四百年前に、時の女王と呼ばれるアリシア三世によって提唱され、巨額の国費を投じて設立された国営の魔術師育成専門学校である。
アルザーノ帝国が大陸で魔導大国として、その名を轟かせる基盤を作った学校であり、最先端の魔術を学べる最高峰とされ、近隣諸国にも名高い。
帝国で高名な魔術師の殆どが、この学園の卒業生であり、帝国で魔術を志す者達の聖地となっている。
学院の生徒並びに講師達はそれを誇りとし、その誇りを胸に日々魔術の研鑚に励んでいる。
故に遅刻や無断欠席、居眠りなどをする意識の低い者たちは基本的に居ない。
「うおおおおおおおおお!!遅刻だああああ!!」
そんな中、グレンが叫びながら町の中を全力疾走し、グレンの後ろを息切れもすることなく、平然とした態度でアルトが追いかける。
「グレン。何を急いでるのさ?」
「わかんねぇのかよ!?遅刻しそうなんだよ!非常勤とはいえ、出勤一日目にして遅刻とか有り得ないからな!お前も転校初日に遅刻とかヤバいんだぞ!」
「へぇ~、そうなんだ」
「何落ち着いてるんだよ!?とにかく急ぐぞ!」
「わかった。なら、急ぐよ」
そう言うとアルトは足のスピードを速め、グレンの横に並ぶとグレンの胸倉を掴む。
「なっ!?ちょっ!?」
「行くね」
そして、アルトはグレンを引っ張る形で全力で走り出す。
「あ、アルト!?もうちょっと………ゆっくり走ってくれ~!」
グレンの声が儚げに響き、そして、静かになった。
「学院長!どうか考え直してください!」
アルトとグレンの二人が学園に向かってる最中、学院長室で眼鏡を掛けた男が叫ぶ。
男は正式な講師の証である梟の紋章が入ったローブを身に纏っていた。
男の名はハーレイ。
二十代半ばにと言う若さにして
「しかしだねぇ、ハーレイ君、彼を採用するのはセリカ君たっての推薦なのだよ」
そんなハーレイに対して初老の男性は好々爺然とした表情を崩さずに言う。
「あの魔女の進言を了承したのですか!?」
「まぁ、教員免許は持っていないが、教授からの推薦状と適正があれば、非常勤に限り特例で採用が認められるから問題はなかろう」
「その適正が問題なのです!」
そう言い、ハーレイは先日行ったグレンの魔術適正評価の書類を机に叩き付けるように置く。
「
「我が校には十一歳の時に入学し、当時は史上最年少で難関と名高い学院の入試試験を通った少年として騒がれましたが、入学後の戦績は平凡!そして、四年の魔術学士過程を終了し十五歳で卒業するも、実際は卒業魔術論文を提出しておらず、卒業と言う名の退学!」
「ふむ、そのようじゃな」
「それだけではありません!この男、卒業してから四年間の進路は不明!大方何もせず無駄な時間を過ごしていたのでしょうが、仮にも一度は魔術と言う至高の神秘の求道に身を置きながらこの低堕落!しかも、位階は
「しかし、別に我が校の講師募集要項には経歴や位階による制限はなかったはずだが?」
「明確してなくても、そんなものは暗黙の掟でしょ!学院に居る講師は最低でも
ハーレイは一気にまくし立て、肩で息をする。
「言いたいことはこれだけじゃありません!グレンに続いて、我が校に編入してくるこの少年!アルト=レーデルです!」
そう言い、今度はアルトの編入届を出す。
「編入前に行った試験は実技試験はギリギリ合格ラインに届いていましたが、筆記試験は全教科一桁の点数!面接に関しては自己紹介だけをして、後はだんまり!こんな学も、常識の無いような者の編入を許可するとか、あの男以上に有り得ませんよ!」
