ポケットモンスター虹 ~A Aloofness Defiers~   作:裏腹

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Episode.03 それぞれの戦局

 過ぎ去る街並み。残る足跡はどこまでもつか。

 真白い大地を、鉄鋼の馬達が駆け抜ける。

 雪は人々を、その往来の痕跡ごと消し去る勢いで降りしきっていた。

 されど果敢に嘶いて、その身を赤く火照らせる姿は、実に勇ましい。

 

『確保隊は、捜索隊の支援に向かえ。騒ぎが起こっているポイントは大方見当がつくからな――各々の割り当てをホワイトボードに書いておいた。確認次第、出動しろ』

 

 つい先ほどのブリーフィングを反芻する、確保隊の面々。誰一人として記憶の取りこぼしはしていない。一糸乱れぬ足並みが、その証明だ。

 

「視界は依然悪く、敵の全体規模も把握できていない! 無理難題とは思うけど……慎重に急げよ!」

「了解!」

 

 パトカーを運転するソヨゴも。ウインディに乗るギーセも。エアームドに跨るアストンも。ラプラスに掴まるアルマも。確かなユキナリの呼びかけに応える。

 止まってはいけない。延々と白雪に包まれし夜――文字通りの『白夜』に飲まれる人体が、そう告げた。

 何故ならば、寒さに体力を奪われるから。そしてもう一つ。

 

信号弾(シグナル)グリーン、A区より上がりました!」

 

 救いたいものも、救えなくなるから。

 右を見ても、左を見ても暴虐の限りを尽くすハガネール。そんな彼らを晒しあげるように、空で緑の光球が眩しく弾けた。

 それも一つではない。二つ、三つと街の各所から、立て続けに。

 

信号拳銃(シグナルガン)?』

『ああ。文明発達万々歳のこの時代だ、連絡精度にゃクソの期待もできねえが……持ち場の状況を知らせるぐらいの仕事はできるだろ』

 

 正体はレイドが出動前に配った、信号連絡用の拳銃および、その光弾。

 ジャミングによって無線通信が妨害されている中での、連絡手段だ。

 

『緑の信号が戦闘開始で、黄の信号は救援要請。でもって赤は撤退だ。どうにもならなくなって、持ち場を離れる時に使え』

 

「C区、D区、E、F……信号(シグナル)、オールグリーン! 次々上がっていきます!」

「おっ(ぱじ)まったな……」

 

 空を見上げながら並走する一団から、アルマが抜けていく。だが予定内。作戦通り。

 

「これより作戦ポイントに向かいます」

「了解、あまり熱くなるんじゃないぞ!」

「わかりました、そちらもご武運を」

 

 ラプラスはそう言い残す彼女を背にしたまま、空中に氷の道を生成。そこを滑走し、建物の谷へと突っ込んでいく。

 家々を器用に避けながらも見つめる一点は、迷うことの無いB区――捜索七隊の戦場で。

 

「リンカ……、無事でいて……」

 

 強い祈りが、その背中を強く押した。

 

 

「前方よりハガネール出現! こちらへ向かってきますッ!」

 

 その声は、アルマが抜けた直後に響き渡った。

 巨体が轟音を引き連れて地中より出現すると、それは忽ち彼らの前に立って塞がった。そしてやがて、見事なまでの障害と成り上がった。

 そう、“障害物”ではなく――“障害”。

 自分より何周りも小さい人間たちを見下し、ハガネールは咆える。

 

「ハガネール、攻撃してきます! おそらく『ストーンエッジ』!」

「グルアアアアアアアアアアアアアア!!!!」

「やら、せるかッ!!」

 

 隊列に襲い掛かる巨石の刃を防ぐ、巨石の砲丸。エアームドの『いわなだれ』によって出現した岩を、団子状に纏め上げたものだった。

 双方の得物は衝突という暴力的な逢瀬を果たした所為で、四方八方に砕け散る。生まれた破片は雪よろしく誰しもに平等に降り注ぎこそしたが、誰一人として浴びてはくれなくて。

