ポケットモンスター虹 ~A Aloofness Defiers~   作:裏腹

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Episode.07 終局

 その時、地竜は、今一度天高く飛び上がった。

 そして宙を舞った全身に全部の体重を乗せ、ついでに重力も引き連れて。

 大地を突き鳴らした。

 一人と一匹が最後に目の当たりにした光景は、大爆発とも云える、崩壊の様だった。

 

「おっと、すいません。“この状態”だと、ちょっと加減が出来なくて」

 

 嫌味も癖もない表情を浮かべる青年『クロック』は、この結果が、厳密には人物を攻撃に巻き込むピリオドが不本意であったと、弁解する。

 

「って言っても……、聞こえてないか」

 

 仰る通りそんなもの、もはや誰も耳にしていないのであるが。

 結論だけを急ぐならば――ソヨゴとレントラーは、敗北した。

 メガシンカを果たしたガブリアスの前に、手の悉くを潰され、崩され、突き返され。唯一にして一番の対抗策であった『こおりのキバ』さえ、その尋常ならざる未知のエネルギーでもって、折られて融かされた。

 まさに万策尽きた状態での、負けであった。

 尤もこの事実ひとつで片付けば、簡単で良いのだが。

 絡む人心は、悔しい、の一言で終わるほど単純ではないし、待ち受ける事はそれだけで許されるまで、進んじゃいない。

 それを慮ってか、クロックは言う。

 

「貴方は十分強かった。僕にメガシンカを使わせ、あまつさえ制御すら危うくなるほどの全力を引き出したんだ」

 

 大健闘だ、と付け足す。

 ガブリアスは隣で、凍てついた脚に熱を走らせた。メガシンカエネルギーの一端だ。ジュワ、という音が鳴ると、忽ち氷は液化し蒸発。先刻氷結の牙を受けたのが嘘のように、まっさらな状態に立ち戻る。

 

「でも、どれだけ強くても、大きくても。絶対に抗う事の出来ない凄まじい力というものがある。それが何なのかは人次第で変わるし、まさしくよりけりだ。勿論貴方にとっての僕がそうだと、自惚れるつもりはない」

 

 何度も言うが、これが彼の耳に届いているかは定かではない。クロック当人は寧ろ、居ないと思っている方が強いだろう。

 

「でもね、勝利を前提として何かに立ち向かうのなら――やめた方がいい」

 

 だが尚も、せめて『居たであろう場所』に語り続けるのは、恐らく認めた人間に対する忠を尽くした告げ事をしているから。

 

「立派な正義を掲げようが、強大な力を持とうが、その時は必ず訪れる。これまでの修練、それまでの意気、全てがちっぽけで無駄だと感じられてしまうほど、凄まじきモノに蹂躙される時が」

 

 ソヨゴの戦士としての尊厳を重んじているからに、違いない。

 

「絶対的に至れないと確信する瞬間が、弱さを自覚する瞬間が、絶対に」

 

 煙の膜の向こう側が、どうなっているのか。

 それを知る必要もない。縁があればまた会えるし、駄目だったらば、この男はそれまでの存在だったという事。

 首から提げた懐中時計で、時間を確認する。ああ、そろそろだ。

 元は単なる足止めの予定ではあったが、仕上げに入るタイミングで丁度良く事を終わらせることが出来た。

 手持ち四体の瀕死は想像を大きく超えた痛手ではあったが、まだ動ける者が二体いる。もう少しばかり戦うことも可能だろう。

 クロックは街全体を見渡し、未だ音と光が上がる場所を見つける。ギリギリまで、現場で戦うために。

 壁に極めて近い方――恐らくイズロードはあそこだろう。

 そう踏んで、踵を返した。

 

 彼が、そうやって動かした足を止められることになると知るのは、ほんの一秒先のこと。

 

「――グァオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」

 

 レントラーが煙を掻っ裂いて、一直線。

 クロックが鋭い眼をして振り返る――ガブリアスが、受ける。

 バギン。また響いた、こおりのキバだ。

 

「……ああ、よかった。まだ、動くな」

 

 肩越しに見つめるのは、ぼろ雑巾のように傷だらけになっても尚、猛々しく唸りを上げて鮫肌に牙を喰い込ませる獅子。

 そして、

 

