風邪は、一週間ほどで治った。
二人の後輩の献身的な看病によって、無事彼女の体調は元通りになった。
―――何か、お礼しなくちゃ。
彼女はごく自然にそう思ったものの―――別の事にも、また頭を抱えていた。
ごくごく、単純な事だ。
------今更、どんな顔をして部室に戻ればいいのだろう。
勝手な感情に振り回されて、あろうことか自分を必死に庇ってくれた後輩を突き放す様に逃げ出して。その果てに雨に打たれて風邪をひいて。そんな自分を、他の部員はどんな目で見ていたのだろう。
最低だ。最悪だ。
本当に―――何処までも自分勝手極まる女だ。こんな自分勝手な都合で体調を崩した自分に、失望しない訳はない。
責められるかもしれない。もしかすれば、キャプテンを辞めろと言われるかもしれない。
もしそう言われるのならば、甘んじて受け入れようと彼女は思った。
講義を終え、彼女は部室へと向かう。
どうなるであろうか―――?
生温かい憐れみの視線であろうか?それとも失望の目付きであろうか?それとも純然な怒りであろうか?
生唾を飲み込み、一息つき、悪いイメージを一先ず消すと―――ドアを開いた。
パン、という大きく乾いた音がした。
ドアを開いた瞬間、その音と共に紙吹雪が見えた。
紙吹雪の先には―――クラッカーを構える、部員たちの姿があった。
「キャプテン!お待ちしておりましたー!」
その声の背後から、またクラッカーが打ち鳴らされていく。
紙吹雪が頭上に落ちていく様を呆けた顔で眺めた後、福路美穂子は辺りを見渡した。
「え----?」
見渡すと、部室の中心に座する雀卓は端にのけられ、そこには机を横並べした疑似的なテーブルがあった。その上には、何処かから出前でも取ったのだろうか。唐揚げやポテトサラダといった惣菜がひしめくように置いてあった。
状況が読めず混乱する美穂子に、池田が耳打ちした。
「キャプテン。今日、新入生歓迎会の日ですよ」
「え-----?」
それは、確か二日前だったはずだ。何せ二週間前に、自ら居酒屋チェーンで予約を取っていたはずなのだから。
「キャンセルしました。―――やっぱり、キャプテンがいないとまとまりが無いですし」
「そうそう。キャプテンいないのに居酒屋なんか行ったらどうなるって話ですよ。酔い潰れた馬鹿共を誰が介抱するってんですか。嫌ですよ私は」
「介抱される側は間違いなく池田だな。悪酔いして後輩(同級生)にめんどい絡みしてゲロ吐くまでがワンセット」
「今関係ないし!それに、そんな情けない事カナちゃんはしないし!」
ゲラゲラゲラ。部室には何やら愉快な笑い声が響き渡る。
「まあ、そう言う訳で。新入生歓迎会はキャプテンの体調が戻ったら、もういっそのこと部室でやっちゃいましょうという事になりまして」
「今はアルハラなんか問題になってますしねー。流石にこっちとしても池田を人殺しにしたくないんです」
「だーかーらー、そんな事しないし!つーか、まだカナちゃんだってお酒飲める年齢じゃないし!」
「今日部活に復帰するって須賀に聞いたんで、そのまま出前たくさん取ってジュースで乾杯しようぜ、って事で―――ってな訳で、キャプテンお帰りー」
わははははは。笑い声が木霊する部室の中、お帰りの声が幾つか響き渡った。
―――聡い彼女も、状況を理解するのに少しだけ時間がかかった。
マイナスな事ばかり考えていた思考と180度違う光景に、まだ追いついていないのだ。
そんな様子の美穂子に、池田は更に言う。
「皆、待ってたんです。キャプテン」
ニッ、と笑いながら池田は更に続ける。
「だから、一緒に楽しみましょうよ」
彼女は、その言葉と共に―――周囲を見渡す。
誰も彼もが、こちらに笑みを向けていた。
同情ではない。
心の底から―――自分の復帰を、喜んでくれている。
その笑みに含まれる意味を、理解できない程彼女は鈍くない。
彼女は、ごめんなさい、と一つ前置きの様に言った。
そして、