「おい、危ないだろう!」ハンドルを乱雑に切るソヨゴ。彼の裏返りの一声すら置いて、次なる動作に入るアストン。

 

「一気に決める! エアームド!」

 

 ――食い縛った。瞬間、アストンとエアームドが皆の視界から消失。

『こうそくいどう』で行う突撃は、人の目ばかりか音すらも置き去りにする。

 滂沱の石の雨を奔り抜ける、白銀の飛翼。回り(かえ)って宙舞って、都度に落ち行く石ころが、逐一大地を突き鳴らす。

 風が割れ。光が線引かれ。とても思えない。人が乗っているとは。

 

「グウゥルアアアアアアアアアア!!!!」

「――――ッ!!」

 

 襲い来る鈍角的な牙を紙一重。バギィン。傍で鳴った鉄の打音。

 

「……!!」

 

 エアームドは生まれた刹那を余すことなく使い切り、ハガネールの背後に回り込んだ。そして、

 

「でぇえやあああああああああああああああ!!」

 

 残る仕事を、アストンに託した。

 上げた右手が猛々しくモンスターボールを投げると、淡青の燐光が辺りに散らばった。その果てより顕現するのは、

 

「――ロズレイド!」

 

 華麗でしなやかな、薔薇の化身。

 

「『はなびらのまい』!」

 

 ブーケポケモン『ロズレイド』は指示に肯って、がら空きの背中へ極彩色の花びらを解き放つ。赤青ツートンの両手から放たれるそれは莫大な数で、途方もなく、ひたすらに眼前の巨躯を埋め尽くさんと宙空にて乱れ踊った。

 直後に天空を突き刺す叫びは、鉄蛇の悲鳴。

 さすがの鋼でも、形無し――といったところか。

 ズシン、と倒れ込んだハガネールの上に着地するロズレイド。アストンはその様相を空中で確認してから、緑の信号弾を打ち上げた。

 トリガーガードに指をひっかけて銃身をくるくる回す動作は、なんとも彼らしい。

 

「遊撃手アストン・ハーレィ、これより状況を開始する!」

 

 千鳥のような甲高い炸裂音に負けじと発された声。それは仲間たちに「ここは任せろ」と、言っている。

 だが、それは彼一人だけではなくて。

 

「オォォバァァヒートだァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!」

 

 直後、闇夜を嘘にしてしまう火柱が、アストンの身辺で煌々と爆ぜた。

「!」気付いたとき、熱波にやられた数匹のゴルバットが、その周囲を落ちていくのがわかった。恐らく彼に襲いかかろうとしていた、バラル団のものなのだろう。

 さらに視線を落としてみれば、危機を救った主が、そこに。

 

「ウインディ……警視殿か!」

「警視正、地上の敵は任されよ!」

「! それは……心強いな!」

 

 技『オーバーヒート』により、未だ冷めやらぬ肉体から煙を発する獣――伝説ポケモン『ウインディ』。

 彼の気迫にやられたか、潜伏していた下っ端がぞろぞろと物陰から出てきた。その表情は、皆一様に、焦っていて。

「奴だ……第三機動旅団長だ!」「警戒レベルS、近辺の兵力を集結させろ!」「絶対に自由にさせるな!」

 思い思いの事を好きに勝手と口に出し、各々のポケモンを繰り出す。

 そうして早々に囲まれたギーセ。

 

「……違う」

 

 だが。彼がその胸に携えた「B」のエンブレムを眼中に入れることは、ない。

 そう、違う。違うのだ。彼が会いたい人間は、こんな矮小な存在ではない。芥子粒が寄って纏まったような、こんなちっぽけな集まりではない。

 

「違ァァァァァァァァァァァァァァう!!!!」

 

 噛み合わせを解きながら叫ぶ主に呼応するように、正義の獣が咆哮を上げたとき。今一度業火は周囲を吹き飛ばした。

 一瞬で蒸発を迎える大量の雪が、煙となって、その姿を隠しても。

 

