ポケットモンスター虹 ~A Aloofness Defiers~   作:裏腹

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Episode.04 臆病者

 サンドパン――ねずみポケモン。

 針鼠を祖に持ち、主に乾燥した砂地を住処とする。

 後頭部から尾の根元にかけての範囲にびっしりと茶色の厚い棘を生やしており、併せて持つ鋭利な爪を武器に、狩りを行う。

 防御行動や休息に際して背中を丸める習性があるが、これは攻撃にも転用でき、丸まった体を転がして行う突進は、脅威の一言に尽きる。

 

「サンドパン、『つららおとし』!」

「飛翔してかわせ。次いで市街地へ逃げろ」

 

 ポケモン図鑑、サンドパンの記述だ。

 

「追いかけろ! “ここ”で僕らより速い奴はいない……、逃がすなよ!」

 

 しかし彼、ユキナリのサンドパンには、これに当てはまらない点が、いくつか存在する。

 まず一つ。背中の棘が茶色ではなく、透き通るような水色をしている。

 次点で、到底砂地を住処にしているとは思えないほどの、雪上での適性。

 最後に、

 

「ズァァッ!」

 

 まるで冗談のような、機動力。

 一度(ひとたび)鳴いて地を蹴れば、遠ざかった背中が再び大きくなった。

 

「――!」

「振り返って『つばめがえし』で応戦しろ」

「『アイスボール』!」

 

 ガギン、と鳴り響く乾いた音は、ほどなくしてキュイィンという金切り音に様を変える。

 ボール化したサンドパンは雪をかき回し、アスファルトを抉り取り、空気を挽き潰して突進、氷の刃を纏った氷鳥(フリーザー)の足部とかち合った。

 火花と砕氷とが半々に飛び散り、闇夜に更なる光をもたらす。喧しく眩しいスパークの中で交錯した、人の声。

 

「“リージョンフォーム”か! アローラの名物を、まさかこんなところで拝めるとはな!」

「そいつはよかった。もう一生見られないだろうから、今のうちにその目に焼き付けておくことだ!」

 

「ぬ!?」瞬間的に驚愕するイズロードの瞳に写るのは、競り合いに負けたフリーザーの姿。氷の刃が熾烈な回転攻撃に耐えかねて、無残にも破壊された。勢いに煽られ、紙ぺらが如き挙動を以て宙を舞う。

 折角の獲物、逃がすまいと続く『メタルクロー』。

 

「まだだな、『みずのはどう』!」

「ッ!!」

 

 姿勢を崩していても、伝説のポケモンは美しい。くるり、ふわりと羽毛散らせながら宙を転げていたフリーザーだったが、嘴が鋼鉄の爪の方を向いた一瞬で、イズロードの声にしかと応えて見せた。

 サンドパンは瞬発的な水の衝撃波を前に、クローもろとも後ろへ吹き飛ぶ。

 だが、自分がぶつかる先で受け身を取って、十分なダメージ軽減。衝撃の余韻で確かに後部まで運ばれながらも、その勇姿は崩れていない。

 ガリガリ。地面に突っ立てた爪が、望まぬ後退をやめさせた。そのせいか、或いは衝撃波を受け止めたせいかはわからないが、表面で煙が揺らめいている。

 

「やはり伝説のポケモン、一筋縄ではいかないか」

「むしろ、伝説と渡り合っていることを喜んだ方がいいんじゃないのか?」

「冗談。これぐらいはできなきゃ、PGとジムリーダーの二足の草鞋は履けないさ」

 

 そう、これぐらい。ユキナリからすれば。

 物事には、何にでも理由がある。サンドパンが伝説のポケモンと渡り合えていることに関しても、当然例外ではない。

 “リージョンフォーム”。全てはこの一言に収束する。

 野生ポケモンの生存において、本来の種が好み、もとい有利とする環境とは異なる環境におかれた際に、極稀に発現させる新形態――および、その現象の事を指す。

 主に多様な気候区分を持つアローラ地方に見られるものであり、このサンドパンのリージョンフォーム態も、アローラにて発見されたものだ。火山噴火の過酷さから逃れるために、雪山に住み着いたのがルーツとされている。

 環境の違いからなる食料不足で土を食するようになり、そのうちに取り込んだ土壌に含まれる鉄分子を吸収する体質を獲得。伴ってタイプにも『はがね』が追加されており、これは棘や爪を原種以上に硬質化させる事に、一役も二役も買っている。

 又、雪が存在する地形で格段にすばやさが上昇する特性『ゆきかき』を持ち、雪上に於いては、何者の比肩も許さぬ強さを発揮する。

 

「『みずのはどう』を連打だ」

「当たらないさ。君の攻撃は」

 

 たとえば、こういう場所(ネイヴュ)でなら、特に。

 サンドパンは上空より矢継ぎ早に襲い来る白水の弾丸を駆けずって次々と回避、銀の爆発を置き去りに、跳躍。

 その速さは誠に怖くとも、フリーザーには一生かかっても陸が追いつけぬ空がある。その事実を顕示せんと、翼をはためかせ、上昇するも――。

 

「なんだと!?」

 

 イズロードの代弁。

 眼前、跳躍に跳躍が積み重なる。驚くのも無理はない。

 あろうことか速度を保ったまま、建物から建物へと飛び移り、追いかけてくるのだから。

 

「『みずのはどう』だ、続けろ!」

 

 焦っていても、狙いはぶれてない。ぶれてないはずなのに当たらない。幾度放とうが、掠り傷一つ作れない。

 

「当たらないと!」

 

 傷なく、雑作なく、恙なく、あれよあれよと接近し、

 

「くっ――!!」

「言ったはずだ!」

 

