ポケットモンスター虹 ~A Aloofness Defiers~   作:裏腹

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Episode.08 覚める白昼夢

 大きな悲鳴が上がった。

 ハガネールが、雪、アスファルト、土を一緒くたに抉って寝転がる。巻き添えになった信号機。いいのだ、どうせ機能していない。

 ズシン、と響かせるダウンの音を、相対者(ヨノワール)は確かに聞き届けた。

 

「これで五体……あとは雑魚だけか」

 

 支部の庁舎前にて、仲間と応戦していたレイド。

 ようやっと状況の収拾が見えてくる中では、軍配が扇ぐ声もより一層の勢いを見せるというもの。

 

「エフゲニー、ラルフの班は残りを一斉に片付けろ! 早急にだ!」

 

「了解」しかしその声にすれ違う別の隊員の発話で、手が止まる。

 

「待ってください。バラル団、撤退していきます」

「尻尾巻いて、ってヤツか。まあ、鉄蛇野郎も倒れりゃ、巻く尻尾もねぇがな」

 

 続々と引き上げる救世の兵士。

 レイドは彼らを確認すると、冗談めかしてそう言った。

 ようやく一段落か。なんて考えつつも、次に向かう場所のことを、思い浮かべている。

 

「――なんだ、あれ」

 

 次ぐ妨害。

 あ? と眉間にしわを寄せて向いた先で、隊員は空を見上げていた。

 そこからさらに視線を誘導されて、最終的に眼中に広がるモノ。

 

「……あ?」

 

 それが夢か幻であれば良かったな――などと、今では、思う。

 

「ばッ、バラル団の飛行船だと!!?」

「まだ戦力があったのか!? こんな数、いつの間に……!?」

 

 でも。この地獄絵図も、険しい現状も。本当に残念ながら。疲弊の果ての虚像などではなくて。

 地獄の上は天国だと、誰が決めた?

 上がれば幸福があると、誰が言った?

「おいおい」「まだ何かあるのか」「各員備えろ」「戦える者を動員しろ」

 言いたいだけ言わせておいて。

 

「何かを、投下してるのか……?」

 

 地獄を見下すように現れた沢山の“丸”は、また別の小さな丸を、大量に生み堕としていく。

 

「人か! それとも兵器か!?」

「いいや……、ありゃあ」

 

 やがてそれらは、輝煌もろとも弾け飛び。

 

「――モンスターボールだ」

 

 土霊の巨人を、一挙に呼び寄せた。

 そうやって、有象無象を黙らせた。

 

 

 

 

 

「ゴルーグだーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!! ゴルーグが落ちてくるーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!」

 

 その存在感に、得も言われぬ悪寒を抱いている最中のことだった。

 出し抜けに聞こえた一言を「とち狂った仲間の妄言だ」と唾棄することも選択にはあったが、

 

「なんだ、これは!?」

 

 どうにもこの影は――縋り付けそうな天上の、僅かな明かりの通過すら許してくれなくて。

 次々と落ちて開くモンスターボールが発する滅亡の光は、淡い青色をしていた。

 続々とその中から飛来するポケモンは、三メートルにも及ぶ巨体をしていた。

「くっ」強く目を閉じた後、吹き荒ぶ一陣の風。

 巻き添えに起立する雪の切れ間から、遠くでゴーレムポケモン『ゴルーグ』の上陸を確認する。それも一か所、一体二体の世界ではない。あちこちで数え切れなく、表せる適当な数字が無いほどの数……無数、だ。

 

「奴ら、まだこれだけの戦力を隠し持っていたなんてね……。ほんっとに、屈辱どころの話じゃないよ!」

「第三波の大規模攻撃で更なる混乱を起こす意図があるんだ! それに乗じて、イズロードだけじゃない……奴を脱獄させるために入り込んだバラル団員全員も逃がすつもりだ!」

「――避けろ!!」

「くっ! っ~~~~~~~~!!」

 

 轟音。二人の位置を分断するように、また落下してくるゴルーグ。

 アストンの見立ては、見事なまでに的中していた。ただ注釈するのならば、バラル団(かれら)は、消耗に消耗を重ねたネイヴュへの打撃と、イズロード追跡への妨害にも、期待を持っている。

 勿論それすら織り込み済みだ。が、いくら分かっていようが、事が起こってみれば何もかも後の祭り。

 ビコン、と目が光る。先程まで土人形だったそれは、一瞬で敵意を宿して大地に立って、巨人へと変貌を遂げる。

 

