何やら現実感のない日々だった。
自転車の車輪に足を絡ませ足を折り、入院した日々の中。痛々しい感情が色々と発露する中で、彼は―――されど見て見ぬフリをしてきた過去と向き合わされる羽目になった。
夢を諦めた自分。夢を追い続ける彼女。
現実から逃げた自分。現実に立ち向かい続ける彼女。
綺麗な対比だ。
弱者と強者。人間としての心の在り様が、もう既に違っていた。
そう、過去の挫折を思い知らされるだけで終われれば、必死になってもう一度記憶の蓋を閉じる作業に入れるのに。
思い知らされたのは、そんな事じゃない。
夢を諦めた。挫折をした。その現実から逃げ出した。
―――それで?
その先は、何なのだ。
一度逃げ出して、それからどうした。一度逃げ出して、逃げ出したままか。
夢見た道は塞がった。そしてその道から逃げ出した。
されど、逃げ出した道は―――確かに今に繋がっているのだ。
時間は止まる事無く道を進めていく。先も後ろも無い。逃げ出したと思った道だって確かに未来に繋がっている。
夢を見続ける事と夢を諦める事。その二つに優劣はない。ただ違う苦しみがそこに存在して、そこから違う何かを得ただけの話なのだ。
逃げた。その過去は変わることが無い。
重要なのは―――逃げた道の先で、自分が何をするのかだ。
だから、思う。
―――自分は何をしたいのか。もう一度考えてみようかな、と―――。
ただ、そんな事を思った。
あの入院の日々はきっと、夢のようなものだったのだ。
自分の間違いを思い知らせる為に存在した、夢。
この夢を見させてくれた運命があるとするならば、少しばかりの感謝を捧げたい。
足を折っただけの甲斐があったものだ。
もう二度と会えないかもしれないけど。確かに自分はあの出会いに感謝している。
ただ、それだけだ
※
「―――おーい。京太郎。疲れたわー。はようおぶってやー」
「-------」
「京太郎?」
「------おかしいなー」
須賀京太郎は、そんな事を呟いた。
眼前に、―――確か入学式前に出会った女性雀士がいた。
キャンパスの玄関口で。
その女性は青を基調としたワンピースに、変装用の伊達丸眼鏡を装着し両手を頭の上に載せて“疲れた”とジェスチャーをしていた。
「ねえ、怜さん。------何でここにいるの?プロ雀士って暇なの?」
「入院して大会エントリーできんかったから絶賛暇人中や。―――責任取ってもらうで」
「何の?」
「知らん」
「------」
「------」
何なのだ。
この自由人っぷりは。
「あの------こんな事言いたくないんですけど。帰って下さい」
「無慈悲!」
園城寺怜は変わらず両手で頭に抱えながら、今度は嘆きのジェスチャーを行使する。
「こんな可愛い怜ちゃんが、病弱な身体を引き摺りながら、京太郎を思ってここまで来たのに-----!キャンパスに蔓延るカップルにねじ曲がった感情を手持ち無沙汰にしているだろうと-----。京太郎の鬱屈した劣等感と自己満足感を埋めてあげようと-----怜ちゃんここまでがんばったのに-----!」
「帰れ!」
入学式から、三日。
まだまだサークルの勧誘の声が喧しいキャンパスの入り口で、須賀京太郎はそう叫んだ。
「何なの!?もう正直病院での日々だけで貴女の存在はお腹いっぱいなんです!今俺、滅茶苦茶やりきった感じのモノローグを心の中で展開していたんですよ!もう会う事はないだろうって感じで!あの最後のいい感じを返せ!貴女の記憶はあの感動的な瞬間以外に蓋をさせて下さいお願いしますから!」
「残念やったな。まだまだ怜ちゃんはここにおるやでー」
不格好な丸眼鏡の奥で、心の底から楽しそうに目元を歪めていく。
彼女は須賀を弄りながらも、キャンパスをへーとかほーとか言いながら眺めている。
いや。待て。
そもそも自分は何処の大学に入学したかをこの人に伝えていなかったはずだ。
なのに、何故この女は至極当然とばかりにこの大学を引き当て、こうして自分の眼前に現れているのか。
「-----何でここに俺がいるの知っているんですか?」
「聞いたからや」
「誰に?」
「ん?―――元清澄の、のどっちにや」
「------どうやって?」
「んー?ただ聞いただけやで~。―――一人旅の開始地点で車輪に足を絡ませて骨を折った間抜けな同級生おるやろ?何処の大学にいったのか教えてや~、って」