 今度は当てた鉄爪(てっそう)

 効果は抜群だ。たまらず叩き落とされ、フリーザーは淡青の羽をばら撒いて、不時着して。隣で地に落ちたそんな存在に、PGの隊員から奪い取った『すごいキズぐすり』をスプレーするイズロード。

 

「今でこそみんな手が空いてはいないけど、じきに状況を片付けた援軍が来る」

「…………」

「部隊一つでもいい、何なら一人でもいい……そうなれば、この勝負は僕らの勝ちだ」

 

 するとフリーザーは忽ち傷を癒し全快、再び立ち上がる。

 

「君が僕を下して、ここから逃げ(おお)せるのが先か、こっちの援軍が来るのが先か――」

 

 サンドパン、敵の様相を確認。爪を擦り合わせるのは「まだまだやれる」という気合の表れだろうか。

 

「今度はレイドじゃなく、僕と賭けよう」

 

 事に光が差しても――夜はまだ、明けそうにない。

 

 

       ◆       ◇       ◆       ◇       ◆

 

 

 開けた視界の中で、猛獣が浮き上がって、

 

「三つ」

 

 地に落ちた。

 雪もろとも解けそうなほどに伏せるのは、限界の証明。潰えたグラエナを一瞥したアルマが狙うのは、次の獲物。炎を全身に纏う火炎ポケモン『ブースター』が、敵意で喉を振わせる。

 本当なら、こんな一人に、手を煩うはずではないのに。相対するバラルの先兵達が内心にぼやいた。

 

「まだやるの?」

 

 アルマは尚も突っ張る敵に、冷たく言い放つ。

 

「手加減する余裕、ないけど」

 

 そして悠々の嘯き。リンカや他の隊員すら凌駕する実力を見せつけてもこれだというのだから、格の違いが窺い知れる。だがバラル団がすることと云えば、相も変わらない。

 意気を息に込めて叫び、ポケモンに指示を出し、発破をかけるだけ。

「馬鹿の一つ覚え」閉じ結んだ口が開かれて発された言葉。

 

「ブースター、『ニトロチャージ』」

 

 炎が渦巻く身一つで、襲い掛かるレパルダス三体に突撃を仕掛けるブースター。

 レパルダスは一斉に散開したが、一匹を眼光から逃さぬままに鮮やかに焼き討った。忽ち聞こえた「みゃぐ」という手短な悲鳴を置き去りに、トレーナー――つまり主を狙い始めた二匹を猛追。

 

「馬鹿な、速過ぎる!?」

 

 ブースターならば追いつけまいと踏んでの作戦だったはずなのだが――。

 とんだ見当違いを、「ばかぢから」で嘲る。

 

「ニトロチャージは、攻撃行動と同時にすばやさを上げる技なの」

 

 一匹目を張り倒し、二匹目を地面に捻じ込んだ。

 

「くそッ、完全にノーマークだった……こんな奴がいたなんて!」

「――想像力が、足りないよ」

 

 蹂躙された分を、蹂躙された分だけ。プラスアルファで、殲滅に。氷のような上目が下っ端を凝望する。静けさに孕むアルマの攻撃性と凶暴性は、バラル団の精神を喰い散らかして。

 氷点下で熱を上げる、復讐の焔。

 背中に広がる光景で、怪我人が怪我人を手当てする。その様たるや、なんと痛々しいことか。

 

「だから、あなた達は自分達のエゴを正義と取り違えて、それを誰かに押し付ける」

 

 けして目に見ずとも、わかる。必ず討つと誓った敵が生んだ罪科は。自分の仲間が受けた仕打ちは。

 

「その行為は、いつか沢山の人を殺す。そして泣かせる」

 

 あの頃から、何一つ変わらないやり方だ。

 

「そうなってしまう前に、私があなた達を殺す」

 

 知らないわけがないじゃないか。

 いよいよ途切れた攻め手。機を放る気は毛頭ない。アルマは事を終わらせるために人差し指を突き出した。口にするのは、アルマのブースターの技の中で最大火力を誇る『フレアドライブ』。

 これで終了だ。先刻上がった橙の信号弾の位置をもう記憶に起こし、次の備えを始める。

 

「……?」

 

 のだが、それを邪魔する沈黙が、一つ。

 ブースターが、フレアドライブを放たないのだ。そればかりか、その場から一歩たりとも動かず、不動を貫く。

 脳内でクエスチョンマークが立ち込め、思わず訝った。「ブワゥ」そんな面持ちを解き崩したのが、当のブースターの呻き声で。

 

「ブースター……!?」

「取り違えなど、していないさ……!」

「!」

 

 苦痛を声に乗せ続けるブースターの右前肢には――今しがた討ったはずのレパルダスの牙が、深く喰い込んでいた。

 

「我らの宿願と理想は! 他者を踏み躙ってでも叶える価値がある! 実現する意味がある!」

「くっ!」

「そして我らはその礎となり! 貴様らと共倒れするだけの覚悟があるというだけだァァァ!!」

「…………!!」

 

 ばっ。雪が蹴られる。数か所で、一斉に。

 毛並みが乱れたグラエナも、火傷を痛めるレパルダスも、打撲痕を残すグレッグルも羽が焦げたズバットもみんな、みんな。一度にアルマの元へと殺到した。

 

『そうだ、お前もきっといい兵士になれる。この世界を革新へと導く――私たちの希望に』

 

「――その独り善がりが、気に入らないって言ってるの!!」

 

 見開いた。出現、ラプラス、ロズレイド。

 カウンターの勢いで二個のモンスターボールが開くと、前述の二体を世に送り出した。ラプラスは巨体を以て襲い来る攻撃の全てから主を庇い、沈黙。背後より飛び出たロズレイドが、