「ゴッ……ゴッ……!!」

「マズい……!」

 

 ユキナリは、絶えず発生する強い地響きの中でも、踏ん張り立ち上がった。そうやって動けない仲間を抱き起こし辺りを見回せど、哀しき哉、どこにも逃げ場は見当たらない。

 右を向いても、左を向いても、同じ光景。飛行船がモンスターボールをばら撒いてる。

 どこへ逃げればいい。そんな自問自答。

 しかし、待たない。明確な意思を示して襲い掛かる巨人の背中に、一本の閃光が届いた。

 

「こっちだ……!」

 

 ピエロのような出で立ちのバリアーポケモン『バリヤード』と、アストンによる攻撃。それはゴルーグの注意を引くには十分な火力だった。

 振り向くゴルーグを依然釘付けにしながら、アストンは声を上げる。

 

「ゴルーグの処理はボクがやります! ユキナリ特務は、直ちに壁の門(ゲート)を開放してください! もうバラル団もいないのなら、ここを閉ざしておく必要もないはずだから!」

「……!」

「だけど、ゲートと繋がるメインストリートはおそらくもう使えない……ので、C区を経由したルートを使ってください! この周辺の避難なら、一番の近道のはずだ!」

「了解した!」

 

 そうして護衛のポケモンを渡そうとするが、それを遮られた。ゴルーグではない、他でもないユキナリにだ。

 

「どうして!」

「十全な戦力で手早く敵を片付けてくれた方が、逃げる側はずっと助かる。そしてそれを成し遂げる力が、君にはある」

 

 そのユキナリが判断したこと。最後の一仕事、ゴルーグ討伐を彼に一任すること。

 

「僕には僕の、君には君の成すべきことがある、だろ?」

「……! ああ、そうですね。その通りです」

「どこまでも、最後まで、共に責務を果たそうじゃないか」

「――了解。任された!」

 

 生き抜き、守り抜く。固い敬礼を交わし、門番は最後の務めを果たさんと、踵を返して走り出す。

 迎える終わりは、決して望まれたものではない。いや、疑いようのない不本意に他ならない。

 

「ああ……奪われたものは、もう戻らないだろう」

 

 しかし不本意であっても、来る結末は守られて然るべきである。これ以上の不本意を上塗りさせないために。

 故に、責務を果たす。

 最後の最後まで、しっかりと。

 

「だがせめて、残ったものだけは――必ず守り通す」

 

 受け売りではあるが、今も灼熱を帯びて燃えるその言葉は、彼の身体を動かした。

 

 

       ◇       ◆       ◇       ◆       ◇

 

 

 一定の高度を保ち、既定のルートを進む。

 

『モンスターボールは、悪しき発明ではあるが、決して無駄なものではない』

 

 沢山の籠は、そうやって各々の衝突を防いでいる。

 

『最たる例として、ポケモンの体積と質量を無視して収納する小型化技術は、様々な場面での応用が利くことであろう』

 

 今もそれを遵守し、不備なく、恙なく。

 

『たとえば。爆撃の要領で上空から大量投下し、その後一気に解放すれば、過去に類を見ないほどの大規模質量攻撃が可能となる』

 

「ほーら、せっせと落とした落とした」

 

 籠は破滅を、運び込む。

 

「今んとこ首尾はいいぞー」

 

 バラルの飛行船の一機、そのコックピット内。そこで事は行われていた。

 シートに床、機械系統、機内のどれもこれもがグレーに染められた風景は、統一感があると言えるし、無味乾燥とも言える。

 取り方は無論、人によりけりなのだろうが――幹部の一人たる彼『ワース』は、今現在いる此処を、無味乾燥とする方の人間だった。

 長身を宙ぶらりんの方舟に揺すられながら、気だるげに下っ端団員のモンスターボール投下を見守っている。

 本来の自分は、こういう役回りじゃないんだが。翳る内心のままに、辟易を乗せた溜息を吐き出した。

 

「ワースさーん! 追加のボール持ってきま、し、だっ!!」

 

 その横で大箱を持ったまま盛大にすっこける少女を見て、もう一回。

 

「ああーー!! すみません! すみません!」

「あのなぁ……こんだけ重いの、お前の図体じゃあまともに持ち上がる訳がねえってわかるだろうに……」

 

「とりあえず拾うぞ」

 ワースは部下の少女『テア』を一瞥し、大事ないのを確認すると、下っ端と一緒になってばら撒かれたボールを一個一個拾い集めていく。

 

