鹿児島には幾つもの神様が祀られている。
学問の神、菅原道真や武を司るスサノオ。人でありながら勝利の神として祀られた東郷平八郎の故郷も鹿児島にある。
「だから、鹿児島は凄く縁起のいい場所なのよ」
道すがら、私はそんな事を説明していた。
勝負事の運気を高める為にわざわざ足を運んだと言う須賀君の為に。
学校の勉強とは別に、学んできた神様の諸々。
それは特段苦痛ではなかったけど、でも知っていたからといって褒められる事はない。披露する機会も無い。自分の頭の中だけで収めて、あとは仕事の時に少しだけ使うだけ。
須賀君はふんふん、としっかりと耳を傾けながら私の話を聞いていた。
それが何だか嬉しくて、ついつい饒舌になってしまう。
「あ。ごめんなさい。私ばかり話してしまって」
ついぞ十五分ばかり話し続け、ようやく自分の状態に気付いた。
会ったばかりの年下の男の子に自分の知識の披露会を始めてしまった自分の姿に。
何だか、話し相手に飢えていたような、そんな印象を与えたのではないか――そう勝手に想像して、勝手に恥ずかしがっていた。
「いえ、大丈夫です。メチャクチャ為になりました」
そうカラリと笑いかける須賀君の表情は、ウソを言っているようには見えなかった。
少しだけ、安心する。
「そう?でも、私ばかりというのも悪いわ。----そうだ、須賀君の話も聞かせてもらえないかしら?」
「え?俺の話ですか?」
「うん。でも、確かにいきなりじゃ話に困るわね。じゃあ、その、ハンドボールって何なのか教えてもらえないかしら?」
実際に、興味があった。
私はずっと箱入り娘で、外で遊ぶ機会もそれほどなかったし、そもそも積極的に外に出るタイプでも無かった(運動神経も壊滅的だった事も多分関係があるのだろう。うん。多分)
だから、本当に競技に打ち込んでいる人の話を、一度でもいいから聞いてみたいと思ったのだ。
それから須賀君は、話をしてくれた。
話し方はとても丁寧だった。ざっくりとしたルール説明から入って、身振り手振りで軽い実演も行ってくれて。どういう感覚のスポーツなのか、何となくだけど理解出来た気がした(あくまで気がした、だけど)。
「へえ。そういうスポーツなのね------。それで、鹿児島で試合があるのね」
「はい。今日はこの近くであるんです。練習試合ですけど。でも全国の常連チームで、勝てればそれだけでチームに気合いが入ってくれると思うんです」
「ああ、だから今日神社にお参りに来ていたのですね」
「はい」
「今日は練習は無いんですか?」
「実は三日前に試合がありまして、今日は休養日になっています」
あはは、と笑いながら彼は事もなげにそう話していた。
「-----ハンドボール、好きなのね」
そう、思わずぼそりと呟いた言葉に――彼は一つ頷いた。
「はい」
短い言葉だったが、それだけでも十分な気がした。
「------ハンドボール、野球や麻雀みたいにメジャーなスポーツじゃないですけど。でも、それでも、楽しいんです」
そう、彼が言うと同時、神社に辿り着いた。
※
境内に上がる。
それから彼は柄杓を手に両手を清め、賽銭を入れ、鈴を鳴らし、拍を取り、手を合わせる。
その表情は、とても真剣なものだった。
縋る様な必死さではない。
神に祈る、という儀礼的行為の中で、自分の気合を入れ直していると言うか。神に頼る、というよりも――神を前に決意表明をしている、という感じを受けた。
その表情が先程までの童顔気味な顔と殊更に違っていて――その違和感に、少しだけ、ドキリとした。
「ねえ、須賀君」
祈りを終えた須賀君に、私は声をかけた。
「はい?」
「何を祈ったの?」
何となしに、聞いてみようと思った。
思えば、私は神様に自分の事を祈った事がなかった気がする。
儀礼の中で祈りを捧げる時、私は周りの幸せを願っていた。
自分の為に祈りを捧げられるほどの熱を、私は持っていなかった。
だから。
「そりゃあもう決まっていますよ」
彼は迷いなく、言い切った。
「もっと、チームが強くなることです」
