瞬間最大風速   作:ROUTE

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推薦枠と合宿と

今日も地獄の一日が終わった。

そう心の中で呟いて、新二年生たちはバッタリと倒れる。

 

夏。旧チームが終わり、新チームが始動。

となれば、付いて回るのが練習だった。

 

敗者はただ未熟を認め、己を鍛えて次の機会を待つ。

何よりも、勝つ為に。

 

そんな思いの元に身体をいじめ、築かれた死屍累々の山を見て、平然と個人のトレーニングとしてインナーマッスルを鍛えていた斉藤智巳は声をかけた。

 

「御幸、投げるから受けてくれ」

 

「……今、俺死んでんだけど」

 

割りと平然としているが、智巳も疲れていることに変わりはない。

 

しかし、使ったのは基本的に足腰だけ。投手は特別にインナーマッスルを鍛える練習を課せられたが、それは自分の肩の特性である『可動範囲が並外れている』『肩をしならせるようにして投げられる』『変化球が異様に変化する』と言う代わりに『ただし宿命的に脆い』と言う諸刃の剣であることを知った御幸がうるさく勧めてきたのでかなり前からはじめている。

 

要は、非常に地味だがかなり繊細で辛いこの作業に慣れていた。

一方、川上は死んでいた。周りに心配されない程度に健康な肩だったのだろう。いいことである。

 

「なら、小野か宮内先輩に受けてもらうとするかな」

 

「よし、生き還った。やろうぜ」

 

(……こいつ)

 

御幸(故)から、御幸(捕)へ華麗なポジションコンバートを果たした相棒の鮮やかな転身ぶりに何も言えない智巳は、脚がガクガクな御幸を一瞥して溜め息をついた。

 

この男、最早根性だけで動いている状態である。

 

「細いから、体力が無いんだ」

 

「背は伸ばそうとしても伸びるもんじゃないから」

 

死屍累々の山の中から、ぽつりぽつりと人に還っていく者も居る。

夏の最後の戦いにスタメンで出たのは、御幸と智巳。代走からの守備固めで倉持。

 

最上級生になったらいずれかのポジションをとれる。

 

そう漠然と思っていた新二年生達の意識を覚ましたのは、やはりあの夏の大会だった。

 

エースは一年、正捕手は一年。

 

強豪野球部だから、スタメンをとるのは二・三年から。二年のうちにベンチに入れればいい。

そう考えていた彼らは、自分たちの甘さに気づいた。

 

―――今実力で敗けているのだから、あの二人以上に練習をやらなくてどうする。

 

ゆらゆらと、ゾンビのようになりながらある者は走り出し、ある者はバットを持つ。

 

何度も繰り返すことになるが、夏の大会は終わった。

だが、早期に大会が終わることがチーム的にマイナスかと言われると、そうではない。

 

早々に先輩たちが引退するということは、新チームとして活動する期間が最大で一ヶ月ほど伸びる。

負けたのは残念だが、次に繋ぐための時間が得られたと考える方法もある。

 

これから主力を担う二年生、一年生。彼らの自覚が早く生まれたということは悪くはなかった。

 

目指すは春の甲子園―――ではなく、来年の夏の甲子園。

先ずはセンバツへ目標を定めて頑張ろう、ということだったのだが。

 

ここで既に、とある事件が起こっていた。

ところ移して監督室。

 

「……丹波は、肩を痛めていると思われます」

 

わざとではなく、天然物の小さな声で、嘗ての正捕手は監督に告げた。

その場に居るのは、キャプテンの結城哲也と、副キャプテンの伊座敷純、嘗ての正捕手の滝川・クリス・優。新三年生でエース候補の丹波光一郎。

そして、スタッフでは監督の片岡鉄心。部長の太田一義と副部長の高島礼。

 

元エースの智巳が、地獄の夏合宿終わりだと言うのに、元気にインナーマッスルの増量に勤しんでいた頃。基本的にスタミナに不安がない男なだけに、彼は一年生の誰よりもいきいきとしていた。

 

そう、今は季節的な意味での夏の終わり。甲子園から球児たちの姿が消え、次の戦いに向けて動き出すためのモラトリアム。

 

地獄の合宿地獄が終わり、地獄の練習試合地獄の前。

 

高校野球にというより、野球につきものの怪我。

正捕手の故障から始まった連鎖は、エース候補をも蝕もうとしていた。

 

「丹波、具合はどうだ」

 

「投げ込むと少し痛む程度です。それほど気にはならなかったのですが」

 

僅かな時間で自分を鍛えようとして投げ込んでいた時の、フォームの僅かな違和感から、クリスが気づいた。

どうやら、少しではあるが痛みから庇うようなフォームに、なってしまっていたらしい。

 

「……一先ず、クリス」

 

「はい」

 