「しっかし、グライドの野郎も考えたな。星一つをまるっと覆っちまうポケモンだろうが、モンスターボールに入りゃあ確かに全部一緒だ。簡単に持ち運べるし、あっという間にポケットに収まる」

「有効な戦術価値を安価に利用する……、恐縮だけど、さすがだと、思います」

「ま――中身(ポケモン)の育成には、気が遠くなるほど掛かったけど、な」

 

 開いたハッチの向こうへ紅白の球体を投げ落としながら、一人ごちった。資金繰り部門ならではの、面の曇らせ方。

 この作戦の準備に最も必要とされたのは、数年がかりの時間に、莫大な資金。昔の人間は「時は金なり」なんて言ってみせたが、いざどちらも吹き飛ばしてみれば、この言葉の有難みがよりよく解せるもので。

 いくら必要だったとはいえ、こうも簡単に大金掛けたものが捨てられていく様を眺めていれば、顔だって渋くもなろう。

 

「いわゆる投資、かね」

 

 守銭奴根性で暗むのは、やっぱり会計担当の性。

 

 

       ◇       ◆       ◇       ◆       ◇

 

 

 巨人は巨人でも――“こっちの巨人”は、紅い。

 

「ヒトモシ、もう一息」

 

 土の巨人が降り注いで、全てが蔑ろになる中で、焔の巨人(ヒトモシ)は、未だ暴れていた。

 炎対炎、超高熱の応酬で、ギーセとカナトの周囲から雪が完全に消え失せる。それも大分前の話。

 実態はなくとも、その手が透過すれば無条件に燃える。建物だって。空気だって。

 拡散する火災で乾ききった風の中、ギーセが叫ぶ。

 

「走れェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェッ!!!!」

 

 水分を失って尚強く震える声帯が絞り出した一声。

 始まる終わりをものともせず、ウインディは駆け出した。

 襲いかかる灼熱の掌を跳んでかわし、放たれる業火の弾を爆炎のオーラで防ぎ通す。そうして出来た巨人と獣の間の真っ直ぐな道を、ギーセは絶対に見逃さない。

 見据えたのは巨人の核。踏みしめたアスファルトがひしゃげた時。

 ウインディは道を往く。火の粉で彩られた、この道を。

 

「『もえつきる』だァァァァァァァァァァァァ!!」

 

 正義の獣が最上の雄叫びを上げた瞬間、最強の技が、放たれる。

 最初に印象を与えるのは、使った者の全身が白んでいく程の強烈な炎。

 それが通れば、光が爆ぜる。余波で火が立つ。陽炎が盛って輪郭が歪む。

 彼が使うのは、水だろうが草だろうが、同族の炎だろうが関係なしに、万物を焼き払う最強の炎――かつては宿敵すら焼き討った、一度きりの、切り札。

 

「ヒトモシ……!」

 

 焔の巨人(ヒトモシ)は手を前に出して咄嗟の防御行動に出るが、まさしく太陽と化した存在による特攻は、それで止まるのを、良しとしなかった。

「くっ」声にするほどでもない小さな声に、ごう、と轟音が覆いかぶさる。

 すると長い腕が、順を追って先から消えていく。

 焼き合いなどではない。相殺出来れば御の字なんて腹積もりすら許さないそれが、最後に吠える時、

 

「――うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」

 

 敵を、消し炭にする時。

 

「……!!」

 

 さしものカナトも、眩さの中で目を見開いた。

 仮設とはいえ、同じ炎タイプすらただでは済まない高熱の肉体だった。相手がそれを受けきり、あまつさえ打ち消すなど、考えもしていなかったから。

 当初の思惑通りとは、いかなかった――。

 

「バラル団協力者! 貴様を!」

「っ……」

「逮捕するッ!!」

 

 自分が今現在、獣に飛び掛かられて焦っているのが、何よりのその証明だ。

 討ち取ったヒトモシを咥えたまま、こちらへ一目散に走ってくるウインディ。

「どうしよう」「困った」「まずい」しかし唱える内心は、何一つ意味あるものではなく。

 徐々に距離が詰まっていくのを、肌を撫でる熱で感じ取った。でも直視はできない、してはいけない。

 後退る。悪足掻くように落とした視線。隠すように伏した細面。

 

「――――『れいとうビーム』」

 

 それが様変わったのは、あまりに刹那的な間のこと。

 

「何ィイッ!!?」

 

