瞬間最大風速 作:ROUTE
「まだ『元』ですけど、こちらこそよろしくお願いします」
新キャプテンに挨拶し、智巳はニヤニヤしながらこちらを手招いている御幸のもとに向かった。
丹波は、同じ二年生の宮内と。
川上は、同じ一年生の小野と。
それぞれ組んで肩を作り、ピッチング練習を既に開始している。
投手層が薄い青道とは言え、競争相手は居ないわけではない。
目下自分がエースなのは、先代正捕手が怪我で離脱した為に正捕手になった御幸一也と組んだ場合最も勝てるから、つまりは相性がいいからだと、認識していた。
先代正捕手が怪我で離脱しなければ、おそらくエースは三年の河内先輩か、二年の丹波先輩。
後者は、何となく御幸と馬が合わない。
連打を許したり、追い込まれると固まってしまう心臓の弱さが、強気で圧しまくる御幸のリードとは合わないのかもしれない。
その点自分は、基本的にピンチになるとガンガン攻めていく癖がある。元々なのか組んでいたから癖になったのかはわからない。
「久しぶりに見た気がするな、その格好も」
「そりゃ誰かさんが練習に来なかったからな」
「…………まあ、そうか」
御幸から投げられたボールを取るグラブの動きが、心なしか鈍い。
「おいおいおい、凹むなよ」
「俺は今まで練習をサボらなかったのが一種の自慢だったんだよ。お前と違ってな」
この御幸、真面目ではあるが結構シニアの朝練をサボっていた。どうにも新しい配球や名試合があるとそれにのめり込んでしまうらしく、よく寝坊するのである。
対して智巳は、基本的に真面目だった。私生活であったり、チームメイトの前では茶目っ気を出すが、マウンドや練習中ではその印象が消し飛ぶ程に荒々しく、熱い。
そして、よく吼える。
「……新キャプテン、哲さんか」
一球目を投げ終え、グラブを構える。
感覚的には、120キロの序盤と中盤を彷徨っている速さ。
肩を作るために、軽く流して投げていた。
「俺は適任だと思うけど?」
「それは俺も思う。けど、あんま慣れてなさそうだったから、打撃の方は大丈夫かなと思ってさ」
返されてきたボールを受け取り、投げ返す。
同じく、120キロの序盤から中盤。
智巳が心配しているのは、打撃面。
御幸が心配しているのは、統率面。
その違いに苦笑し、御幸は笑いながらミットに収まった球を投げ返した。
「キャプテンとしての器と統率に関しては、全く心配してないのな、お前」
「まあ、な」
あの人は、頼れる。無意識にそう思わせる何かがある。
その象徴が、九回表のツーベースだろう。あの一撃は、確かに自分の若干疲れ気味だった心を躍動させた。
打たれて敗けたものの、あの一撃は嬉しかった。もう一度打順を回すという形で応えられなかったのが、無念でしかない。
「俺としては、キャプテンと四番は―――或いはキャプテンとエースは別でもいいと思うんだよ」
「役割分担ってことか」
「ああ。まあ何というか、そこまで抱え込まなくとも、って感じはする」
「ふーん、それもまあ……ありなんだろうけど」
ひょいっと、投げ返す。
今年の代の打撃のキーマンは、間違いなく結城哲也。成宮鳴から唯一長打を放った男。
投げる方のキーマンは、間違いなくコイツだと言うことは半年前から知っている。投手層が薄い、エースが居ないと騒がれるだけあって、確かにそれっぽい人が見当たらなかった。
これから覚醒するかもしれないが、それでも長年エースをやってきたこの男からその座を奪い取るのは難しいと、御幸は思う。
「でも、心配すんのも失礼かもな」
「何で?」
「あの人なら、乗り越えられる。そう思ってキャプテンとして推されたんだろうから」
130キロ、ストレート。
浮き上がるようなノビが空気を切り裂いてミットに入り、快音を鳴らす。
少しずつだが、肩が温まってきたらしかった。
「……お前、今は元エースだっけか」
「今はな。いずれまた先輩たちに信頼されるようになって、返り咲く。べつにエースになりたくないから、エースの座を降りたんじゃない。無様晒したから、先輩たちの信頼を裏切ったから降りたんだ」
そう話す顔には、やはり苦渋がある。
悔しさと、負けん気の強さ。プライドの高さと、罪悪感が見え隠れしていた。
「お前を責めるやつなんざ居ねーよ。あの試合、一点も取れなかった俺達にも―――と言うより、俺達に責任があるから」
「守備の人御幸に言われても、何とも思えん。だいたい、勝たなきゃエースとは呼べないんだよ。高校野球なら特に、な」
打率2割、本塁打3、打点17。失策0、捕逸0、盗塁阻止率8割超。
ぐうの音も出ないほどの打点乞食っぷりを発揮したチャンスにしか打てない守備の人御幸は、半笑いと言った感じで苦笑した。
「確かに何も言えねーわな」
「それは俺もだから、俺もあまり言えたもんではない。市大三高には勝てたが、満足したのはあれだけだ」
四試合に先発して四完投、防御率0,75、被安打20、奪三振52個、自責点3、失点3。援護点27。3勝1敗。投球回は35と3分の2。
初見殺しのフォークに敵がバットを回すことが多く、敵の打線が弱かったこともあって完璧な投球で捩じ伏せられたものの、負けては意味が無い。