「出てこい、イズロード……!!」

 

 この男は叫び続ける。

 

「捕らえても捕らえても手を緩めなくて恐れられるギーセが――ここにいるぞォォォォォォ!!!!」

 

 宿敵(イズロード)の名を、叫び続けるだろう。

 

 

       ◆       ◇       ◆       ◇       ◆

 

 

 アルマが行った。アストンが行った。ギーセが行った。優秀な戦士たちが次々と散開し、各々の戦地へと赴く様子を、庁舎は見守る。

 明かりが消えた町の中で、ただ一つの建築物だけが光っているというのも、なんだか不気味で。

 双眼鏡を持った隊員が、窓に写っていた。

 

信号(シグナル)、グリーン……F区二番地です」

「これで、向かった奴等は大方戦闘に入ったと見ていいな」

 

「援護部隊は待機を続けろ」慌ただしい対策室。

 レイドは馬鹿が如き頻度で空を見上げているが――信号を事細かに確認するため。おまけにそれをしながら、上がった信号の位置と時間を逐一メモしているというのだから、司令塔としての役目を十分に果たしていると云えるだろう。

 戦力を渋っている場合では、ないのだが。

 現状のバラル団が荷物に紛れられる程度の規模だったと仮定すれば、まだ数ではこちらに分がある。そう踏んで用意した、緊急時に差し向ける援護部隊。

 二手、三手も先を考えて作戦を練るレイドを頼もしく思ったのか、補佐の隊員が柔軟になった口を開く。

 

「いけます……いけますよ! これなら、一斉検挙も夢じゃない……!」

 

 緑、黄、赤に続く四つ目の色の、白の信号弾を、握り締めながら。

 

「“この信号”も、きっと出番なく終わります!」

「……だと、いいがな」

 

 

『白の信号弾……、これは』

『なに……、言っちまえば、おまもりだ』

 

 それは、本来要らないはずのもの。持たなくとも、事を行うのに何ら障碍のないもの。

 

『これから喋るのは、何の確証も、アテもねぇ俺の妄言なんだがな』

 

 だが万に一つ、いや、億に一つを考えて、レイドが隊員に与えたものでもあった。

 

『もし(やっこ)さんの目的が、本当にイズロードを救出することだとするなら』

 

 勿論そんなもの、起こらないに越したことはない。今だって思っている。

 

『もし本当に、これだけの戦力を相手取って、ヤツを奪還することだとするなら』

 

 しかし、されど。不幸にもその姿が眼中にちらついた時から。稀に恨めしさも覚える己の勘が、

 

『その時“奴等”は――必ず出てくる』

 

 可能性で脳みそをつついた瞬間から。

 

 

信号(シグナル)確認――――、ホワイト」

 

 ――この事象は、決定づけられていたのかもしれない。

 

「……A区三番地にて、バラル団幹部、出現」

 

 遥か彼方で輝く白光を見て、誰もが驚愕する。『白の信号は、バラル団幹部との遭遇時に出すもの』と知る、誰もが。

 誤りであれ、と。悪ふざけであれ、と。皆が思いはしても、虚しいまでに空は甲高く鳴いて、助けを求めて。

 騒然たる中でも動じることなく、ぶつ切りな言葉を押し退け、レイドは開口した。

 

「援護部隊、出動しろ」

「待ってください! ハガネール、地中より出現、数は五!」

「?!」

 

 それは織り込み済みだと言わんばかりの語気だったが、生憎と遮る隊員の一声。

 言われるがまま、出し抜けの地鳴りにせっつかれて窓を一目してみれば、庁舎の目と鼻の先にまで迫る鋼鉄の巨体。

 

「伏兵だと、そんな……!?」

「連中は意地でも、俺達の先を走りてぇらしいな」

「ハガネール、一斉に接近してきます!!」

「まったく……、嫌になってくるぜ」

 

