雀士咲く   作:丸米

85 / 109
決断の日、そして始まりの日

竹井久と別れた後―――須賀京太郎は、久しぶりにハンドボールを手に、庭に出てみた。

空中に自らそれを投げ、ジャンプしてキャッチ。そしてぐるりと体幹を回しながらそれを壁に投げ―――れなかった。

ピリ、と電気信号のように流れる痛み。

それはまだ―――ずれた肩が完璧に元に戻っていない証拠だった。

「-------」

彼は一つ息を吐いて、そっとボールを用具箱に収めた。

さあ、受け入れろ。

現実を。

理不尽を。

お前はあの時に受け入れたんじゃない。逃げ出しただけだ。もう二度と自分がハンドボールを出来ないという現実から。

ならば、何を以て“受け入れる”事となるのだろう。

何故―――未だ消えないモヤモヤが心中にあるのだろう。

 

“須賀君が思う須賀君の価値が、須賀君の物差しでしか測れないように―――私が思う須賀君の価値も、私にしか測れないの”

 

そうなのだろうか。

今の自分の物差しが、自分を測るにもう適していないのだろうか。

なら、次はどんな物差しを用意すればいい?

どうやって、別の物差しを作ることが出来るのだろう?

 

きっと、それは―――

 

 

「その-----宮永さん」

放課後のとある日の事。

咲は、和におずおずと話しかけられた。

「うん?」

「その-----最近、体調は大丈夫ですか?」

「え?」

「ちょっと、最近お疲れのように見えるので」

和は、本当に心配そうにこちらを見つめていた。

そうなのだろうか?

自分は、疲れて見えるのだろうか?

丁度歩いている途中でトイレがあったので、鏡で自分を見てみる。

-------顔色は特に変わってはいないが、覇気がない、少しばかり陰気な顔面がそこに写しだされていた。

「ああー、確かに-----ちょっと何だか元気のない顔をしているね。ごめんね、原村さん。気を遣わせちゃって」

「いえ、いいんです。------その、気持ちは解りますので」

「ん?」

「私も、ミドルで注目されていた時、周りの視線の変化に戸惑って疲れた時があったんです。私も宮永さんも、あまり人付き合いが上手な方ではないですし、変化に対応するのも、慣れるまで疲れるのも仕方ないと思います」

「-----うん、そうだね」

そうだと思う。

全国で活躍して、それからの日々。宮永咲の周囲は妙な変化が訪れていた。

称賛の声は上がる。学校の外に行っても、時々ヒソヒソ声で噂話が聞こえてくる。

されど別に周囲が自分にすり寄ってきたり、取り込もうとしてくる―――というような、あからさまな態度の変化ではない。ただ、一つ思う事があるとすれば―――壁が一つ出来た気がするのだ。

この人は、違う世界の人なんだ。

だから自分程度の人間が喋りかけてはいけない。

そういう、空気。

以前も特段友達がいた訳ではないが、それは壁があったからではない。自分に見えない壁があり、避けられていたからだ。

だけど今は、自分が壁を作られる番なのだ。

 

―――こんな風に、感じるんだ。壁が作られるって。

 

ならば自分は友達が少ないはずだ。こんな思いを、感覚を味わわされるのならば、自分を友達にしようだなんて思う訳がないのだから。

好奇の視線は向けられる。けれども自分に何かをしてくれるわけではない。

そんな空気に、雰囲気に、ずっと晒され続けて―――少し、疲れたのかもしれない。

 

これからも、ずっとこんな感じなのだろうか。

いや、これからはもっと凄まじい重圧がかけられるのかもしれない。

だって―――これからは、勝つ事が期待されるのだから。

期待をかけられ、敗ければ失望され。

そんな周囲の空気の変化を受け入れ、飲みこみ、跳ね返さねばならないのだから。

「宮永さん―――。大丈夫です」

少し怯えの表情を見せていたのだろうか。和は、少し諭すような口調で言った。

「私もいます。優希だっています。―――一人じゃないんですから」

そう言ってニコリと笑う、和が少しだけ輝いて見えた。

彼女はこれから自分が歩むであろう道を踏破してきた人間なのだ。これ程頼りになる人間はいない。

そう。

今の自分は、一人じゃないのだから―――。

 

 