「市大三高に投げ勝つ前辺りから、エースとして認められてたけどな、お前」
市大三高は、タレントこそエースの真中くらいしか居ないものの、毎年堅実ながら油断のならない打線を作り上げてくる。
その打線を9回17奪三振、2四球、被安打1の125球完封勝利で黙らせたのは、あの東清国ですら唸った。
心情的には三年で苦楽を共にしてきた河内をエースにと言う気持ちはあったろうが、市大三高と共にそれを捻じ伏せたと言っていい。
僅かに日にちをおいた連戦になった次の試合で敗けたけれども。
(パワプロ的に言えば回復2だからな、この男)
スタミナでカバーしているが、市大三高の時と稲城実業の時、どちらが強い智巳だったかと聴かれれば、御幸は前者を選ばざるを得ない。
(まあ、俺は安定度2だけれども、それも同じことだしな)
神ピッチングか、炎上して完投勝利。シニアの時はどちらかだった。
7回5失点完投勝利を収めた男とは思えない程にこの夏は安定していたが、この先どうなるかわからない。
救いは、悪いなら悪いなりに何とか纏められることと、打線が湿っている時は神ピッチングする確率が異様に高いと言うこと。
炎上するのは二桁の援護をもらったりした時が多い。
(防御率6越えても何だかんだで無敗の男だったことが、その証か)
まあ今回は防御率0点台で負けた訳だが、打たれ強いというか、慣れているというか。『ああ、今日はマズイ日だ』と腹括って投げているメンタルが凄いのか。
何だかんだで勝つのが凄いのか、ちょっとよくわからない。
その後なんだかんだで上がりまくった通算を1点代に戻したのも凄まじい帳尻であったし。
「まあ、お前は意味わかんないからそのまま頑張ればいいんじゃねぇの?」
「お前のチャンスの強さが、俺には意味がわからん。そして、得点圏にランナー置かなきゃ自動アウトになりかねないムラっけもな」
くだらない雑談から一呼吸付いて、セットポジションから本来のゆったりとしたオーバースローのモーションに戻る。
腕を天に伸ばし、頭の後ろで組むように構え、脚を上げる。
全身が止まる中で脚だけが動く。
ワンテンポ取るように足の裏を微妙に動かし、腿を少し上げて踏み込んで、投げた。
143から5キロくらいは、出ていたと思われる。
ゆったりとしたオーバースローから、豪速球。投球動作中に脚の動きの長さを調節してバッターの間を外したりと、割りと頭を使うこの男に似合うフォーム
「いい球」
「まあな」
片手で帽子の位置を直しながら受け取り、構える。
「次、カーブ」
構えた状態からモーションに入り、投げられたのは鈍いカーブ。
曲がり幅が少なく、縦気味に落ちると言う、カーブらしからぬカーブ。
「スライダー」
斜めに滑り落ちながら、ミットに収まる。一般的なスライダー。
「ふぅ……次、フォークな」
「一々身構えるなよ」
「ワイルドピッチさせまくったからな。軽い流し投げでも、実戦のつもりで受ける」
あっそ、と智巳は思った。
まあ確かにワイルドピッチは多かったが、8:2くらいで自分が悪い。あの頃はコントロールも悪かった。
別に御幸だけが捕れなかったわけではあるまいに、と思うが口には出さない。
エースが一人であるように、投手に対するキャッチャーも一人きり。
妥協はしないし、絶対に逸らしたくないだろうというのは、元キャッチャーとして非常にわかる。
「さあ、こい」
構えたのを見て取って、188センチの長身が動いた。
ゆったりと腕が上がり、脚が上がる。タイミングを取って、踏み込まれる。
両膝を前に出し、一瞬速く、ミットを出す。
落差はフォーク特化のピッチャーより深く、ストレートとほぼ等速で、ノビも変わらないからスプリットより速く感じるし、多分速い。
魔球、と言っていい。
ミットが鳴った。
「捕れるだろ、やっぱり」
「捕逸したくねぇのよ、俺は。お前も元捕手だからわかるだろ」
「誰かさんにレギュラー奪われたけどな」
「おま……こんな球投げられる奴が捕手ってのはもったいねぇよ」
レギュラー奪えてよかったと思うね、と得意顔でいけしゃあしゃあ話す御幸に軽くムカつきながら、智巳はグラブを片手で構えた。
「フォークを教えてやろう。そしたら変わるか」
「俺はそれをリードする方が楽しいんだよね」
ストライク返球が、寸分違わずミットに収まる。
こんなにコントロールがいいなら、お前が投げろよ。時々本気でそう思わないでもない智巳は、まだ話が続くと見て構えない。
「それに、フォークって才能だし。というか、何でスプリットの握りより遥かに深いフォークの握りでそんなにストレートと対して変わらない球速出せるんだよ」
「……慣れ?」
「握力鍛えた後に一晩練習して習得した時から速かったくせによく言うよな、お前は。
あ、もう一球よろしくな。インローで」
ワンバン寸前の球を、投手が気持ちよく投げ終えられるようにと、ミットを鳴らして捕る。
捕手をやりたいなどと思う前に、見事だと思ってしまう程に献身的な捕り方だった。
「監督来たから、これまでな。あ、ボールは問題なくキレてたぜ」
「投げた本人が一番わかる」
「でも、智。お前、案外他人から言われないと割りと信じられない質だろ?」
事実なだけに何も言えず、智巳はさっさと監督の元へと駆け出した。