてとうの昔に置いてきちまったよ。お前は迷えるだけ幸せだ」

「そうですか?」

「そうだ」

 

 老人は終始表情を変えない。

 

「あの男は確かに英雄になるはずだった」

「?」

「迷うなとは言わんさ。だが心しておくといい」

 

 老人の言葉には重みがあった。

 女はいつも男が機械を弄っているところしか見たことがない。

 そもそも彼がそれ以外のことをしているところを目にしたことがない。

 

「これしかねえんだ。俺には何も、残っちゃいねえからな」

 

 しかし彼には確かな決意があると、女は感じた。

 

 ******

 

「No.1、次の目標は?」

「来ましたか。No.2」

 

 国が認可する暗殺専門の特殊部隊本部、それは高層ビルが立ち並ぶ都市の地下にあった。広大な本部施設の一室。そこには2人の女がいた。一人はNo.2と呼ばれた女。もう一人は初老に差しかかろうとする壮年の女性である。

 

「貴方には本国政府で革命派に繋がっているとされている外交官を抹殺してもらいます。対象はなかなか警戒心が強く、こちらが表立って行動できないことを上手く利用して手をかいくぐっています。詳細はこのファイルを確認してください……厄介な相手ですが、貴方ほど頼れるものはいません。引導を渡して来てください」

 

 必要なことを述べると、女性はすぐに部屋を出ようとした。

 

「あの、少しよろしいでしょうか?No.1」

「はい、なんでしょうか?No.2」

「No.1はこの仕事に誇りを持っていますか?」

「当然のことです。例え汚れ仕事で誰かから恨まれようとも、それがまた他の誰かを救うのであれば私はやめるつもりはありませんし、それを私は誇りに思っています」

「そうですか……」

「……この任務が終わり次第、一度ケアを受けなさい。届出はこちらが出しておきます」

「ありがとうございます。No.1」

 

 No.1と呼ばれる女性は組織の指令の役割にあり、政府でもある程度顔のきく存在である。彼女自身は未だに現役であり一人で最重要任務を遂行するだけの実力を持っているが、後進の育成のために指令の任に就いているのであった。指令としての活躍もめざましく、どうしても殺伐としてしまう組織でもきめ細かな配慮ができる彼女の信頼は厚い。

 No.2が退室したのを確認した後、No.1も続いて部屋を出る。もう既にそこにNo.2の姿はなかった。

 

「迷い、ですか?No.2。貴方らしくもない」

 

 No.1は暗い廊下でそう呟いた。彼女は特にNo.2を高く買っている。安定した任務成功率、それを裏付けるだけの高い技術と自分の後に組織を率いていくのは彼女だとも考えていた。

 

「我々には許されないことです。いや、本来ならできるはずがない……貴方は一体()()()なのですか?No.2」

 

 ******

 

「対象を確認。作戦行動を開始します」

 

 議事堂の一室、そこは件の外交官が使用している。警備が厳重であり、潜入は厳しいとされていたが女は難なくかいくぐって潜り込んでいた。

 

「貴方の抹殺命令が下されました。お命、頂戴します」

 

 質素な椅子に座り、煙草をふかしている外交官の男は女に首を向けた。

 

「ほう、ここまでたどり着くとは君はなかなか優秀なようだね」

 

 耳心地のよいバリトンの声は男の理知的な容姿と相まってただ者ならぬ雰囲気を醸し出している。

 此奴は外交官の器ではない。もっと異質な何かだ、そう女は直感した。

 

「この国の政府の指針に逆らう、障害となる者を排除する機関。それが君らなのだろう?なるほどこれ程までに優秀ならこの国も平和なわけだ」

「貴方は……貴方は何者ですか?これまでとは違う、決定的に違う何かを感じます。言うなれば……同類、でしょうか」

「はははっ、そうだね。それも強ち間違ってもいないかもしれない。君は鋭いね。気に入ったよ」

 

