夏はいまだに続いている。
湿気を伴ったじめじめした夏は実に気持ち悪い。もやがかかった様な蜃気楼が見える度、コンクリと群衆が生み出すもわもわした熱気を自覚する。これは東北では滅多に味わえない感覚だ。
ダルい。
本当にダルい
「------ダルい」
「もう何度目ですかその台詞-------」
須賀京太郎の部屋の中、本日何度目かも解らぬ台詞を吐く。
「大体、こんなにクーラーが効いた部屋でなんでそんなに暑そうなんですか」
「違う。今が暑いんじゃない。ただ、この後どうしても外に出なければいけない未来をダルがっているだけ-----」
「未来を悲観する事も、それはそれでダルくないですか-----?」
「ダルい------」
そう。何もかも悪いのはこの季節だ。全てが全て、ダルい方向へと自らの思考を追いかけていく。
「-----講義、サボろうかなぁ」
「またそんな事言う----留年したらもっとダルい事になりますよ」
「代わりに出てノートとって来てよ、京太郎」
「嫌です-----」
「恋人でしょ?」
「貴女にとって、恋人って何なんですかね-----?」
「----ダルい」
「このタイミングでそれを言うの止めてくれませんか------?恋人がダルいの代名詞みたいになっているじゃないですか」
呆れたように京太郎はシロを眺める。京太郎も、シロも、互いが互いに染まる気はないらしい。
「ほら、あと一カ月もすれば夏休みですよ。楽しい事いっぱいできるじゃないですか」
「---そうだね、ずっと寝ていられる-----ずっとゴロゴロできる----ああ、いいなぁ」
「あの、俺達本当に恋人なんですよね?」
「うん」
「一緒に出掛ける気なしですか!?」
「いいじゃん。ずっと一緒にいれば。こんな暑い中歩き回るなんて文明人がやることじゃない」
「いやいや、思い出!メモリー!ひと夏のアバンチュールを恋人と過ごそうって発想は無いんですか!そんな殺生な!」
「以前、宮守で行ったけど、水着着るのダルいし、日焼けもダルいし、もういいかなって-----」
「水着見たいです!」
「いいじゃん。どうせその内私の裸も見る事になるだろうし------」
「それとは別ですよぅ。それに、女の子がそういう事を軽々しく言わない」
「ダルい-------京太郎は面倒くさいなぁ」
「ええ-----?」
この恋人も中々大変だ、と京太郎は思う。ホント、梃子でも動かない人だ。非活動である事にここまで全力を注げる人を見た事が無い。きっとこの人の先祖はナマケモノから進化してきたに違いない。まず間違いないだろう。
「それに、お盆休みは互いに実家に帰るでしょ?折角だったら、それまで思い切り楽しみましょうよ」
「-----あ」
ここで、はじめて彼女の表情が動いた。
「俺も一旦何処かのタイミングで実家に帰らなくちゃいけないし、暫く会えなくなるかもしれませんし、それまでに何かこう、一緒に遊びましょうよ」
----そうか。お互い、何処かで帰郷しなければいけないんだった。
多分宮守の皆も、一緒にまた集まる事を楽しみにしているだろうし、帰らない訳にはいかないし、そうしたくない。
「------」
でも。
やっぱり、離れたくないなぁ―――そんな乙女な感情が彼女の思考に挟み込まれる。
「いつ帰るの?」
「え---まあ、バイトとかの兼ね合いもボチボチみつつですけど、まだ未定ですね----」
「決まったら、私に言って」
「へ?」
「いい?」
「え、まあ、はい。そりゃあシロさんには伝えますよ。勿論」
「よろしい」
そう彼女は短く言い切ると、そのままごろりと京太郎に背を向けた。
------この表情を見られる訳にはいかなかったから。きっと、自分でも形容しがたい、何と形容すればいいか解らない複雑な顔をしていたであろうから。
「それで-----海は、山は-----」
「ダルい」
※
それから、大学はテスト期間に入った。
二人は図書館に入り浸りながらゆるやかに勉強をしていた。そうしている理由は単純で、家の中よりかは図書館の方が(相対的に)シロがだらけないからである。
とはいえ、彼女はダルがりではあるがとても効率がいい。
京太郎が入手してきた過去問を頭に入れ、傾向を分析し、それに絞って対策をする。まるで流れるようにその行動をひたすらに続け、電池が切れると机に突っ伏して眠る。本当に、楽をする為の努力はとことん惜しまない人だ。
------その様子を眺め、ちょっとだけペンの動きを止める。
無防備に突っ伏すその姿に、何だか不思議な感覚が湧き起こる。
その感情は何に分類されるのか、ちょっと解らない。何せ、人生はじめての彼女だ。彼女と出会ってほんの数ヶ月で色々とはじめてな事に向き合わねばならなかった。それは自分の感情も同じ事だった。----持て余し気味なその感情の処理に、最近ちょっとだけ処理に困っている。
今日も、そのよく解らない感情に突き動かされてしまう。
何となく。何となくだ。彼女の豊かで癖のある銀髪にそっと手を添えた。
まるで壊れ物に触れるように、そっと。
何故だか、こうしたくなった。
「------ん」
むくりと、彼女は少しだけ頭を起こす。-----別に怒られる訳ではないのだろうけど、何となく頭に自分の手を置いている状況に気後れしてしまう。
「あ、すみません。起こしましたか?」
「-----ううん。もう一度寝るから。このままお願い」
「え?」
そう言うと彼女はもう一度突っ伏す。
すぅすぅと寝息を立てながら、彼女は再度眠りに落ちた。
「-------」
何だかいたたまれない気分のまま、また頭を撫でていく。
-----少しだけ気付いた事がある。
この人は、何とずるい人なのだろう、と。
こんなにも世話を焼いていて、こんなにも甘やかしていて、それでも彼女の立ち位置はどこまでも姉なのだ。
年上だから、というだけでは説明できない何かがある。両者は世話を焼いて焼かれての関係なのに、何故だか弟と姉の関係に落ち着いてしまう。
それはきっとこの人の、何だかよくわからない魔力なのだと思う。
何処までも甘えきっているようで、けどいつの間にか他者の心の芯の部分にするりと入っていく。
そして、―――結局の所、肝心な所で一番甘えてしまっているのは甘やかしている自分なのだと自覚させてしまう。
-----正直、不思議だったんだよなぁ。
こんな怠けきった人が宮守を率いていたのか。
けど、今なら解る。この人は何も考えていないようでちゃんと人の事を見ているし、人に何処までも甘えているようで一番根幹の部分で人を支えている。
そういう部分を一切見せない。飾り立てる事もしない。本来のまま生きて、本来のままこういう風に在れる人で。子供のようでいて、一番大人な人なのだと、理解できてしまった。
だから、何となくこうして頭を撫でたくなってしまったのかもしれない。
何だか甘やかしたくなるのだ。
ゆっくりとその頭を撫でながらそんな考えに耽っていると―――時間が思った以上に過ぎていたようで。
「シロさん。起きましょう」
「んん------?」
「そろそろ勉強再開です。充電できたでしょう」
「ダルい-----」
「ダルくてもやるんです。ほら」
「はいはい------京太郎は厳しいなぁ」
「まーたそんな事言って。今一番貴女を甘やかしているのは間違いなく俺ですからね」
「まだ足りない------もう何だったら私の代わりにテスト受けてよ。何となく雰囲気似てるからいけるかも-----?」
「いけません」
何というか。こんなダラッとした日々がこれからも続いていくのかと思うと、呆れればいいのやら笑えばいいのやら。
それでも―――少なくとも、楽しい日々ではあるなぁ、と思った。