「うーん、いい天気ねぇ」

竹井久は放課後、そんな言葉を紡いだ。

隣を歩く、須賀京太郎に。

もうほぼ日常と化した放課後の通学路。夕焼けが、やたらと眩しい。

「最近寒い日がずっと続いているわね。ぽつぽつ雪も降ってきているし」

「そうですね。―――まあ、長野らしくなってきましたね」

「そうねえ。これも一年後にはなくなるのねぇ。来年から、大学生だし」

そう。

竹井久は大学推薦で東京に行くことがもう決まっており、来年からはもう長野にはいない。

「その辺も斟酌しつつ、考えてね」

「------先輩」

「うん?」

「返事、決めました」

息を飲む、音がした。

表情は、硬い。怯えるようでもあり、縋るようでもある―――複雑な表情。

須賀京太郎は―――ゆっくりと、噛みしめるように言葉を紡ぐ。

「その------是非とも、お付き合いさせて頂ければ、嬉しいです」

その台詞を聞いた瞬間―――竹井久は、

「ちょ、ちょっと、近くの公園に行かない?」

と慌てたように誘ったのでした。

 

 

「その-----私としては、今すぐ貴方に抱き付いてキスしちゃいたいくらい心が躍っている訳なんだけど-----。ほ、ほら、須賀君だって私が告白したとき理由を聞いたじゃない。な、ならちょっと私も聞いていいかしら?」

彼女は明らかに狼狽した様子で、そんな風にまくし立てた。

余裕綽々で飄々した態度でこちらにアプローチを仕掛けてきた先輩とは思えない余裕の無さだ。

何だかそれがおかしくて―――須賀京太郎は、思わず笑ってしまった。

「な、なによぅ。笑わなくてもいいじゃない」

「いや、だって----。先輩、可愛いんですもん」

「う------ぁ------」

餌を投げ込まれた金魚のように口をパクパクさせながら、竹井久はその顔を真っ赤に染めた。

本当に―――ちょっとでも自分のペースが乱されたり、緊張する場面になると一気に乙女になるんだなぁ、と思ってしまう。隙は少ないけど、少ないが故に致命的というか。本当に、面白くて可愛い人だと感じてしまう。

「その------前、先輩が言ってたじゃないですか。人によって、物差しが違うって」

「う、うん」

「俺は―――今、自分を測る物差しが、解らないんです。何もないように、思えてしまっているんです」

「-------」

「それに気づいて、俺は部活を止めようと思ってしまったんです。皆が、ちゃんと自分を持ってやっているのに、自分は何をしているんだろうって。過去に未練タラタラで、そのくせ女の子目当ての軽い動機で部活に入って、だけど皆一生懸命で------。自分が、本当にどうしようもない奴に、思ってしまったんです」

「うん------」

「けど、そのままだと駄目な気がしたんです。今の自分を受け入れられないままで、未練を引き摺ったままで、自分がこれから何をするべきかを見て見ぬフリをし続けて、そのままずっと過ごしていく事が。今の自分は本当に情けないけど------それでも、その情けない自分を受け入れられないままにしておく方が、もっと情けないって思ってしまったんです」

「そう----なのね」

「はい。だから―――その、情けないままの自分を、それでも好きでいてくれる人がいてくれているんだって思って。辞めようとしたときも、大会が終わった後も、ずっと自分を見てくれて、身体を張って逃げようとしている自分を止めてくれて。そんな先輩とだったら、もしかしたらって思ってしまったんです」

須賀京太郎は、待ってほしいと言っていた。

胸のモヤモヤが晴れるまで待ってほしいと。

 

けど、それでは駄目なのだと気付いた。

そのモヤモヤは自分がどうこうして、どうにかなる話ではない。

誰かと一緒に、自分の物差しを見つける事で消えるモノなのだ。

「だから―――。先輩。俺は先輩が好きです。大好きです。色々な事に気付かせてくれた先輩は、本当に、俺にとって大切な人なんです。それが、理由です」

そう答えた瞬間―――竹井久は、おずおずと腕を握って来た。

今までぐいぐい来ていた人と同一人物とは思えぬ程に―――何処か子犬じみた表情を見せている。

「も、もう撤回は無理だからね?」

「はい」

「遠距離恋愛も付き合ってもらうからね?」

「覚悟してます」

「------本当に、夢じゃない?」

「はい」

そうして彼女は―――涙を溜め込みながら上目づかいに京太郎を見つめる。

 

夕焼けに染まる空が、徐々に月光に移り変わって行く。

伸びていた影が徐々に狭く、小さくなり―――そして、重なった。




アルマーニ(全身9万円)を標準服に指定した公立小学校があるらしい。こっちは23になってもユニクロとしまむらとお下がりの三枚看板(全身三千円)が標準だというのに。やっぱり東京は住んでる世界が違うのだなぁ、と田舎者は思うばかり。にしても9万円って----。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。