 

「『リーフストーム』!」

 

 全身全霊で最大最高の技を発動し、全てを無に還す。

 悲鳴すら掻き消す草葉の旋風が、雪をも巻き込み天へと昇って、果てに消えた。

 

「……先輩……」

「…………」

 

 片やフルパワーでのスタミナ切れで、片や許容ダメージ量の超過で。それぞれは倒れ込む。

「二人とも、ありがとう」暫しの無音を退けて、二体を戻した。同時に力尽き、ブースターの足元にてぐったりと伸びるレパルダスを見下ろし、思いめぐらすアルマ。

 

『選ばれし者は、誰かを討つ権利がある』

 

 脳裏で復元される、かつて生きていた世界。原風景が少しずつ再生していく。

 

『貴方にも、貴女にも、君にも、そして私にも。蹂躙しても良いのです。悲嘆を齎して良いのです。陥れて良いのです』

 

 玉虫色だった自我に鮮やかなまで擦り込まれた言葉を、覚えている。

 

『我々が成さんとすることは、それだけの意義を包蔵することなのだから』

 

 吐き気を催すほど純粋に歪んだ思想を、覚えている。

 

『異なる価値観を排斥してでも、優等な価値を宿すものなのだから』

 

 その薄ら笑いでねじ曲がった三日月のような口辺を、覚えている。

 

『あなた達は』

 

 あれは敵だ。討つと決めた。倒さねばならぬと誓った。お前は。貴様は。貴様の名は。

 

「救世を担う、兵士なのだから」

 

「――……!!」

 

 出し抜けに鼓膜で響いた声が、アルマの意識をふ、と呼び戻す。薄く開くレパルダスの瞳に反射したその姿を認識した時――彼女はもう、既に襲われていた。

 

「サザンドラ――『かみくだく』」

「先輩!!」

 

 だが、勢いよく雪から飛び出た凶暴ポケモン『サザンドラ』が傷付けたのは、アルマではなく、リンカで。

「リンカ」びゅ、と庇って散った血が、アルマの声を吸い取った。

 

 

       ◆       ◇       ◆       ◇       ◆

 

 

「次はどいつだ」。

 挑発と呼ぶにはあまりに熱が過ぎたのだろう、ギーセの語気に臆した救世の兵たちが引き上げたのは、つい一分ほど前のこと。

 先刻の脱獄囚たちではないが、ぞろぞろと蜘蛛の子よろしく散り散りになる様相は、無秩序にも見えこそしたが――どうにも、それとは違うようで。この殺伐を極めるパーティーに不自然と入れ違う来客が、その旨を告げるのだ。

 

「貴様……」

 

 奪い取った、ネイヴュの隊員の制服を身に纏った青年が。

 

「やっぱりわかりますか。“違う”って」

「吐き気がする。血と、悪意の臭気だ」

「普段はここに居ない人だから、上手に誤魔化せると思ったんだけど」

 

 身構えるギーセ。匂いだけじゃない。闇夜の情報保護を受けながらも、深々とフードを被る出で立ちを目にすれば、誰でもわかる。

 必要以上に顔を見せたくないのだと。正体を明かせないのだと。

 それに、サイズも合っていない。華奢な肉体を保護するにしたって、あまりにそのコートは大きすぎだ。

 

「何者だ」

「……それも、わかってるんじゃないですか、本当は」

 

 見透かしたようにギーセを煽る青年は、口元を最小限の動きで抑えて、また閉ざした。

 青年の云う通り。ギーセにも己が内心を教えてやる青年への問いかけはなくもない、が、そうしないのは、まともに答えが返らないと踏んでのこと。

 ギーセの横でウインディが唸ると、青年の腕に収まるヒトモシがびく、と身を震わせる。「大丈夫だよ」そんな仲間を安心させる一言。

 

「どちらでもいい。少なくとも貴様は、今ここで我々と相対するという事の意味を、知っていると見た。それだけで十分だ」

「知りながらにして、迷っている可能性は考慮しないんですね」

「ほざけ。本意ではない上で悪事を働く奴が、こうも楽しげに対峙などするものか」

「……そう見えるのか。些か、心外ではあるけど」

 

「わからないな」。遮って続けた。

 

「遠回しに見逃せ、とでも言っているのか? だったら無理な相談だな」

「そうじゃない。理解に使う頭と、行動に使う頭は別物だと言っているんです」

「理解さえ及んでいれば話は進む。なに、行動など必要ない――黙って、この正義に焼かれるだけでいい」

「それこそ、無理な相談に他ならない」

 

 ぼそぼそ発されてわからなかったが、唇は“強引だなあ”と動いた気がする。

 ひとまず視線を下ろし、見直し。とことん熱された言を、とことんまで冷やさんと対応する青年。ギーセとしては彼の正体こそわからないが、成さんとすることぐらいは確信に至っている。

 こいつが『共謀者』だろう。初動で、刑務所の機能を低下させた張本人だろう。

 

「不毛なやり取りだ。終わりにしよう」

 

 だからこそ今、ここで、この瞬間に、やり取りの主導権を強引に奪い取った。

 

「イズロードとの二人旅は、楽しかったか?」

「さあ、わからないです」

「逃走の補助は、どのように行った?」

「それも、ちょっと」

 

 腹に決めても尚、雲をつかむような返答しかかえってこずとも、構わず畳みかける。攻撃的且つ威圧的に、その歯切れの悪さごと握り潰さんと。

 

「では、最後の質問をしよう」

 

 どちらが正義か悪か、わからなくなるほど、理不尽に。

 