そう言って、彼は笑った。
その笑い方は、何かとデジャビュしたように思えて――そして、思い浮かんだ。
――うん。ありがとう、霞ちゃん。
そう、いつも笑いかけてくれる、あの子の笑みに。
そう、と私は言って――ちょっとだけ、彼にこの場で待ってもらうように頼み、近付いた。
その左手を軽く握り、身体の前に持っていく。
「須賀君。手を開いて」
「これは」
「私からも、一つ贈り物」
それは、お守りであった。
幼い頃自分で作って、そのままずっと身につけていた、お守り。
「折角足を運んでもらったから、私からもプレゼント。――今日は、本当にありがとう」
「え、えっと-----いいんですか?」
「ええ。-----貰ってもらえないと、拗ねちゃいますよ」
「いや!そんな事はしません!------ありがとう、ございます!」
彼は本当に素直に表情をコロコロと変えながら、頭を必死に下げてお礼を言っていた。
「俺、頑張りますから!――石戸さん、本当に――」
ありがとう、と。
何度も彼はそう口に出して、私に言葉を紡いでいた。
暫くして、彼は神社を去っていった。
私以外誰もいなくなった神社は何だか殺風景に思えた。思えたけど。――心に残る邂逅の余韻が、まだ胸の奥底に心地いリズムを刻んでいた。
私は財布を取り出して、賽銭を入れる。
そして――願い事を託す。
どうか。
どうか、あの素敵な男の子に幸があらん事を。
そう願った。
結局、その願いも自分ではなく、他人に向けてのモノだったけど。
でも――他者に向ける願いは、感謝の裏返しでもある。
私が歩んでいる道。この先にある未来。
それは私を支え続けている人達が、必死になって作ってくれたからここに存在している。
情熱、と呼べるほどのものではないかもしれない。
でも、私の心の内に――誰かを、感謝し、敬い、幸を願う心持ちが存在していて、その為に祈りを捧げる精神性が確かにそこに確立されていて。
皆の「お姉さん」は冷めた心内の裏返しなんかではなく――皆が幸せになってほしいという祈りの一部なのだと、あの男の子との出会いの中でようやく気が付く事が出来た。
だからもう一つ。
これは神様じゃなく――この先にある自分の未来へ、願いを込める。
――いつか。あの彼のように、私だけの大切なものを見つけたい。
そう願って、私は一つ微笑んだ。
※
次の日。
私は清々しい気分で仕事に励んでいた。
そこで触れ合う人達に確かな感謝を持ちながら。
――もう迷いはしない。
凄く良い気持ちだった。そのはず、だったのだけど。
その日――やけに救急車のサイレンがやけにうるさかった事だけが、ちょっとだけ気にかかっていた。
※
これが、過ぎ去った過去の記録。
一つの邂逅と、少しの切っ掛け。
ただ。
落ち葉の一つでも、静かな湖であれば、波紋を作る事も出来る。
私にとって、この出会いはそういうものだった。
停滞していた私の中に、一つの波紋を生み出してくれた――そういう出会い。
あの人にとってはどうだったのかな?
私には思い測る事は出来ないけど――それでも、あの瞬間だけは、きっとよかったものだと思ってくれていたら。
きっと私は嬉しいのだろうなぁ。
一つ、一つ記していく。
嬉しい事も。悲しい事も。
山も谷も、私という視座から見ればあまりにも小さいものだけど。でも――それでも、それでも。あの人は色々な事があった。
谷底の中で時雨に震える様な日もあった。
山から転げ落ちた事もあったのかもしれないなぁ。
けれど。
その全てを一つの道と捉える事が出来れば。
いつか左回りの時計があればなぁ、なんて思った時に。
ふと、振り返れるものがあれば――今の幸福を、少しでも思い出せるものが、そこにあってくれたら。
故に、私はここに記します。
霧が降る日々、四季結ぶ時期の中、切り抜いた一つの過去の断片を。
はじめて一人称主体のお話を書いております。
前の書き方の方がいいのであれば、じきに戻そうと思います。
畜生。------ラストイニングでもう一回満塁弾出ないかにゃー。