 紛うことなき、一難去ってまた一難でも。嘆く暇など当然なくて。

「持ちこたえろよ」内心でそう唱え、

 

「援護隊、ついていこい。これより迎撃を開始する」

 

 レイドはモンスターボールを手に取った。

 

 

       ◆       ◇       ◆       ◇       ◆

 

 

 二台のパトカーは、ぴたりと足を止めていた。

 こんな緊急時に、停車をせねばならない理由。事故か、車両の不調か、ドライバーの不良か……まあ、色々あるだろう。だがどれでもない。

 彼ら、ユキナリとソヨゴの前で今しがた起こったことは、そんな瑣末な話ではない。

 

「こんばんは」

 

 車から降りた状態だと、その涼やかな男の声が、よく通る。

 所々透いたローブより覗く派手な装飾と、Bのエンブレム。明らかに下っ端とは違う出で立ち。汚れも知らぬような掌がゆっくりフードをどかすと、忽ち黒髪が現れた。

 

「いい天気ですね」

 

 ソヨゴは未だ熱い信号拳銃を片手に、彼の面を凝望していた。

「ああ、いや、そんなにいい天気でもないか。じゃあここでの会話の切っ掛けって、なんだろう……」そのような事は歯牙にもかけず、バラル団幹部――『クロック』は頬をかき、間の抜けた独り言を繰り返す。

 

「まさかな……、本当に潜んでいたとは。目玉が飛び出そうな思いだ」

「いつもそうなんだ。レイドの予感ってやつは、いつもいつも、こうやって嫌なタイミングで当たってしまう」

「まるでアブソルのような直感だ――優秀な同輩を持たれましたな、特務は」

「ああ、本当にね」

 

 私語にまみれて、不敵に笑う両者。だがその瞳はどうだ。一瞬たりとも視界から、クロックを外していない。

 当たり前だろう、そうだろう。

 残念なことに、あたり一帯を飲み込む尋常ならざる気迫を感知できないほど、彼らとて未熟ではなくて。

 

「とりあえず、僕も口はそんなに上手じゃない。ので、色々と察してもらえるとありがたいんですが……」

 

 少々の呻吟(しんぎん)を挟み、クロックは調子はずれに敬語を用いる。感じるのは、その風貌には似つかわしくない腰の低さ。とてもじゃないが、犯罪組織の幹部どころか、悪人であるかどうかすら怪しく感じる。

 

「それに、『目と目が合えばバトルの合図』って、トレーナー同士の間では常識ですよね」

「トレーナー? 一体どこにいるんだ」

 

 しかし、今こうして明確に敵意を持って、自分たちに相対している。

 

「私の目の前には、凶悪なテロリストしかいないがね?」

 

 ユキナリとソヨゴにとっては、その事実だけで行動するには十分。

 

「それは心外だ。これでも生涯で行った一番の悪事といえば、フレンドリィショップの棚の一段を滅茶苦茶にした程度で」

「エルレイド、『サイコカッター』」

「――――!!」

 

 十分なのだ。だから、聞く必要もない。

 刹那にすっ飛んできた半月状のエネルギー刃を、既のところで回避するクロック。後ろで寝ていた、誰のものとも知れぬ車が真っ二つになった。横跳びの着地で抉れた足元を瞥見して、攻撃の主(ソヨゴ)へと向き直る。

 

「警察の私が習っていたのは、『目と目が合えば排撃の合図』……だったよ」

 

 明かりが出来た。今しがた寸断された車から零れた、炎で。照らされる彼の隣にいるのは、ユキナリだけではない。

 一杯の光を湛え、闇を切り裂いて――刃ポケモン『エルレイド』が、満を持してここに見参する。

 

「まあ、ジョークなんだがね。半分ほど」

 

 ソヨゴは、続こうとモンスターボールを手にするユキナリを止めた。

 

「特務、ここは私が預かる」

「無茶だ。庁舎の方面から煙が上がってる……襲撃を受けたと考えるのが妥当だ」

 

