その後の積極性と言えば、まさしく情熱的と言っても過言ではなかった。
例えば昼休み。学食へ向かおうとする須賀京太郎を廊下で捕まえ、そのまま学食まで連れて行きお手製の弁当を手渡す事が日常となった。例えば放課後。部活の間は付きっ切りで麻雀を教え込んだ後に一緒に帰宅するようになった。例えば休日。毎度のように遊びの誘いが来るようになった。
学生議長かつ元麻雀部の部長が後輩にお熱であるという事実は、瞬く間に周囲に伝わって行った。
周囲の冷やかしを涼やかにいなす久とは対照的に―――須賀京太郎は今まさしく激動の中に存在しているかの如き感覚を味わっていた。
周囲からの視線だとか、冷やかしだとか。例えば呆れるような視線であったり、ヒソヒソと噂する様な声だったりとか、時々殺意混じりの情念を向けられたりとか。
―――ええ----。
困惑の中に、彼はいた。
全てが唐突過ぎたのだ。前兆も何もあったものじゃない。
実の所―――全てに前兆があり、因果関係があり、現状が存在するのであるが、鈍い彼にはそれが理解できていなかったのだ。
これが、一ヵ月。
耐えられるのだろうか―――そんな思いが、彼の中に生まれていった。
※
「-------どういう事だじぇー」
「-------うん。言いたい事は解るが、取り敢えず睨むのを止めてくれ、タコス」
「犬!どういう事だじぇ!何で部長がお前に熱を上げてるんだ!」
清澄高校麻雀部部室内。椅子に座る須賀京太郎の肩をがっしりと掴みながら、片岡優希は上下左右にぐわんぐわんと京太郎を回していた。
「何でって言われても------いや、まあ。あと、もう部長じゃないぞ」
「歯切れがわるいじぇ!何があったかこの優希様に言ってみろ!」
「いや、そんな事言われてもなぁ」
本当に、全てが全て唐突だったのだから仕方がない。何かコメントをしろと言われても、その全てが的外れな気がしてならないのだ。
「あら、優希。色々聞きたいならどうぞ聞いてくれて構わないわよ」
扉が開く音と共に、そんな声が部室に響く。
「ぶ、部長!」
「もう。部長はもうまこでしょ?私の事は久と呼びなさい」
「だ、だったら聞くじぇ!何でこの犬に-----」
「貴女と一緒よ、貴女と。好きだから構って欲しいのよ、私も」
「な----!そ、そんな事ないじぇ!名誉棄損だじょ!」
キーキーと喚くタコスを、あらあらと宥める久。
------助かった。助かったけれども、結局後に引くタイプの助かり方だ。
多分、わざとそういう風に仕向けたのだろうなぁ、などと思いながらその光景を眺めていると―――。
「-----京ちゃん」
そこに、変わる様に咲が現れた。
「ん?どした?」
「どした、じゃないよ。―――どうなってるの、アレ?」
「うーん。俺もちょっと、戸惑い中なんだ。うん」
「------そう、なんだ」
言葉尻に行くにつれて、沈むような調子の声。
あれ、と思った。
会話をしているようで、出来ていない。違和感が、今のやり取りの間に感じられた。それは、文脈と言うよりも―――その様子だとか、言葉尻に込められた感情だとか。冷やかすようでも、呆れるでもない―――今まで、感じた事の無い、咲の声音。
今の会話に、不自然な色を感じたのは、何も京太郎だけではなかった。
咲もまた、そう思ったのだろうか。―――彼女は繕うように笑顔を見せて、そのままバシバシと肩を叩き始めた。
「よかったじゃん、京ちゃん。長い冬を超えて、ようやく、ようやく、今春を迎えようとしているんだよ」
「な-----。くそ、ずっと冬真っ盛りなのはお前もじゃねーか!」
「べーっだ。いいもん、私は。どうせずっと本しか友達がいなかった人間だしー」
この一瞬で、いつもの感じを取り戻せた。
―――ああ、よかった。いつもの咲だ。
さっきの違和感は、ただの考えすぎだ。そう自分の中で決着をつけて、須賀京太郎はほっと一息ついた。
※
何だ。
何なのだ、さっきの声は。
何をそんなに、残念そうな声を上げているんだ。
いいじゃないか。幼馴染がようやく報われそうになっているんじゃないか。ハンドボールを諦めて、それでも気丈に振る舞い続けた人のいい彼が、今ようやく何かを手にしようとしているんじゃないか。
自分だって、そうだ。麻雀でいっぱい手に入れたじゃないか。報われたじゃないか。まだ姉とは和解は出来ていないかもしれない。それでも、それでも、麻雀を通して自分を伝えられた。そして素敵なお友達だって出来たじゃないか。
他に、何を望むのだ。
何を―――。
「-------」
―――けれども、思う事もある。
姉に拒絶された瞬間。胸が張り裂けそうな気分になった。
もしもだ。
今自分が大事にしている友達が、その全員に拒絶されたなら。
どうなるのだろう?
