プロになる、という事は園城寺怜にとっては難しい選択ではなかった。
今自身を構成しているものは、間違いなく麻雀だ。これを捨てる事は、彼女にとってあり得ない選択だ。
だが―――その選択を、周囲は理解はしつつも、納得は出来なかったようだ。
プロ入りが出来るのは、彼女のオカルトのおかげだ。彼女の一巡先を読む能力が積み上げた実績―――それが評価され、プロの誘いが来ているのだ。
だが。
これから先戦わねばならない戦場は、これまで戦ってきた中でトップの実力を持つ人間が死ぬような思いで研鑽を重ね続けている場である。
―――この身体で、その世界に耐えられるのか。
止められた。
教師にも。両親にも。
高校の大会の時ですら、身を削る様にして戦っていたのだ。プロになれば、それが日常になる。毎日毎日身を削って―――そのうちに、削る身すらなくなってしまったら、どうするのかと。
大学からも推薦状が来ている。まず大学生としての生活を送って、その間に身体が治ってからでも遅くはないだろう。そういう説得も受けた。
―――けれども、何故だろう。
何故かそう言う風にしたい気持ちになれなかった。
だからこそ―――色んな人に拝み倒しながら彼女はプロ入りを果たす事になった。
そして―――その懸念は正しかった事を知る。
毎日が毎日、試合がそこにある。
日替わりに相手が変わって、その度に新たな牌譜を頭に入れねばならない。そしてその相手は、今まで相手にした事も無いような化物ばかり。
たとえば、はじめて三尋木咏と相対した時―――まさしく圧倒的な力を見せつけられた。
どんな手を尽くしてもアがられ、一巡先を見通した時には直撃を喰らわされていた。
―――一時たりとも、麻雀から逃れられない。
ああいう相手に勝たねば、プロとして生きる道は開かれないのだ。
その為には、自分は背伸びしなければならない。
背伸びとはつまり、―――オカルトを使い続けねば。
迫りくるプレッシャー。追い詰められるメンタル。酷使する自らのオカルト。日々麻雀に追い立てられる中、彼女は日を追うごとにまさしく心身共々削りに削り―――。
遂に、決壊した。
新人デビューから十五戦目。
試合が終わった後に―――彼女はふらりと意識を失ったのであった。
その時は、よく覚えている。
視界が一瞬でジャックされたかのような黒に覆われて、色んな感覚が瞬時に無くなって―――。
ああ、もう自分はこれから死ぬのかもしれないと、思ってしまった。
誰かに抱えられている感覚だけを最後に残して、彼女は楽屋までの道の中途で、倒れ伏したのであった。
※
須賀京太郎。高校三年生の春。
彼は念願の大学に合格した弾みとも言おうか。兎にも角にも高校最後の思い出作りをせんと、一つ計画を立てたのであった。
大学合格が決まった二月後半から夜間のバイトを短期集中的に入れていき、貯めた金でキャンプ道具一式を買い自転車で各地に遊び回る計画であった。
別にこれが最後の青春という訳でもないが、高校生という名の、ある種純然たる健全性を身に纏った身分がこの先強制的に没収される現実を目の当たりにして、いてもたってもいられなかった。
今まで清澄高校麻雀部部員として中々いい思いをしてきた。魔王が魔王のまま大暴れしたおかげで、部として毎年輝かんばかりの実績を積み重ねて来た。その表舞台に立つ事こそ叶わなかったが、この三年間で確かに麻雀の楽しさというものを十分に理解できたと思う。
さあしかし。自分の青春の終わりとしては中々にこれは切ないではないだろうか。
自分はこの中で何かを成し遂げたと言われれば、特に何もない。
麻雀で輝かしい活躍をした訳ではない。気になるあの子と進展は特になかった。青い春は何処までも寒々しい青のまま、曇天と共に消えていった。
これではいけない。
だから、一人で旅をする事を決めた。
思えばその時は、まさしく頭がおかしくなっていたのかもしれない。何故旅をしたのか、と問われれば、そこに見知らぬ何かがあるからだと答えていただろう。よくも解らぬ代償行為を求め、必死にバイトした挙句にキャンプグッズ一式を買いこんだのだから仕方ない。