 カナトのすぐ隣から飛んで行った氷結の一撃は、今まさに彼を捕えんとするウインディを一瞬で氷漬けにしてしまう。

 極めて突然な閃きを前に、激しく白黒する目が掴まえたのは、ギーセがいないと踏んでいたヒトモシの仲間だった。雪の結晶のような繊細さを湛えるポケモン『フリージオ』による『れいとうビーム』――正体はこれ。

 

「小癪な、もう一匹……!」

「本当に……、危なかった」

「貴様、まさか“これ”を狙って……イズロードの差し金か!!」

 

 違う。誰よりも驚いて、言外にそう否定する。

 バトルを本来しないのだから、これが想定済みだったなんて言えるはずもない。この事実は、今でも手中にぶら下がる開きっぱなしのモンスターボールが語ること。

 脳裏によぎった彼を反射的に放ち、偶然『もえつきる』でウインディの発熱器官がダウンしていたところを凍らせた……本当に運良く条件が揃った、それだけ。

 しかし、このそれだけ(・・・・)で、彼がどれだけ救われるか。

 計り知れない。

 

「ゴォォォォォォォォォォォン!!」

 

 少なくとも、逃走の切っ掛けを拾えるぐらいには。

「潮時だね」とうとう自分たちの元にも降ってきたゴルーグを見て、呟いた。

 カナトはモンスターボールの光線で以て獣の口元からヒトモシを救い出すと、一思いにその場から走り去る。

 待てと叫ぶギーセだが、当然待たないし、追うことだって阻まれる。

 

「待てと言っている……私はヤツを、捕らえねば……!」

 

 進撃するゴーレム相手に、召喚する二番手。妖精ポケモン『グランブル』。

 

「待てェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェッ!!!!」

 

 無念と共に起こる憤怒の絶叫を背に、カナトは逃走した。

 

 

       ◇       ◆       ◇       ◆       ◇

 

 

「負傷者の引き上げも終了。これで、全員の撤退が完了しました」

「え、もう? ってことは僕らが最後?」

「はい。イズロードさんのマニューラが外から内部へ向けて掘った穴、あの通り結構な広さでしたから」

「あぁー……しかも、内部の穴は民家の敷地内にある物置小屋の中ときた。本当に上手くやったよ、野生とは思えない判断力だ」

 

 あれから、どれだけ走っただろう。

 あまりに必死過ぎて、どんな道を辿って、どうやってネイヴュ(あそこ)から出たかも覚えてない。

 爆発に次ぐ爆発の中を駆け抜けるなんて体験、なかなか出来ないだろうな、と思う。ここは大昔に戦争をしていたらしいけど、当時の空襲ってやつもああいう感じだったのかな、なんてことも考える。

 走っている時は逃げることに手一杯で何一つ思考が働かなかったけれど、いざ過ぎ去ってみれば、あれやこれやと頭が回り始める。

 良いのか、悪いのか。

 どちらにせよ、だ。ポケット・ガーディアンズにしたって、バラル団にしたって、普段からこういった事をしているのだと思うと、頭が下がりそうになる。

 

「さて。えーと、カナト、だったね」

 

 切り立った岩場が作る海岸。そこに水がぶつかり起きる白波。背後には往来する人々を引き留める、林。みんな揃って雪化粧。逃げてきた僕らも、同じ。

 何時間かぶりにフードを脱いで見た世界だけど、思ったよりかは味気がなかった。単に深夜のせい、なのかもしれないけど。

 自分の名を呼ぶ人間――彼が「クロック」と呼んでいた人物へ顔を向け、頷いた。

 

「乗って、これが最後のボートだ。君を安全に大陸へ帰すのも、イズロードさんの頼み事だからね」

「……わかりました」

 

 不安定な斜面でちょっとずつ足を取られながらも、海面へと近づき、ボートに乗り込む。

 こうして下っ端の人が手を掴んで補助してくれるのを見ると、先程まで死ぬか生きるかの戦いをしていたとは、やっぱり思えなくなる。

「よっと」クロックさんも、僕に続けて足を踏み入れた。人の何とない動作一つも命がけになるような自然剥き出しの周囲は、整備が行き届いていないのだと暗に示している気がして。

 出します、の一声で、ボートはネイヴュを擁する孤島から、出発する。

 

「……手漕ぎ……」

「大丈夫っす、途中で潜水艇が拾ってくれますんで!」

 

 まあ、いくら懐中電灯があるとは言え、こんな先も望めない海上を進み続けることはしないか。それもそうか。

 クロックさんはこっちを気遣ってか、ライト照らして周辺を警戒しながらも、話しかけてきた。

 