「――もう一度、あの男(イズロード)に会いたくはないか!?」

 

 どこまでも、暴力的に。

 でも、それでいい。それがいい。守るべき人々が悪と定めたのならそれは悪で、誰よりも一番の敵で。そこに斟酌も許容も要らない。躊躇の介在する余地などない。事情も関係ない。

「知ったことか」と、唾棄してやろう。

 ウインディが嘶く。一夜にして数え切れないほどの悪を灼けど、正義の炎は未だ衰えを知らず。

 未だ傍観者づらした青年は、物遠い顔のまま呟いた。

 

「あなたは短絡的で、それでいて、急ぎ過ぎだ」

「急がねば、お前たちの食べかすがまた増えていくだけだ」

「少しは立ち止まったっていいはずだ。それこそが何よりの“らしさ”のはずなのに」

「迷う間に悪意の下で咽び泣く者が増えていくのならば。私は人でなくとも構わん」

「……なぜ、そうも簡単に決められるんだ」

「言ったぞ、不毛だと。懺悔の時間もやらん……覚悟しろ、悪党」

 

 そして、一瞬。閉目し、物悲しく詰まった言の葉。それは沈黙分の諦観を伴って出てきた。

 

「……そうか……、そう、だね」

 

 彼は優柔不断だ。おそらく今この局面ですら、自分の成すべき事を見失うぐらいには。敵前でも倒すべきか倒されるべきか、そんなことすら考え込んでしまうほどには。自分のことを決められないでいる。

 だからって、別に目交いの人物に確かめてもらいたかった訳じゃない。し、決めてほしかった訳でもない。自分の行動も、意志だって。

『自分のことは自分で決めるしかない』と、迷い続ける彼はよく理解している。

 なればこそ。誰かの話を聞く判断材料の収集は、尚更必要だった。

 

「わかってたよ、こうなるって」

 

「だけどね」。

 短い邂逅と、短い開口。青年はあまりに不十分なそれで、彼を知り尽くしただなんて不躾を言うつもりはない。さりとて。

 

「誰かとぶつかり合う時ぐらいは――自分の気持ちを、はっきりさせたかったんだ」

 

 自分が今、何をすべきかは――――よく解った。

 冷たい雪上に降ろしたヒトモシが、ウインディの“叫び”に呼応するかのように、瞳をギラリと発光させた。

 次の瞬間、そこから漏れた燐光は肥大化し、瞳に一時の闇を与えるほどにまで弾けて。

 効果音を表現するならば、カッ、といったところか。

 

「僕とあなたは、相容れないんだと思う。勿論、どっちが正しいかなんてわからない」

「なん……だと!?」

「でも『自分が正しい』って誰かを押さえ続ける誰かを、指くわえたまま見ていたくない自分も、今だけはちゃんとわかるから」

 

 次に開眼したギーセが捉えたものは、ヒトモシではなく――。

 

「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」

 

 建物でも上背が追いつかない、焔の巨人だった。

 

「みんなから頂いた命の炎……、使わせてもらうね」

 

 その風景――神話か、創作か。

 逃げ回る最中、人々から吸い取った命で生み出す炎は、紛れもなく罪科の炎。それを以てして立ち上げた巨人は、ヒトモシを核に爆発的に成長していった。

 一〇メートルにも及ぶ巨体の輪郭を揺らめかせ、ウインディを真似て吠え立てる。

 すると起こった地響きが、騒ぎを凌ごうと隠れていた野生のポケモンの逃げ足を走らせた。炎の光は、安地への(しるべ)か。罪科の炎を背負いし者の、覚悟の表れか。

 

「それが、貴様の返答ということでいいな」

「あなたに特別敵対意識がある訳じゃない。けど、こうして罪を背負うことも、誰かとぶつかることも。迷いっぱなしじゃ出来ないでしょう」

「……上等だ」

 

 ギーセは決して臆さない。

 正義の炎を背負いし者は退かない。

 

「正義という言葉が人の形をしているこの私ギーセが、その罪ごと焼き討ってやろう……!!」

 

 ウインディ。大きな呼びかけに応えた獣が、巨人へ一目散に駆けていく。瞳に宿った覚悟も、主のままに。

 

「――いくよ」

 

 こちらは覚悟なんて、大層なものではないけれど。

「こう」と決めた時の人間がこうも脅威たりえるのだと、青年『カナト』は、まだ知らない。

 

 

       ◆       ◇       ◆       ◇       ◆

 

 

 バギン。無味乾燥な音を響かせて、ライオンとリンクスのハイブリッド種を髣髴させる四足のポケモン『レントラー』は、クロックのジャローダを討った。

 続くビキビキッ、という音は、ジャローダの肉体が氷結したのだと示す。

 

「これで四体だ」

「……見事」

 

 不敵と焦燥、クロックは相反する心情を孕んだ得も言われぬ笑みを浮かべ、水晶体に覆われた翠の草蛇をモンスターボールに戻す。

 片や手持ち六体のフルメンバーで、片やたったの二体。勝負は早々に付くだろうと、当初のクロックも踏んではいたのだが。

 とんだ想定外に見舞われている。

 

「エルレイドに、ムクホークとチャーレム。そしてレントラーに、ジバコイルとジャローダを――持っていかれるなんて」

「私は器用ではないのでね。そこらのトレーナーのように、沢山のポケモンをきっちりと強くは育てられないんだ」

「なるほど……量より質の一点集中、か」

「なにより。戦いはいつだって少数精鋭でしたい方でね」

 

 二体で四体を沈める――されどエルレイドは既に沈み、立っているのはこのレントラーだけ。

 一対二で依然劣勢であるが、それでも変わらず、涼し気に語るソヨゴ。この余裕がブラフか否かは測りかねるが、クロックにしても確信へと至った事はあって。

 