 援護にも期待が出来ない。指差しで言外にそう伝えているのだが、知った上で言葉を返す。

 

「それでも、ですよ。あなたは行かねばなりますまい」

「だけど」

「あなたは、我々と違う役目を与えられている。何よりも重く、誰よりも必要な使命がある。こんな所で足踏みをしている場合ではないはずだ」

「…………」

 

 逡巡。彼だって知っていることはある。このような大物、一人で相手にしてもまずタダでは済まない。誰だってわかるし、最悪、泉下の客と相成ってしまうことだって考えられるだろう。

 されど、だ。

 

「世のため人のため、心臓が息の根を止めるまでひたすらに責務を果たす――それがPG(われわれ)だ」

「……!」

 

 命に代えても、成すべきことがある。

 あなたも責務を果たせと。走り続けろと。立ち止まってはいけないと。肩越しの瞳に、そう訴えられた気がした。

 

「――勝てよ!」

 

 フッと笑んで「無論だ、そちらも」。誓い立てじみた約束を背中に、走り出すユキナリ。

 彼を見送るソヨゴの表情には、迷いも恐れも、存在しない。

 いつしか場に現れたクロックのポケモン『ムクホーク』のけたたましい鳴き声に、改めてスイッチを入れ直した。

 

「さて」

「まさか、警察がポケモンで人を狙うなんて……世も末だ」

「生憎PGは、望んで人の道を外れた者を人間扱いするサービスは行っていなくてね」

「手厳しいな」

 

 反目、からの膠着。

 

「それでいて――わからず屋だ」

 

 それが打ち破られるのに、そう時間はかからなかった。

 

「『ストーンエッジ』!」

「『ブレイブバード』!」

 

 雪上での一騎打ちが、幕を開ける。

 

 

       ◆       ◇       ◆       ◇       ◆

 

 

 息が苦しい。

 体が冷える。

 目がかすむ。

 頭が回らない。

 

「はあ……はっ……」

 

 B区、八番地――惨劇は、ここから始まった。

 今倒れている仲間も。今にも倒れそうな仲間も。一体誰が考えていただろうか。

 廃屋よろしく荒廃した民家から、バラル団が出てくるなど。あまつさえ自分たちに襲い掛かってくるなど。

 誰が想定できたろうか。

 いや。できる人間はいたのかもしれない。けど。自分たちよりは一枚上手だったと、考えるしかない。

 

「ガルルゥ!!」

「スズ、れいとうビームッ!」

 

 直後、グレイシアに襲い掛かったグラエナはキャインキャイン、と悲しく喚いて寝そべって、凍った前足をペロペロと舐め回す。

 何が起こったかわからないまま戦い続けて、どれぐらいが経ったろうか。定かじゃない。

 これまでに何人も倒したし、倒されたし。紅の血痕が点々とする地面が、壮絶さを如実に語る。囲まれ続けて、絶え間なく攻撃を受け続け、捜索七隊は、半壊状態に陥っていた。

 誰も彼もが、命を吐き出すように荒く白い呼気を発する。リンカも例外ではない。

 

「……伝達係が離脱して、どれぐらいになる」

「五〇分、ぐらいじゃ、ないでしょうか」

「どうすんだろうな……、まだ来ねえよ。これじゃ俺達、全滅しちまうぜ」

「…………」

「班長クラスが、少なくとも三人……」

 

 自分たちを取り囲む戦力を数えても、それらが減ってくれることはない。灰の色した人の波が、今にも彼らを飲み込まんとする勢いで、再度ポケモンを繰り出す。

 グラエナの群れだ。牙を剥き出しにして唸っている。

「ッ」短く食い縛った歯。

 

「……こんなとこで終わるのか、俺ら」

「冗談、言わないでください」

「俺にしちゃあ、頑張った、ほうだよな」

「……やめてください!」

 