「へえ、そうか。まだ、やるのか」

 

 額を鮮血で濡らす、戦士。

 

「いやあ、いいアスファルト片だったよ。今のは効いた」

「だったら、大人しく倒れておくべきだった、と」

 

 クロックの指が空っぽな民家へ向いた。するとガブリアスは、食いつくレントラーもろとも、そこへと突っ込む。

 激しい崩落は見飽きた灰の残骸を呼び寄せ、獲物を無情に食い潰した。

 

「そうは思わないですか」

 

 一度は望めた姿も、起こる靄がまた隠す。傷口を惨たらしく虐め、轟きはより多くの生き血を欲した。

 息も荒めば、意識も千切れそう。足取りはおぼつかないし、仲間だってもう瀕死だ。されどソヨゴは眠らない。

 いや、この意地すら感じる佇まいを見るに、眠ることを知らない、と言った方がいいのか。

 

「冗談はやめたまえよ、私の専売特許だ」

「認めるよ。自分のポケモンを徒に傷付けるなんてタチの悪い冗談、貴方ぐらいにしか思い浮かばないだろう」

「法螺を真にする法螺吹きが、いつの時代も英雄と称えられてきたものだよ」

「世迷言を……」

 

 証拠だろう、こうあっても鬱陶しい饒舌は健在だ。無駄な喋りを重ねるうちに、瓦礫から地響き。ゆっくりと足音が聞こえる。地の属性を持つ者故か、それは大きく逞しく、今にも獲物を引っ提げて戻ってきそうな――。

 戻って、きそうな。

「は?」クロックは次いで見たもので、呆気に取られる。

 否、これに関してはクロックに限らないだろう。無理もないだろう。

 誰も思わないだろう。

 ――まさか、瀕死の敵がとどめの一撃すらも反故に、執念深い顔してこちらに齧り付いてるなんて。

 

「……なん、だ!?」

 

 開けた眼界が示すのは、主共々の健在。

 十じゃきかない生傷に、乱れきった毛並み、潰れた片目を見れば余計に解せない。とうに限界だろう、と、動ける力は残っていない、と、そう見える方が自然だろうに。そんなものは素人だってわかる。

 なればこそ、だ。なればこそ、この訝りは起こるべくして起こる。

 

「とち狂ったか! それともやけっぱちか!?」

「いいや、根性かな。強いて言うならばね」

「違う……、つまらない冗談だ!」

 

 ふざけるな、否定の第一声だ。そんな在り来たりで、単純な精神論一つで、こんなことになってたまるか。

 

「それはただの無謀というんだ!」

 

 ガブリアスは苦悶を浮かべつつも、噛みつく口ごと氷を焼かんともう一回全身を熱した。

 だが、まだだ。闘志に駆り立てられる傷だらけの獅子は、まだ竜の肩を放してはくれない。あまつさえ深く、より深くに食い込み、壮絶な歯型を約束する。

 クロックも歯噛みする。何故だ、と。心底腑に落ちない面のまま。

 

「ああ、確かに無謀だな。貴様の言う通り、まさに無謀に他ならないだろう」

 

 眼光はどれだけ経てど、釘付けにした竜を放さない。

 

「大きな力、だったか。があることも肯定しよう」

「こん、のッ!」

 

 冷気はどれだけ融けても、絶えず竜を侵す。

 

「そしてそれに抗えない時がある事実だって認めよう。――いや寧ろ、我々はよく知っている。途切れない人の悪意、或いは世界の闇と向き合い続けている、我々ならば」

 

 煙を噴こうが、振り回されようが、

 

「だがな、それでも。負け戦だと決まっていても。何一つ残さぬ無意味な敗北だとわかっていても」

 

 打ち付けられようが睨まれようが叫ばれようが。突き立った歯牙は抜けない。

 

「立ち向かわねば、ならない時がある」

 

 この、唸り続ける、闘争の牙だけは。

 

「どれほど力を合わせて、どこまで戦っても敵わない、どれだけ大きい存在でも――我々は屈してはならない。抗うことをやめてはならない」

 

 戦っても勝てない。だがそれは戦わなくていい理由にはならない。戦わなければ勝てないから。

 どうしようもないものはどうにもならないという事が、正しくとも。

 