「まぁ、普通なら編入は認められんだろうが、彼は諸事情で一般常識とは縁の無い環境で育ったから配慮するようにセリカ君から言われていてね。グレン君もそうだが、このアルト君もセリカ君直々の推薦じゃろ?こう……なんか面白いこと、やってくれるような気がせんか?」
「しません!貴方はあの魔女を信じているのですか!?あの魔女は過去の栄光にしがみついて己が我欲を振りかざし、守るべき秩序を破壊する旧時代の老害です!」
グレンとアルトへの非難から、非難はセリカにまで向けられた。
「言ってくれるじゃないか、ハーレイ」
すると、ハーレイの背後からセリカが声を掛ける。
ハーレイは凍りついたような表情を浮かべ、後ろを振り向く。
いつからそこに居たのか分からないが、部屋の隅には意地の悪い笑みを浮かべたセリカが居た。
「せ、セリカ=アルフォネア……いつからそこに………!」
「さぁ、いつからだろうな。それより」
そう言ってセリカは、凄まじい魔力を掌に集め、ハーレイに近づく。
「私のことを幾ら悪く言おうと構わんが、私の前であいつ等を悪く言うのは許さん。………取り消せ」
その威圧と圧力にハーレイは酷く狼狽し、青ざめながら部屋を飛び出した。
「失礼します!」
ちゃんと学院長に挨拶をし、扉を閉めてから出て行った。
出て行ったのを確認すると、学院長は徐にため息をはく。
「ふぅ……何の実績もない魔術師を強引に講師職にねじ込み、普通なら編入許可を出せないような子供を無理矢理編入させる。ハーレイ君に限らず、誰もがあの反応をするじゃろうな」
「………わかってるよ。本当にすまないと思ってる。あの二人がこの学院で為す事やる事、全て私が責任を取る」
セリカは少しの間、押し黙ってから迷うことなくそう言った。
「そこまでしてあの二人を推すか………彼らは君にとってなんなのか、聞いていいかね?」
「別に浮ついた話も、特殊な因縁もないよ。ただ…」
「ただ?」
「グレンには生き生きと、アルトにはもっと世界の広さを知って欲しくてな」
「うおおおおおおおお!!?アルト、頼むから一旦止まってくれえええええええ!!?」
「止まるの?分かった」
そう言いアルトは止まった。
走っている物が急に止まったりしたらどうなるか?
答えは一つ。
慣性の法則で前に体が倒れそうになる。
だが、アルトは見事ピタリと止まっていた。
そして、グレンはというと、そのまま体ごと前にとび、その勢いが強過ぎて、グレンの胸倉を掴んでいたアルトの手が外れてしまった。
「ぬおおおおおおおお!?」
グレンは勢いよく飛び、十字路から出てきた少女二人とぶつかりそうになる。
「ちょ、そこ退け!ガキ共ぉおおおおおお!?」
勢いのある。ましてや空を飛ぶ物体が止まることは有り得ない。
このままグレンは少女たちとぶつかる。
と思われた。
「お、《大いなる風よ》!」
すると銀髪のロングヘアに翠玉色の瞳をした少女が手の平をグレンへと向け、黒魔《ゲイル・ブロウ》の呪文を使う。
グレンは少女が起こした突風により、そのまま天高く飛び上がる。
「あれ――――!?俺、飛んでるよ―――!?」
高く飛び上がったグレンはそのまま放物線を描き、そのまま円形の噴水池に落ちそうになった。
そう、落ちそうになったのだ。
グレンが今まさに、池に落ちそうになった瞬間、アルトは自慢の脚力で噴水池の縁へと飛び乗り、そのままジャンプし、落ちそうになったグレンを掴んで池に落ちるのを未然に防いだのだ。
「グレン、大丈夫?」
「あ、ああ、なんとかな………!」
若干青ざめ、今にも口から飛び出しそうな心臓の鼓動を感じながら、グレンはそう言う。
「あ、あの!」
すると、銀髪の少女はグレンに頭を下げていた。
「すみませんでした。どうかご無礼をお許しください」
「私からも謝ります。本当に申し訳ありませんでした。どうか許してくださいませんか?」