「報告してくれて嬉しく思う。その観察眼、これからもチームの為に役立てて欲しい」

 

プレイヤーとしてではなく、マネージャーとして。

これは、 肩甲下筋断裂および上腕回内筋断裂と言う復帰に時間のかかる怪我をしてしまったクリスが、自分からチームの為に役に立とうとして申し出たことだった。

 

「そして、丹波」

 

「……はい」

 

「気づくのが遅れ、すまなかった」

 

深々と、片岡鉄心は頭を下げた。

故障と言うのは、見つけ難く、傍から見るとわかりにくい。百人からの大所帯を管理する監督として考えると、更に見つけにくいというのが理屈である。

だが、それでも見つけなければならなかった。クリスの故障の後だけに、尚更。

 

「いえ……」

 

丹波光一郎は、悔しかった。この大事な時に、スタート地点で転んでしまったことが。

 

一年生にエースナンバーを奪われたことは、もちろん悔しい。だから、更にここから努力して結果を出し、背番号1をあの後輩から奪い取りたかった。

 

それが、戦う前に離脱してしまう。

それも、怪我で。

 

あの後輩は背番号1を返上したが、いずれ必ず取り返すと眼が何よりも雄弁に語っている。

その自信が羨ましかった。だから、敢えて誰のものでも無いエースナンバーを奪うと考えていた。

 

「必ず、戻ってきます」

 

そして、エースナンバーを奪ってみせます。

そこまで、口に出さなかった。

 

復帰への意思を示して、丹波光一郎はエースナンバーを巡るレースを離脱した。

 

そして、青道高校から戦力として数えられる投手の駒が消えた。これは、非常に大きい。

青道高校の伝統として、野手→投手→野手→投手、と言うようにスカウトする選手の主軸を代えるという傾向がある。

 

東清国世代は打者世代、結城世代は投手世代、御幸世代は打者世代。次はおそらく投手世代。

 

殆どの即戦力投手が小さく纏まり、素材型が打者転向を果たした結城世代は、戦力として数えられる投手が投手世代扱いなのにエースになれそうなのが丹波くらいしか居なかった。

 

打者世代のはずの御幸世代はそこら中から、強豪校から引っ張りだこで半ばスカウトを諦めていたシニア最強右腕を御幸当人が引っ張ってきたことと、この世代における河内枠であった川上憲史が思いの外戦力になりそうなことで、投手世代の扱いを受けている。

因みに、智巳は御幸に引きずり込まれなければ巨摩大藤巻に行くつもりであった。北海道だが、その厳しい環境にこそ、何かを学べると思ったからである。

 

本来は、スピードスターとして注目していた倉持洋一、飛距離抜群のプルヒッター前園健太、得点圏に強い御幸一也と、打者の世代になるはずだった。

 

現在の投手陣は二年は斎藤、桑田、槙原の三人に、一年は斉藤(智)、川上、川島。

 

苗字を羅列するとどこかの三本柱のようで強そうだが実力に欠ける二年の三人と、元エースと高校における公式戦出場経験無しのサイドスローに、同じく公式戦出場経験無しのオーバースロー。

 

まともに公式戦で投げたのは、斉藤(智)だけと言う驚きの層の薄さである。

 

「監督、センバツはどうしましょうか?」

 

選手たちがその場を去り、高島礼も丹波が病院に向かうにあたっての付き添いとしてその場を離れて少しして、太田部長が強面を僅かに曇らせている片岡監督に声をかけた。

 

基本的に目先のことしか考えられない彼としては、丹波の故障に対する不安が迫りくる公式戦に対しての不安に直結する。

どうやって勝ち抜くかと言うより、どうやったら勝てるのか、ということを思うまでに、小心な彼は追い詰められていた。

 

「……既に、合宿終わりに練習試合を組んでいる。その試合で投手陣を一通り試し、最も調子のいい者をエースとする」

 

これまでの既定路線を崩さずに、片岡監督は言い切った。

最も調子のいい者をエースにする。最も勝てそうな者をエースにする。

 

絶対的エースは生まれたが、今は結果なしにその座に君臨することを良しとしないだろう。

 

その元エースから『ここ一番に敗けるエースはエースではないので、エースナンバーの見直しを』と言われていたが、もうそれどころではなくなった。

絶対的エースになる可能性があった二人の内一人が消えたのだ。消去法的に選ぶとしても、もう選択肢はない。あとは初めての敗戦の後の実戦がどうなるか。これに尽きる。

 

こうなると、改めて自校の投手陣の薄さを実感せざるを得ない。

 

「推薦枠はまだ余っていますが、もう一人分使いますか?」

 

高校野球には、野球推薦と言うものがある。学費の免除や遠征費の免除など、様々な特権を与えて選手を取ると言う、ある程度の裁量が効くドラフトのような制度で、基本的に目玉選手を引っ張ってくるときはこれを使う。