ニコリと、彼女は笑いながらそう―――処刑宣告を行った。
恐れていた事が、現実となった。
和に、自分の黒歴史の1ページを知られた。
ショックを受け立ち尽くす京太郎の心情を知ってか知らずか―――怜はとことこと彼の近くに寄ると、隣に並び立つ。
「さあ、ここからやで京太郎」
「何がですか----。もう俺は終わりです----。和に、知られてしまった----」
「まあまあ、男は過去を振り返らないものやで?―――そら」
身体を寄せ、彼女は京太郎の手を取った。
「―――え?」
「目指せモテ街道。―――手伝うって約束したからなー。怜ちゃんも一緒に頑張るで~」
重なる指先が、やたらと軽く、柔らかかった。
羽毛のようなその柔らかさが、―――何故だか、やたらと心臓に突き刺さる様な感覚を生み出した。
「さ、―――キャンパス、案内してや」
※
その後。
園城寺怜と須賀京太郎は、二人でキャンパスを回って行った。
―――園城寺怜は何処で用意したのだろうか。野暮ったい丸眼鏡から直線フレームの眼鏡に付け替え、腰までかかるロングヘアーのカツラを装着したのでした。
先程の丸眼鏡は特徴を殺す変装であったが、今度は怜の素材をシャープに変化させる変装であった。元の素材がいいと、何をやっても似合うものだ。先程の姿よりも、はるかに注目が集まる。
------そんな女性が、自分の腕を抱きながらキャンパスを歩き回って行く。
自然と―――それは京太郎自身にも、視線が集まる事となる。
「-----怜さん」
「んー?」
「-----これが、何の特訓なんですか?」
「ふふ、よくぞ聞いてくれた!」
怜は、変わらぬ笑顔のままグッと拳を京太郎の眼前に出す。
「パッキン長身の二枚目の新入生が、入学早々早速彼女を作って腕に抱かせてキャンパスを歩き回る。これは目立つやろ。絶対に目立つやろ!」
「目立ってどうするんですか------」
「これは評判になるで~。これでアンタのこの大学での評価が、きっと悪い方向にはいかんはずや。彼女持ちだと思われるだけで、人の見る目なんて変わるものやで」
「彼女持ちだと思われたら尚更彼女なんて出来ないじゃないですか------」
「ほとぼりが冷めた頃に別れたとでも言えばええやん。最初人のものだった男がフリーになれば、何だか価値があるように見えてくるもんや。女の目がきっと変わるで。女の子と付き合えるハードルが、グッと下がるはずや」
「いや、まあ、それは確かに-----。」
一度、取り敢えず誰かが好いてくれただけの価値がこの男にある―――そう周囲の異性に思わせることが出来れば、確かにハードルは下がるかもしれない。どんな女にもモテなかった男よりかは、一度でも成功体験を味わえている男の方がよく見えるのは当たり前の話だろう。------この成功体験すら嘘だというのなら、あまりにも虚しい話だが。
しかし、それよりも更なる疑問が生まれる。
「そもそも、何でこんな事を-----」
こんな事をするだけの義理なんて、無かったはずだ。なのに何故ここまで彼女は尽してくれるのだろう。
そう疑問を呈すと―――彼女はうーん、と一つ唸った。
「何でやろうなぁ------。多分やけど、やっぱりウチ、アンタには前向きに生きてほしいんや。ただ、それだけ」
笑いかける。今度は―――少し、寂し気に。
「自信つけてほしいんや。―――大丈夫。アンタ、その辺の男なんかよりずっとカッコええし筋が通っとる。あとは自信つけるだけ。その辺は怜ちゃんが保障したる。アンタはウチの恩人や。だから、その手伝いくらいはしたる」
ドン、と―――弱々しく、拳を胸に叩きつける。
「だから暫くウチはアンタの彼女や。ガールフレンドや。よかったな。人生はじめての彼女やで~」
ニコニコと笑みながら、彼女はぐいぐいと身体を押し付け、キャンパスを歩いていく。
その表情は享楽半分といった感じであった。シチュエーションを全力で楽しんでいるのだろう。
残り半分は―――まだ、須賀京太郎には察することが出来なかったが。
かくして、はじまった。
―――須賀京太郎、モテ男計画。発動。
新入社員と化した丸米です。お久しぶりです。
最近変態スイス人のTwitterが私の心の癒しです。あんな風に自由に生きれたら、どれだけ楽しいのだろうなぁ。