瞬間最大風速 作:ROUTE
「沢村」
どこかボーッとしている沢村にドリンクを投げて、智巳は隣に座った。
「チーフ……」
「駄目だったな」
一回、1奪三振、被安打0。無失点、自責点0。1四死球。
結果は悪くなかったが、先頭バッターへの四球が痛い。
「はい。駄目でした。まだエースには遠いです」
九回の表。智巳はあっさりと八番に出された代打前園を手抜きピッチで三振に切って取り、最後の打者は沢村。
縦のカーブ、ストレート。そして最後は高速フォーク。
力をセーブせず、全力で弟子を捩じ伏せて、試合は終わった。
「先頭バッターへの四球、あれはコントロールがまだまだな証拠だ。後続を断てたからいいが、よろしくはない」
「はい……」
沢村の球は打たれにくいが打てないわけではない。
コースが甘ければ、打たれる。
綺麗なストレートに投げることに注力しすぎて、楽しくて、コントロールを磨くことを怠っていた。
「あのピッチングでは、エースにはなれない。まだあと一年あるのだから、もう一回癖球を磨き直し、基礎を鍛え直せ。まだお前にストレートは早かった」
そう言って去っていくエースの背を見て、沢村は拳を握りしめる。
悔しい。浮かれていた自分が。
情けない。一度認められたのに、それを不意にしてしまった自分が。
背番号1。何も書かれていないはずのその背中に、エースの番号を幻視して俯く。
不動の四番を打ち取れて、チャンスお化けの五番をも打ち取り、その背中に近づいたと思った。でもそれは一時的なことで、総合的に見れば遠のいた。
あのフォークは、あのスライダーは、沢村にはない。わかっていても打てない球なんて、持ち合わせていない。
「……厳しいだろう、あいつは」
滝川・クリス・優は、去りゆくエースをちらりと見て俯く沢村に話しかける。
偶然聴いてしまったと言うか、聴いていた。
あのエースが向かうとしたら、そこは沢村に対して言うことがあるから。
そう思った勘は、鈍っていなかった。
「……辛いか?」
そんなことは無いだろうと、クリスは内心思っている。
辛いからと言って、泣きはしない。沢村が泣くのは、悔しいから。
期待に応えられなくて、悔しいから。
浮かれていた自分が、情けないから。
そして、一回とは言え目の前の野球の師のリードに応えられなかった自分が、情けない。
「情けないです」
そうだろうと、クリスは思う。
お前はそういう奴だ。だから、あのエースが目をかけている。
負けん気の強さ。期待に応えたいという強さ。それは、心の強さ。
エースにとって必要不可欠なもの。
「……だが、あいつは何と言った?」
「今みたいなピッチングでは、エースにはなれないと」
「そうだ。そしてこうも言った」
―――まだあと一年あるのだから。
沢村の高校野球ははじまったばかりで、あとちょうど二年。
だが、斉藤智巳はそう言った。
あと一年だと、そう言った。
「……お前は今、純粋な意味であいつの後輩ではなくなった。弟子でもなくなった。あいつは、お前を投手として見たんだ」
最後の一年でエースの座を脅かす者として、沢村を見た。
絶望的で、絶対的な君臨者。圧倒的な実力を持つ自分を覆し得るポテンシャルの持ち主として育てていた智巳が、自分を覆し得る実力を持つ者として初めて見た。
「一度や二度転んだくらいで、あいつはお前を見放しはしない。見放すときは、歩みが止まった時だ」
「止まりません!」
「そうだ、転んでもいいが、止まるなよ。一歩ずつ、進んでいけ」
泣き止み、まだ目は赤いが元気になった沢村の肩をポンと叩く。
そして、クリスは立った。
智巳の元へ、このことを話してやらねばならない。
その後ろ姿に、沢村はお辞儀しながら大声を出す。
「ウッス!師匠、わざわざありがとうございましたぁ!」
「……声が大きい」
声が掠れたような小ささのクリスだからこそ、沢村と比べるとギャップがすごい。
「不肖沢村栄純、まだまだ未熟者ゆえこれからもご指導ご鞭撻の程をお願い致します!」
「……ああ。みっちり基礎を叩き込んでやる。あの調子に乗ったピッチングは、エースのそれではないからな」
ヒエッ……とビビった沢村を見て少し笑い、クリスはあらためて歩き出す。
クリスは智巳や御幸が一年の時に怪我をした。
まあ、御幸が『ヤバイんじゃないすかね智さん。クリス先輩怪我してるような気がするんだけど』とか何とか言って割りと比較的早期に気づいていたからリハビリ含めて十ヶ月で済んでいる。
実のところ、智巳と共に怪我人候補用のではあるが通常練習に復帰しているのだ。
怪我してないのに終身名誉怪我人候補筆頭のエースは放っておいて、ブルペン捕手としては役に立てる。
(今日の試合は、花道か)
監督の気遣いに感謝しつつ、沢村の球を受けた左手を見る。
綺麗なストレートの感触が、まだ残っていた。
この一日後、ベンチ入りメンバーの20人が発表された。
背番号1・投手。
エースは勿論、斉藤智巳。
背番号2・正捕手。
これもお約束、御幸一也。
背番号3・一塁手。
キャプテンにして不動の四番、結城哲也。
背番号4、二塁手。
俊足巧打の二番打者、小湊亮介。
背番号5、三塁手。
長距離砲の六番打者、増子透。
背番号6、遊撃手。
快足の一番打者、倉持洋一。
背番号7、左翼手。
降谷と智巳の控え兼守備固め。門田将明。
背番号8、中堅手。
