瞬間最大風速   作:ROUTE

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今回のシナリオ:日本記録の壁

開始から一球もバットに掠らせることすらなく10者連続三振と完全にその本領を発揮し、絶好調の斉藤。

秋葉も打ち取り日本記録タイとなったが、ここでバッターは轟雷市。
勝てば日本記録更新となるがそう簡単に打ち取れる相手ではない。
しかし、大記録を目前にしてあきらめるわけにはいかない。
青道ナインよ、エースの偉業達成を援護せよ!

四回表/ワンアウト
打者:轟雷市
投手:斉藤智巳


日本記録の壁

「記録、知ってたか?」

 

江川卓の持つ、10者連続奪三振。

そんな記録の更新が間近に迫っている。

だと言うのに、智巳は沢村から受け取った水を軽くあおっているだけで特に緊張する様子もない。

 

「おい御幸、言うなよ」

 

「あー、別に緊張とかしないからいいですよ」

 

空気を読んでいた三年生を代表して、伊佐敷純がツッコんだ。

ノーノー前とか、フラグを立てるのを防止するために話しかけたり意識させたりはしない。

 

それに近いことが、青道ベンチで行われていた。

 

「と言うか、御幸。そんな記録に拘って、無理に三振狙うなよ。内野ゴロ、内野フライ、外野フライ、ライナー。アウト一個はどう取ろうが等価値なんだ」

 

本気でこう思っているこの男は、オールストレート勝負に関しては『できる』と思ったから首を横に振らなかったし、『ストレートだけで手も足も出なかったら、変化球が混ざったらどうなるかってのは、いい絶望になるだろ?』という言葉に賛同したからああした。

 

「でもどうせならお前に更新させてやりたいってのが、女房役としての本音だな」

 

「記録より、何より、勝つことだ。エースに個人的な感情なんかいらん。記録もいらん。勝つことが第一、あとは全て些事だ」

 

「なんだかチーフらしいですね……俺としては連続奪三振記録更新して欲しいッスけど」

 

「へぇ、なんで?」

 

「超える壁がでかくなるほど、やりがいが出るじゃないですか!」

 

相変わらずだなー、と言う視線に晒さられながら笑う沢村の顔は明るい。

本気で超えようと思っているし、本気で応援している。

 

「いや、次の秋葉はゴロに打ち取―――」

 

「俺達としても、出来る限り伸ばして欲しい。俺達のエースに泊がつくのは、喜ばしいことだからな」

 

「御幸、無理しない程度に三振狙っていこう」

 

「あ、はい」

 

結城哲也の言葉でも、矜持は曲げなかった。

が、投球の一環として狙うこと自体は認めた。

 

えらい掌返しである。

 

「斉藤、無理はするなよ」

 

「怖いのは一人で、他はすべからく弱い。流してやってもいけますよ、監督」

 

人差し指を親指で掻きながら、智巳は悠々とマウンドに上がった。

10者連続奪三振が、かかっている。

 

「お前ならやれる。自分の投球をして、いつものようにマウンドに立て」

 

「わざと打たせて取ったの含めないと、通算平均17奪三振とかだっけ?

逆に今まで出来てなかったのが不思議だよね」

 

「気張っていけよ!外野まで飛ばされても文句は言わねぇ!」

 

「サードに転がってきたら任せろ。ヒットにならない程度に見極めて、できるだけファールにしてやる」

 

「チィィーフ!あなたはやればできる男!その打者を独楽のように回しておしまいなさい!」

 

三年生四人衆に励まされ、ベンチからひときわうるさい奴に声援を送られ、球場の観客は記録の立会人になれることを期待して声も枯れろとばかりに『あと一つ』コールを連呼する。

青道の応援団も、斉藤コールが収まらない。

 

「期待されてんだな」

 

「お前はそれに応えられる男だろ?」

 

「当たり前だ」

 

去り際に、御幸は少し振り返って言った。

 

「―――皆あと一つって言ってるけど、あと一つじゃねえからな。あと18個だ」

 

「俺が一番、よく知ってるよ」

 

「ならいい。いつも通りに行こう」

 

いたずらっぽく笑って、御幸はホームベースでミットを構えた。

 

初球、ストレート。

 

球威のある直球がミットを鳴らす。

ワンストライク。

 

二球目、遅いカーブ。

112キロの緩急の取れる球は、ふわりと縦方向に浮き上がって落ちた。

 

