「はーい、授業始めまーす」
いつものようにグレンは大遅刻をして、教室に入る。
だが、最早誰一人としてグレンを咎める者はおらず、全員ため息をついて、自習の続きをする。
グレンの学内における評判は、すでに底辺にまで落ちていた。
決闘を受けたにも関わらず、それを義弟のアルトにやらせ、アルトの勝ちを自分の物の様にふるまうその姿。
魔術師としてはおろか、人としてかなりダメだった。
一方アルトはというと、グレンとは違った意味で評判は底辺だった。
システィに決闘で勝つ技量、それは素直に称賛されるべきことである。
だが、〝ショック・ボルト”の攻撃を瞬時に躱し、目で追えない程の俊足。
そして、降参しようとした相手に対し、無慈悲に、それでいて冷酷に攻撃する。
グレンがロクでなしと言う評価なら、アルトは畏怖の対象として評価だった。
そんなアルトはと言うと、指先に羽ペンの先を乗せ、バランスを取っていた。
そして、グレンは昼寝。
ほかの生徒は黙々と自習をしていた。
そんな中、ある生徒がグレンに近づいた。
「あ、あの、先生。質問があるんですか……」
質問をしてきたのはグレンの初回の授業で質問してきた女子だった。
「なんだ?言ってみろ?」
「えっと……その……この呪文の訳がよくわからなくて……」
そう言って教科書を見せてくる生徒に、グレンは溜息を吐き、一冊の本を渡す。
「ほい、ルーン語辞書な」
「……え?」
「三級までのルーン語が音階順に並んでるから。あ、音階順ってわかるよな?」
そんなグレンに対し、無視を決め込もうとしたシスティも流石に我慢できず立ち上がる。
「無駄よ、リン。その男は魔術の崇高さを何一つ理解してないわ。むしろ馬鹿にしてる。そんな男から教えられることなんてないわ」
「で、でも……」
「大丈夫よ、私が教えてあげる。一緒に頑張りましょう。あんな奴、放って置いて、いつか一緒に偉大なる魔術の深奥に至りましょ」
システィはリンの手を取り、笑いかける。
「魔術って、そんなに偉大なの?」
すると、ある人物が口を開いた。
それは意外にもアルトだった。
アルトは基本的に寡黙。
話しかけられたら、一言返すぐらいはするが、自分から話しかけるようなことはしない。
だからこそ、周りは驚いていた。
だが、システィだけは鼻で笑い、アルトの方を見る。
「初めて話しかけられた言葉が、そんな言葉とは思いもしなかったわ。魔術が偉大なのか?そんなの決まってるわ。偉大で崇高なものに決まってるでしょう?」
「じゃあ、その偉大な魔術は、役に立ってるの?」
「え?」
「役に立ってないと思ってるのって俺だけ?」
アルトからの問いに、システィは即答できなかった。
何故なら魔術を使い、魔術の恩恵を受けられるのは魔術師のみ。
魔術師でない者に魔術は使えず、魔術の恩恵は受けられない。
それが当たり前だった。
また、魔術は秘匿するものであると言う考えもあり、魔術の研究成果は一般人へと還元されることはない。
また魔術そのものを目にすること自体、普通に生きていればまずはあり得ない。
事実、魔術は人々に直接役に立っていないのである。
「魔術は……人々の役に立つとか、立たないとかそんな次元の低い話じゃないわ。魔術は、人と世界の本当の意味を探し求めるもので………」
「そんなの知ったところで、何が楽しいの?」
アルトは別に、システィを論破するつもりもシスティの誇りを壊そうだなんと思っていない。
ただ純粋に、質問しているに過ぎなかった。
純粋な質問だからこそ、システィは即答できなかった。
「まぁ、待てよ。アルト」
すると、意外にもシスティを助けたのはグレンだった。
「アルト、お前は魔術が役に立ってないって思ってるみたいだが、それは間違ってるぞ。魔術は役に立ってる……………人殺しにな」
普段の軽薄そうな笑みとは違う、薄ら寒く歪められた表情でグレンはそう言った。
「剣術で人を一人殺してる間に、魔術は数十人を殺せる。戦術で統率された一個師団を魔導士の一個小隊は戦術ごと焼き尽くす。ほら、役立ってるだろ?」
「なるほど。確かに役立ってるね」
