瞬間最大風速 作:ROUTE
ペンを口にくわえて、御幸一也は唸っていた。
夏合宿にかまけていて、スライダーを織り交ぜた配球を考えるのを完全に忘れていたからである。
あのスライダーになる前のスライダーは、カウントを取るのに適した球だった。
そりゃ主戦球の中で一番雑魚かったが、それなりにスライダーは使えた。
一番の雑魚とは言え、中堅校で無双できるくらい―――つまり、川上のそれを上回るくらいにはキレていたからである。
だが、今のスライダー(一様に速いというわけでは無い為、ピンポン玉みたいな変化をするからPスラ、略称Pと呼称する)は、空振りが取れる。
これをカウントに使いたくない。勿体無いし、頻繁に投げていい球でもない。
つまり御幸は、空振りが取れるFF(FastFork)、FS(FastSlider)、P(スライダー)の中から選ぶ贅沢を味わっている。
因みにこの略称は配球ノートだけの言語である。
(FFは145〜150、FSも似たようなもん、Pスライダーは140でれば速い方。これを加味しなきゃいけない)
それに、高速フォーク、高速スライダー、は手元で加速するようなノビがある。
そりゃあ絶好調な時はもっとノビるからバレる可能性もあるが、調子がイマイチなときのストレートと誤認させるには充分なほどの。
(考えれば、沢村のストレートとあいつのストレートのノビは似てるんだ……癖球の配球を流用したりできないもんか。
いや、前者は軽くて後者は重たいんだよな)
沢村のストレートは実際は130キロいっていないが速く見える。だが、打たれるとよく飛ぶ。ホームランもあるが、差し込まれるから打たせて取りやすくもある。
智巳のストレートは速く見える。そして実際速いし、背が高いからつけられる角度が凄まじい。球質も重い。ただし、ボテボテのゴロで出塁されたりする。主に倉持みたいな奴らに。
重くてノビのある、空振りが取れるストレート。
縦横の高速の変化と普通の速度の縦横の変化。
緩急の取れるチェンジアップ、打たせて取るカットボール、小さいシュートと小さいシンカー。
カウント取り用と化した、ただのカーブ、スローカーブと縦のカーブ。
使える球、使えるコースが豊富だからこそ、最良の組み合わせに悩む。
あれはリードが悪いなどと全く言わない男なだけに、完璧なリードをしてやりたい。複数の状況を想定してゲームを支配するためのプランを用意しておきたい。
(と言うか、その前に高速スライダーをあれ以来捕れてないんだけどな……)
だがそれは自分の怠慢なので、容赦なく配球には入れる。
中々、自分に厳しい男なのである。
隣では智巳がアイシングの余った時間で勉強をしている。御幸は配球ノートを書いている。
でも成績は御幸が上。才能とは悲しいものである。
授業中でも構わず配球の組み立てをするので、教師もなんとかしようと指したりするが、指されてもちらりと見て答えられる為、既に一杯喰わすことは諦めていた。
御幸も智巳もブツブツ言いながらノートに書き足したり消したり、忙しい。
東条は夜だと言うのにまだ頑張っている。
地獄の夏合宿地獄は終わり、休日祝日を使った地獄の練習試合地獄が終わり、抽選会が終わり、夏の予選もはじまった。
今は7月18日。夏の予選、一回戦が行われた。青道のメンツはシードだから、こうして呑気にしていられる。
開会式を終えて、青道のスタメンは身体を動かすというより、5日後の試合に向けて調整している、という感じが強い。
「対戦相手の情報のまとめが終わった。ベンチ入りメンバー含む二十人は食堂に来るようにってよ!」
「了解」
「応」
脚が速い伝令係・倉持の一言で、御幸は立ち上がった。
智巳も立ち上がった。
夏が、はじまるのだ。
名門復活をかけた、青道の夏が。
「勝ち上がってきたのは、米門高校。エースは左のオーバースロー菊永正明。MAX130キロ後半のストレートに、カーブ、スライダー。コントロールはあまり良くはありません。打線はバントとスクイズを多用し、出たランナーを大事にし、堅実な最後まで守り勝つチームです」