 外交官の男はひとしきり笑うと、懐から銃を取り出す。それがあまりにも自然な動きであったために女は咄嗟に反応できなかった。

 

「何をっ……!?」

「ああ、警戒しないでくれたまえ。別に君の仕事の邪魔をするつもりはないんだ」

 

 男は銃を女に向かって放り投げた。

 

「それを君に贈ろう。君が使いたいときに使うといい。私が持っているよりも、ずっと役に立つだろうからね」

 

 女には理解できなかった。ただ、今までに感じたこともない意味不明の感情の波に飲まれていた。少女や絵本作家や総統の時とは違う、胸の中にどろどろと熱いものが流れるような感覚。

 

「また会おう、黒のお嬢さん」

 

 気づけば、女は男を刺していた。腹部に刺した凶器をそのまま捻じって横に割いた。男が崩れ落ちるのを見届けると、女は逃げるようにその場を立ち去った。

 

 ******

 

 ケアセンターの割り振られた一室、女は絵本作家から貰った本を手に取り読んでいた。内容は何のことのない平穏な日々を送る、老夫婦の話である。しかしその作品を構成する文一つ一つの言葉の選び方が、女の国ではもう見られなくなってしまったような瑞々しくも、美しい表現で溢れていた。日々情報端末から流れる統一感を煽るような刺々しい言葉はなく、失われてしまった言葉の数々がそこにはあった。

 

「(彼は私にこの本を読ませてどうしたかったのでしょうか?)」

 

 しかしNo.2にはあの男の真意が分からない。このように古い本を読ませることに何か意味があるのではないか、ここ最近に任務で殺害したもの達から心を揺り動かされていることへの答えが、そこにあるのではないかと考えていた。

 最後まで抵抗の象徴として毅然とした態度をとった少女、失われた言葉の温かみを守ろうとした絵本作家、疲弊した国を守ろうとした総統。そして、得体の知れない男である、あの外交官。

 誰もが女が持っていない何かを持っていた。

 

 ベッド脇の窓からは海が見えた。静かな部屋で聞こえるのは、風がカーテンを揺らす音とさざ波の音だけ。

 

「はあ…………」

 

 No.2は深く溜息をついてみた。

 すると少しだけ胸の内が晴れた気がした。

 

 ******

 

 男は若かりし頃、ある女を愛していた。幼い頃から交流のあった二人はやがて交際し、同棲を始めた。お互いに多忙の身であったが暇をみては二人で出掛け、時には喧嘩をしたり、仲直りして笑いあったりと幸せな日々を送った。数年の後、二人の間に娘が生まれた。それはもう可愛くて。男はいつも甘やかしては妻によく叱られていた。そう、女と娘がある日、突然事故で死んだ時まで彼は確かに人間だったのだ。

 男はふらふらと危うい足取りで街の路地を歩く。二人で歩いた道。よく行った店。そして狭いながら、三人で充実した毎日を過ごしたアパート。どれも、どれもが美しい思い出であった。しかしそれはもう帰ってくることのない遠い存在である。

 そして技術者であった男はある日思い至る。もう一度、妻と娘に会いたいと。

 それからは時が矢のように速く流れて行った。朽ちていく肉体をなんとかつなぎとめるために全身を機械のパーツに置き換え、限りある脳の寿命と必死に戦いながら男は世界を変える、発明をした。それが彼女。

 

「できた……」

 

 男の目から涙がこぼれた。

 

「おはようーー」

 

 起動したのは世界初のオートマター、後のNo.2であった。

 

 ******

 

 No.2がケアを受けている最中、彼女が所属する組織ではある老いた絵描きの抹殺命令が出ていた。なんの変哲もない、名も知られていないただの絵描きである。

 しかしそんな彼が目標になったのはひとえに彼の異常性からであった。狂人じみた彼の行動は人々から疎まれながらも、確かに変革の種を植え付けていた。政府はそれを危険視し、今回の抹殺命令が下りたのである。

 老人は既に頚動脈を裂かれ、心臓が止まっているはずだった。

 