 リンカは次の瞬間、背中を守る相手に開いた『ほのおのキバ』を、マグマラシ『エンマ』に庇わせた。

 僅かに苦悶の表情を浮かべはしたが、牙以上の熱を纏って発火するエンマ。グラエナは口内を火傷し、たまらず足元の雪にがっつく。

 しかしそれだけで終わりではない。他のグラエナ達が雪を踏み鳴らしながら矢継ぎ早に突っ込んでくる。幾度と味わったこの猛攻を前に、満身創痍の隊員は、既に戦意を喪失していた。

 

「リオン!!」

 

 そんな中でも、リンカはまだ耐え続ける。

 手持ちポケモンに、枯れきった声を以て指示を続ける。

 絶対に諦めない。

 訓練がどれだけ辛くても、弱音を上げなかったように。どれだけ凶悪な犯罪者に追いつめられようが、泣かなかったように。

 

「アタシは諦めない」

 

 自分にはこれだけだから。

 

「絶対に、諦めない!」

 

 気持ち一つだから。

 

「終わらないトンネルはないから!」

 

 それだけで食らいつくから。

 

「いつかきっと、光が見えるから!」

 

 諦めなければ、負けじゃないから。

 

「それまで、耐えきってみせる!!」

 

 誰よりも自分を理解する彼女は、最後まで立ち続ける。

 

「助けは、必ず来る!!」

 

 必ず。誰がどれだけ嘆いて、泣こうが、関係ない。リンカはひたすらに声を上げ、戦い続ける。

 

「グラエナ、『あくのはどう』だ!」

「キオッ……!」

「……!?」

 

 短く聞こえた、リオルの呻き声。

 諦めないのは結構。待ち続けるのもいい。

 

「続けよ、『かみつく』!」

「クァァァッ!」

「リオン……!!」

 

 それに結果がついてくるかは、完全に別の話で。

 猛攻を捌き切れなくなったリオルが一瞬の隙をつかれ、一気に崩される。

「エンマ! スズ!」仲間にアシストの指示を送るが、彼らも彼らで、手一杯。

 喰いついた腕を乱暴に振って放すと、無情にも地面を転がった。起きようとするリオルだったが、積み重ねた消耗だ、すぐすぐ起きられる道理などない。

 

「やれ!!」

「リオンーーーー!!」

 

 手練れの闘士も、限界を迎えてしまえばただのエサと成り果てる。

 グラエナがどす黒い歯を剥き出しに、一斉にリオルに飛び掛かった。

 

 

「『ふぶき』」

 

 

 その時、ごう、と風が吹く。ただの風なら、この一撃にも意味はなかっただろう。

 でも雪を伴ってみればどうだ。迅速な風に刃のような切れ味が生まれた。北極ような冷気が生まれた。

 極寒たるネイヴュの気候が手伝うとびきりの吹雪は、黒の獣たちを難なく薙ぎ払い、一掃してみせた。

 

「な、なんだ!?」

「まさか、救え……!」

 

 わかりやすく当惑の色を示すバラル団員達だが、吹雪は彼らをも問答無用に埋め立てる。

 

「……は……」

 

 同時にずっとつきたかった膝をつくリンカは、感謝と安堵を半々に胸にしまって、中空を仰いだ。

 余裕の生まれた耳朶が、少しずつとらえる、製氷の音。

 気付かぬはずもない。これだけの規模の『ふぶき』が使えるのは、彼女がよく知る人物の、あのポケモンしかいない。

 

「先、輩……!」

 

 確かに、気持ちだけではどうにもならないだろう。

 だが、気持ちがなければ、どうにもならない事もある。

 

「リンカ、生きてる?」

 

 ズシン。降り立ったアルマとラプラスが――今から、それを証明する。

 

 

       ◆       ◇       ◆       ◇       ◆

 

 

「……ふう」

 

 深淵な闇が横たわるまま起きるネイヴュの騒動は、実に不気味だ。

 なぜなら、人がいるはずなのに、こんなにも静かで、閑かだから。

 尤も、これは彼という一人の、感想でもあるのだが。

 