グレンの言い分に、アルトは頷く。
「ふざけないで!」
そんなグレンの言い分にシステイは異論を唱える。
「魔術はそんなんじゃない!魔術は「この国の現状を見てみろよ。魔導大国なんてよばれちゃいるが、他国から見てそれはどういう意味だ?帝国宮廷魔導士団なんていう物騒な連中もいる。魔術は殺人と共に発展した技術だ。大体、お前たちが習ってる術だって、
グレンの言い分は極論ではあるが、正しくもあった。
正しいからこそ、システィだけでなくクラスメイト達も反論ができなかった。
「まったく、お前たちの気がしれねーよ!こんな人殺し以外、なんの役にも立たん術をせこせこ勉強するなんてな。こんなロクでもないことに人生費やすならもっとマシな」
グレンの言葉はそこで止まった。
何故なら、システィがグレンを思いっきりビンタしようとしたからだ。
「貴方………どうしてそんな男を庇うのよ!そんなロクでもない男を!」
「違う。グレンはロクでなしじゃない。グレンのこともよく知らないのに、そんなこと言うなよ」
アルトはシスティの手を放し、溜息を吐く。
「やっぱり、グレンは正しいね。魔術なんてロクでもないよ」
その瞬間、システィはアルトに向かって手を振り上げる。
もちろん、アルトはその手を受け止めようとする。
が、その時、システィが泣いていることに気付いた。
そして、そのまま勢い良くアルトの頬は叩かれた。
勢いのいい音が、教室中に鳴り響き、誰もが唖然とした。
「違う………魔術は、そんなんじゃ……ない……もの……貴方達なんか……大っ嫌い!!」
そう言ってシスティは教室を走って出て行った。
「………やる気でねーからあとは全部自習な」
グレンはそう言い残し、教室を後にする。
アルトも無言でグレンの後を追った。
それ以降、グレンとアルトの二人は教室に戻ってくることはなかった。
放課後、グレンは学院東館の屋上にアルトと共にいた。
二人そろって、鉄柵にもたれ掛かりながら学院中を見渡す。
「お前にしては珍しかったな。白髪女のビンタを止めないなんて。なんでだ?」
グレンは隣で、いまだに叩かれた頬を撫でてるアルトに尋ねる。
アルトは少し考えると、口を開いた。
「よくわかんなかったけど、あのビンタは受け止めたり、避けたりしちゃダメだって思ったからかな」
「……そうか。しっかし、向いてねーのかね、やっぱ」
グレンはそう呟き、懐から封筒を取り出す。
それは辞表だった。
グレンは自分が非常勤講師なんて一ヶ月も持たないと思っていたから、あらかじめ用意しておいたのだ。
「帰ったら、土下座の練習するか。一生懸命に謝れば、セリカも許してくれるだろうさ。帰ろうぜ、アルト」
「うん」
二人が帰ろうとした瞬間、アルトは隣接している西館の魔術実験室に人影を見つける。
「あれ?あそこにいるの……シチューくれた人だ」
「何?どれどれ……《彼方は此方へ・怜悧なる我が眼は・万里を見晴るかす》」
アルトに言われ、グレンは遠見の魔術、黒魔〝アキュレイト・スコープ”を使い、西館の方を見る。
そこにはルミアが教科書を見ながら、陣を書いていた。
「流転の五芒……魔力円環陣か」
「みたいだね」
「お前、この距離でよく見えるな」
「別に、普通じゃない?」
「普通じゃねーよ。あ、下手くそだな……第七霊点が綻んでるぞ、ああ、水銀も流れちまってるし、触媒の位置も……おっ、流石にそれには気づいたか」
グレンは実験室の様子を眺め、楽しそうに言う。
「ったく、見てらんねーな」
「よっ、邪魔するぜ」
グレンは実験室の扉を乱暴に開け、中に入る。
「ぐ、グレン先生!?それに、アルト君も!?」
「実験室の個人使用は原則禁止だぞ」
「す、すみません。すぐ、片付けます」
「いや、最後までやっちまえよ。もう殆ど完成してんのに、崩すの勿体ねーだろ」
「で、でも、上手くいかなくて………」
「これ、水銀が足りないだけだよ」
そう言うとアルトは棚から水銀の入った瓶を取り出し、陣に水銀を足していく。
「グレン、あとお願い」
「ああ」
グレンは手袋をはめると、水銀を卓越した指の動きで動かし、陣の綻びを修繕していく。