クリスから偵察のノウハウを教わった偵察班の渡辺久志は、少し慣れない様子ながら集めた情報を開示した。
ここに居るのは、20人。選ばれた者と、選ばれなかった者の差がこうもはっきりと現れる。
残酷な勝負な世界が、既にここにはあった。
「……よく集めたな」
「は、はい!」
クリスが褒め、渡辺が照れる。
沢村とはまた違う形だが、この二人の師弟ではあるのだ。
「相手は待ち構えていた俺達とは違い、初戦を勝ち抜いて勢いに乗ってきているだろう。油断せず、自分の野球を貫けば、自ずと結果はついてくる」
はいッ、と。20人が声を唱和して相変わらず強面の監督の言葉に答える。
「初戦の先発は―――」
(俺だろ)
(何言ってんだ、智)
小声で囁くエースと、返す正捕手。
エースを初戦に先発させる。それは定石だ。しかしそれは連投が前提の高校野球、一戦落としても次があるプロ野球での話。
連投が前提ではない高校野球と言う謎の競技に参加しているこのエースが、初戦の―――口を悪く言えば雑魚高校相手に登板するわけがない。
「―――丹波。お前に任せる」
「!?」
「落ち着け。エースはお前だ。だが、初戦は一番・レフトだ」
一番レフト、斉藤智巳。
二番セカンド、小湊亮介。
三番センター、伊佐敷純。
四番ファースト、結城哲也。
五番キャッチャー、御幸一也。
六番サード、増子透。
七番ピッチャー、丹波光一郎。
八番ショート、倉持洋介。
九番ライト、白洲健二郎。
最近打撃が開眼してきた智巳を一番に置いて、二巡目からは八番から攻撃を始めるお試し打順変更。
「斉藤、お前は併殺が多い」
「はい。そのことに関しては何というか、打ったら捕られてしまうといいますか」
「だが、出塁率はウチのチームの中で二位。長打もあって脚も速い。そして―――」
敵の心を砕くのが何よりも巧い。
木製で華麗に打球を彼方に飛ばし、バット投げで死体蹴り。
先制の為の超攻撃的な核弾頭。併殺が多いが、使いやすい。
因みに併殺数はブッチギリ一位。出塁率一位は言うまでもない。
二番の小湊亮介はかなり打てる割に犠打で倉持を三塁に運ぶことが多いので、僅差で二位を逃している。
「そして、何です?」
「まあ、出鼻を挫くのがうまい」
(出鼻と一緒に心の柱を無意識に圧し折ってんじゃないかなって……)
御幸、極めて正しい心の声解説。
威圧感もあるし、盗塁技術と脚の速さは倉持に敗けるが出塁率と打率では大幅に勝る。
いつぞやの巨人の一番高橋由伸を思い起こさせる起用である。
守備は比較にならないが。
「そうですかね?」
「そうだ。初回先頭打者ホームランを狙っていけ。何も考えていないで来た球を打てるお前が打てば、如何な状況でも突破口になり得る」
エースが口車に乗せられ、そして迎えた、夏の西東京予選二回戦、米門西高校戦。
「……相手のピッチャー、菊永ではありませんね」
「背番号10の南平守。一年の時は投手として試合に出ていたようですけど、それ以降公式戦には出ていないようです」
控え捕手としてベンチに入っているクリスと、スコアラー兼情報収集役としてベンチに居る渡辺。
青道の先攻。
敵の投手はアンダースロー。
「見たことないな」
「おま……シニア全国大会での秋田代表がアンダースローだったでしょうが」
「覚えてない」
ノーノー喰らわせた相手のことを忘却の彼方へ置いてきた智巳に情報を思い起こさせようとするも、まるで記憶にないらしい。
「斉藤。一般的な一番打者の役割は求めないが、なるべく粘って出塁することを考えろ」
「了解しました、監督」
木製バットを肩に担いで、一番バッターが打席に入る。
米門西の監督・千葉には、勝負の鉄則と相手の油断への確信がある。
一、どういう形であれ先手を取ること。
菊永から秘密兵器南平へのスイッチ。
