瞬間最大風速   作:ROUTE

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瞬間最大風速
127球目


スコアボードに、ゼロが並ぶ。

 

青道高校と、稲城実業。西東京の雄が激突した、この試合。

投手力の稲城と、打撃の青道。この二者がぶつかったからには、荒れた試合になる。

 

その予想を覆し、試合は至って静かに進んでいた。

 

青道のベンチの、雰囲気は暗い。如何に投手力の稲城と言っても、ここまで単打の散発のみに抑え込まれている。

 

しかも、その投手は一年生なのだ。

 

―――ストライクッ、バッターアウト!

 

キレのあるスライダーと、フォーク。ノビのあるストレート。

 

決め球のスライダーに、バットは空を切っていた。

 

「っそぉ!」

 

怪物・東清国。

推定140メートル弾を放った恵体豪打のスラッガーが、地をスパイクで蹴って口惜しがる。

 

長打が出ない。バットを振り切れず、詰まらされる。言葉にすれば簡単だが、捉えることは難しかった。

 

「智、行くぞ」

 

「わかっている」

 

3つの赤いランプが点り、消える。

攻守交代。白い髪のエースが立っていたマウンドに、また登る。

 

打席にはチームメイトではなく、切って取るべき敵が立つ。

 

そんなことを考えていた一年生エースに、御幸一也は声をかけた。

 

ベンチから出て、マウンドに上がる。

ホームベースから来た女房役に、エースは質問を投げた。

 

「今は何球目になる」

 

「102球。まだまだ球自体は走ってる。気を抜かずにキッチリ仕留めてくぞ」

 

「おう」

 

ボールを受け取り、見つめる。

顔を上げると、稲城の七番。これまでの対戦成績は、ゴロを一つと三振を二つ。

 

四球も出すし、ヒットも打たれる。だが、ピンチになると圧倒的な投球で要所を締める。そんなピッチングで、青道のエースは稲城打線を抑えていた。

 

―――ストレート、外角、低め。

 

示されたサインに頷き、腕を天に伸ばして振りかぶって、投げる。

 

142キロ、外角。僅かに浮いたストレート。

細かい制球が効かなくなっていることを自覚しながら、エースは自分の球の行く末を見詰めた。

 

脚を前に出し、振りかぶった腕が上がる。

黄色のランプが、後ろに点った。

 

―――真ん中低め、カーブ。

 

彼の持ち玉で一番鈍い球が、要求された通りに向かって、バットに当たる。

完全に打たせた球は、セカンドの小湊のグラブの中。

 

ファーストに送って、ワンナウト。

 

次は、八番。

 

カーブから入り、スライダーを外す。トドメのストレートが内角ギリギリに突き刺さり、見逃し三振。

 

続く九番は、成宮鳴。白髪のエースが、今度は打席に立っている。

 

ストレートが外角に決まり、ワンボール。スライダーが内角を抉り、ワンストライク。またストレートで、空振り。

 

ここで要求された球を見て、はじめてエースは首を横に振った。

 

意思疎通が終わり、4球目。投じられたのは、真ん中低めの130キロ中盤の球。

 

成宮鳴は、貰ったとばかりにバットを振り抜く。

高校球児にありがちなことは、エースで四番がまかり通ることだろう。それは投手と言うポジションにはチームで最も運動神経の良い、言い換えれば野球がうまい人間がやらされるからだと言えるが、彼もその例に外れなかった。

 

公式戦でも、もうホームランは打っている。

 

(エース成宮一人舞台、投げて完封、打ってサヨナラってね)

 

自信に満ちたスイングは、思いっ切り空振った。

 

熱気に満ちるグラウンドに、一際大きな吼え声が響く。

 

ストレートと球速にあまり変わりのない、フォーク。スプリットより大きく落ち、バッターが認識できないほどノビがあり、遅く落ちる。

 

高速フォーク。そう世間で言われている隠れた魔球が、敵エースの確信を圧し折っていた。

 

『エース対決は空振り三振!

