雪ノ下陽乃は後輩教師に恋してる。   作:さくたろう

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最終話になります。



雪ノ下陽乃は後輩教師と結ばれたい。

 身体を刺すほどの冷たさを朝に感じたかと思えば、柔らかく温かな日差しと共に心地よい風が頬を撫でていく。そんな二つの季節が入り混じる、三月。

 この時期といえば出会いの季節でもあり、別れの季節でもある。

 

「ふわぁ~……」

 

 昼休み。

 昼食を取り、いつも通りベストプレイスで日向に当たっていると、自然と欠伸がこぼれる。

 いつもなら陽乃さんと過ごす時間。

 けれど、最近はどうやら忙しいらしく、昼食を取るとすぐに仕事に戻ってしまう。

 

 年末の一件以来、陽乃さんとの関係は少しずつではあるけれど進展している、はず。

 はず、というのは具体的にどう進展したかと言われると答えにくいからである。

 例えば、二月に行われた菓子業界の陰謀に近いイベントでは、陽乃さんから手作りのチョコをもらったし、先日はそのお返しにと、奮発して高めのディナーに誘ったりもした。

 現状の関係で満足しているのか? と問われると、自信を持ってそうだとは答えられないかもしれない。けれど、陽乃さんの性格や、家柄のことを考えてしまうと、俺なんかがあの人に思いを告げていいものか、陽乃さんの負担になったりしないだろうかとどうしても考えてしまう。

 そんなふうにセンチメンタルに浸っていると、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。

 

「っと……そろそろ戻るとするか」

 

 次は授業がないので少しのんびりとしながら戻る。

 廊下を歩いていると、女子生徒の二人組がぱたぱたと駆け足気味でやってきた。

 

「比企谷先生~!」

「なに、どしたの? あと廊下は走っちゃいけません」

「そ、そんなことよりっ! 雪ノ下先生が異動しちゃうって本当なんですか?」

「へ?」

「あれ? 先生知らないの? 私たち、てっきり比企谷先生なら知ってるかと思ったのに」

「や、俺はなにも聞いてないけど……」

 

 異動? 陽乃さんが? そんな話は聞いたことない。ないけれど……最近忙しいと言って昼休みや放課後になにかしていたのはもしかしてそれが……?

 でも、それなら同じ教員の俺にも連絡の一つや二つ入るはずな気がするが……。

 

「その話はどこで聞いたんだ?」

「んと、さっき雪ノ下先生と楠先生が話しててね。なんか雪ノ下先生がいなくなってしまうと寂しいですとかって言ってたよ。先生、早くしないと雪ノ下先生取られちゃうかもよ!」

「取られるってなんだよ……。つうかお前らもうすぐ授業始まるんだからそろそろ戻りなさい。あとで俺の方で確認しておくから」

「はぁ~い」

 

 陽乃さんが楠先生に……。ないわぁ超ないわぁ。

 あの人、ああいうタイプ嫌いだろうし。俺も嫌いだけど。

 しかし、楠先生が異動について知っていて、俺が知らないって……。

 社会人なのだから「ほう・れん・そう」くらいしっかりしてもらいたいんだけど? それともあれかな? もしかして俺だけハブられちゃってる系なの? なにそれ辛い。

 とにかく、こうなったら張本人である陽乃さんに直接聞くのが一番早いか……。

 

 

 その後、なかなか陽乃さんに会えるタイミングが掴めないままいつの間にか放課後になってしまった。

 放課後になり、ようやく職員室に陽乃さんが戻ってくる。

 さて、異動の件をどうやって切り出したもんか……。

 他の先生たちがいる前で聞いて、お前まだ知らなかったの? とか思われるのも癪だしなぁ……。

 そんなことを考えていると、向こうから話かけてきてくれた。

 

「比企谷くん、お疲れー」

「あ……、お疲れ様です」

「どうしたのー、難しい顔なんかしちゃって。悩み事でもあるならお姉さんに相談してごらん?」

「や、別に大したことでもないんで大丈夫です」

「ふーん……。ねぇ、なにか私に聞きたいことあったりしない?」

 