「犬死にと(そし)ってくれて結構。滑稽な弱者と後ろ指差して笑うのもいいだろう」

 

 瞳を見開け。地に踏ん張れ。そして走れ。

 

「それでもこの身、この心――動く限りは何度でも立ち上がるぞ!」

 

 死ぬまで走り続けろ。

 崩れかけの躰から勇ましく飛び散る雷電が、そう言っている気がした。

 

「くっ、ガブリアス! 『あなをほる』だ!」

「放すなよ! 何があっても、絶対に!」

 

 延々と癒えない凍傷に呻くガブリアスが取った最終手段は、取っ付いた元凶を土壌にこそげ落としてもらう、というものだった。

 小さな跳躍から、大きな掘進。土煙が怒張して、獅子と竜を隠し立てた。すかさず始まる巨体の潜行に耳を欹てる二人に、咆哮が聞こえる。

 そこでも終わらない地鳴りは、意地を張り合う二体に発破をかけた。

 喰らい付く獅子と、引き剝がす地竜――どっちにも戦意はあって。どっちがどうなっても、おかしくない。

 だとすればこの勝負の、決闘の勝敗を分かつ決定的なものはなんだ。

 

「僕は貴方や彼らのように、掲げるほどのご高説はない! しかし自分の腹の底に溜めたもののためだけに、今日まで生きてきたつもりだ!」

「それは結構! 上等な話じゃないか!」

「だからこそ負けられない、今、ここでは! ポケモンを顧みないアンタには!」

「ああ、この期に及んで遠慮はなしにしよう! 貴様の全てをぶつけろ!!」

 

 乱雑に大地が跳ねる。断続的に破裂する。アスファルトがひび割れ、開いた虚ろはまた粉塵を呼び出した。

 吠える、咆える、吼える。

 次に現れる姿。それは勝者の御姿に違いない。終わりへと至るため、決着を付けるため、最後に立っている者を決めるために。

 二人は息の限り、声の限り叫んだ。

 

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」

 

 次の瞬間、炸裂。

 すると茶の肌をした星がボゴン、と鳴いて、待ちぼうけの彼らへ、とうとう勝者を吐き出す。

 伴う束の間の静寂と、再現する影。中の存在は自ずから土くれを拭い去り、払い落とした。

 敗者を背中に。

 冷え切った地を踏みしめて。

 そこいたのは。

 

「よく、やった」

 

 ソヨゴの微笑を見れば、歴然だった。

 勝利は、どうやら獅子を選び出したようで。

 目の当たりにするクロックは否定するでも、逃避するでもなく、凍り付いたガブリアスをモンスターボールに戻し、

 

「……そんな、何故だ」

 

 ただ、その結果を訊ねた。

 筋が通らなければ理屈だって滅茶苦茶、当たり前といえば、そうだ。まさか本当に根性で負けてしまったなんて、思えない。納得と容認は別であるべきだ、と考えるからこそ。

 

「だから根性と言っただろう。冗談だがね」

「だったら、なんだ? 何が……」

「さあ……わからんよ。私も」

 

 だが、当人すらわかっていないその問いに、答えが返ることはなかった。

 

「どこで倒れるか、どこまで立っているかは、全て彼が決めることだからね」

 

 ソヨゴはだんまりの引き換えに、レントラーへと回答の権利を委ねる。

 

「まさか、ポケモンの覚悟だとでも、言うのか」

「そこまで鮮明なものではないのかもしれんが……何も、我々だけが戦うのではない。我々の願いを背負い、我々と運命を共にする覚悟を決める必要が、きっと彼らにだってあるのだろう」

「ポケモンの肉体だけでなく、精神を鍛える事すら……、勝つためには必要だと」

「そこまでは、私も言えない」

 

「何故ならば、まだ完全な勝敗が決していない」と、続けて紡いだ。

 クロックはその言葉で、は、と現状を再認識して瞠目、腰にて眠る無傷な一匹へ、視線を送る。

 

「どうする、まだやるか? その問いの答えが出るかもしれんぞ」

 

 手を伸ばしてから、少しの逡巡。

 閉目と開眼を、それぞれ一回ずつ重ねてから、インターバルを終わらせた。

 同時に無言のまま戻っていく掌が、問い掛けの返答を示して。

 さしものソヨゴも拍子抜けだったのか、眉を一瞬上ずらせる一挙をみせ、額を押さえていた真っ赤な右手をひらひらと舞わせる。

 