「壁上の見張りは、いないようだな」

 

 騒ぎが起こる場所をかわして、かわし続けて、壁の前まで辿り着いた――イズロードという、男の。

 

「しかしここまで来て、護衛一つも寄越さない、とは」

 

 雪の中を丸一日放置された上で、覚えた不満に一人ごちる。

 

「グライドの奴は、俺をバケモノか何かと勘違いしてるんじゃないのか」

 

 ――ネイヴュ刑務所内部および、PGネイヴュ支部構成員調査。

『一年前に自分が囚われの身になったのも、任務のためだったとしたら。連中はどのような顔をするんだろう』

 なんてことを、年甲斐もない悪戯心で考える。

 

「ま、どっちみち、だ。これが、一年近い大仕事を成し遂げた功労者に対する仕打ちだと考えるのなら――あまりにお粗末だ」

 

 イズロードは己の足跡を振り返るように、壁の内部へと、返り血に濡れた顔を向けた。

 未だ各所で煙は上がり、戦火が渦巻き、轟音が木霊している。

 このどんちゃん騒ぎが、自分が去った後も続くのだと思うと、なんと滑稽な話か。モノローグで愉快に呟く。

 

「そこまでだ、イズロード!」

 

 そんな内心に水を差す、呼び声。ぎょろりと眼球だけを操り、その主を確認。闇夜より歩み出るPGの捜索隊だった。

「おや、何故だろうな」余裕を見せびらかしてはいるが、口に出す疑問は本心のものだ。

 

「貴様をここから出すわけにはいかない……!」

あの女(ハリアー)め、作戦が穴だらけではないか」

「動くな! 動けば即座に撃つ!」

 

 数は七人ほど。大方潜伏していた下っ端の攻撃を返り討ちにし、自由になった身で彼を探しにきた、といったところか。バンと威嚇射撃すると、ほどなくして硝煙の匂いが小鼻をくすぐる。

 抵抗してもしようがあるまい、その場で静止したイズロード。

 それを確認し、二人の隊員が銃口をそのままに、にじり寄る。

 

「動くなよ」

「ああ、動かないさ」

 

 暗示、或いは洗脳にも似た頻度で動くなと繰り返し、ゆっくり距離を詰めて。

 少しずつ、慎重に。

 

「自分が、危険なうちはね」

「ごは――っ!!」

 

 それが逆効果であるとも、知らないで。

 いくら拳銃があろうと、目の前でゆったりとした緩慢な動きをされ、黙っているような人間がいるとするなら、それはきっと犯罪の「は」の字も知らないで育った真人間だろう。

 口からひり出る体液が自分を汚すのも構わず、イズロードは前進した。

 瞬発的な正拳突きで、隊員の腹を凹ませて。

 

「ッ!!」

 

 傍のもう一人。速やかに押す引き金。

 

「遅い」

「ぐあ!!?」

 

 遅かった。奪った銃が先だった。

 開いた穴を埋め合わせるようにうずくまった一人の向こうで、隊員が次々に銃を向ける。が。

 

「!? ……とッ、止まれ!!」

「どうした、撃たないのか?」

 

 いや、撃てない。仲間を盾に取られては。

 

「ならば、俺からいくぞ」

「な、ぐおッ!」

 

 迷う間に火を吹くのは、泡吹(あわぶ)き悶える隊員のわき腹。厳密には“そこ”越しに覗く銃口。

 それは一切の躊躇も狂いもなくパン、パンと人の壁を穿ち壊していく。

「かわせ」「まもれ」「さがれ」――重畳、重畳、構わない。

 

「弱い」

 

 防げど、避けど、延べつ幕なしに弾丸は跳んでいく。

 

「弱い」

 

 何度雪が赤に染まろうと。如何程鉄臭さが広がろうと。

 

「弱すぎる」

 