「本物みたいですね、実力。マスターボール勲章は伊達じゃないっていうか」

 

 クロックはそう言って、自分の衣服の胸元左を人差し指でタップする手振りを見せる。そこはソヨゴのマスターボール勲章がある位置に相当する。

 失言のようにも聞こえるが、紛れもない彼なりの賞賛。元々トレーナーであったからこそわかる、素直な強さへの敬意。

 様々な戦況に対応できるよう、数だけではなく、タイプにも拘ってポケモンを用意した。それでもこうも追い込まれているのは――相手が手練れであるという他に、あるまい。

 

「そういう君は、まるで偽物のようだ」

「……?」

「バラル団ではないみたいだ、と言っているのさ」

「ああ」

 

 ソヨゴが顎に手を当て訝るのも、致し方ない話ではある。

 ユキナリが去ってここまでの間でだいぶ経つが、行われるのは一向に一対一のポケモンバトル。ただそれだけ。

 常識的に考えれば何一つおかしなことなどないのだが、特筆し、注視すべきは『クロックという人物がバラル団である』という一点だ。

 対バラル団にしては、あまりに何も起こらない。己が狙われるでも、仲間を呼ぶでもない。身構えた以上に異常がなく、拍子抜けしかけるほど。

 

「だから言ったじゃないですか。生涯で行った一番の悪行は、フレンドリィショップの棚を滅茶苦茶に荒らした事ぐらいだって」

 

 ため息まじりに返しこそしても、その特異な事情を話す事はない。

「ま、こっちにも色々事情があるってことで」ばかりか、曖昧模糊。

 喋ったところで無意味であり、起こることもすることも変わらないと、知っているからこそ。

 

「まあ、何でもいいんだがね。私が今からすることも、それによって起こる結果も、変わらん」

「それは、僕も同じことですよ」

 

 何より成り行きと云えども、今ここに身を置いて通す筋は、本物だから。

 たとえどこにいて、賛同出来ない思想や行動であっても、自分の決め事だけは通さねばならない。

 

「いけ――ガブリアス!」

 

 クロックの五番手、マッハポケモン『ガブリアス』が、そんな彼の意思を代弁するかのように降り立った。

 一本一本の毛先がびりびり震え上がる咆哮を受け、レントラーも静かに全身から電気を奔らせる。

 

「でんきタイプに対し、じめんタイプか」

「ガブリアス『じならし』!」

「グルァアアアアアアアア!!」

「いい判断だ」 

 

 ガブリアスは二メートルという巨躯に見合わない敏捷性を利用し大きく跳躍。かと思えば一瞬表れた町の全体像もお構いなしに、すぐさま急速落下する。

 勢いと叫びを引き連れた両足が、着地からノータイムで衝撃波を生み出した。

 

「が!」

 

 荒れ果てた地表を、ダメ押しで荒らす。波紋状のそれに唆されるまま、隆起した大地に襲われるレントラーだったが、

 

「弱点をそのままにしておくほど、甘い育成はしていない!」

 

 同様の跳躍で回避。

 描いた放物線。どこへいくかなど、決まっている。狙う所は只一つ。

「まさか!」見上げた先で目を点にするクロックの推測は、大当たり。そのまさかだ。

 着地点の見立てに寸分も誤りはなかった。

 

「さっきも見せたはずだな!」

「ッ!」

「私のカードだ――受け取れ、『こおりのキバ』!」

 

 押し退けられた空気が、見送りの恩も忘れた獅子に凍らされた。

 先に大技を打ち込んだ後隙で、足止めをくらうガブリアス。徐々に大きくなる落下物の姿を、ただただ見つめるしかできなくて。

 ビキビキ、ビキビキ。そうやって迫る冷気が、とうとう己を当てたのがわかった時。

 

「グアァアアアアア!!」

 

 ガブリアスの視線は、地に落ちた。

 体温が一気に下がって、折れかけのプラスチックのように白化する肩部。確かな手応えを土産に、レントラーはソヨゴの下へ跳び退く。

 

「耐えたか。上出来、といったところかな」

 

 ガブリアスのタイプは“ドラゴン”と“じめん”。この二つに共通する弱点“こおり”の技を直撃で浴びせられては、ひとたまりもない。

 しかし翻って、片膝をついているとはいえ、尚も意識を保ち続けるなど……普通は考えられない訳で。

 

「いやいや、今のは効いた……いや、本当に」

「しかしどうだ。その状態ではろくに対応できまい」

 

 凍傷に侵されたガブリアスの右肩を瞥見し、指を弾き鳴らすソヨゴ。指示と受け取ったその動作を肯い、レントラーは今一度牙に氷を纏わせた。共に凍える吐息が、彼の本当のタイプをわからなくする。

 看板に偽りなし。眼光ポケモンの名に恥じないほど研ぎ澄まされた鋭利な瞳が、とどめより前もって、ガブリアスを突き刺す。終わりを宣告するかの、ように。

 

「その実力は認めよう、伊達にバラル団の幹部はやっていないな。尤もそんな肩書きも、今限りで剥奪になるがね」

「フッ……冗談を」

「今のは本気なのだよ、残念ながらね」

 

 いいや。力のこもった言霊を頑なに否定し続けるクロック。何やら大量に含んでいるようではある。

 

「追いつめられればパフォーマンスを発揮できないようだな。冗談がつまらん」

 

 しかし当然、知るところではない。

 ここでソヨゴが不信感を覚えなかったと言えば嘘になってしまう。が、それより何より、彼は己の勝利に対する揺るがぬ確信に目を向けた。それだけのこと。

 でも、ただそれだけで。

 