守備クソレフトの介護役、伊佐敷純。
背番号9、右翼手。
レフト寄りになるセンターの介護役、白洲健次郎。
背番号10、投手。
ピンチの弱さが治りつつある、丹波光一郎。
背番号11、投手。
謎の安定感と謎の活躍、沢村栄純。
ここまでは、大方の予想通りと言っていい。
だが、次の背番号12が呼ばれた途端、部員たちがざわりと騒いだ。
「背番号12、滝川・クリス・優」
二番手捕手というポジションが、宮内啓介ではない。
そのことに驚いた者の気持ちを察してか、ここで片岡鉄心ははじめて発表以外の言葉を口にした。
「クリスはブルペン捕手と、沢村が登板した時の捕手を御幸に代わってやってもらう。これは宮内と御幸の強い推薦によるものだ」
宮内は先の紅白戦でのリードの読まれ方と、代わったクリスが失投で四球を出したとはいえ、沢村の癖球を活かしたことを苦にして、御幸は沢村専用の三番手捕手としてどうですか、と提案した。
正直、御幸は暴走高速スライダーの最大ギアの制御が全くできていない。
あまり、他の投手に時間を裂けないのだ。
だからこその提案だったのだが、この展開は予想外だった。
御幸の案は決め球が誰も捕れない智巳・暴投しがちな降谷を自分が担当、丹波・川上を宮内が担当、捕手次第で完封を狙える程に化ける沢村をクリスが担当するもので、一投手一捕手制。
片岡鉄心と宮内啓介が考えついたのは、智巳・降谷・丹波を御幸に、川上・沢村をクリスに任せるというもの。
前も言ったが、御幸は一流を化物に、化物を魔人にすることはできるが、二流三流を押し上げることはできない。
クリスには一流は一流にすることしかできないし化物は生み出せないが、二流三流を押し上げることができる。
江戸川リトル→シニアと、斉藤智巳と言う怪物と己を中軸にしてきたワンマンチームに居た御幸と、丸亀シニアと言う実力が拮抗して飛び抜けた投手が居ないチームに居たクリスの差と言っていいだろう。
環境こそが人を成長させるとはよく言ったもので、ボール球を使った駆け引き等はクリスの方が巧みだったりする。
斉藤は奪三振を取る割りには球数が少ない。
何故かといえば、三球勝負が異様に多く、勝負所のコントロールと球のキレが抜群な為、ボール球を使う場面があまり無いから。
クリスはそんなことをできる贅沢なピッチャーは居なかったから、自然と考えるようになった。
閑話休題。
「クリス。お前は一度故障し、リハビリを余儀なくされながらもここを辞めはしなかった。治った今、この背番号を受け取って欲しいというのが俺の考えだ。受けてくれるか?」
「……一年、練習に参加していなかった自分で良いのかと言う思いがあります」
だが、受けてみたいと言う気持ちがある。
沢村の球は、魅力的だった。あの球は、捕手が活かしてこその球。
「俺に気を使うなよ」
葛藤しているクリスの背中を、宮内が押した。
「そうだ。お前が誰よりも真摯に野球に向き合い、最後まで復帰を諦めなかったことは俺達が誰よりも知っている」
結城哲也も、その背を押す。
「頼みますよ、クリスさん。俺一人じゃこいつらの面倒見きれないんで……」
御幸が押して、クリスはやっと一歩を踏み出した。
「謹んで、いただきます」
「頼むぞ」
背番号12、滝川・クリス・優。
受け取った背番号は、ただ一枚の布でしかなく、たたの数字でしかない。
だが、それが重かった。
エースの重さではない。正捕手の重さでもない。スタメンとしての重さでもない。
これは、三年間の重さだった。
「背番号13、楠木文哉」
まだ、発表は続く。
背番号14、小湊春市。
背番号15、坂井一郎。
背番号16、樋笠昭二。
背番号17、田中晋。
背番号18、川上憲史。
背番号19、遠藤直樹。
背番号20、降谷暁。
以上二十名が、ベンチ入りメンバーとなる。
スタメン以外は控え投手四人、控え捕手一人。あとは控え野手。投手が多いが、基本的にオーソドックスと言っていい。
投手陣の起用法、先発陣は三枚。
先発完封型の斉藤智の起用法は、完封。
7回くらいでスタミナが切れる丹波の起用法は、スタミナ限界。
リリーフでは嵌らなかった川上の起用法も、スタミナ限界。
降谷暁の起用法は、8回専門。
沢村栄純の起用法は、守護神。
連投が利かないエースの所為で、控え投手がかなり多いのが特徴か。
因みに因縁のライバル・稲城実業の先発は二枚で、リリーフは一枚。
成宮鳴が基本的に先発するスタイルである。実に高校野球らしい。
ベンチ野手の起用法、代打要員は四人。
九人目の野手斉藤智が、投げない時でスタメンではない時は代打の切り札。
普段は、小湊春市が代打の切り札。
楠木文哉、坂井一郎がそれに準ずる。
門田将明は、守備固め。
他は怪我した時の交代要員。
こうして登録を終えて、抽選会を終え、地獄の夏合宿がはじまるのだ。
「クリス先輩!」
「……お前と組むのは黒士舘で最後だと言いながら、昨日組んで、挙句の果てにこうなってしまったな」
この師弟は、練習試合で組んでそれが最後だと思っていた。それが紅白戦でも組めて、今に至る。
沢村はともかく、クリスは一軍に居たが自分がベンチ入りメンバーに入るとは思っていなかった。
「よろしく頼むぞ、沢村」
「はい!」
快活に返事するこの若き守護神の舵取りは、最後の夏となる嘗ての正捕手・クリスに託された。