空振り、ツーストライク。

 

『さあ、あとワンストライク。あと空振り一つか、見逃し一つで記録に並びます』

 

あと一つコールが、やかましいほどに鳴り響く。

完全に勢いで敗け、観客に期待されていた薬師の下剋上。

それが、たった一人によって塗り替えられている。

 

『真ん中、空振り三振!150キロストレートで決めたァ!』

 

『……決めましたが、今のは若干甘い球に見えましたね』

 

『どうかしたんでしょうか?』

 

『いやぁ、この球速差は打てないでしょうから、極論になりますが見栄えでしょうね。アウトローよりもインハイよりも、真ん中で空振りと言うのは誰にでもわかる凄まじさですから』

 

ど真ん中ストレートで江川卓の記録タイ達成。

この言葉だけで、怪物ぶりがわかる。

 

だから、御幸は要求した。

対戦する敵の精神を、最初から負け犬ムードにする為に。

 

『ですが二番はサードの轟くん。今大会屈指の左バッターです。

ここまで来たら更新される瞬間も見たくはありますが、そう簡単に三振を取れる相手ではありません』

 

『彼、まだフォークを見ていませんからね。二巡目は何とかできるとしても問題は三巡目ですよ。ストレートに合わせられましたし、轟くんならばフォークをヒットにしてもおかしくはないです』

 

ツーストライクまでカウントが進み、誰もがフォークだと思った。

そして、その期待は裏切らない。

 

スターとは、誰にもできないことをすること。

スターとは、賢くあること。

スターとは、熱くあること。

 

そしてスターとは、周りの期待を裏切らないこと。

『最後に打たれたのは、一年生の時の紅白戦、頼れる主将に打たれたのだと本人は言っておりました、この魔球!』

凄絶な笑みで勝負を楽しむ轟も、観客も消えて、ミットが映る。

ここに落とせと、存在を示す。

 

薬師旋風を巻き起こしたバットが、フルスイングで空振った。

 

『152キロを落としました……!

空振り三振、11人連続、11個目の奪三振。怪物江川を、東都の怪物が超えました―――』

 

『ストレートと同じ軌道ですよね。手元でノビるか、落ちるか。その違いなんですけど、それが大きい。ちょっとこれをコマンドに決められてしまっては打てないですね』

 

その後三島を見逃し三振させ、肘鉄でも喰らわせるかのように下げたオフアームを軸に半回転させ、吼える。

 

12者連続奪三振。

 

その日本記録を引っさげて、怪物は闘志を溢れさせたままベンチに帰った。

 

「おめでとう、エース」

 

「ありがとうございます、哲さん」

 

この回は、二番小湊亮介から。

敵先発真田も好投し、智巳のヒット以来ヒットを許さず。

 

「キミなら1点で充分かな?」

 

「あ、投げ切る気は無いのであと2点ください」

 

ヘルメットを被った小湊亮介の冗談半分の言葉に、智巳は平然と何が起ころうと完投する気がないことを明かした。

 

現在は12者連続奪三振。被安打はなく、四球もない。

言うまでもなく、完全試合ペースである。

 

「へぇ、完全試合ペースなのに?」

 

「勝てば記録なんてどうでもいいですし、降谷と沢村に経験を積んで欲しいんです」

 

「勝利、か」

 

「はい」

 

個人の記録より、チームの勝利。

誰が何を言おうが、ピッチャーになることを強いられたその日から、自然に身に染み付いたその信念に揺らぎはない。

 

「じゃあ、純、哲。あと2点取りに行こうか」

 

「あたぼうよ」

 

「祝砲代わりに返してみせよう」

 

敵エースに全く歯が立たない打線、強打者揃いで苦戦続きのエース。

それでも、薬師のエースの心は折れていなかった。

 

真田俊平は、未だ3回1失点。この回を抑えて、自分のバットで1点取り返す。そのつもりで投げている。

 

先頭打者は最も面倒くさい打者の小湊亮介。

 

(最悪ヒットでもいい。問題は長打を許すこと。次の三番でゲッツー、四番は歩かせて五番でシメる)

 

ふぅー、と。

気持ちの切り替えと、敵エースの圧倒的な投球を頭から消す為に、一つ真田は深呼吸をした。

 

(問題は、粘られること。早めのカウントで打たせたい)