銀髪の少女が謝ったかと思うと、隣にいた金髪に青玉色の瞳の少女も頭を下げて謝る。
「謝ってるけど、グレンどうする?」
アルトはグレンの首根っこを掴んだまま、グレンに尋ねる。
「まぁー仕方ないな!俺はちっとも悪くなくて、お前らが一方的に悪かったのは明確だけど、そこまで言うなら超特別に許してやらんでもない!」
まるで水を得た魚のごとく、グレンはエラそうな態度をとる。
だが、現在のグレンは首根っこを掴まれた猫のような体制のため、その姿は滑稽に見える。
「ん?」
その時、金髪の少女を見て、グレンは何かに気づき、立ち上がる。
そして近づき、頬を引っ張り、肩と腰を撫で回し、前髪をつまみ上げ、目を覗き込み、最後に額を突っつく。
「あ、あの……私の顔に何かついてますか?」
「……いや……お前、どこかで………」
「って、何やってるんですかあああああ!!?」
グレンの行動に銀髪の少女は上段回し蹴りをグレンの延髄目掛け放つ。
だが、蹴りがグレンの延髄を捉えるよりも早く、アルトがその蹴りを受け止め、そのまま強く握る。
「痛ッ!?」
「おい……アンタ、グレンに何するつもりだ?」
「ちょ、離しっ……!」
アルトは、力を更に込め足を握る。
それにより、銀髪の少女は顔を苦痛ににじませる。
「答えろ、グレンに……何するつもりだ?」
「やめろ、アルト!」
足の骨を折られてしまうのではと銀髪の少女が思った瞬間、グレンが大声でアルトを止める。
アルトはグレンの言葉を聞くなり、大人しく手を放した。
「すまない!アルトも悪気があったわけじゃないんだ!本当にすまない!許してくれ!この通りだ!」
グレンは両手を合わせ、頭を下げて謝る。
その必死な姿に、少女は思わずぽかんとした。
下出に出れば、調子に乗って、あまつさえセクハラ行為をするようなグレンが必死に謝るとは思ってもいなかったからだ。
「……まぁ、別に足を折られたわけじゃないし、大丈夫です。気にしないでください」
グレンが必死に謝ったことで、騒ぎはひとまず終わりを告げた。
「本当に悪かったな。……ところで、お前たち。その制服は魔術学院の生徒だろ?こんな所で何やってる?急がないと遅刻だぞ」
「遅刻、ですか?」
「まだ余裕で間に合うじゃない?」
「んなわけねーだろ?もう八時半すぎてるじゃねーか」
そう言い、グレンは懐中時計を出し、二人に見せつける。
「この時計、針が進んでませんか?ほら」
銀髪少女はそう言い、自分の懐中時計をグレンに突きつける。
グレンの時計は八時半だが、少女の時計は八時だった。
「………そう言うことかよ、あのくそ女」
グレンは舌打ちし、少女たちに背中を見せる。
「悪い、急用思い出したから帰るわ。行くぞ、アルト」
「うん、わかったよ」
アルトは頷き、グレンの後を追おうとしたが、一瞬足を止め、振り返る。
そして、銀髪少女を真っ直ぐに見て、頭を下げ、グレンの後を追った。
「たっく、アルト。お前、やり過ぎだぞ」
「ごめん。でも、アイツ、グレンに危害を加えようとしてから………」
「お前って、
グレンは手を上げ、アルトの頭に手を置く。
そして、力強くそれでいて乱暴に撫でる。
「ちゃんと謝れてたな。成長できてるじゃねぇか、アルト」
「そうかな?」
「ああ、そうだよ。さてと、まだ時間あるし、ちょっと昼寝してから行くか」
グレンはそう言って近くの公園へと向かっていった。
「待ってよ、グレン」
その後を、アルトは小走りに付いて行った。
その姿は、まさしく本当の兄弟さながらであったことを、二人は知らなかった。
そして、そのまま公園で寝坊し、結局遅刻することも知らないでいた。