事件の解決は一枚の歩から~振るか振らぬか誤誘導(ミスリード)~   作:Alizes

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第1話

一手目は戦いの始まりあるいは事件の始まり

 

1 あいにくの天気

「なんか今日も天気悪いね」

「そうだねぇ」

と六月のじめじめとした天気に悪態をつく友紀に、文香はなんとなく同意した。

確かにここ数日空色は優れず、天気予報を必要としないほどであった。登校時には傘をさしているのがスタンダードな光景になりつつあり、逆に下校時は高校指定のカバンと傘をセットで持って帰るのがデフォルトであった。

今現在に限れば雨こそ降ってはいないものの、どんよりとした天気であることには変わりなく、なんとなく気持ちを暗鬱なものにさせる。

「でもまだ外部活はいいよね~。部活休みになるし」

私の通う県立三城高校はどちらかといえば勉学に力を入れているそこそこの進学校であるため、積極的に部活を行う生徒もそこまで多くなく、たいした実績もあげられていない。

「ぐちぐち言ったってしょうがないでしょ友紀。早く着替えて行かないと部長に怒られちゃうよ」

それでもこの部活動があまり積極的に行われていない三城高校の中で、唯一といっていいほど多少厳しめの部活が、文香と友紀が所属している女子バレーボール部であった。

去年の先輩たちが大会で善戦し、この高校においては異例の県ベスト8まで勝ち上がったからである。それからというもの、練習への取り組み方は変わり、目指せ! 全国!! をスローガンにして日々練習している。中でも特に部長の練習に対する意識はとても高い。

バレーボール部が練習に使っている第二体育館は本校舎とは少し離れた位置にある。第一体育館は人数の多いバトミントン部と卓球部が半々で練習場所を割拠している。

なので、第二体育館に向かう際にはこうして一旦外履きに履き替えなければならず、正直めんどうくさい。特に今日みたいな天気の悪い日には、このまま帰っちゃおうかと思わないこともない。

「おーい。ふみー、ユッキー!!」

この暗雲すらも晴らすのではないというほど溌剌とした声で文香と友紀は呼ばれた。

「あ、奏部長。こんにちは」

噂をすればなんとやら。

彼女が現女子バレーボール部の部長の速水奏である。

部長の名に恥じない人望の厚さに加え、試合や練習の際にみなを指揮するリーダーシップを備え、それでいて嫌味を全く感じさせない可憐さも持ち合わせている。

さらにさらに噂によれば、二学年全体でも五本の指に入るほど、勉強も手を抜いてはおらず、その長身と美貌が相まって、東京に足を運べば、モデルのスカウトに引っ張りだこだとかなんとか。

「こんにちは~。今日もあいにくの空模様だけど部活、頑張ろうね」

「はいっ」

奏部長と話すだけでもさっきまで暗鬱としていた気持ちが嘘だったかのようにすがすがしい気分になれる。

「じゃあ、私は先に行って準備しておくから、早く来てね~」

そう言って、奏部長はスニーカーが水たまりで濡れるのにもまるで臆さず走り去っていった。

「あんた、ほんと奏部長のこと好きよね~」

「そ、そうかな~? そう見える?」

「そうにしか見えないよ。なんだかそのうち一線超えちゃうんじゃないか心配だよ」

「大丈夫だって。先輩と後輩。こういう関係が一番楽しいんだから~♪」

「もう一線超えちゃってるんじゃないの……」

友紀が何かおかしなことを言ったような気がするが、それは文香の耳には届かなかった。

キュキュ。キキッ。

体育館の独特な床質とシューズとが擦れ合う音がこぎみよい。

あいかわらず練習は厳しく、ついていくのが精一杯、もとより運動が得意ではない文香にとっては他人より一層厳しく感じる。

「よーし。じゃあ5分休憩ー。次はレシーブ練習だから、しっかり休憩しといてー」

ハァハァと文香は肩で息をしながら、重たい体を壁に預ける。

今日は特にじめじめした天気故に熱気が体に張り付いているような感覚に襲われる。一息つきながらも、もう立ち上がるのも億劫なくらいに疲弊しきっていた。

「文香ー。お疲れ。いやー今日もキッツいねー」

キツいと言いながらもどこか楽しんでいる余裕すら感じさせる友紀を羨ましく思う。

「でさでさ、聞いたー? 部室棟の噂?」

「噂? 何それ?」

部室棟は運動部以外の主に文化部が使用する古びた本校舎よりも小さな校舎である。

代表的なところでいうと、書道部や漫研があり、中には友達数人が集まって得体のしれない活動をしている部活動未満の同好会が空き教室を勝手に使用し、日々過ごしている。

「いやー私も見たわけじゃないんだけど。部室棟の一室ではたまた分からない謎の部活が活動してるらしいんだけど。いつ見ても人影があるって目撃情報が多発してるんだって。中には白骨死体が捨てられているとか、UMAが住み着いてるとかなんとかって噂もあったりして……」