「お前たちは目に見えないものに対しては異様に神経質になるくせに、目に見えるものに対しては疎かになる。魔術を神聖視してる証拠だ………よし!もう一回起動してみろ。教科書通り五節でな。省略すんなよ」
「は、はい!……《廻れ・廻れ・原初の命よ・理の円環にて・路を為せ》」
ルミアは丁寧に一説ずつ詠唱すると、鈴鳴りのような音を響かせ、陣が七つの色に光り輝く。
「うわああ………綺麗……」
陣をうっとりした様に見るルミアに、グレンは、自分がセリカと共にやった時のことを思い出していた。
陣を片付け、三人が歩いていると、ルミアはグレンに声をかけた。
「先生って本当は魔術が好きなんですねよね?」
「ねーよ。俺は魔術なんて嫌いだね。あんなロクでもないもん」
「………明日、システィに謝ってくださいね」
ルミアにそう言われグレンは思わず足を止め、振り返る。
「システィにとって魔術は、亡くなられたお爺様との絆を感じられる大切な物なんです。偉大な魔術師だったお爺様をシスティは大好きで、尊敬していて………いつかお爺様に負けないような立派な魔術師になる。それが亡くなったお爺様との約束なんです」
「……そっか。そりゃ悪いことをしたな」
グレンは頭を掻き、言う。
「で、お前は俺に説教するために一緒にいるのか?」
「あ、いえ、そうじゃなくて………あの、聞いてもいいですか?」
「内容にもよる」
「えっと、先生は学園の講師になる前は、何してたんですか?」
ルミアのその質問に、グレンは一瞬戸惑い、そして、笑った。
「引きこもりの穀潰しをやってました。学院にセリカって女がいるだろ?アイツは俺のお袋代わりでな、そのよしみで今までずっと養ってきてもらったんだんだ。凄いだろ?あ、ちなみにアルトは三年前からな」
アルトの頭をポンポンと叩き、笑うグレン。
「なんでそんな得意げになんだろ………でも、それ嘘ですよね」
だが、ルミアは確信があるかのように言う。
「嘘じゃねーよ。この一年はセリカのスネ齧りまくってたんだぜ」
「………一年よりも前は?」
「………あー、すまん。カッコつけた。本当は学園を卒業してからずっとだ。どうも、働くってのが性に合わんくってな」
グレンの言い訳に、ルミアは納得できていない表情だったが、それをグレンが無理やり締めくくった。
「この話は、これで終わりだ。今度はこっちが聞かせてもらうぞ」
グレンはルミアの了承も取らず、質問をする。
「お前は何で魔術師になろうと思った?」
「………私、システィの家に居候し始めた頃、魔術師に誘拐されて殺されそうになったんです」
その言葉にグレンとアルトは驚いた。
「だけど、私を助けてくれたのも魔術師だったんです。私を守るため、彼は次々と敵を殺していきました。幼かった私は、それが恐ろしくて、お礼も言えなかったんです。でも、助けてくれたその人は、きっと優しい人だと思うんです。人を殺める度に、悲しそうに、辛そうにしてましたし」
「お前………」
「だから、私思ったんです。今度は私があの人を助ける番だって。人が魔術で踏み外さないように導いて行ける立場になろうって」
「随分と高い目標だな。官僚にでもなるつもりか?」
「夢の一つではあります。でも、本当は………もう一度その人に会ってお礼が言いたいんです」
ルミアの夢を聞き、グレンは何かを考え始め、再び歩き出す。
そこから三人の間に会話はなく、ただ沈黙が流れる。
「あ、先生、私こっちですから。システィの屋敷に下宿してるので」
途中の分かれ道で、ルミアはシスティの家に帰るためにそっちの道を進む。
「そうかい。じゃあ、気をつけて帰りな」
「はい。それじゃ、先生。また、明日。アルト君も、明日ね」
「うん、また明日」
走り去っていくルミアを見送り、グレンとアルトはセリカの家へと向かう。
「ねぇ、グレン」
「なんだ?」
「確かに、魔術はロクでもないかもしれないよ。でもさ、結局は魔術は使う人次第なのかもね」
「………かもな。アイツ、ぼ~っとしてる様で、色々考えてるんだな」
グレンはそう言い、辞表を取り出す。
「………俺も、もう少し考えてみるか」