そして油断とは、エースを先発させずにレフトにおいたこと。
そしていつも下位打線を打っている長打力が売りの男を、試験運用のような形で一番に置いたこと。
「どこかで都立のウチを舐めてるんだよ、強豪ってのは!」
油断の中に潜むは魔物。青道高校恐るるに足らず。
と、思っていた。
―――一番、レフト、斉藤智巳くん
そうウグイス嬢にコールされた相変わらずフルネーム登録の身長194センチの威圧感漂う先頭打者の木製バットが振り抜かれ、残心そのまま縦回転。
初回初球先頭打者ホームラン。
所謂プレイボールホームランを、唖然とした顔になった秘密兵器が被弾するまでは。
バットを投げた時はドヤ顔、一塁回るときは得意顔、二塁を蹴るあたりで観客に手を振り、三塁回るあたりで気づいたのか、若干顔がこわばる。
小湊亮介に何事かを呟き、先頭打者は帰還した。
「監督、すいません。あまりにも遅くて打ちごろだったもので、つい手が出てしまいました」
凡退した選手がする言い訳に聴こえるが、こいつはホームランを打っている。
「……粘れと言ったはずだが、打てると思ったなら良し」
采配も打撃も、結果論。
粘って敵の球種を割れさせることに関してはまるで期待していなかっただけに、片岡も優しかった。
まさかこうもうまくいくとは、と言うのが心境である。
やってくれたら楽になる、くらいには思っていたが。
「次は粘る所存です」
「いや、次に回ってくる頃には球種も割れている。狙っていけ」
アンダースロー独特の浮かび上がるような軌道を苦にせず、木製バットで、一発で、それも一球目で、ライト方向に流し打ちホームラン。
怪物だな、と。少し誇らしい思いの片岡の頭にその単語が過った。
「綺麗な流し打ちだった」
「手首が柔らかいからできるらしいですよ。まあ、あんまり褒められたことじゃないですね」
オーラが出ている結城哲也と話しながら、智巳は少し自分を戒めた。
粘れと言われて初球打ちと言うのは、流石に何も考えていなさすぎなのではないか。
配球は読めないので読まない。
ストレートを待つ。
来た球を反応で打つ。
変化球は曲がってから打つ。
変化球は「あっ、曲がった」と思うぐらい。
曲がったんだと意識させるだけ。
変化球が来たと考えた瞬間にワンテンポ遅れるから合う。
四球を意図して選んでみようと思う智巳であった。
(ふーん、動揺しちゃって)
小湊亮介は、三球見た後に相手の動揺を見て取る。
こう言う時は甘い球がくる。経験上、小湊亮介にはわかっていた。
だからボールを見て、ファールにして待つ。
「甘いよ」
巧く運んでレフト前。
ヒットでつないで、三番伊佐敷もヒット。
結城哲也も単打で繋いで、御幸がフェンス直撃のツーベースで走者一掃。
ワンアウトも取れずに四失点。
更に増子のホームランで二点を加え、丹波がアウトになるも白洲と倉持が更に繋ぐ。
ワンアウト、一塁二塁。
そして一番のゲッツーロボ。
だが、ここで米門西バッテリーはこの一番との勝負を避ける。
(四球を選べたぞ)
(選んだんじゃなくて歩かされたんじゃないのかな?)
ホクホク顔の智巳と、その思考を読む亮介。
スクイズか、ヒッティングか。
ちらりとベンチを見てサインを確認すると、監督の指示はヒッティング。
(一気に畳み掛ける、と)
軽く当てて、センター前へ。
ランナーが一人生還して、なおも満塁。
伊佐敷がライトに犠牲フライを放ち、更に一点追加。
結城哲也が智巳と違って本当に四球を選び、御幸。
満塁ホームランで、12点目。
初回から安定のビックイニングが炸裂し、増子がファーストゴロでチェンジ。
その後も極めてコンスタントに5点6点と畳み掛け、27対0で5回コールド。
続く三回戦は村田東と対戦。先発は川上。
この日も一番打者斉藤は初回プレイボールで初出のスローカーブでアーチを描き、31対0で圧勝。
強過ぎて申しわけない。そんな声が聴こえてきそうな圧倒的な試合展開で、青道高校は四回戦に駒を進めた。