「えーそれはないよー」

とは言ったものの、去年オカルト研究会なる団体が深夜の学校で怪しい黒魔術の実験をしたとかなんとかで学校側から大目玉を喰らったという伝説が残されていて、この高校の七不思議を語るには、オカルト研究会の存在なしには語れない。

オカルトチックな話をして少し肝が冷えたのか、幾分か体の熱も失われつつあるようで、意識がだんだんとクリアになってくると、休憩時間にもかかわらず、フォームを確認しながら一球一球真剣にボールを打ち込む奏部長の姿があった。

「奏先輩すごいよねー。休憩時間なのに練習してて。逆に心配になっちゃうよー」

「そうだねー」

先輩は他人にも厳しいけど、それが許されるのは自分にもより厳しいだからだ。練習の雰囲気づくりという点においても一役買っている。

こんな自分がこうしてキツい部活を続けることができるのは先輩の功績が大きい。先輩の凛々しい姿、コート上で輝いている先輩を見ていると憧れると同時に、それに近づこうとする愚かな自分もいる。

そうこう話しているうちに休憩時間も終わりを迎え、

「休憩終わりだよー。ささ、早くコート入って。時間がもったいないよ」

休憩なしの人とは思えないほどの快活とした声に、励まされながら私たちは「お願いします!」と先輩につられるように練習を再開した。

額に頬に汗を流しながらコートを駆け回る。

バレーボールは9×9メートルの一見狭いコートではあるけれど、ボールの動きははやく、集中していないとあっという間に地面に落ちてしまっている。集中力と相手の動きを読む予測、さらに自分のプレーだけでなく、次にボールに触るチームメイトのことなど、いろんなことを考えながら動いているため、なおのこと疲れる。

それでも必死に喰らいつき、自分の練習が終わり、ふと視線をコートから外すと、顧問である西垣先生が体育館に顔を出していた。

担当科目は化学。いつも白衣を身に着けて練習に来るが、時折着慣れてなさそうなジャージで自ら練習に参加してくれる。バレーボールはお世辞にも上手だとは言えないけれども、楽しそうにバレーボールをする先生をみて部員の士気は上がっている。