「つれんヤツだな。こちらは最終ラウンドも、一向に構わないのだがね」

「いいや。今日のところは好意だけで、お預けにしておきます」

 

 ここで口にするのは控えるが、決して相手を侮ったり、慮ったわけではない。

 だからって怖じ気づいたわけでも、勿論ない。

 ただ、これは他の誰でもない、自分のための選択。

 

「貴方とは、こんな大きな流れの一端の中でじゃない――どこか別の、もっと適した時と場で、決着をつけたい」

 

 ここで終わらせるのは惜しいと思った、自分のための。

 

「ほう。この私とのデート、一度きりでは満足できなくなったかね?」

「解釈の仕方はそっちに一任しますよ」

「私と、またどこかで会えるとでも?」

「……さあ、どうだろう。でも、会いたいとは思ってるかもしれません」

「言うじゃないか。面白い」

 

 フッ、とする一笑に、果たしてどれだけの意味が込められているか。ソヨゴのみぞ知る。

 それが好意的か、或いは悪意的か、残念ながら生来の不真面目さから推しはかることは不可能だ。

「クロックだったな」

 又、彼も同じく、一朝一夕の鎬の削り合いだけでは、あまりに下す判断が心許ないように感じている。

 

「貴様はこの私、ソヨゴが手ずから捕らえてやろう。精々私以外の者に逮捕されんよう、上手く立ち回ることだ」

 

 その一朝一夕が後々、一生に渡る宿敵としての運命を決定づけるとも、知らないまま。

 まあ、今はまだ、いいだろう。自然と不敵な笑みを生み出す、予感だけで。それぞれの討つべき存在と討ちたい存在が明確になった、今日の事だけで。

 

「ああ――そちらも、他の誰かに寝首をかかれないよう、お元気で」

 

 先見の明が討つべきものを捉えた瞬間、時計の針は回り出す。

 刻々と、少しずつ。

 事は終われど――彼らはまだ、始まったばかり。

 

 

 

 クロックが立ち去った。

 それを確認するレントラーとソヨゴは、一緒になって糸が切れた人形のように固い地面に倒れ込んだ。

 クロックの見立ては何一つ間違いじゃなかった。とうに限界だ。本当に精神一つで持たせていただけなんだと、当の一体と一人も今頃思い知る。

 レントラーは我慢した分の痛みを一気に受け止め、音よりも速くに意識を飛ばした。

 しかし主とて驚くことはない。いつこうなってもおかしくない状態だったと、知るからこそ。

 それに何より。自身も他人事ではないから。

 

「いかん……、血を、流しすぎたな……体が一切、動かん」

 

 図らずも受けたダメージだが、手当てをしないのはまずかった。

 

「これでは、ユキナリ特務の援護に、は……」

 

 生きてはいるだろう。それは確信がある。だが、意識は、意識だけは、保てる自信がなく――。

 

「ああ……任せる……、ひとまず、眠ろう」

 

 これで逝ければ、それはそれで、また一興なのだが。

 夢見心地に思い上がって、付け加える独白。

 

「そちらへ、行くのは……――もう少しだけ、先に、なりそう、だ――」

 

 握るロケットペンダントに、月明かりが反射する。

『アリシア』。

 静かに、慕う名を口にしたまま――獅子の袂で、ソヨゴは眠った。

 

 

       ◆       ◇       ◆       ◇       ◆

 

 

 ――追い込み。

 

「ズェェェェアッ!!」

 

 状況を敢えて一言で表すのなら、こうだろう。

 サンドパンが飛び上がって、氷鳥へ爪を掠める。そうやって僅かな羽毛を削ぎ落とす。何度再生されたかわからないこの場面でも、堂々巡りではないことを証明するたった一つの要素がある。

 増え続ける、傷の数だ。

 フリーザーに攻撃力で優り、機動力でも上回るサンドパンが戦局を支配するのは、今考えてみれば必定だったのかもしれない。雪掻く俊足と風切る鉄爪が、その事実を証明する。

 深々と積もる雪も。建築物の一つ一つも。今こうして流れる空気さえも。味方に付ける。ネイヴュシティは、余すことなく針鼠の庭だ。

 大きく見開く瞳は、一度たりとも庭に迷い込んだ獲物を逃すことはない。それが小物だろうと、大物だろうと――取るに足らない問題。

 