 

青道はこれを枠いっぱいに使わないめずらしい強豪校である。最近結果が出ていないから使えないのではないか、と言う見方もあるが、どちらが先かはわからない。

現に、今年の推薦枠は全額免除の二人だけしか居なかった。

 

無論、誰がそうなのかは言うまでもないが、今年にしても枠は余っている。具体的に言えば二つ程。

 

今年の枠は松方シニアが一年前にベスト4になった時のエースである東条と同じく松方シニアのサードの金丸だけで、他は空きになっていた。

 

「急遽だが、できるか?」

 

「何とかしましょう」

 

せかせかと、太田部長は部屋を飛び出す。

 

一方、グラウンド。

 

色々と起こった大変なことを知らずに、智巳は御幸を相手に豪速球を投げ込んでいた。

 

脚がガクガクながら、キッチリとキャッチングできている御幸は流石というべきだろう。万全の状態でもキャッチングできない者も居るのだから、この男はやはり、何だかんだ(打点乞食だの守備の人だの)言われているが、リードも守備力もパンチ力もある優秀な捕手。

 

ただし、ムラがある。このバッテリーに総じて言えることでもあったのだが、やはり文句をつけるとすればそれだった。

 

「そう言えば、先輩たちが居ねぇな」

 

「死んでいたお前は気づかなかったのだろうが、結構前から何処かへ行ったぞ」

 

室内練習場は、珍しく空いている。使っている人間も、見渡す限り一年生が多い。

これは、珍しいことだ。大袈裟に言えば、暇な時は基本的にバットを振っているようなところが、この野球部にはある。

 

「何かあったのかね?」

 

「さあな」

 

フォークボールを要求され、投げ込む。

明日から練習試合なだけに、フォークボールの冴えは少しでも確認しておきたかった。

 

「……うん、充分決め球として使えるよ。そもそもお前、ストレート一本でも基本的に行けなくもないわけだし」

 

「そうかな」

 

丹波程大きくはないが、その分鋭く縦に割れるカーブ。

遅く、ゆっくりと曲がるカーブ。

斜めに落ちるスライダー。

落差はわずかだが、緩急をつけられるチェンジアップ。

被打率0.09の必殺球、高速フォーク。

糸を引くような、と言う形容が似合う、手元でのノビと前に球質の重さを持ったストレート。

 

「練習試合ではストレートをコントロールで散らばして、スローカーブとチェンジアップで抑えていこう。フォークと縦カーブは封印。スライダーは空振り取るのに使ってもいいかもな」

 

「何故だ?」

 

「そりゃ、来年戦うわけだから」

 

―――見せるのはもったいない。

御幸はそう言っている。

 

一度見られて攻略されるような球なら狂った被打率を持たない。そんなことはわかっている。

だが、映像で見るのと実際に相対した時の雰囲気が違うことを、そしてその違いが対策するにあたっての大きな差になることを、この男は知っていた。

 

それに、フォークボールは負担が掛かる。あれだけ素晴らしい球を見せられては使いたくなるが、ここは我慢だと、常々御幸は自分に言い聞かせていた。

 

肩が脆い。肘も脆い。関節自体よろしくない。

だが、それを活かして素晴らしいフォークが投げられる。それを発見したのは自分で、投げさせてみたのも自分。

 

だから、ケアの方もしっかりとしようして口うるさくインナーマッスルをつけることを勧め、無駄には使わせまいとリードを考える。

 

(まあ、他の球も普通に使えるから意外と苦しくは無いんだけど)

 

リードしてて楽しいが、同時に怖いと言うのが心情だった。投手の肩は消耗品と言うが、可能な限り消耗を抑えたい。

 

「今日はこれまでな。アイシングちゃんとやれよ」

 

「わかった」

 

語気でわかるのか、本気で頼めば案外素直にこちらの言うことを聞く。

よかったよかったと胸を撫で下ろし、プロテクターをゆっくりと外した。

 

こんなこともあろうかと、二人で事前に直球中心のリードは既に練ってある。ゲームがどう動けばどうするのかと言う構築も、ある程度選択肢として作ってある。

 

風呂入って飯食って寝ようと決意し、さっさとアイシング用の器具を取りに寮に走って戻った智巳を、御幸はのろのろと歩いて追った。

 




※丹波さんの故障は本当にあったらしいです。何巻に書いてあったかは忘れたし、その後もさほど話題になりませんでしたが。

※世代区分けは適当です。そう思っただけです。原作には何も書かれてません。

※推薦枠云々も想像です。沢村はこれを使って入ったらしいですけど、金丸と東条に関しては定かではありません。

※苗字だけ巨人の三本柱は原作に居ますがポジションがちょっとわからないのです。
が、打撃投手を買って出ていたことと苗字を合わせて投手だと判断しました。

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