「先生来たよ。みんな集合ー」

部長も先生の来訪に気づいたようで、一旦練習を止めて、ぞろぞろと先生の周りに駆け寄った部員たちの群れが出来上がる。

「みんな今日もお疲れ様です。練習試合も近いので怪我せず、全員で競い合ってください。さあ、練習に戻ってください」

「あ、それと。速水さん。担任の東先生が呼んでましたよ。練習中なら別に明日でもいいっておっしゃっていたけど。進路相談の件でお話があるそうだ」

「分かりました。先生。いってきます。じゃあみんなしっかりね」

シューズを外履きに変え、小走りで本校舎の方に向かって行った。

その後は先生の監視下の元、アタック、コンビネーション、試合形式の練習など基礎的な練習に加え、実践を想定した練習をして、青春の汗を仲間と流した。

時計の針が一直線になろうというところで部長が帰ってきた。

「みんなお待たせ―。ってもう時間ないなー。今日はもうおわろっか。先生、もうクールダウンでよろしいですか?」

「ん、いいよ。速水さんもお疲れ様。号令よろしく」

「はい。みんなー、練習終わりー。各自クールダウンして」

部長の号令とともに本日の練習はつつがなく終了した。

「もー疲れたよー」

文香はクールダウンをしながらおよそ女の子が出してはいけない、まさしく疲れを音声化したらこんな感じだろうなのだろ思いながら息を吐いた。

「文香、おおげさだよ。毎日やってるんだからいい加減慣れなよー」

友紀はまだ体力を持て余しているようで、そこかしこを落ち着かない様子で動き回っている。

元気だなー。と他人事のように友紀を眺めながら入念にストレッチとして伸びと反りを繰り返す。

今日もなんてことない一日だった。と、ここまでなら夏休みの中日のような特別でない通常運転の日常だと断言できた。できるはずだった。

ドタバタと入口から慌ただしい足音とともに女子三人組が体育館に侵入した。

「に、西垣先生~」

三人の内の一人が息せき切って、口ごもりながらも一言一句丁寧に告げた。

「人が! 人が! 教室で死んでます~」

あまりにも唐突だったので、先生を含めその言葉を聞いた部員たちも唖然とした様子だった。内容が内容であるがゆえに信ぴょう性が現実からかけ離れすぎている。

人が死んでいる。ジョークにしてはあまり笑えない冗談だ。まぁ当然冗談であってほしいのだけれど。

それでも女子たちの鬼気迫る表情を前に嘘だと簡単に言い切ることはできなかった。

「わ、わかった。とりあえずそこまで案内してくれ」

意外にも西垣先生は冷静さを欠くことなく、女子たちの後に続く形で体育館から出て行った。

全員が固まったかのように微動だにしなかった状況下で唯一、考えるより先に体が動いてしまう友紀が、先生に一歩遅れる形で後を追っていた。

「み、みんな落ち着いてね。とりあえず先生が帰ってくるまでは体育館で待機ね。って、コラ、ゆきー戻りなさい」

奏先輩の忠告もどこ吹く風で友紀は颯爽と体育館から去ってしまった。

「わ、私連れ戻してきます」

「ちょと~、ふみも行っちゃダメだって。もー他の人は勝手に動かないでね」

呼びに来た女子三人、先生、友紀、文香の順に体育館から出た後、本校舎と体育館の間にある部室棟に足を踏み入れた。

部室棟は文化部ではない文香たちは普段立ち入ることもなく、人の出入りも多くなく、どことなく薄暗く恐ろし気な雰囲気を醸し出している。

「こっちです先生」

女子たちの指差す方に押っ取り刀で駆けつけ、部室棟の奥の奥まで進んでいく。見慣れない部室棟の教室のその一室を前に一同に足を止めた。その教室はなぜだかなんとなく近づいてはいけないような気がした。

扉は開いている。それでも教室内の様子は見えず、おそるおそる中を覗き込む。

ピカッ、ゴロゴロ。近くで雷が落ちたようだ。けたましい轟音とともに教室内が一瞬照らされる。それは間違いなく一瞬、数秒もないことだったが、この瞬間だけはスクリーンショットのように確実に脳内に保存されてしまった。

一人の人間を中心に赤い液体が広がっており、漂う冷気がこの人の命はもうないのだと文香に確信させた。

「「きゃーーーーーーーー」」

凄惨な光景を目の前に文香と友紀はたまらず悲鳴を上げ、先生はただただ呆然と声を上げることすらままならかったようであった。

 

二 新手の発見はだいたい悪手

「「きゃーーーーーーーー」」

悲鳴を上げ、立ちすくむことしかできない文香たちを余所に、先生は冷静に

「とりあえず警察と救急車を。それと現場保存のために教室には入らないように」

ポケットから取り出した携帯電話で119、休む間もなく110を押して状況を説明した。

一通りやるべきことを終えた先生は肩の荷が下りたのか、地面に座り込んでしまった。いくら大人とはいえど死体に直面してまともな精神状態を保てる人はそうはいないだろう。

人が死んでいる。この特異な状況においても友紀は胸に手を押さえて心を落ち着かせてしばらくすると「覗かない?」と非常識極まりない発言をしたが、それに付き合う道理は文香にはなかった。

それでも好奇心猫をも殺すとはよく言ったもので、友紀よりも若干遅れて落ち着きを取り戻した文香は、第一発見者である女子三人に話を聞いてみることにした。

「ね、ねえ。死体ってどんな感じだったの?」

なんだかすごく軽薄な質問になってしまったが、三人の内の一人がおっかなびっくりしながら答えた。

「ええと。たぶん男の人だったと思うけど……。うつ伏せで……その……」

「その……?」

「服を着ていなかったというか、全裸だったというかぁ///」

全裸の変態死体。略して変死体。というような凡庸なギャグを思いついてしまう自分いてなんだかすごく場違いな気がしてならない。

体育館で居残っているみんなはどうしているだろうか。まさかこんな事態になっているだなんて誰も想像できないだろうなと思いを馳せていると、遠くからこちらに段々と近づくサイレンが鳴り響いていた。

警察が来る前は全員が見るのをためらっていた教室も、ずかずかとドラマで見たことのあるような制服を着た人たちが教室に入って電気をつけると嫌でも死体が目に入ってしまった。