「褒めてやろう! 如何程地の利を得ているとは言え、単身でここまで俺を追いつめたのは、あの正義野郎以来だ!」

「そいつはどうも!」

 

 何度空を目指そうが、追駆する。ある時は飛び道具で。またある時は跳躍で。

 徹底的に立体物を利用し、三次元的な機動を繰り返し、主戦場たる空ですら自由の行使を妨げてみせる。フリーザーがそんなサンドパンに返せるものと云えば、青白の戦輪だけ。

 

「だが、上から目線は感心しないな――『つららばり』!」

「『リフレクター』だ! 防いで見せろ!」

 

 アクションが早かったのは、フリーザー。サンドパンが肥大化させた背中の針を逆立て構える段階で、水色の障壁を錬成して見せた。

 後攻と相成る氷の針が一〇本、構うものかと霜を巻き添えにすっ飛んでいく。

 びゅ、と空気を穿って散り散りになった。直撃コース上の氷柱はパーテーションによって砕け散り、逸れた分はそのまま相手に見放される。

 すかさず反撃に転じようと、フリーザーが正面へ向き直るも、

 

「!?」

 

 いない。ほんの刹那のことだっただけに、さすがの伝説も一驚を喫してしまう。尤も――。

 

「後ろだ!」

 

 それ以上の猶予は、当然許さないのだが。

 イズロードの声よりも先行して浮き立つ、極小の摩擦音。氷と鉄の掠れ声。

 聞こえた背後へ火急的に顔向けしたが、及ばなかった。目鼻の先には、一本の氷柱に張り付き、回り込んだサンドパン。

 

「この状況、主導権は僕たちにあると思わないか」

「おのれ……ッ!」

 

 全速前進のまますれ違う。メタルクローはまたしても紙一重で掠り傷止まりだったが、まだ、まだだ。

 ここはストリート。市街を貫く道路。建物が多数。建物は立体物。

 立体物は――自分の味方。

 

「ク――――ッ!!!!」

 

 出会い頭の低層ビルに、全力のキックを当てた。すると離れた影を、もう一度近づけてくれた。

 そこで我が身ごと滑らせるもう一閃は、確かに一線を引いた。

 ユキナリとサンドパンはようやっと、伝説の鳴き声を聞くことに成功する。

 

「――『みずのはどう』だ!!」

 

 しかし、こちらだって黙っているものか。腹部に激しい横一文字を負いながらも回転、縋り付くように『みずのはどう』を撃ち放つフリーザー。その双眸からは「伝説として負けられない」という苛烈な意地も見え隠れして。

 同時に向く視線の先。

 建築物の壁に取り付いたサンドパンが、今一度の『つららばり』を以て決水の弾丸を相殺、代わりに衝撃波を呼び込んだ。

 押されるフリーザーは思い出したように低空で姿勢を整え、サンドパンは引っ掛けも忘れて地に落ちる。そうして雪上に出来たちっぽけなクレーターの中で、三度、目を覚ます。

 

「そろそろ限界だろう。終わらせよう」

「そいつはどうかな? まだわからんぞ」

「これだけ追い込まれて、馬鹿言いたくなる心中はお察しするけど……僕はその言葉、生憎だがハッタリとしか受け取れない」

 

 ユキナリの言い分は御尤もだ。この状況を見れば、尚更。

 

「戦力はお互いに唯一。僕がサンドパンしかいないように、君にもそのフリーザーしかいない。逮捕時に手持ち全てを逃がした君の行儀の良さで、今、すごく助かってるよ……感謝しないとな」

 

 反目し合うついでに目測する蓄積ダメージにも、少々ながら差が見受けられる。

 仮に地の利がなくとも。事は有利に運んでいただろう。

 

「お蔭で、増援の到着を待つ必要がなさそうだ」

 

 鋼鉄が、氷を打ち砕く理屈が通用する限りは。

 絶対的に揺るがぬタイプ相性を押し付けるように、サンドパンは硬質化した背の棘を氷鳥へ向け、

 