 耳元でぽしょぽしょと小声で陽乃さんが話す。

 吐息が耳にかかりくすぐったい。

 それにしても、何故この人には俺の心がここまで読まれてしまうのか。

 察しが良すぎってレベルじゃないんだよなぁ……。

 

「聞きたいこと、ですか……。ありますけど……」

「そ、なら今日は比企谷くんの奢りで飲みに行こ~!」

「今月の俺の財布事情知ってますよね? はぁ、まぁいいですけど……」

 

 どのみちここでは聞きづらい。

 それなら、二人きりで話せるときの方が聞きやすいから良しとしよう。

 財布が悲鳴をあげちゃってるけど致し方ない。必要経費というやつだろう。

 

「決まりね。それじゃ、ちゃちゃっとお仕事終わらせちゃおっか」

「うっす」

 

 

   *   *   *

 

 

「よし、これでお終いね。比企谷くんの方はどう?」

「俺もこれで終わりっすね」

「それじゃ片付けして待ってるね」

 

 待たせても悪いので、残りの作業を急ピッチで終わらせる。

 多少残ってしまったものは来週の俺に任せるとしよう。

 

「お待たせしました」

「ん、それじゃ行こっか。今日は行きたいところがあるのよね」

「あんまり高い店はきついんで勘弁してくださいね」

「大丈夫、高くないから。それにゆっくりできるし、良い場所よ」

「はぁ、まあそれなら」

 

 そんなところ、この辺にあっただろうか?

 この辺の飯屋や飲み屋は、陽乃さんと大体行き尽くした気がするが……。

 週末はどこも混んでいてあんまり落着けないわけで。

 俺が知らない間に新しい店でもオープンしたのだろうか。

 

 とりあえずはと、陽乃さんについていくように歩いていく。

 どうやら店は俺の家の方向らしい。

 

「へぇ、この近くにそんな店あったんですね」

 

 この近くにそんな店があったとは初耳だ。

 陽乃さんのお勧めであれば、今後も通うかもしれないなと期待していると、どうやら目的の場所にたどり着いたのだろう。陽乃さんは歩くのを止めて立ち止まった。

 立ち止まったのだけれど、その場所は俺もよく知っている店だった。

 ただ、そこは飯屋や居酒屋といった類のものではなく、コンビニ。

 そう、全国に何件あるかわからないほどあるであろう、コンビニだった。

 

「えっと、ここですか?」

「そ、今日はここにしよっか」

「はぁ、まあいいですけど……」

「それじゃ、いろいろ買って比企谷くんの家でパーッとやろっか」

「うい――って、もしかしてゆっくりできる場所って……」

「あったり~。比企谷くんの家だよ」

「やっぱり……。まぁ宅のみなら安上がりでいいですけど。雪ノ下さんはいいんですか?」

「うん、大丈夫。それに比企谷くんの家に用もあるしね」

 

 ……用? 俺の家になにかあったっけ。

 

 陽乃さんの言う、用というのが気になったが、それ以上は聞かなかった。

 そのままコンビニで、つまみと何本かの酒を購入して家へと向かった。

 

 

 コンビニで買った惣菜や菓子をテーブルに並べ、二人並んでソファーに座る。

 

「かんぱーい」

「乾杯」

 

 缶ビールは少々味気ない感じがするが、たまにはこういう宅飲みも悪くはないか。財布的にも。

 結局、陽乃さんも半分出してくれたので飲み屋で飲みよりも大分安い金額となった。

 

「それで、比企谷くんの聞きたいことってなにかな?」

 

 しばらくいつものように世間話をしていると、陽乃さんの方から切り出してきた。

 

「あー、えっと……。今日ちょっと聞いたんですけど、雪ノ下さん異動するって本当ですか……?」

「ああ、そのことね」

「そのことねって……本当なんですか?」

 

 先ほどまで楽しそうに飲んでいた陽乃さんの表情が次第に曇っていく。

 

「うん、本当。総武高に勤務するのも今年で最後。来年からは少し遠くの学校に勤務することにきまったの」

 

 正直、この事実は聞きたくなかった。

 教師になって、……いや、その前から彼女の存在は俺の中でとても大きな存在になっていて。

 今の関係をこれからも続いていけると思っていたから。

 

「少し遠くってどの辺なんですか……?」

「こうやって気軽には会えなくなる距離、かな」

「そう、ですか……」

 

 突き付けられる現実に、頭の中で処理が追いつかない。

 遠く? 今までのようには会えない?