「しかし、驚いたよ。囮とはいえ、本当にあの正義の爆焔(ギーセ)を単身で相手取って逃げ帰るなんて……」

「彼の頼み事だった、というのもあるので。さすがに鬱陶しい、なんて言われてしまったら」

「ああ、アレは鬱陶しいんじゃなく、ただ単に『勝てるか怪しかった』ってだけだよ。だから君に引き付けてもらうよう頼んだんだ」

「はあ。そう、なんですか」

「うん。あの人、強がりなとこあるからなぁー」

 

 楽し気に話すクロックさん。きっと仲間だから、というのもあるんだろう。

 ふと我に返って、人差し指を口にやり「あ、今のは秘密で」と、僕へ口止めを試みた。

 そんな言い分に返すのは、

 

「……口止めなら、僕を殺すなり、すればいいのに」

 

 質の悪い、冗談交じり。

 

「僕はあなた方の事を知りすぎてしまった。たとえば、このまま戻って、本部へあなた達のことを全て喋ってしまうかもしれない」

 

 別に雰囲気を悪くして笑う趣味はないんだけど。素直な疑問として、気が付けば口から出ていた。

 成り行きだろうが、意向による協力だろうが、どれだけ行っても僕は彼らじゃない。から、僕を生かす好都合が失われた今、残るのが不都合しかないのは明らかな話。

 生憎、褒められたことのない人生だったが。己の身の程を知ることだけは、変に達者らしい。

 確かにぴりつく空気の中、クロックさんは少々の沈黙を挟み、開口した。

 

「……じゃあもう一個、知られちゃならない秘密を教えようか」

「……?」

「僕は君が思う以上に、この組織への忠誠を欠かしている」

 

「義理はあるけどね」――そんな付け足し。

 黙りこくる僕。言葉が出なかった。ついでに、何かしようとする手も。

 

「『そういうところ』なんだよ、ここって」

 

 ぴちょん。光に釣られたポケモンが、水面から顔を出す。

 

「それに、だ。誰よりも君の安全な送り届けを口添えしたのは、イズロードさんだしね」

 

 初耳な情報だった。僕の知りえない事であったし、聞いた今も進行形でいまいち信じ難いものがあった。

 疑っていた訳ではなかったにしても、自分が信頼に足りているとは考えていなかっただけに、余計に。

 

 だが――――。

 

 その言葉で、数時間前の記憶が、自然と立ち戻る。

 新たな共同体と出会えた、あの、夢みたいな記憶が。

 

 

 

 

 

「捜索隊、眠らせてきました」

「ご苦労。どうもありがとう」

 

 何度目だったかは覚えてないけど、捜索隊をヒトモシで眠らせて、商店街に立ち寄った時のこと。

 もっと言えば、長期に渡っていた食料難を凌ぐために、八百屋で木の実漁りをしていた時のこと。

 

「……どうしたんですか。そんな店の奥で」

「まあ、来たまえ」

 

 荒廃した人気のない店内で、食事でも探していたんだろう。

 だけど僕らが来て、出ようにも出られなくなったんだろう。

 

「……?」

「大変に面白いものが見られるぞ」

「……――ポケモン、だ」

 

 埃たまった隅っこで震える――彼がいた。

 

「この子……確か、フリージオ」

「大方、虐待でも受けていたんだろう。不要な場所に必要以上の傷がある――不憫なものだ」

 

 背中を向けていた彼だったけど、その背中すら、ひどく、深く傷を負っているのが見えた。

 上ずる鳴き声はおよそポケモンのそれだと思えなかったのも、よく覚えてる。

 そういえば輪郭もズタボロで、雪の結晶と呼ばれる美しさとも、程遠かった。

 

「どうするんです。人に対し好意的でないのだったら、きっと騒ぐだろうし……そうなれば、発見のリスクも」

「いいや……そこは、問題ではない」

「……と、いうと」

「人間のために利用され、虐げられ、最後の最後には見捨てられたポケモンが――今から巻き起こる惨劇の中で、果たして生き延びられると思うかね」

 

 あの時は、豹変する彼の表情を見て、おっかなびっくりだったっけ。

 どうなるのか、どうするのか、興味って言葉じゃ決して片付けちゃいけないけど、少なくとも目を離すことが出来なかった。

 ゆっくり歩み寄り、引っ掴んで、自分の方へ向かせた。

 すっかりパニックなフリージオ。自分が氷漬けになるかもしれないのに。氷河期もびっくりなアイスアートになるかもしれないのに。

 