「決めるぞ! 『アイスボール』!」

 

 仕留めにかかった。

「リフレクター!」直後に響いた声を、打ち消すほどの回転音。

 それは野に放たれた獣が如き凄まじさで、雪の大地を転げてすっ飛んでいく。

 程なくしてフリーザーの眼前の防壁と激突し、弾き鳴らした。

 キリキリ。ギュイン。ガリガリ。音に変化が生まれる都度、増える光の削りかす。

 指示。掻き消せ。早々に押し通ることはなかろうと、確実に、ミリ単位でも。

 ――終極を阻む、邪魔者を。

 

「ズァァァァァァァァァァァァッ!!!!」

 

 サンドパンが気を吐く。厚氷と鋼鉄の二段構えを届けんとする。

 

「君は、ここより先に行くべきではない……!」

 

 もう少しだ。もう少し。

 

「僕らと共に、この日の当たらない氷獄の下で眠らなければならない!!」

 

 段階を追って薄くなっていくリフレクターだけは、見離さない。

 

「悪魔は、地獄に――――還れ!!」

 

 最後の叫びで、障害はついに破れた。

 大きな破裂音を木霊させて。多くの欠片を撒き散らして――盛大に。ついに。

 もう何も怖くない。残っているのは空いた懐のみ。だから進む。これまで踏み入れられなかった向こうへ。

 

「――認めよう」

 

 迫る。

 

「貴様は、強い」

 

 メートルを詰めて。

 センチを縮めて。

 ミリを乗り越えて。

 今、至る、必殺の。

 

「だからこそ、だよ」

 

 ――一撃になる、はずだった。

 

「……――な」

 

 瞠目する暇など与えない。だって“あいつ”は速いから。

 

「討ち取った時、こいつが得られる糧も、大きなものとなる」

 

 あいつは、とっておきだから。

 口角引き上げるイズロードに別れを告げる、たった一度の瞬きの後――サンドパンは、宙を回っていた。

 野良猫にくらわせる轢き逃げのような。

 或いは兎を食い殺す虎のような。

 そんな不条理で矢庭な一撃に、打ち上げられて。

 開いた口が。

 塞がらない。

 一緒に見開きっぱなしの目が、相棒の自由落下に合わせて落ちた時。ユキナリは、はじめてその存在を認識できた。

 

「なあ……、そうだろう?」

 

 小粒な肉体に、目一杯広げられた黒色も。

 その中に垂らされた、鮮血が如き赤色も。

 無すらも切り裂く鉤爪をなぞる、銀色も。

 よく知っている。知っているのだ。

 

「――マニューラ、だと」

 

 煙を上げる足。紛うことなき『けたぐり』の痕跡。

 今にも及びかけたフリーザーの前で佇むのは、嘗てイズロードが逃がしたはずの、手持ちの一体だった。

 

「だから言ったのだ。『わからない』と」

 

 呆然の渦の中で、必死に自失を振り払って、何故を、口に出す。

 されど、すぐに答えは出る。

 

「まさか……、逮捕から今に至る一年間ずっと、潜伏してこの瞬間を待っていたとでも言うのか!?」

 

 本来あり得ない。約束にしろ、命令にしろ、脅迫にしろだ。野生に帰ったポケモンが元の主のために戦うなど、そんな話は聞いたことがない。

 とすれば洗脳か何かだとも疑うが、目の前の猫鼬は、生憎と確実な意識を持っているように見えた。

 

「貴様らにはわからんだろうよ。モノでしかポケモンを縛り付けられん、貴様らには」

「くそっ……!」

「……遅かったな。思ったより時間がかかったか。尤も、元気そうではあるが」

 

 イズロードはがら空きになったフルト街の八百屋で予め盗んでおいた希少な木の実『スターのみ』を、マニューラへと放った。成功報酬を受け取り食するパートナーを見て「でかくなった」と、成長を指摘する。

 

「ポケモンはいつでも貴様らの上を往く。その猫の額のような面積の脳でもって起こした想像を遥かに超えた、その先をな」

 

『飛躍した発想力と行動力を、相手は持っている』

 

「それにすら気付けない凡骨の――貴様らの負けだ」

 

『相手の思考と行動は、常軌を逸している』

 