 ……信じたくなかった。

 

「だからね、今日はこの部屋にある私の私物を取りに来たかったの」

 

 初めて陽乃さんがここを訪ねて以来、飲んで遅くなったときにたまに泊まりに来たりすることがあった。

 そうして、俺の部屋には陽乃さんのものが少しずつ置かれるようになった。

 それを回収するということは、もうこの部屋には来ないと告げているのと同じことだった。

 

「――っ。雪ノ下さん」

「どうしたの?」

 

 嫌だった。

 純粋に。

 こうして陽乃さんと一緒に過ごす時間が取れなくなるなんて。

 それほどまでに俺の中でこの人と過ごす時間がとても大切なもので。

 だから――。

 ここで言わずに後悔するくらいなら――。

 

「俺、雪ノ下さんと離れたくありません。……これからも一緒にいたいです」

「……このタイミングでそれを言うのは卑怯なんじゃないかな?」

「それを言うなら! ……雪ノ下さんだって異動のこと黙ってたじゃないですか」

「別に、私と比企谷くんはただの先輩後輩の関係なんだし問題ないんじゃない?」

「ただの……」

 

 違う。

 そんな言葉で終わらせたくない。

 

「だったら――」

 

 震える拳を力強く握る。

 

「俺は……俺は雪ノ下さんのことが好きなんです。俺と、結婚してください」

 

 言った――。

 言ってしまった――。

 ただの先輩後輩の関係と言われたのが悔しくて。

 どうしても、今まで陽乃さんと過ごした時間をただの先輩後輩の関係だと認めたくなくて。

 半ば勢いみたいなものもあるかもしれない。

 けれど、彼女と過ごしてきて生まれたこの感情は本物で、俺の言葉に嘘なんてない。

 俺にできることはこれで最後だ。

 真っ直ぐに陽乃さんを見つめ答えを待つ。

 すると、陽乃さんは両手で顔を覆うように隠すとそのまま俯いてしまった。

 

「あの……雪ノ下さん?」

「ふふっ」

 

 肩を震わせ、もしかして泣かせてしまったのかと心配になり声をかけると、くすくすと笑い始めた。

 え、待って俺なにかおかしいことでも言った?

「えっと……なんで笑ってるか聞いてもいいですかね?」

「だって、比企谷くん、いきなり結婚なんだもん、あはは。私たち、まだ付き合ってもないのに、飛躍しすぎ。でも……いいよ」

 

 そんなに面白いことだったのだろうか。陽乃さんは笑いすぎたせいか目元には涙が浮かんでいて。

 

「や、だって……、俺だってちょっといろいろ混乱してたんですよ……って、今なんて――?」

 

 陽乃さんが笑っていることに気を取られ、肝心の答えを理解するのが遅れてしまう。

 

「いいよ――」

 

 言葉と同時に陽乃さんが、ずいと顔を近づけた後、ゆっくりと瞼を下ろす。

 その意味がわからないほどもう子供ではないし、それを誤魔化そうとするほどもう捻くれてはなくて。

 だから、俺も彼女に従う形で。

 こちらがリードされる形というのはなんとも情けない。

 けど……なんとなくではあるけれど、しっくりきてしまうわけで。

 妙な納得も覚えつつも、改めて、彼女の顔立ちに息を呑む。

 整った顔立ち。

 閉じられた瞼を彩る、すらりと伸びた睫毛。グロスのせいか、うっすらと輝く柔らかそうな唇。

 

 そうして、俺は――。

 

 彼女の、一寸の狂いもない美貌に見惚れながら。

 顔を傾けて、繋がりを求めて。

 吸い込まれるように、そっと口づけを交わした――。

 

 

 

 

 