「――違うんだよ」

「……!」

 

 全てがひっくり返るだなんて――思わなかっただろう。

 ローブの隙間から現れ出た左腕、いや、厳密にはそこに飾られていたブレスレットが、

 

「あなたがこれからどれだけ本気で事を起こしても――その悉くは僕に阻まれ実現の期を逃すだろう」

 

 出し抜けに輝きを放ち始めた。

「なに」不信感の的中を受け入れるよりも先に、巻き起こる強烈なエネルギー、風の音。

 

「そうやって、全部、僕にとっての冗談になる」

 

 赤、青、緑、黄、紫、白、橙――溢れる光の色はそのどれでもあるし、どれとも言い切れない。名状しがたいものではあるが敢えて、敢えて手近なもので表現するならば。

 

「我が呼び声に応え()(なら)せ、ガブリアス――!」

 

 まるで、虹みたいだった。

 強烈な煌めきに引き起こされたか、ガブリアスの胸から放り出た七色の光線がリボンよろしく伸びて、その凍えた肉体を包み込み、やがてドーム状の膜へと変容する。

 そしてその光球はほどなくして、爆ぜ散った。

 

「今こそ叶え! “メガシンカ”!」

「――ヴァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」

 

 最後に生まれ変わったガブリアスを、この世界へと送り出して。

 パンプアップの要領で全身の筋肉が熱を帯びて膨れ上がり、両手が大鎌と化し、一回りもサイズが違っていても。ソヨゴはこの地竜を、ガブリアスと認めるしかない。

 

「……夜明けは、もう暫く先なようだ」

 

 進化を超えた進化によって究極へと至ったガブリアスと、頷くしかない。

 

「長い夜だ」

 

 肯定するしか、ない。

 

「ああ――本当に、長い」

 

 クロックが『メガガブリアス』と呼んだ、その時から。

 

 

       ◆       ◇       ◆       ◇       ◆

 

 

 二本目に上がった白の信号弾を見た者は、いるのだろうか。

 見ることができた上で、こちらへ向かうことができる者は、いるのだろうか。

 

「ご無沙汰しております」

 

 答えは、火を見るよりも明らかだろう。

 

「仔兎」

 

 図らぬ時に、思わぬ場所で、再会というものはやってくる。これぞ世の常なるものだ。

 バラル団幹部の衣装を身に纏った女は、アルマに対して蛇のように視線を這わせ、捻らせ、絡ませ、明るい笑声をかけて、にっこりと頬を綻ばせた。

 

「いいえ、アルマ」

 

 ――ハリアー。作戦の立案、実行補助を請け負う構成員。

 全ての元凶が取りこぼした獲物の名を呼んだ時、アルマはようやっと真ん丸にした目玉を元に戻す。

『こいつのせいで、仲間が傷付いた』『こいつのせいで、罪なき人々が殺された』『こいつのせいで、ネイヴュは地獄と化した』

 こいつのせいで。私は。

 腹の底で巡る、凡そ敵へ向ける感情以上に加速するそれは、変わらずに固定されたまま。

 

「名前、覚えてるんだ」

「君……失敬。貴女という仔兎は、いつ如何なる瞬間に当時を振り返れど、真っ先に私の脳裏へ飛び込んでくる。片時も忘れたことなどありませんよ」

「一方的でなくて心底良かった。私も、あなたのその虫唾が走るほど汚い笑顔を忘れたことはない」

「嗚呼、想起。腸の煮汁の上澄みが如き瞳――職人が(こさ)えたガラス玉をもってしても比肩出来ぬほどの純粋さを湛えているというに、備えた真意は相も変わらず」

「もう、喋らないで」

「破壊だ」

 

 虫唾が走るほど汚い笑顔。仔兎、曰く。

 

「相反するものを孕ませて。それでも均整を取って」

「うるさい」

「こんなにも美しく、強く、現し世に地に足付けて立っている」

「黙れ」

 

 アルマは冷え切った、そんな氷上じみた表情に尋常ならざる殺意を向けながらも、闇討ちから自分を庇って負傷したリンカのため、必死に自制する。

 今にも飛び掛かって、滅多刺しにして、切り刻んで、忌々しい追憶ごと焼き尽くしてしまいたい気持ちを。震える握り拳で押し殺す。

 悪人なんて言葉で片付くほど、易しい人間ではなく。こいつだけは野放しにしてはならないと、思うけど。

 いや……ひょっとしたら人間ですらないのかもしれない。

 

「しかし、その懐かしい顔にも、そろそろ別れを告げる頃合いかと思いまして」

 

『だったらなんだ』と問われると、“世界の歪み”というしかないのだけれど。

 それでも、堪えてみせる。

 

「なつ、かし、い……?」

 

 深く抉れた右腕、および右肩から大量の血を流しながら、アルマの背中に問い掛けるリンカ。答えは異なる口から返ってきた。

 

「おっと……御令嬢、貴女は存じておりませんでしたか」

 

 今しがた殺めかけた人間とは思えないほど柔和に、悪魔が別の少女に話す。内容は、言わずもがな只今も己を守っている彼女のこと。

「この娘はね」具体的には、

 

「我らが同志、バラルの兵だったのですよ」

 

 過去のこと。

 アルマの言い損ないとすれ違わせた、アルマがひた隠してきた、アルマの真実。

 

「――へ」

 

 こんな寝耳に水、あるかな。リンカが戸惑いすら通り越した先で唖然とするのを肩越しにし、だろうな、と項垂れるアルマ。

 背中に描かれる意思は諦観か、或いは逃避か、彼女のみぞ知る。

 