青道高校、この回も無失点で切り抜けました!』

 

実況にそう評されたその光景を見て、マウンドに立つエースは吼える。

味方を鼓舞し、己を燃やし、敵を圧し折る。

 

咆哮とともに、八回の裏は終わった。

 

「111球か……」

 

そろそろヤバイな、と御幸は思う。

スタミナはあるが、フォークを決め球にする都合上握力が懸念される。すっぽ抜けがきて一発が出ればその瞬間に敗けが決まるだけに、あまり球数は投げさせたくなかった。

 

だが、そうはうまくいかない。今回こそ最小の九球で凌げたが、多い時は二十球投げている。

今まで使って抑えていただけに、無駄玉をあまり使えないのはリードする側として一苦労だった。

 

「ナイスピッチン!」

 

「エースですから」

 

口々に褒めるチームメイトにそう頷いて努めて冷静に答え、エースの斉藤はチームメイトと共にベンチに帰った。

次は、五番。

 

打席に立つは、結城哲也。青道高校の未来を担う、二年生のまとめ役。未来のキャプテンと目されている男が、打席に立つ。

 

ヒッティングマーチは、ルパン三世のテーマ。勇壮でテンポの良い音が鳴り響き、五番の重責を軽くする。

 

この九回表、五番からの好打順。本来の役割とは違い、切り込み隊長として確実に出塁しなければならないと感じながらも、結城哲也は冷静だった。

 

―――胸元に、スライダー。

 

見逃し、ワンボール。

対する成宮は、苛ついていた。

 

甘めの球だったと思ったら、ボールになる決め球だった。既にチームとして何度もしてやられたパターンに、嵌ってしまったのである。

 

シニア時代にも、何回もやられた。あのバッテリーの配球の要は、極端に落ちるのが遅く、ストレートと見紛うばかりの球速とノビを伴ったフォークとストレート。

 

低い、フォークだと思えばストレート。

高い、ストレートだと思えばフォーク。

 

何故高めに投げて落ちるのかだとか、そういうことが馬鹿らしくなるほどに、あのフォークはストンと落ちた。

 

(国際大会の時もそうだったじゃねーか)

 

韓国、キューバをキリキリ舞いにし、二完封、二完投、四死球七、被安打六、十四奪三振。

 

すっぽ抜けのストレートがボールゾーンに行ったと思えば落ちてストライク、その光景を見てフォークの落差に警戒し、真ん中をフォークと見ればストレート。

 

極めてワンパターンだが、組み合わせて打たせない。その巧みさを知っていながら、見事にいい気になって空振りした自分に腹が立つ。

 

(またあいつ、腹を立ててやがる)

 

カリカリした成宮に、捕手の原田雅功は内心で溜め息をついた。

マウンドに上がる前にきちんと声をかけてきたが、まるで耳に入っていないのだろう。

 

プライドが高く、我が儘。典型的なエースの性格をしており、バッティングにも自信があるだけに、こうなる。

 

しかし、要求した通りに球が投げ込まれていた。微細なコントロールが効いていないものの、それは100球を投げ込んでいる以上仕方のない事。そこには目を瞑らざるを得ない。

 

振りかぶって、5球目。

 

スライダーがギリギリに投げ込まれ、バットが当たる。

 

『おーっと、これはいったのかぁ!?』

 

バッ、と、成宮が後ろに振り返った。

 

高く高く打球が伸び、ポールを巻いてファールゾーンに入る。

あわやホームランという当たりに球場が湧き、熱が増す。

 

一点取ったほうが勝つと、最早誰もがわかっていた。それだけに、この結城の一発は場を湧かせた。

 

エースをまるで攻略できていないのは、両チームとも同じ。こうなれば事故であろうがなんであろうが、一発に期待する方が値が高い。

その思いを観客が抱いていることを如実に示したのが、この大きなファールだった。

 

『右に切れました、ファールです』

 

実況の語気も、心無しか熱い。この場でこのファールに動じていないのは、青道のエースのみ。

彼は水を飲んで腰掛け、珍しく背を凭れかけさせていた。

 

肉体的な疲労もある。精神的な疲労もある。何よりこちらが先攻めなだけに、ここで点が入らなければ一点取られた時点で負けということが、辛いのだろう。

 

結果として、結城哲也は右中間を鋭く破る二塁打を放った。しかし、後続が続かない。

 

「斉藤、まだ行けるか」

 

「援護が来るまで、抑えますよ」

 

エースですから、と言外に匂わせ、斉藤は監督の問いに頷いた。

青道の監督―――片岡鉄心も、その言葉に思うところがある。

 

エースとはチームを勝たせることができる存在だと言うことは、嘗て同じエースナンバーを背負った者として共感できる。

しかし、まだ一年生。正捕手の怪我を見逃してしまい、結局故障させてしまった身としては、慎重にならざるを得ない。

 

「御幸」

 

