献身と、感謝と、罪悪感と
福路美穂子は、基本的に誰かから嫌われる事が少ない人間だ。
それは、彼女自身が誰かを嫌う事が全く無い事に起因する。
簡単な話だ。自身に対し純粋な善意を向けてくれる相手を、嫌う事は少ない。誰であれ拒絶しない彼女を、わざわざ拒絶する理由は無い。
福路美穂子は、とても頼られる事が多い人間だ。
それはもっと簡単な話だ。彼女自身が人に頼られる事を喜びとする人間であるから。
誰かに頼られる事が嬉しい。誰かの為に何かをやっている事が嬉しい。彼女にとってその思考と感情の結びつきは、ごくごく自然なものであった。
いつだってそうだった。誰かの為の自分でありたかった。誰かが傷ついている姿を見る事が耐えられなかった。誰かが困っている姿を放置できなかった。彼女はそういう在り方なのだ。
誰かの為の自分。
そうしてずっと生きてきた。
―――けれど。
どうして、そういう在り方になってしまったのか―――そう問いかけてみた。
解らなかった―――という事にした。
だから、見て見ぬフリをしていた。
でも、本当は解っているのだと思う。
見たくないモノは、目を閉じて、見ない。
彼女の在り方は、そういうモノでもあったのだ。
※
大学に進学した後も、福路美穂子の立ち位置は変わる事なかった。
三回生に入ると同時に、麻雀部のキャップテンに就任。しっかりものでいて慈母の如き優しさを持つ彼女は、まるで当然の事の様に皆が皆彼女を推薦をし、キャプテンとなったのであった。
三回生となり、三ヵ月が過ぎた。
元気のいい一年生が多く入り―――何とかつての後輩であった池田華菜まで加入し(麻雀の特待頼みだったが当てが外れて浪人したらしい)、とても部が賑やかになった。
入って来た一年生は、皆とてもいい後輩達だ。生意気な子もいるけれども、それすらも福路美穂子は可愛らしいと思えた。この中には、プロにかからずこちらに来た一年生もいる。そういう人は、一つでも上に這い上がろうと目をぎらつかせている子だって、いる。
その子は、きっと悪くない。
けれども、そのままにしておくと何処かで壁が出来てしまう。
そういう風にしたくない。折角色々な縁を辿って同じ仲間が出来たのだから、独りになってほしくない。
そういう思いで、彼女は後輩であろうと気さくに話しかけていた。
努力の甲斐があってだろうか。現在麻雀部においては衝突が起こる事無く無事過ごせている。
とても上手くいっていると思う。
そう、とても。
―――ただ。
ちょっとだけ、困り事がある。
それは―――。
※
「ねぇ、池田さん」
「なんだし、須賀」
「------いや、この辺で一つ真面目に言っておかないといけない気がして」
「断るし」
「まだ何も言ってないですよねぇ!」
「お前からの愛の告白なんて気持ち悪くて吐き気がする。前もってお断りするし!」
「あの、すみません、先輩ですけど同学年なんではっきり言わせてもらいますけど------い・ら・ねー!!」
「なにおう!何がいらないだって!?それと堂々と“先輩だけど同学年”なんてはっきり言うなし!浪人した事ばれるじゃないか!」
「もうこの空間にいる誰もが知っている事なので別にどうでもいいでしょーが!そうじゃなくて、何で毎度毎度俺がここに呼びだされるんですか!」
大学、麻雀部部室内。
そこには、池田によって無理矢理に麻雀部に連れてこられた須賀京太郎の姿があった。
「須賀。ここは女子麻雀部だし」
「おう」
「つまりは、女しかいない。解るな?」
「池田さんじゃないんで、流石に解ります」
足の甲を踏まれる。割と痛い。
「麻雀部は意外に買い出し要員がいるし、雀卓の整備だって必要だし」
「はい」
「そしてお前は栄光の清澄麻雀部のパシ―――マネージャーだったという功績があるし」
「おい。今パシリって言いかけただろ。そしてマネージャーじゃねーよ!」
「何だっていいし!なのでお前を部公認のパシリとして池田華菜ちゃんが任命するし!」