 自分と、ソヨゴの言った言葉が今更フラッシュバックした。

「しまった。常識に囚われ過ぎた。想像力が足りなかった」

 そう独白し、閉口したまま秘密裏に歯噛みするユキナリ。

 ずっと、有利のような不利だった。

 もし、これを狙って、逮捕時に手持ちを放していたのなら。――いや、もしもの話なんかじゃない。

 奴は絶対の確信を持っていた。言葉も交わせない、文字も伝わらない、そんな中で。種の壁を越えた先で。信用という形なき形一つで、この男は取り付けた約束事が守られると。踏んでいたのだ。

 恐ろしい話。

 しかしユキナリが覚えるのは、その感情ではない。

 ずっと手の平の上で踊らされていた事にすら気付けなかった、自分への怒りだった。

 

「さて……サンドパンは、もう動けまい」

 

 針鼠は昏倒する。イズロードの見立てを肯定するように。

 

「決してつまらん戦いではなかったがね、別れは然るべき時にせねばならん」

「いやまだだ、手はある……この、とっておきの手が」

「ほう、次は俺と殺し合うか?」

 

 ジャキリ、と向けた拳銃。まだやれることを責務として、この手に乗せるユキナリ。

 続けざまに引き金へ指を掛けるも、それを制止するようにもう一つの影が降り立った。

 

「いいや――次はボクの相手をしてもらうぞ、イズロード」

 

 エアームドと遊撃手(アストン)が状況を終わらせたのだろう、戦場への参加を堂々と宣言する。

 

「アストン……!」

「下がって、ユキナリ特務。続きはボクがやります」

「ハハッ、貴様、そうか……、あの時のお坊ちゃんか」

「……わかっているなら、話は早い。まだ呼べるんだろう、お仲間を」

「ああ、呼べるなァ……いつでも出られるように、そして来られるように、潜伏させておいたからな」

 

 だが、即座に「だが」と繋げる。

 

「どうやらその必要は、もうなくなったらしい」

 

 刹那、もう一つの巨大な着陸で、巻き上がった雪。青と赤の飛竜(ボーマンダ)の仕業。

「乗れ」晴れる視界での短い開口が、イズロードを竜の背へと誘った。

 

「フン、ふてぶてしい奴だな。俺がここで何度くたばりかけたかも、わからん顔をしている」

「貴様を信用しての采配だ。俺から見れば問題はなかった」

「返す言葉はあり余るが――、まあいいだろう。終わってからでも」

 

 それが意味することなど、考えるまでもない。

 

「ハリアーに、グライド!? ……エアームドッ!」

「この、今になって!」

「オーベム、『バリアー』」

 

 攻撃どころか、睥睨すらもふいにする存在は、にんまりとした笑みを見せ、その面を別れの挨拶として。

 

「楽しめましたよ、色々と。こうしてみれば、たまに慣れないことをするのも悪くはないのかもしれませんね」

「待て――っ!」

「ごきげんよう……、また会う日まで」

「お前は、お前たちはッ!!」

「飛べ」

 

 待たない、待つわけがない。いくら叫んでも、弾丸を放っても。三人と一体は、空へと飛び立って。

 あれだけ追いつめたのに。あれだけ思考したのに。それでも現実は、過程を馬鹿にする。許されないほどに、冷たく、惨く。

 羽ばたいた風の質の悪い戯れで、地に釘付けられながらも、なお遠い姿を捉え続ける様相は――――かえって、哀れにも映って。

 

 事件発生から、二五時間半。

 

 イズロードのネイヴュ脱獄が、完了する。

 

 

 

「――航空部隊、光学迷彩を解除」

 

 上へ、上へと目指すボーマンダが、壁を越えた頃。グライドがオーベムの念話を利用し、部下に命令を下した。

 近づく月を見上げながら、上昇気流に揺すられながら、下す命令は。

 

「一斉に投下せよ」

 

 

 

 哀れみついでに送る、泣きっ面に蜂の最大級。

 

「ばッ、バラル団の飛行船だと!!?」

「まだ戦力があったのか!? こんな数、いつの間に……!?」

 

 終局を決定づける――。

 

 

「ゴルーグだーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!! ゴルーグが落ちてくるーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!」

 

 

 仕上げの、一手。


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