わざわざ少し離れてから呼ばれて、ネクストバッターズサークルから正捕手は離れた。

ツーアウト二塁を背負った敵エースが君臨するマウンドを見ているエースを見て、強面の監督の側に寄る。

 

「はい」

 

「これ以上は無理だと思ったなら、サインを出せ。河内に代える」

 

河内は、三年生。東世代のエース格だ。

無論、エースになっていないわけだから現エースの斉藤にはかなり劣る。投球内容にムラがあるところは同じだが、ノーコンで決め球がない。所謂ノーコン速球派と言うべき存在で、調子が悪ければかなり自滅する。

そしてその欠点は、この場面においては致命的だった。一個でも四球を出せば、サヨナラに繋がってしまうのだから。

 

「わかりました」

 

そう御幸が承知したと同時に、グラウンドの熱が最高潮に達した。

 

八番は、キャッチャー御幸。チャンスに強く、長打力がある一年生である。

 

(ここで決めて、三人で切るってのが、理想だな)

 

ヘルメットを右手で抑え、バットを左手で持って打席に向かう。

延長戦に入れば、敗けるだろう。投手の層の厚さは、青道と稲実では歴然だ。

 

集中力を研ぎ澄ませて、打席に立つ。

鳴っている応援曲は、ヒッティングマーチの狙い撃ち。セカンドに居る結城を見て、立ちはだかるエースを見る。

 

成宮鳴。稲実のエース。リトル、シニア、そして今と、自分と智のバッテリーと幾度となく火花を散らした、ライバル。

 

内角に斬り込んできたスライダーを見逃し、ワンストライク。

深呼吸をして、相対す。

 

(打たなくちゃな)

 

基本的に、斉藤智巳と言う男には勝ち運がある。だが、ここぞと言う時に重篤な無援護に悩まされる。そしてその時は、決まって調子のいい時なのである。

 

つまり、今だった。完全に、そのジンクスが発動している。

 

ストレートが浮いて、ワンボールワンストライク。成宮も疲れてきている。打てない相手ではないし、なくなってきている。

 

「ッ!」

 

手を出しそうになり、無理矢理止めた。

完全な釣り球に反応しそうになったあたり、相当焦っている。

 

そのことを、成宮鳴の女房役、原田雅功は勘付いた。

 

(チャンスに強い。が、焦っていては打てるものも打てなくなるぞ)

 

声には出さないが、構えた後ろ姿に視線をやった。

わざと、ボールゾーンに投げさせる。

次に、ストライクゾーンギリギリに入れる。

 

ツーボールツーストライク。打者が追い込まれた形になる。

 

低めに集めて、敢えてストライクゾーンからボールゾーンに入るスライダーを要求。

冷静に配球を読めば踏みとどまれたその球を、御幸は振った。

ここでの敵の配球に、まんまと引っ掛かった。

 

『ストライク、バッターアウトォ!青道、ここでチャンスをモノにできません!』

 

悔しさを滲ませながらプロテクターを付け、ほんの少し前まで自分がバットを持って立っていたホームベースへと向かう。

 

「ものにできなかった。ごめんな」

 

「敵も同じだ。気にするなよ」

 

マウンドに向かう途中に軽く言葉を交わす。

九回裏も、味方がチャンスを作ってからの三凡に、文句一つ言わなかったエースが行く。

 

(あんまり、投げさせない。でもって打たせたら意味がない)

 

難しいと、御幸は思う。

だが、やらなければならない。

ここに来て彼は、表の攻撃というのは投手力が欠如しているチームには不利だと感じた。

 

リトル時代から今まで、ついぞ抱かなかった感覚である。

 

『九回裏、稲城実業高校の攻撃―――一番センター、カルロス君』

 

バッターの名前がコールされ、一番からの好打順で攻撃が始まった。

 

一番は、カルロス。ブラジル人とのハーフで、俊足巧打を絵に描いたような男。シニアで幾度となく戦い、打たれたり打ち取ったりしてきた。

俊足巧打なだけではなく、守備も一流。稲実の打者の中では塁に出すと最も厄介な存在だと言っていい。

 

ここは、確実に打ち取りたかった。

 

1球目。ストレートが高めに外れ、ボール。

2級目。また高めに外れ、ボール。

 

確実に、疲れが見えはじめている。稲実は控えに井口が居るが、青道は居ない。それに、一点でも与えれば敗けが決まる。

その緊張と疲れとが、このコントロールの乱れを招いた。

 