「勝手にすんじゃねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
という経緯があり―――須賀京太郎は大学麻雀部マネージャー(非常勤)に無事任命された。
ここに至る以前にも、原因があった。
それは、キャップテン福路美穂子の負担があまりにも大きかったからだ。
彼女は今まで率先して全てを行ってきた。部内の調整、後輩のフォロー、合宿や新歓の幹事、そして部での雑用。
それら全て彼女一人でまかなってきたのだ。
当然、その中で―――特に池田華菜なんかが―――それらの手伝いをしようとしたけれども、決まってこう返答を返されてしまう。
「いいの。皆の練習時間、とりたくないもの」
そう本当に心の底から思っているのだろう。手伝いを申し出た所でそう言われ断られてしまう。
ならば、仕方ない。麻雀部の人間を使うのが駄目ならば、外部の手伝いを呼ぶしかあるまい。
そういう訳で―――須賀京太郎が呼び出されたのでした。まる。
「こらこら、カナ。駄目でしょ。無理矢理関係ない人を呼んじゃったら」
「う----け、けどキャプテン-----」
「けどじゃないの。―――私は大丈夫だから、心配しなくていいの」
「------」
「あら?そう言えば、貴方は清澄の------」
「あ、はい。お久しぶりです。福路さん」
「はい、お久しぶりです。ごめんなさい、ウチのカナが失礼な事言っちゃって」
「いえいえ。アレはもう、なんか様式みたいなものですから----」
「ふふ。仲がいいのね。でもね、須賀君。私は大丈夫だから、貴方も心配しないでね」
ニコリと笑って、彼女はそう言い切った。
その顔は―――本当に「心配いらないから」と心の底から言っている気がした。
須賀京太郎は、知っている。
そういう風な顔をしている人間ほど、無理をするのだと。そして、無理をしている事すら、気付かないのだと。
思わず、言ってしまった。
「いえ、―――すみません。俺、やります」
え、と彼女は声を上げた。
「さっきはああいう風に言いましたけど-----その、時々になりますけど、それでもやっぱり手伝いたいので。どうか、手伝わせてください」
ここで「手伝います」ではなく「手伝わせてください」と咄嗟に言える辺り、もう彼女の性質を彼は理解したのだろう。彼女は、お願いの形をとられるととても弱い。
彼女は―――力無く、頷いた。
そうする他、無かった。
※
それからだ。
ちょっとした困り事が、彼女に生まれてしまったのは。
須賀京太郎。大学一年生。二つ年下の後輩。
彼は、一言でいえばとてもいい子だった。
時々と言いながらも、彼は雑事が必要になればすぐにかけつけてくれた。事前に池田華菜が打ち合わせているのだろう。必要になれば、すぐに彼は手伝ってくれた。思いやりもあり、妙な人懐っこさもあり、彼はすぐに麻雀部の面々と打ち解けた。
―――ただ、一人を除いて。
「あ、福路さん。これ、買ってきました」
「------うん。いつもありがとう。須賀君」
「は、はい」
ニコリと笑って、そう返答する。
けれども―――多分、彼も解っているのだと思う。
そのかける言葉に、少しだけ壁がある事を。
遠慮しいしいというか、何というか。ありがとう、という言葉なのに、何故だかごめんなさいと謝っているような口調なのだ。
彼のおかげで、福路美穂子は自分の練習時間を増やすことが出来た。それはとても喜ばしい事だ。そろそろ夏の大会だって近い。自分のクオリティを落とす訳にはいかない。
なのにだ。なのに、胸の内にちょっとしたモヤモヤがある。
―――いや、なのに、ではなく、これは故に、が正しいのかもしれない。
今自分は確実に利しているのだ。他者の手伝いによって。その事に、半端ではない罪悪感を感じている。
―――感謝、しなくちゃ。
なのに、何故自分の胸はこんなにも陰が差し込むのだろう。
その理由を探そうとして、少しずつ考え、思う事は―――こんな事だった。
―――私、嫌な女だなぁ。
そう、思ってしまった。
このお話は、悩める乙女の物語。たったそれだけのお話である。