「正しくは、『候補生』と言った方が良いでしょうか」

「……嘘……、だって」

「否、虚偽に非ず。知らなかった御令嬢が知って尚そう思えてしまうほどに、知られないよう彼女が隠し通していただけの話でありましょう」

 

 思い当たる節がありすぎて、否定にすら口ごもってしまうリンカ。

 元バラル団。ただただ引きずった罪だけが、この月明かりの下に照らされて。

 

「それはそれは優秀な子だった。ポケモンの扱いに長け、仕込んだ格闘術もすんなりとモノにした」

 

 だが当人を差し置き、噛み締めるのがこの悪魔のやり口らしい。

 

「物分かりも良く教育も難なく進んだ。まさに天才だった。我らが救世の切り札と期待されるほどに。あらゆる面で完璧だった」

 

 一から十まで、まるで全てを知っているかのように、自分を語る。自分のことのように、自分の記憶を貶める。

 世界一、他者を蔑ろにする悪魔が。

 

「あの、醜い豚のような両親を除いてね」

 

 アルマはどうにも許せなかった。

 殺してやりたい人間の死ぬほど憎たらしい要素の一つでさえ。

 一〇年経った今でもこんなに。

 憎い。

 次の瞬間、彼女の隣にいたはずのブースターは、ハリアーの目と鼻の先で爆ぜ燃えていた。

 フレアドライブ。先程のニトロチャージの比ではない業火に包まれて、割って入るサザンドラに激突する。

 

「私は何か言葉を誤りましたか?」

「いい。もう、いい」

「与えられた餌を与えられたまま食して、与えられた役目を与えられたまま果たして、また与えられた餌を貪って……それだけを繰り返していれば良かったものを。“ただの豚”で良かったものを」

「もう喋らなくて、いい」

「一丁前に自由など夢見てしまうから。下劣に為って、醜悪を極め、家畜としての価値すら損なわれた。違いますか?」

 

 間近の火の粉が頬を撫でても、無神経なほどに口車は好調で。

 

「それとも、彼らに情でも移ったのでしょうか」

「違う」

「いけませんね……最期まであなたの人生を狂わせた存在なのですから。甘い顔を見せてしまっては」

「そんなのじゃない」

 

 静止だって利きやしない。

 

「あの人達は勝手に手を血に染めて、勝手に私を殺して、勝手に私を守って、勝手に死んでいっただけの大馬鹿者だ」

「であれば、」

「それでも――あなたよりは何万倍もマシな人間だった」

 

 であるならばこの害毒は。世界の歪みは。人類の過ちは。人心の癌は。世の膿は。

 

「から、あなたにあの人達を語られるのが、我慢ならないだけ」

 

 今ここで、彼女が黙らせるしかないだろう。呪いにも似た因縁に決着を付けるしかないだろう。

 

「何よりも。あなたが歩いて、喋って、呼吸して生きている一分一秒が、私は許せない」

「決まりですね」

 

 見下ろすままに不変な満月の一方で、ハリアーの三日月(くちもと)はよりしなやかに反り返った。

 これこそが合図。サザンドラが至近で己を焼き続けるブースターへ、『あくのはどう』を浴びせかける。

 ぶわ。攻撃から回避への切り替えが追い付かない。ブースターは炎を覆いつくさんばかりに拡がる闇色のオーラに、弾き飛ばされた。

 

「……!」

「私は貴女と、貴女の家族の教育を失敗したと思っていたが」

「くっ!!」

 

 はためく黒翼。一気に進撃。ブースターではない。アルマも違う。

 暴虐の凶竜が狙うはその背後。高速ですり抜ける影をいち早く察したアルマが、歯を食い縛って振り返る。

 

「ブースターッ!!」

「どうやらその認識に間違いはなかったようです」

「ブァアアアアァァァッ!!!!」

 

 ブースターは視界に躍り出た。そうして最後の力を振り絞って、ぐったりと横たわるリンカを守り切って、ついに力尽きる。牙の食い込みと時を同じくし、悲鳴が耳を劈いた。

 その断末魔に、価値があったと言えるだろうか。わからないが、アルマが四つ目のモンスターボールを投げる音を掻き消した事だけは、違いない。

 呼び声に引かれるまま出現した波導ポケモン『ルカリオ』に蹴飛ばされ、雪飛沫を上げてダウンするサザンドラ。

 

「貴女が過去を過ちとするように。私も、私が育てた貴女を過ちとし、否定しましょう」

 

 効果は抜群だったが、なんと強靭か、三つ首の黒竜は平然と起き上がる。

 ばかりでなく、“叫び”で仲間を四体、モンスターボールから呼び出した。

 ジャミング下でもテレパスを以て仲間同士の交信を可能とさせていたブレインポケモン『オーベム』に、闇討ち用の色変化ポケモン『カクレオン』、搦め手を想定したぬいぐるみポケモン『ジュペッタ』に、対人に特化した武術ポケモン『コジョンド』。

 最後に強襲用の――サザンドラ。

 ハリアーのポケモン全てが場に並び立つ。それが意味することを、アルマがわからないはずもなくて。

 

「汚点は、消さねばなりません」

「っ……!」

 

 ラプラス、ロズレイド、ブースターと、手持ちの五分の三が倒れた。残り二体と、実質無傷の五体。

 

「アルマ! 無茶だ、やめろ!」

「落ち着けよ……救援は来ないんだぞ!? 逃げるしかない!」

 

 ぶつかればどちらが負けるかなんて、ほんの少し考えればわかる話。

 戦えるポケモンがいないながらに、アルマの後ろで仲間の応急手当をする隊員が、血に浸った布切れを握り締めて言う。

 