3球目も低めにスライダーが決まり、ボール。

4球目、横に外れてフォアボール。

 

これまでの安定感とは打って変わって、斉藤はストレートのフォアボールを与えてしまう。

 

まさか、と言っていい。二番は小技もできる巧打者の白河。

 

(送りバントか、ヒッティングか)

 

送りバントは手堅い。しかし、アウトを一個渡す事になる。

ヒッティングは博打になるが、うまくいけば一、二塁。カルロスの脚を考えればノーアウトで一、三塁にすることができる。

 

一点取ればいい。敵はそう考えいる筈だった。

 

(バントだ)

 

バントシフトを敷き、確実に一塁でアウトを一個拾う。

欲をかけば、フィルダースチョイスからのノーアウト一、二塁が用意されることが想像された。

 

果たして結果は、バント。予想通りカルロスが二塁に進み、白河が一塁でアウト。

 

続くバッターはここまで四の三、絶好調の三番岡島。

 

これを、バッテリーは敬遠する。

四番は、四のゼロ。ここまで、完全に抑えていた。

 

『ワンナウト、一、二塁。ここで稲実のバッターは奥村君。一発のあるバッターです』

 

実況と同じことを、御幸一也も知っていた。

一発がある。巧く当たれば飛ぶ。なら、当てさせなければいい。

 

―――低め、ストレート

 

要求した通りのコースに、138キロのストレートが伸びる。

 

奥村は、それを見逃した。彼は、七回に斉藤の球を見て、ストレートで良いようにやられた。

 

あの速さが、まだ目に焼き付いている。それだけに、この球速の落ちたボールに面食らった。

 

手元での伸びはあるが、明らかに球速が遅い。

 

二球目の球も、ストレート。バットの上っ面に当たり、後ろに飛んだ。

 

(まだ低いのか)

 

相当手元で伸びている。だが、二球目の球と前回の打席とで、だいたい見切った。

 

一球、遅いカーブが外れる。

次に、浅くフォークが外れ、またカーブが外れた。

 

(変化球が、イマイチになってきてるのか)

 

カーブでこれならば、決め球として使ってきたフォークはどうだろう。

もう、使い難くなっているのではないか。フォークは握力ありきの球なだけに、後半になると変化と球速が落ちてくる。

 

(鳴を三振にした球も、今のもそれほど落ちてはいなかった)

 

そしてそんな球を、このキャッチャーはこの場面で要求するか。相変わらず手元で伸びているストレートで来るのではないか。だから、緩急をつけさせるためにカーブを要求したのではないか。

 

そこまで考えて、奥村はマウンドを見た。

自分たちの一年生エースとは違うタイプのエースが、そこにはいる。

 

『さあ、6球目―――』

 

投じられたのは、内角よりの真ん中のストレート。球速は、一球目と二球目よりも速く思えた。

 

だが、それくらいならば調整できる。

そう思って、奥村はバットを振り抜く。

 

マウンドで、エースが吼えた。

 

144キロ、フォーク。この日最速のフォークボールは、低めに構えたキャッチャーミットに収まっていた。

 

これで、ツーアウト。ランナーは一、二塁。

 

次のバッターは、五番キャッチャー、原田雅功。これまでの成績は四の一。

 

怖いバッターが、続いている。

そのことは、わかっていた。だが、四番を思惑通り三振にしたことで、浮かれていたのかもしれないと、後々見返してみると、そう思う。

 

―――高め、ストレート

 

そう要求した球はミットに吸い込まれるように唸りを上げて進んでいった。

この日最速の球。誰が見てもそれとわかる渾身のストレートは、マウンド左方向に弾き返された。

 

二塁手の小湊が疾走し、好捕。

姿勢を整える暇もなく二塁に送球したその球は、僅かに正確さを欠いた。

守備固めで入った遊撃手の倉持が目一杯身体を伸ばして捕球し、そして。

 

二塁塁審の手が、左右に開いた。

 

セーフ。

 

「バックホーム!」

 

御幸が叫ぶ。

三塁を回り、カルロスがホームに突っ込んだ。

 

赤いランプは、二個点ったまま消えず、動かない。代わりに、スコアボードに一つの数字が点った。

 

『1』。

 

稲実の選手たちが喜びを爆発させるそのすぐ側。

マウンドに、エースが片腕をついて崩れ落ちていた。

 

サヨナラ敗け。

 

怪物・東清国率いる、青道高校の夏が終わった。


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