さきほど女子たちが説明してくれた通りの死体であったけれど、出血のさまがひどく、教室一帯が赤黒い液体で染められており、凄惨さをより身に染みて感じた。

「被害者の顔に見覚えは?」

刑事さんだろうか。顎鬚をたくわえた初老のおじさんが質問する。

「い、いえ私は知らないです」

思わず条件反射で答えてしまったが、正直あまり見たくはない死体の有様に加え、全裸の男性ということもあって顔までは見ていなかった。

友紀もその他目撃者も首を横に振った中で先生だけは、渋い顔で

「うちの生徒だと思います。まだはっきりとは断言できませんけど。おそらく二年に在籍していた男子生徒のような気がします」

「なるほど。分かりました。捜査の参考にさせていただきます。ところで、現在学校内に残っているのはあなたたちだけでよろしいですか?」

「いえ。体育館に待機させてあるバレー部員が何人か。後は職員室に業務をしていた教員が3人ほど。先生方たちも警察に連絡してから、報告して待機するよう指示をしておきました」

「分かりました。ではお手数ですがそちらの方々全員にお話を聞きたいと思いますので、集めていただけますでしょうか?」

「了解しました。では僕は職員室に行って先生方を呼んできますので、鷺沢と姫川は体育館に行って部員たちをここに呼んできてくれ。事情は伏せておいてくれ。パニックになったら君たちでは抑えらえないと思うから」

「はい。行くよ、文香」

「まって友紀、おいてかなでよ~」

廊下は走ってはいけない。こんな非常時だけは校則もきっと目をつぶってくれるだろう。先生もお咎めることなく、文香と友紀は練習で張った足なんて気にすることなく全力疾走した。

体育館に着くなり、友紀はいち早く状況を説明しようとまくしたてたが、状況を把握していない奏部長からまず叱責を受けた。

「ユッキー。先輩の言うことはきちんと聞くこと。面白半分でなんでも動いちゃダメ」

先輩になだめられた友紀は顔をうつむきがちにシュンとなってしまった。意外と打たれ弱いなーと思いつつ変わって文香が事情を説明した。

「先輩。落ち着いて聞いてください。みんなも。部室棟でちょっとした事件が起きて警察の人も来てるの。それで今学校にいる人から話を聞きたいそうだから、一度部室棟に来てくれって」

「事件ってなにー?」

「まさかさっき来た女子たちと関係あるのー?」

「人が死んでるって言ってたけど冗談じゃなかったかんじー?」

体育館で小一時間くらい待たされているせいもあってからか、不平不満らしい文句を言う人や、純粋に早く帰宅したいといういらだちなど数多の感情が入り乱れて収集がつかなくなってしまった。やはり伝え方がよくなかったのかもしれない。事件の全容を話してみんなを説得させた方が早かったかもしれない。

ざわざわと騒がしさが加速していく中でパンパンと手を叩いてから、静かにそれでもわずかに怒気を孕んだ言い方で

「静かにっ!!」

と一喝する部長の声が体育館に響き渡った。

「みんな、気持ちは分かるけど。ふみを責め立てたって仕方ないでしょ。とりあえず指示に従おうよ。ね?」

部長の鶴の一声で一同に口を閉ざし、部長を先頭にして全員部室棟に向かうことになった。友紀はまだ下を向いている。

「友紀、大丈夫だって。部長もう怒ってないから」

「……うん」

あと少しで目のダムが決壊しそうな友紀を優しくいたわりながら、最後尾で再び死地へと赴くのであった。

現場に戻ってみると、さきほどよりも人数が増えている。捜査官に加え、職員室に残っていたであろう見覚えのある先生方が何人か見える。

「西垣先生、連れてきました」

「ああ、ごくろう。悪いけどそこで待機しといて」

横たわる死体はもう運び出されたのか、教室には生者しかいなかったが、どす黒い血が一面に広がっており間違いなくそこに死体があったことは間違いではなかったと言える。

つかつかと古びた革靴を響かせながら刑事さんが近づいてきた。

「こりゃどーも。でも思ったより人数が多いな……。こりゃ本格的な捜査は明日以降だな」

独り言を呟き、頭を掻きむしりながら顔をしかめる。時刻はもう19時を大きく過ぎている。高校生が帰るにはもう遅い時刻といえよう。確かにこの時間から一人一人調べていたら、日が変わってしまうだろう。