「だ、め……」

 

 リンカも声にならない声で、アルマの背中を幾度と止めた。

 されど返ってくるのは無言と無音の、当たり前すぎる期待外れ。

「行くな」だとか「やめろ」だとか。あとわずかに意識が確かで、目が冴えているのであれば、もっと気の利いたことだって言うのに。いいや。加勢だってするのに。

 

「だめ……、だめ、ですよ……」

 

 いつしか繰り返す「だめ」は、自分への嫌悪に使われていた。

 何回立てよと腹の底で唱えても、体は俯せに寝っぱなし。

 涙が滲む瞳に、血が染みる唇。雪を叩く左手に、踏み潰す爪先。これだけの事が出来たって、ただ無力で。何の役にも立たなくて。

 また見ていることしか出来ない。私は、また。

 

「……だめじゃないよ」

 

「ごめんなさい」って、言いかけた。

 その時、震える肩にそっと手が乗った。

 首を再びもたげると、アルマの微笑がそこにあった。リンカは今まで見たことのないそれに、状況も忘れて呆気に取られる。

 

「いる意味ないなんてこと、ないよ」

「……せん、ぱ」

 

 その声を遮るようなタイミングで、空に赤い『撤退』の信号が弾けたのがわかった。動ける者は動けない者を抱え、戦う余力のある者は退路を探る。行動の意図を汲み取った隊員達が一斉に準備に入る。

 道中の万一に備えて、と出てきたガブリアス。アルマの残存する一体だ。

 

「アルマ……石っころぐらいしかねえが、援護する。だからお前も」

「私は残ります」

「なに!?」

「戦えるポケモンを持っているのは、私しかいない。だから、私がルカリオで出来るだけハリアーを抑えて時間を稼ぐ……ので、皆さんは、なるべく遠くへ」

 

 アルマはそう言い、信号が上がったどの位置からも離れた……つまり騒ぎがないであろう遠くを、指差した。

 

「でも、ならお前は!」

「私も、頃合いを見て離脱します」

「だが……!」

「大丈夫です。私は――」

 

 そして、ゆっくり望む、リンカの顔。

 

「七も歳が離れた女の子にも、本心を話す事が出来ないぐらい、臆病だから」

 

「必ず上手に逃げます」。

 誰もがこの付け加えを信じ込んだけれど。リンカの口だけは「嘘だ」と動いて。

 違うだろう。

 私がよく知るアルマは。

 目的のためならば、

 

「聞いて、リンカ」

 

 そこで、独白が途切れた。

 

「あなたは、いつも誰かのために生きて、何かを守るために一生懸命に戦っている」

 

 白んだ脳内へ鮮やかに流れ込むこれは、一体なんだろう。

 

「何かを殺す世界でしか生きてこなかった私は、最初、それを心底下らないと思っていた」

 

 ああ、そうだ。きっと、これは、

 

「でも、後々になって、他の誰にも出来ない凄いことなんだと、気が付いた」

 

 彼女の本音だ。

 

「羨ましいと思った。素晴らしいと思った」

 

 傍に寄り添うために、ずっと聞きたいと願ってきた、彼女の隠し(ごと)だ。

 

「そんなあなたと一緒にいられることが、何よりも誇らしいと思った」

 

 でも、何故だろう。

 こんなに待っていたものなのに、素直に受け取れないし、喜べない。

 だって。 

 

「――私も、誰か(あなた)を守りたいと思った」

 

 思いの丈を吐き出すあなたは、こんなにも泣きそうだから。

「は、は」何を返そうとしても言葉が出ない。体が苦しいからか。それとも心が苦しいからか。

 

「あなたは私を救っていた。だから、どうか無力だなんて言わないで」

 

 もっと、あしらってほしい。呆れた顔で尻を拭ってほしい。不始末を冷たく叱ってほしい。

 多く望まないから。いつも通り、いつも通りでいいから。

 

「……私を支えてくれて、ありがとう」

 

 そんな顔をしないでほしい。

 

「新しい生き方を教えてくれて――ありがとう」

 

 目の前から、消えないでほしい。

 

「やだ……、いやだ……!」

 

「行って」

 

 そんな願いを無碍にするように、また彼女は、手が届かなくなるまで遠ざかって。

 全員がアルマを置いて駆け出すと同時に、隊員もリンカを抱えて地を蹴る。

 

「せんぱぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁい!!」

 

『さよなら』

 

 アルマが、アルマにしか聞こえない声で呟いた時。

 どこからとなく生まれた雫が一滴、雪にとけた。

 そうやって絶叫に背いて、向き直って、敵を見据える少女は、不思議と清々しい表情をしていた。

 

「やっと、言えた」

 

 やっぱり伝え方は下手くそで、言葉も歪だったけど、ご愛嬌。いつも通りだ。いつも通り。

 

「成長しましたね、アルマ。あの日の小童(しょうどう)の姿は、今や面影すらない……こんな愚行に走るなんて」

「私がここに来たことは、過ちなんかじゃない。それを証明する」

「それは恐らく、ここで華々しく散ることで、完遂されるでしょう」

 

 ハリアーの全戦力が、一斉にきろりと目の色を変えた。彼女がバラル団でよく見てきた、人殺しの目だ。

 

「よろしい。その役目、買って出て差し上げる――ゆめ死に損なわぬよう!」

 

 ごめんね。主の謝罪を受け入れ、ルカリオは四面楚歌の中、静かに構える。

 

「どうぞ殺せばいい。それでも私は、守ってみせる」

 

 いつもと違う決意。憧れた存在が掲げたもの。

 

「――刺し違えてでも!」

 

 守るための戦い。

 それを、叶えるために。


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