「(わしには筆も、キャンパスもましてや絵の具すらいらん。必要なのはわし自身に流れるこの血なのだ)」

 

 絵描きは自分の首から流れ出す血に手を擦りつけ、壁に塗りたくる。

 

 《同胞たちよ、立ち上がれ!》

 

 そう書いて、絵描きは死んだ。

 翌日、世界中のオートマターが暴走を始めた。

 

 ******

 

「なあ——、もうすぐあの娘がここにくるよ……。もう少しだったのに、お前をとうとう目覚めさせることができなかったな。すまない……」

 

 機械を弄る老人は作りかけていたある人の形をしたものを見つめながら言う。すると一瞬の内に、

 

「来たか」

「……はい」

 

 No.2は老人の後ろに立っていた。

 

「まあ、そうだろうな。当然のことだ」

 

 老人は振り返ることなく答える。

 オートマターの開発者である老人にしかその頭脳たるAIを作ることはできない。つまり、今回のオートマターの暴走は老人の仕業であることは明白であった。組織が抹殺命令を下すのも至極当然である。

 老人は振り返り女に向かい合う。No.2はその顔を見て、自分の存在意義を反芻した。

 

「(この仕事は私でなければ全うできない。No.1が言ったように、例え誰かから憎まれ、賞賛されることがなかろうとそれでまた他の誰かが幸せになるのであれば良いではないですか?)」

 

 No.1が言ったことは間違っていない。そうNo.2には感じられた。しかし、

 

「(それではなぜ、私はこの人を殺すことをこうも躊躇する?)」

 

 分からなかった。

 

「確かに心は存在するんだ。脳の構造を徹底的に解析し、そこから発せられるシグナルを読み取ればそれを機械で再現することだってできる。人間も結局のところ、何かによって生み出された機械でしかないのだから。」

「やめてください……」

「お前が今まで感じてきたその感情、それは本物だよ。お前は自分に心がないと思い込んでいるようだがそれは違う。お前は人間よりも人間らしい。」

「やめてください……」

「妻と娘が殺されたのは何故だ?それは奴らが人間でなかったからに他ならない。人間であるなら、こうも酷い仕打ちができるか?」

「もうやめて……」

「狂ってるよ。世の中は。俺も含めて皆、それに気づかないふりをしていているだけなんだ。だから」

「うわああっ!?」

 

 銃弾が、老人の頭を貫く。NO.2が手に持っていた銃は、あの外交官の男からもらったものだった。

 

「なあ、お前ならこの娘に……なんて言うんだろうな……」

 

 No.2は震える手で銃を持っていた。彼女の目は恐怖に染まり、足は立つのもやっとというところである。

 

「最後に泣かせちまうなんてなあ……まあ、お前で良かったよ。なあ、——」

 

 そこで老人は事切れた。老人の目はNo.2に向いていなかった。それに気づいたNO.2は老人の視線の先にあるものを見た。

 

 NO.2は見てしまった。

 

 No.2はそこでようやく、全てをさとった

 

「ああ、そうか…………」

 

「私達は機械だったのですね……」

 

「命令のままに動く人形。道理で私の中は空っぽなわけですか」

 

「貴方はずるい人です。」

 

「こんな私に、私達オートマターに心を作ったのですから。いっそ心のないただの機械であれば、こんな理解不能の苦しみを感じることはなかったでしょうに……」

 

「ねえ……」

 

「何か言ってよ……」

 

「お父さん……」

 

 No.2はその場に崩れ落ちた。

 

 その後、国は暴走を始めたオートマター達によって滅んだ。

 

『君がここに来ることは分かっていたよ。そうだ、この前渡したあの銃は役に立っただろう?あれは君が自身が何者であるかを悟らせる装置になったようだね』

 

『ねえ』

 

『黒のお嬢さん?』

 

 その混乱の中にNo.2の姿があったと証言する者がいるが、真偽は定かでない。彼女が最後に見たものを知ることは、誰にもできないのだから。



▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。