 

真田のフォームは、投げる時に上げた左脚に大きな負担がかかるのだ。

 

着地した左脚で地面を引っ掻くように投げ、下半身のエネルギーを余すところなく上半身に伝えて投げることでボールの威力を水増ししている。

春先に痛めたふくらはぎはまだ完治していない。

 

小湊亮介はかなり粘る。何球も投げさせられるのは、避けたい。

だが、先頭打者に四球もマズい。

 

「ファール!」

 

三球連続で、振り抜いてのファール。

カットに見えないカット打法。甘い球を待つ粘り打ち。

 

9球目、フルカウント。

 

「ボール、フォア!」

 

小湊、歩く。

これでノーアウトでランナーが出た。

 

「こいやオラァ!」

 

一打席しか回ってきていないとはいえ、無安打で一併殺。

三番の仕事を出来ているとは言えない。

 

(俺が出て哲に繋げば、必ず点が入る。哲が歩かされても満塁で御幸)

 

どちらにせよ、自分が出塁するか否かで点を取れるか取れないかで決まる。

 

一球目のシュートを見逃し、ワンボール。

二球目のストレートが外に外れて、ツーボール。

 

歯を食いしばって、鬼気迫るような顔つきで投げ込まれる、インコース寄りの球。

 

(って言っても―――)

 

シュートを捉え、センター前へ。

 

(ウチのエースよか怖くねぇだろうが!)

一年生対補欠の紅白戦で、今の主力は入ったばかりの智巳と戦っている。

あの時の智巳の方が遥かに大きく、何か鬼が憑いているように見えた。

 

「しゃぁぁぁあ!」

 

思い切り走り抜き、一二塁。

 

『真田くんは、ここが正念場ですね。ランナーが二人いる状態で四番の結城くん、敬遠しても満塁時は17打席16安打10本塁打5二塁打と言う満塁男の御幸くん。理想で言えば、ここでゲッツーを取りたいところでしょう』

 

『彼は打たせて取る投手ですが、球数自体は三振を取るタイプの斉藤智くんより二十球近く多いんですよ。ここで粘られると、キツくなってきますね』

 

だいたいこの二十球は半分近くが小湊亮介の所為なのだが、斉藤智はボール球が少ないピッチャーで、ボール球を振らせるよりはストライクゾーンに来る球を振らせるピッチャー。

 

(……さて)

 

掲げたバットを見て視線を束ね、集中力を高める。

バットを肩に、目線は真っ直ぐ。

 

(今の1点は、自分での援護)

 

初球が、わずかに甘い。

勿論結城視点であり、全く甘くはない。

 

振り抜いたバットが手から落ちて、白球もスタンドへ落ちる。

 

『いったぁぁぁあ!これはもうホームランでしょう!間違いないと感じられるこの一発ッ!』

 

静かにダイヤモンドを一周して、結城哲也は走者二人とベンチに帰った。

 

「ただいまー」

 

「帰ったぞ」

 

「祝砲だ。受け取ってくれ」

 

「先輩三人方の御祝儀、ありがたくいただきます」

 

4対0。

そして御幸があっさり初球打ちでアウト、増子がヒットを打つも智巳がいつものセカンドゴロでゲッツー。

 

バッテリー二人で仲良くスリーアウト。もはや増子が可哀想になる程のスリーアウトサンドイッチである。

 

「打点乞食」

 

「ゲッツーロボ」

 

「出稼ぎクラッチヒッター」

 

「セカンドゴロマニア」

 

圧倒的自省。

一応連続奪三振の日本記録は更新中だが、もはやそのような雰囲気ではない。

 

バッテリー二人でスリーアウトと言うのは、最早様式美だった。

 

「あ、フォークは控え目な。チェンジアップとスローカーブを絡めて、緩急でさっさと狩っていこう」

 

「応」

 

「掠らせてないから、一応カットボールと小シュートと小シンカーは封印な。掠らせないで勝てたら、それはそれでいい風聞になるだろうし」

 

この回も、智巳は緩急を混じえて堂々のピッチング。

下位打線に手を抜く病がナゲタイナゲタイ病に喰われている今、本当にまるで弱点が消えている。

 

片岡監督の名采配だろう。

 

一番斉藤からはじまり、温存策による力配分解消、因縁の稲実に向けての調整登板で宿敵を軽く潰す。

 

名将である。


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