「じゃあもう帰っていいですかー?」

刑事さんはしかめっつらを頑なに変えずに言う。

「よし。とりあえず第一発見者のそこの三人を聴取した後、後から死体を目撃された西垣先生と、ええっと、なんていってたっけかなぁ」

「鷺沢です。鷺沢文香。後こっちが姫川友紀です」

「ああ、そうだったそうだった。鷺沢に姫川な。うん、覚えた覚えた」

さっきもきっと同じこと言っていたんだろうなと、刑事さんの記憶力に若干の心配を覚えないこともなかった。

刑事さんと話している間に先生が部員に説明してくれたのだろうか。部員たちの間に困惑と不安が入り混じった声が聞こえたが、みな現場を背に帰路についた。

「では今回捜査に当たります所轄の杉田といいます。とりあえず第一発見者から状況をお聞かせくださいますか? ええっと。名前なんだっけ? おじさん記憶力なくってねぇ。申し訳ない」

「坂本です」

「阿部です」

「牧です」

女子三人組の名前が判明した。どこかの球団のクルーンナップみたいなトリオだ。

「そうかそうか。改めてありがとう。で、発見したときの状況は?」

ここで初めて杉田さんは背広のポケットからメモ帳を取り出した。っておい最初からメモ帳出して自分たちの名前もメモしとけや。

前髪が目を隠すほどの長髪で、身長は155センチくらいだろうか。こんな殺伐した状況下でもあまり取り乱した様子を見せない阿部さんが口火を切った。

「状況ですか……? そうですね見つけたのは18時前ぐらいだったと思います。ちょうど部活を終えて三人でここを通りかかったんです」

第一声を皮切りに坂本さんが続く。こちらは阿部さんとはうって変わってボブをさらに短くしたような髪型で明るさが取り柄みたいな顔をしている。ワンポイントの赤い髪留めが彼女の人柄を引き立てている気がする。

「そうそう。部室棟は使われてない教室の方が多くて。普段はどこの教室も扉が開いているんですけど、今日に限って一つだけ扉が閉まってたんです。そしたらわたしぃ学校で流行ってる噂を思い出して……」

「ほぉ。で、そお噂とはどんな?」

阿部さん、坂本さんと続いて牧さんが口を開こうとしたが、友紀が割って会話に入った。

「あ、私その噂知ってるよー! 部室棟に住み着いている幽霊がいるとか、なんとかってやつ?」

「そう! それ! わたしぃ、気になっちゃって。おそるおそる扉に手をかけたの。するとそこには……」

「そ、そこには……」

固唾を飲んで全員が坂本さんに視線を浴びせる。

「男の人のはだかの死体が……。ギャーーーー」

ギャーーーー。じゃないよ。知ってるよ。みんなも心で突っ込みを入れたところでも、やめることなく話を続ける。

「死体を見つけてわたしと阿部っちはびっくりしてその場で狼狽してただけだったんだけど、マッキーがすんごい冷静でね。すぐに先生を呼びに行こうって言って……」

「ほう。ずいぶんと冷静ですな、牧さん。なかなか死体を目にすることはないと思いますが。びっくりしたりとかは無かったんですか?」

第一発見者グループの三人目、牧さんは聞き取りづらい小さな声で独り言のように呟き始めた。

「ええっと。第一発見者とおっしゃられますけど、実は私死体を直接みたわけではなくて……。阿部さんと坂本さんが教室の中を覗くなり悲鳴を上げて。あぁ、これは只事じゃないと。腰抜けてる二人をどうにか引っ張って西垣先生のところに行った次第です」

おさげに眼鏡という優等生セットの牧さんだが、意外と肝が据わっているようだ。自分がおんなじ状況に置かれていたら、こんなに機敏に動けたかは怪しい。特に意外と打たれ弱い友紀と一緒だったらと思うと、二人して気絶しかねなかった。

杉田さんはメモ帳につらつらと三人の話の内容を書きながら次の質問に移る。

「なるほど発見当時の状況はだいたい把握しました。では次に第二発見者と呼べばいいんでしょうか。西垣さんと鷺沢さん、あと姫川さん」

「はーい」

もうすっかり機嫌は直ったみたいだ。

「ええっとね。体育館にそこの三人が来てね。西垣先生の後を追ってここに来たの。で、どうして文香はここに?」

「友紀を止めにいこうと思ったんだよ。ほら、奏部長怒ってたでしょ?」

「ああ、ごめんってば。明日ちゃんと謝っとくから」

友紀は手を前に合わせてぺこぺこしながら許しを乞うた。まあ、悪気はないので、部長もきっと許してくれるだろう。

「で、西垣さんにお聞きしますが。被害者はこの高校の生徒だとおっしゃていましたが、もう一度こちらの写真を見て誰だか分かりますか?」

血の気が失せた被害者の死に顔を改めて直視して思わず顔をしかめたが、何かを思い出したかのようにある生徒の名を口にした。

「思い出しました。たしか川越朝人だったかと。うん、間違いないと思います」

「そうですか。では身辺調査に後ほど人を向かわせます。今日はもう遅いので、これくらいにしておきましょう。明日改めてお話を聞きにまいります。場所は……学校の適当な教室をお貸しいただきましょう」

