ふざけた人だった。それは別に悪い意味ではなく。
女子高出身で交際経験はおろかまともに異性と話す経験すらまともに積み上げなかった女がである。何を以てモテる為の技術論を語れるというのか。思い上がりも甚だしい。
だというのにその人は堂々とそれを口実に須賀京太郎の病室に入り浸っては、下らないやり取りに終始していた。
それが日々の光景であり、病院の人々も次第に慣れていった。少々口論がヒートアップして喧しい声が上がろうとも、ああいつもの事かとスルーする程度には。
そうやり取りする日々は、―――何だか腹立たしかった。
目の前にいる女の子は上から目線でこちらをからかってくるし、そのくせ妙に甘えてくる。その距離感の不可思議さに須賀京太郎は戸惑っていた。
「はあ―――。もしも、もしもや。この世の中にウチを一瞬で幸福感に満たしてくれるような枕が出来たらなぁ。ウチはずっとふわふわ~っとした気分で幸せに生きられるんやけどなー」
「竜華さんの太腿で我慢しましょうよ------」
「お、何や何や、羨ましいか~、このスケベ。このこの~。残念やったな、男のアンタじゃ一生味わえん感覚やで~」
「そりゃあ羨ましいですよ!男の夢です!」
「アンタ竜華に関しては割と素直やな-----。うん、腹立たしい!ウチにももっと素直にならんかい!」
「そりゃあ-----割と素直な対応だと思いますよ」
「おーう、言ってくれるやないか。-----せや。京太郎。ベッドに座り」
「へ?」
「お座り」
「俺は犬かなんかですか!そう言って素直に聞くとでも思っているんですか―――」
そう、言葉を発した瞬間、足早に彼女はベッドに近付くとゴロリとベッドに横たわった。
----何だ、これは。
「何ですか?」
「ほれほれ。ウチを膝枕や~」
「-----あの」
「うん?」
「普通-----足を折っている側が膝枕しますか?しかも俺は男ですよ?あらゆる意味において普通は、逆ですよね」
「うん、せやね。はい、お座り。足首を固定しているんやったら、伸ばしとけば問題ナッシングや」
「普通を遵守しません?」
「ウチにとっての普通であり常識は、膝枕は常にするものじゃなくされるものや。はい、お座り。―――ウチは、明日退院や。最後のご奉仕やと思って、な?」
「--------」
※
「硬!何やこれウチ針金の枕に頭を置いているんか!」
で。
結局押し切られるまま膝枕し―――眼下で彼女は文句をブー垂れている。
そろそろ夕刻に差し掛かる昼下がり。何故こんな事になっているのだろう。不思議だなぁ。
「自分で無理矢理膝枕させといて文句言わないで下さい」
正論を並べ立てるも、しかして文句は止まらない。まさしく、理不尽。
「う~。何やこれ、ただの地獄やん--------。男は皆こんな硬いんか?」
「スポーツやってれば、皆これ位にはなるんじゃないですかね?俺なんてもう鈍り切ってるんで、まだ柔い方です」
「へー。スポーツやってたんや。意外でもないなぁ、ガタイも結構良かったし-----。何やっとったん?」
「------ハンドボール、ですね。中学までやっていました」
「へー。何で中学で----」
辞めたん、と聞こうとして―――彼女は、黙った。
京太郎は、何のアクションを起こしていない。別に表情が変わった訳じゃない。
それでも―――彼女の本能の部分。ある種、彼女のオカルトの延長線上的な部分が、警告を鳴らしたのだ。―――聞くな、と。
「-----ごめんな。そこは、ちょっと立ち入りすぎた」
割と素直に、彼女はそう言った。
「----別に、聞いてもいいんですよ」
「ええの?」
「隠す事でもないですし----。単に、肩を故障したから辞めたんです」
「------そっか」
「はい」
「-----その先、聞いてもええ?」
「先なんて、無いですよ」
その声は、少しぶっきらぼうだった。
何故だろう?―――その声は、須賀京太郎でも無意識のうちに出ていた。
―――笑いながら、言ってしまえばいいじゃないか。怪我しちゃったんです、と。表情を柔らかくして、ちょっと冗談めかして。気になる女の子に釣られて麻雀はじめたんです、とでも続けて。雰囲気をどうして硬く、冷たくするのだ。そこら辺をどうとでも出来る社交性は、十分に身に着けているはずだろう―――。
けれども。
それでも。
どうしようもなく、誤魔化せなかった。