東京の下宿先からふんふんと自転車にキャンプ道具を括り付け、彼はよく解らぬ興奮を覚えたまま走り出した。
その旅は、本来二週間の長旅になる予定だったという。
結論から言えば、一日も経たずに―――いや、一時間も経たずに終わってしまった訳であるが。
走り出したその先に突如として現れた野良猫に急ブレーキをかけた際、前輪が滑り横転し車輪を引っ掛け左足を骨折するという馬鹿な結末を迎えてしまったからである。
こうして、須賀京太郎の高校生としての青春は終わった。
ひどく霞んだ空が、担架に運ばれるその瞬間に浮かんでいた。情けない、という言葉で表しきれない程に酷い有様の彼を失笑しているかのように。
何だか、思わず涙が浮かんでしまった------。
※
「―――アンタ阿呆やなぁ。本当に阿呆やなぁ。ああ、もう本当に笑かしてもろたわ。ありがとさん」
「ほっといて下さい-------。割と本気で落ち込んでいるんです------」
搬送された病院で枕を濡らし、半開きの口のまま死んだような絶望の表情を浮かべてキュラキュラと病院を車椅子で動いていた所―――多分本気で自殺でもしないか心配したのだろうか。同じ様に入院していたらしい女の人が、声をかけた。
そしてその人は、―――昨年プロデビューした園城寺怜であった。
彼女は何やら複雑そうに「辛いことがあったん?」「話せば楽になるってのは本当やで。ウチも実際そうやったし」「だからちょっとその顔心配になるからやめーや」等必死に話しかけ、彼女の病室に連れ込み、話を聞いたのであった。
そうして病室で事の顛末を聞いた瞬間には大爆笑も大爆笑。腹を抱えて涙を溢れさせ、その果てに口に出した言葉が冒頭のそれである。
いや、そりゃあ------ねえ?
真面目な悩みかと思ったらあんな間抜けも間抜け、間もなく抜けしかない情けなさの極地のような話を聞かされちゃあ、そりゃあ笑うだろうけど、ねぇ?もう少し、女子らしいデリカシーと優しさ溢れる対応をしてくれたっていいじゃないか。
「ええやんええやん。ここでウチが“そう、辛かったんやなぁ”って憐れみと共に声をかけてみい。アンタ、もっといたたまれなくなって辛いやろ?」
「はい-------」
「若気の至り。ええこっちゃ。-------まあ、ウチもそれで入院したようなもんやし、お互いさまやな。お互いさま」
「ええ-----。プロが若気の至りですか」
「おお、そうや。若気の至りでプロに入って若気の至りで無茶しまくって若気の至りで無事入院コースや。色んな人にしこたま怒られたわ」
「は、はあ-----」
そういえば、そうだった。この人IHで何回かぶっ倒れて病院に直行してたよな-----。それはプロになっても相変わらずらしい。
「いやー、何とも同じような人間に出会えて愉快やぁ。今日はいい日や。周りにネタにできるような話が仕入れられたし」
「ちょっと!話さないで下さいよこんな事!」
「ええやんええやん。話を聞いてやった天使のような怜ちゃんに免じて笑い話のネタにするくらい許してや。ここ最近じゃ、ウチの中で一番のヒットやわ。アンタの話」
「ひどい------」
「いやー、ありがとさん。いい話を聞かせてもらって。ところで自分、名前、何て言うん?」
「え?須賀京太郎ですけど------」
「へえ、ええ名前やな。ウチは------知ってるっぽいけど、一応名乗っとくわ。園城寺怜言うんや。よろしくな」
そう楽し気に笑って、楽し気に彼女は手を差し出した。もう何だか投げやりになって、須賀京太郎もその手を握った。
「ウチは----あと一週間位は入院する事になってるから、時々でいいから話に来てやー。暇やしねー」
そうニコリと笑った彼女は、何だか生き生きとしていた。
これが、彼女と彼との出会い。
偶然の最中に起こった、愉快な邂逅であった。
ちょっと早いですが、メリークリスマス。
私は明日、一人焼肉を楽しむつもりです。ボッチ席も用意してある素敵な優しさに溢れた炭火焼肉店です。楽しみだなぁ。帰りに売れ残りのコンビニケーキと缶ビールでも買っていつものクリスマスを過ごそうと思います。ビバ、クリスマス!