「あの、授業の方は……」

「当分の方は混乱を避けるためにも自宅待機を要請すると思います。もちろん事件関係者の方たちには捜査に協力していただきますよ」

「そうですか……」

まあ当然といえば当然で、生徒にすれば休みが増えるのでラッキーといえば不謹慎だけど、事件関係者の生徒にすれば迷惑を被っているし、教員に至っては授業スケジュールが破たんしたので大迷惑だったろう。

「ではそういうことですので。明日またよろしくお願いします」

杉田さんをはじめ警察は当然このまま現場捜査に当たるみたいだ。だが、文香たちにしてみればもうすることはないので大人しく帰路につくことにした。

部室棟を出て、本校舎の方に向かって学校を出る。学校から一歩出ると、空気がガラリと変わったようでフッと肩の力が抜けた。

「どうなるんだろうね」

何気なく黙っているのが怖かったので、他愛のない話を友紀に振った。

「でも、警察も来てくれたんだし。すぐ解決するよ。休みになった明日出るのがちょっとめんどうくさいけどね」

「まあ重要参考人ってことみたいだし。目撃者なんだししょうがないよ」

ごく普通の生徒だったはずが事件を機に一転して、役柄がランプアップした。では一生徒だった被害者はどうだろう。被害者は何を思ったのだろう。先生は二年生と言っていた。もちろん知らない人ではあったけれど、同情しないわけにはいかない。一刻も早く犯人が見つかることを祈るばかりだ。

夜に吹く風が背中を撫でた気がした。なぜだろう。この事件は一筋縄ではいかない、そう予感した。

事件の翌日。空模様はお決まりの灰色の体をなしており、外に出るのも非常におっくうであるのだが、今日に限っては遅めの五月病を名乗るわけにはいかなかった。

事情聴取である。こう聞くと自分が何かしでかしたのでは? と疑心に陥ってしまわないでもない。もちろん、容疑者としてではなく目撃者という方面での聴取なのだが、いかんせん初めてのことなので緊張は隠せない。

授業も部活もないのに学校に向かうのは若干不思議な感覚であったけれど、文香は念のために持ってきた筆記用具とノートの入った通学カバンを右肩に掛け、いつもと変わらない通学路を水たまりを避けながら歩いて行った。

だが、いつもと変わらないとは言ったものの、学校が近づくにつれ見えてくるはずの制服姿の男女は今日は見えず、やはりどこか非日常の空間に置いてきぼりにされたようなちょっとした孤独感に襲われた。

校門を通り抜け、バレー部が練習に使っている体育館を横目に見る。悪いけど今日は休みなのだ。練習中は常に休みたいなんて愚痴をこぼしていたけれど、ないと寂しいのも事実だ。

今頃部長は何をしているのだろうか。

奏部長は直接は事件現場を見ていないので、文香みたいに呼び出しをくらってはいないはずだ。そもそも事件に関係あるなしで言えば、文香だって友紀だって誰だって事件とは無関係なはずだ。

傘についた雫を払い、自分の外履きを上履きに履き替え、昨日西垣先生から届いたメールで指定された教室へ向かった。

本校舎2階の視聴覚室。授業で映像を見る時などに使われるちょっと広めの教室である。そこには昨日見たのと同じような光景、すなわち捜査のために集まった刑事たちでいっぱいだった。

文香のことを知らないほとんどの刑事たちがいぶかしげな視線をこちらに集めて、思わず肩を竦ませた。辺りをしばらくちょろちょろとしていると見知った顔が二人いた。

文香の友達の小林友紀。それと昨日少し話した杉田刑事だった。

「あぁ、ご足労をかけましたな市川さん。とりあえず中に」

杉田刑事にすすめられるがまま、取調室に扮した視聴覚室に入る。

もともと視聴覚室にあった長机が雑然といくつも並べられていて、その上にはノートパソコンやら捜査資料のようなプリントの束が置かれていた。

 


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