―――ありがとう、と咲き誇る様な笑顔で続けるのでした。
※
そして、気付いた。
「―――あの、須賀君は?」
そうポツリと呟くと、部員の一人がああ、と答える。
「手伝うだけ手伝って、サッと消えていきました。さすがに部外者は参加できない、って」
―――部外者。
部外者、なのだろうか。そんな疑問が美穂子の中に生まれ、そして―――瞬時に解答が出た。
「ちょっと、ごめんなさい」
彼女は一つ断りを入れると、部室の外に出た。
「えっと----」
福路美穂子は―――慣れないスマホをポチポチ押しながら、部室の前の廊下で右往左往していた。
「えっと---ここに、タップすればいいのね?あ、あれ、反応しないわ。何か間違っているのかしら。ここのホームボタンを押して----音声コントロール?んん----?」
ポチポチとスマホを押す度に、何か別の画面に切り替わる。圧倒的デジタル弱者である福路美穂子は、スマホを前に何も出来ず立ち尽くしていた。
はあ、と一つ溜息交じりに―――眼前に、ピンクのスマホが渡される。
「あ、カナ-----?」
「須賀に繋いでますから、呼んであげてください」
そう言われ、顔を真っ赤にしながら美穂子は礼を言い、スマホを耳元へと持っていく。ピルルルという無機質な音が、淡々と鳴り響いて―――切り替わる。
すると―――
「何ですか池田さん。まーた何か買いだし忘れですか?それともダブり談義ですか?言っておきますけどね―――」
純然たる悪態が、第一声に飛んできた。心底から呆れた様な声音だ。今まで聞いた事の無いような声に、少しだけ驚いてしまう。
「あ、もしもし。須賀君?」
「え―――?ふ、福路さん!?あー、すみませんすみません!」
彼はすぐに声音を切り替え、慌ててそう謝罪した。その様が、何だかおかしくて、思わず笑みを浮かべてしまう。
「ふふ、いいの。カナと仲がいいのね」
「え、ええ。そりゃあまあ、同級生(笑)ですから。あ、先輩に仲がいいなんてくれぐれも言わないで下さいね。蹴りが飛んできますから」
「ええ、解ったわ。―――ところで、今須賀君はどうしているの?」
「え?今生協にいますけど-----」
「あ、じゃあ丁度良かった。今部内で歓迎会やっているから、須賀君も来ないかしら?」
「あ、はい。それは知っているんですけど。流石に部外者の俺が参加する訳にはいかないので---」
「―――部外者?須賀君は、部外者なの?」
福路美穂子は、声のトーンを落とし、そう言った。―――意識的に、そうした。
「あ、いや、その」
その声音だけで、彼は明らかに狼狽していた。そうだ。この人に“部外者”という言葉を発して、否定されない訳がない。
「須賀君が部外者なら、この歓迎会の準備に何も関わっていない私なんてもっと部外者よ。―――須賀君が参加しないのなら、私だって参加する資格なんてないわ」
「------」
「お願い。来てくれる?」
「------はい」
彼女は空いた左手でグッと拳を握りながら、ニコリと笑う。
「じゃあ、待っているわ。来てね?」
ピ、と通話を切り―――気付いた。
このスマホは池田から借りているものであり、つまりはその一部始終―――喋っている様子や、思わず左拳でガッツポーズを作ってしまった事も―――見られている訳で。
ニヤニヤと、珍しく敬愛する先輩に底意地悪そうな笑みを浮かべながらこちらを見やる池田に、更に顔を赤らめてしまう。
「あ、あの----これ、ありがとう」
「どういたしましてだし!」
スマホを返却されると、彼女は悪戯を終えた猫の如き勢いを以て部室へと戻っていく。
-----からかわれちゃうかなぁ。
顔まで真っ赤、ついでに涙まで浮かべて彼女はおそるおそる、部室へと戻る。
しかし―――どうしても零れるニヤケ顔だけは、どうにもならなかった。
横浜CSファイナル突破記念。ついでに櫻井周斗君横浜指名記念。大ファンだったからとても嬉しい。ばんじゃーい。