「-----医者に、この故障はハンドを続けるなら一生ものだって言われたんです。日常生活を送る分にはリハビリで全然問題なく治るけど、スポーツをやるなら、ずっと付き合っていかなくちゃいけない、って。たった、それだけの言葉で諦めちゃったんです。だから―――その先なんて、無いんです」
諦めた人間の物語に、先なんてない。
当たり前の、話だ。
「------そんな事、ないやん」
しかし―――。
眼下の彼女は、認めてくれなかった。
「なあ、須賀君。―――辛かったやろ?」
「------」
「諦める------って事が、どれだけキツイのか、ウチは想像でしか解らん。でもな、何度も何度も想像したんや。ウチが麻雀を諦めた時、どうなるんやろうって。何が残るんやろうって。その度に胸が張り裂けそうになるんや。怖くて、恐ろしくて、その先に“何もない”事が、辛くて辛くて、仕方なかった」
「-----そう、なんですか」
「須賀君。―――何かを諦めて、その果てにある辛い思いって、情けないと思う?夢を諦めた臆病者だから、こんな苦しみを味わわされてる、って思っとる?」
「------」
言葉が、出ない。
何を言うべきかは、解っている。違う。そんな大層なモノじゃない。諦める、という事実を美化しないでくれ。そう言葉にしなくちゃいけない。
だって―――だって、眼前にいる貴女は、命を削ってまで“諦めなかった”人間じゃないか。そんな人が、決して受け入れちゃいけない事なんだ。諦める、という行為を。
でも―――それでも。
自分の中に、その言葉を否定したくない自分もまた、いるのだ。
だから、言葉が出ない。言葉が出来ているのに、出ない。
いつの間にか溢れ出した涙が、嗚咽が。言葉を形にしてくれなくて。
「そんな苦しみ------何かに必死に賭けた人間しか、持つ事が出来ないに決まっとるやん------!」
彼女の両手が、京太郎の両頬に添えられる。
しっとりとした冷たさが、やけに心地いい。
「------ごめんな。須賀君。謝る。今に思えば―――ウチの言葉は、本当に無神経やった」
「そんな事、ないです」
「それで―――。ありがとう。話を聞かせてくれて。ウチも、ようやく吹っ切れた」
彼女は、微笑む。
ゆっくりと彼の頬に流れる雫を、拭いながら。
「まだ、まだ。ウチは諦める地平にあらへん。一つの対局に、命を賭けるのはどの雀士だって同じことや。確かに、人より辛い思いをせんかもしれないけど―――それでも、ウチは卓上について、思考を巡らせて、牌を握れる。その幸せだったり、その生き甲斐だったりを、ウチは今日の今日までしんどさにかまけて忘れていた」
諦めざるをえない地平に、今自分はまだいない。
ならば、諦めてはいけない。
―――勝てない。辛い。その辛さを味わえる事と、もう二度と味わえない辛さ。
天秤にかけてどちらに傾くか―――考えるまでも無い。
「思い出させてくれたのはアンタのおかげ。ウチに話してくれて、ありがとう。―――京太郎」
そう言葉にした彼女の頬にも、涙が溢れていた。
―――その瞬間に、理解できたことがある。
この人だから、偽る事無く言えたんだ。自分の思いを。情けないと断じていた自分の苦しみを。
自分は、救ってもらいたかったのだ。
情けない思いをとことん情けないと―――そう言ってくれることを、期待してたんだ。この人は、誰よりも諦めなかった人だったから。そう言える権利がある。だから、勝手な期待を抱いていたのだ。諦めるなんて、情けない。そう言ってくれることを。
けど。
彼女が提示した救いは―――断じるではなく、受け入れる事だった。
諦める事の苦しみ。それは―――拒絶するものじゃない、と。
その様を、その存在を、―――彼女の在り方のまま、受け入れてくれたのだ。
今この瞬間を以て―――須賀京太郎の心理に、一つ灯りがともった。
それはとても暖かくて―――また、どうしようもない自分が、映し出すものであった。
それでいいんだ。それがいいのだ。―――今なら、そう思える。
だから、
「俺の方も―――ありがとうございます、怜さん」
ぐしゃぐしゃに歪んだ顔で、そう彼は一つ呟いた。
夕焼けが、ゆっくりと光を窓辺を照らしていた。
最近、ずっとリクドウを読んでいます。苗ちゃん可愛いし柳さんカッコいいし言う事ない。ただ-----諸手を上げて“是非読んで”とは言えないかなぁ。あーあ。