「――私は、生き延びる方に賭ける」

 

 それでもイズロードさんは、その明確な意志が込もった瞳を、逸らすことはなかった。

 ばかりか片手に持った木の実をゆっくり彼に差し出し、続けた。

 

「そんな目に遭っても尚、食料があり余るここに現れたという事は――まだ本能が、生きることを望んでいるということではないのか」

 

 そして「選べ」と。そう言った。

 それは不思議なもので、僕に言ってるようにも感じられてしまったし、実際僕もその後、選択をする訳で。

 

「お前は生まれた時から、ずっと自由だ。……押さえつけられても、虐げられても」

 

 瞬間、フリージオは震えが止まった。

 言葉が通じたなんて、とても信じられないけど。

 

「そうあってもお前の生き方を決めるのは、生まれてから死ぬまでずっとお前の義務であり、お前だけが持つ、お前だけの権利だ」

 

 けど、まるで本当にそうなっているみたいに、静謐として。

 

「だから、選べ。死ぬか生きるか。お前の心に従って」

 

 それからフリージオが、口を開くことはなかった。

 

「……食べ、た」

 

 ああ、口は開かなかった。鳴く口も、泣く口も。

 ただ――食べる口だけは、別口だ。

 

「決まりだな」

 

 僕も続けて、彼に木の実を食べさせた。

 そこから……そうだ。

 

『カナト。選ぶということは、こういうことだ』

 

 聞くのは、背中ではあったが。最中に発していたイズロードさんの言葉を、今、ようやく思い出した。

 

『本当に難しいし、大きな覚悟がいる。生きた先でこいつが苦しむことはもっとあるかもしれん。もしかしたらそれは、死よりもずっと重たいものかもしれん。よってこの選択は結果的に、過ちということになるのかもしれん。――迷っていた方が、ましだったと思える話なのかもしれん』

 

 それは、まさに別れ際だったあの時、彼がくれた。

 

『それでも信じて決める。常に判断材料が不足していて、そのくせ取り返しのつかないことだらけであっても、だ。これほど難儀な事もあるまい』

 

 彼なりの、僕に対する応援だったのだと。

 

『でも、だからこそ、いつかは決めねばならない。君も自由を以て――何かから不自由を強いられる、その時までに』

 

 それが、他でもない彼の選択だったのだと。

 

『その道を見つけ出すのに、フリージオ(こいつ)という先輩は役に立つだろうよ』

 

 今になって、気付いた。

 

『故に、お前に託そう――――思うまま、自由に、悩み続けろ』

 

 ポケモンと人の繋がりを悪しとする、彼の選択の意味に――。

 

 

 

 

 

「……そっか、そう、だった」

 

 やっぱり、いつでもそうだ。

 必死なうちには忘れてる。終わってみてから気付いちゃう。

 なんでもかんでも、そんなもの。

 一人で、クスリと笑ってみる。我ながらなんと薄気味悪いものか。

 

「今日の事は、きっと忘れないと思います」

「フッ……、そっか」

 

 クロックさんの釣られ笑いを最後に、会話が止まった。

 海底から、僅かな光源を発見したからだ。先程まで顔を出していたポケモンは、驚き払って立ち去った。

 離れた位置で、(にび)の丸がゆっくり浮上する。

 月が最後の役目を果たす。揺らぐ僕らの導を灯す。

 

「あと、僕らが『そういう奴ら』だってことも、よければ忘れないでいてほしいな」

「――勿論、です」

 

 

 

 行き着く場所を照らされても。僕は今でも悩んでる。

 残念だけど、早々人は変わらない。

 それでも、だけれど。

 あの日の、あの人との出会いだけは。

 僕にとって、大きな意味があったと言える。

 引っ張られてよかったと、考えられる。

 同じ道を走ってよかったと、思える。

 

 迷子が、迷子でよかったと断言できる――ほんの一瞬の、確信の話。

 

 白昼夢の話は、これにて、おしまい。

 

 

       ◇       ◆       ◇       ◆       ◇

 

 

 ――以上が、事の顛末である。

 氷の牢獄は、こうして一体の悪鬼に打ち破られた。

 こうして雪が、解かされた。

 バラル団は大量の流血の果てに『イズロード奪還』という形で勝利を収めた。これを機に彼らは、より一層の勢いを以て、世界へ自らの存在を示していくことになるのだが――それはまた、別の話。


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