   *   *   *

 

 

 

 

 

「えっ? じゃあ異動って海浜総合高校なんですか?」

「うん、そうだよー」

「や、だって、遠いところって言って……まさか……」

 

 一世一代の告白が成功した翌日。

 休日だということもあって二人で部屋で過ごしていると、陽乃さんが今回の件の全容を話してくれた。

 

「遠いっていうのは嘘。比企谷くんが私の異動を知らなかったのは、先生たちを操――協力してもらって情報操作してたからね」

 

 てへっとはにかむ陽乃さん。

 仕草やら顔やらいろいろと可愛いのかもしれないけれど、言ってることは酷いからね? しかも今絶対操ってって言おうとしただろこの人。

 

「はぁ……なんでそんなことしたんですか……」

「だって、こうでもしないと比企谷くん動いてくれなそうだったし? どうせ比企谷くんのことだから、雪ノ下家のこととか、そういうの気にしちゃってたんでしょ?」

 

 この人は……そんなことまでお見通しですかそうですか……。

 

「や、そうかもしれないですけど……。つうか俺の気持ち知ってるなら陽乃さんから言ってくれても良かったんじゃ」

「仕方ないじゃない。夢だったんだから」

 

 陽乃さんが、照れくさそうにほんのりと頬を染めながら俺の肩に頭を預ける。

 

「夢、ですか?」

「そ、好きな男の子にプロポーズされるってね。女の子なら一度は夢見るものでしょう?」

「雪ノ下さんが……なんか意外ですね」

 

 そういうものにはあんまり興味がない人だと思っていたから、素直に驚いたというか。

 でもそうか……普段どれだけ超人のようなこの人でも、やはり一人の女性なのだ。

 なら、そんな夢を抱いていても当然なのかもしれない。

 

「もうこの話はお終いっ。騙すようなことしちゃってごめんね」

「いえ、そのおかげって言えばいいのかわかりませんけど、こうして雪ノ下さんにちゃんと気持ちを告白することができましたし……。感謝してます」

 

 自分で言っててめちゃくちゃはずい。

 大体なんだよ。好きな女性に後押しされないと告白すらできないってヘタレか、俺はヘタレだったのか。

 ヘタレだったわ……。

 

「それじゃ話も済んだことだし、さっそく二人で住む場所でも決めにいこっか」

 

 陽乃さんはソファーから立ち上がると、優しく俺の手を握る。

 

「え、今からですか?」

「そうだよー。こういうのは早い方がいいでしょ?」

「や、確かにそれはそうですけど、早すぎませんかね……?」

「大丈夫、こんなこともあろうかと目ぼしい所はチェックしてるから」

「ははっ……さいですか」

 

 陽乃さんはソファーから立ち上がるとふと俺の手を取った。

 その手は、雪解けのような温かさを持っていて。

 もしかしたら……いや、きっとこの人は、こうなることまで計算していたのだろう。

 常人にならまだしも、雪ノ下陽乃なら充分にあり得ることで。

 ……本当、この人には一生かかっても勝てる気がしねぇな。

 

「ん? どうかした?」

「あ、いえ、別になんでも」

 

 なんて俺の小さなぼやきすらも、空の頂点で輝く太陽のような笑顔であっさりと流しつつ。

 

「そう? じゃ、行こっか」

 

 ただでさえハードモードだった人生は、これから更に厳しくなるかもしれない。

 でもそれは、もう俺一人が抱えるものじゃない。

 何故なら、今の俺には隣で一緒になって歩んでくれる人がいるから。

 正直、不安なんてものは数え切れないほどあるだろう。

 それでも、それ以上に、今はこの先の未来が明るくなると信じて――。

 

「……ええ」

 

 無責任なことを思いながら、俺は隣で待つ、陽乃さんの手を握り返した。

 

 三月。

 身体を刺すほどの冷たさと、柔らかく温かな日差しの注ぐ季節。

 新しい出会いと惜しむべき別れの季節。

 ただ、そこに一つ、今の俺たちが言葉を付け足すのなら。

 

 ――新たなスタートを切る、門出の季節。

 

 




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