もしくは、その関係性が変わった瞬間―――どうなるのだろう?
それを思う度に、怖かった。
友情は固いものだ。そう理解は出来ている。でも―――一度崩れたら、容易に作り直す事なんざ出来ない事も、また本能の部分で理解している。
「-------」
変わらないもの。
そんなものはきっとない。
先輩だって、もう半年すればいなくなる。そして自分も後輩が出来るようになる。その時自分は、今のままの自分で入れるのだろうか。
頼りなくて、コミュ障で、―――だけど、その自分を変えていかないといけない。それが、全国の舞台を再度目指す自分の責務だろうから。
変わらないもの―――それは自分もまた、持っていない。自分だって変わって行く。
その事実が―――何となく。
「怖い------」
想像するだけで、怖い。怖いのだ。
想像でさえ怖いのならば―――それが現実となった時、どれだけ怖い思いをするのだろう?
その時を思って、一つ身震いした。
※
日曜日。
その日は、彼は彼女からのお誘いを受けなかった。
あの告白から二週間。その間に祝日もはさんで三度休日を迎え、そのどれもが彼女のデートに使われた。
とはいうものの、実に経済的なデートであった。一緒に食事するか、お茶を飲む以外に出費は嵩まなかった。そして、代金は絶対に折半だと彼女は譲らなかった。
残りは、ぶらりと街に出掛けるか、公園を歩き回ったりと、何とも田舎の学生らしいお出かけといった風情であった。
「私の家、離婚しているから。お金の大切さは、普通よりかは知っているつもりよ。------一緒に暮らしている訳でもないのに、養育費だって貰っている訳だし。だから、もし仮に付き合ったとしてもお金はちゃんと払わせてね?」
「------はい」
「ふふ。今の“はい”は付き合ったとしても、の部分も含めてかしら?」
「あ、いや----」
「うんうん。やっぱり須賀君は可愛いわー。えいえい」
「あ、ちょっと、近い、近いです」
ぐいぐいと久は京太郎の腕に寄りかかる。
丁度いい位置を見つけたのか、腕を絡ませ落ち着くと、ほっと一息彼女はつく。
「------ね、須賀君」
「は、はい」
「ちょっとは、本気なの伝わったかしら?」
「------はい」
「うん。だったら、よかった。------自己評価の低い子は、まず実感させることが重要だと思うの。自分は、本当に感情を向けられているんだって。“そんな訳無い”“そんな風に思われている訳がない”って思いを消させること―――それが、きっと重要なんだと思うの」
「------そう、ですか。俺、そんなに自己評価低い奴に見えました?」
「うん。------それはね、貴方の責任じゃない。麻雀部部長としての私は、貴方を軽んじていたもの。特に私からの評価なんてきっと低いんだろうなって思われても仕方ないと思う」
「------」
「だから―――まずそこから“思い”そして“知らせる”事が重要だと思ったの。思い知らせる―――私の気持ち、思い知ったかしら」
「------はい」
そう、と彼女は一つ呟く。
「なら今度は、―――ちゃんと、私の事を考えてね」
そう、笑った。
「私が、貴方のこの先の人生に、ちょっとした花を添えるに足りる女かどうか。ちゃんと見極めて、そして答えを出して頂戴。いつでも、待っているから。知りたい事も、全部教えるから。―――で、私は絶対にあきらめないから」
宣言じみた声を、彼女はゆっくりと呟いていく。
何故、と問うのはもう無粋なのだろう。
きっとこの人は、自分の事を好きでいてくれているんだ。
それはきっと事実で、逃げちゃいけない部分なのだろう。
それでも、まだ何かしこりが心中にある。
まだ、自罰的に自分の心を制限する何者かが存在している。
その心の迷いを見透かすように―――彼女は、笑った。
いつでも、待っている。
知りたい事も、教えてくれる。
ならば―――この心のしこりが無くなるまで、彼女は待ってくれるのだろうか。この正体を彼女は教えてくれるのだろうか。
そんな―――ある種の甘えが、彼の心中に少しだけ溢れ出た。
左折が出来ない。以上。もう何か駄目かも解らんね-----。頑張ります。