 その凶器は淡々と、命を命とも思わないで、命をたやすく毀していく。

 手に伝わる反動の数は、損なった人の数。

 

「――なぜだ!?」

「!!」

 

 続けてイズロードは虫の息である集団へ、肉の盾を武装したまま駆け出した。怯んだ警棒に、一体どれほどの攻撃性があるというのか。

 腹の次は、背中。粗雑に蹴り捨てられた盾が、一人を巻き添えに倒れた。

 

「っ、人質を捨てたぞ! 各い」

「なぜ貴様らのように軟弱な生物が、ポケモンを従える!?」

 

 言い切る前に甲で殴り飛ばされて舌を噛む痛みは、想像とて容易だろう。

 空気を歪め仇討ちの警棒が追う。されど腕ごと掴まれ。捩じられ。

 

「こんなにも軟く、弱く、脆い貴様らが! 有象無象の雑魚共が! 一体どの面を下げて! どんな理屈で!」

「う、ぐおああああああッ!」

「ポケモンを下に見ているというのだ……!」

 

 回した体がめきり、とまた一人を蹴倒した。 

 

「爪が欠け、牙も腐り落ち、栄華を極めたかつての闘争の時代すら忘れた醜き豚共がッ!」

 

 眼光、烈々と。

 

「何ができる!? 何をできる!!?」

 

 背後より俊足で迫る影にも、嘲笑うように打音を響かせた。

 訓練の行き届いた二匹のこいぬポケモン『ガーディ』も一閃され、虚空を回りながら、驚きを隠せずにいる。想定外だった――、ヒトがこんなにも出鱈目な反応速度を出すなんて。

 

「どうして――ポケモンを飼い慣らせると思う?」

 

 どっちが獣か、まるでわからないじゃないか。

 ぼふ、とガーディが地面に転げた瞬間、最後の獲物を捉えるイズロード。そして言う。

 

「ああ、出来ないさ。だからこんな世界は間違っている」

 

 自分たちが掲げるもの、理念を。

 

「ばっ……、バケモノがァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」

 

 爪も失くして、牙も失くして、臆しきったまま吠える隊員に、もはや威厳などありはしなかった。皮肉なものだ。悪を喰らう獣が人の子だったと、悪の獣に暴かれるのだから。

 自問自答、歩み寄る。

 発砲、一発。上半身を大きく後ろに倒した。

 発砲、二発。奪った警棒で弾き飛ばした。

 発砲、三発。待てずに迫った。

 

「間違っているから、正さねばならん。正すのさ」

 

 隊員の意識は、宙を舞った拳銃が落ちるまで、持たなかった。

 

「このバラル団、イズロードがな」

 

 最後の言葉を聞けず、殴り倒されてしまった。

 

「……フフ、っくっくっくっく」

 

 周りでだらしなくのびた隊員達を一人ずつ瞥見し、イズロードは心底愉快そうに笑い出す。

 何度今の動き全てを脳内でリプレイ再生しても、自分が捕らえられていた可能性がまるで思い浮かばない。

 この呆気ない結末を目の当たりにし、「薄氷めが」そんな揶揄。彼にとっては、鈍りを打ち消す準備運動にすらならなかった。半端な期待を裏切られ、一周回って笑いがこみあげて。

 

「ハハハハハ! ハハハハハハハハハハ!!」

 

 いくら声高に笑おうが、雪の大地を踏み均そうが、もう彼を邪魔する者は存在しない。

 今だけは、この笑声だって人を遠ざける。そして協力者(パートナー)だって、呼び寄せる。

 

「おお……来たか」

「………………」

 

 壁上を悠に越えて降臨するその姿は、白雪に解け落ちそうなほどの儚さだった。

 されど羽音は何よりも力強く、明確な意思を持っていて。眼前の男が一年越しに見ようと、秘めたる美しさ、麗らかさに何ら相変わりはなく。

 不確かな銀世界の中で振り撒かれる白銀の粒子が、その存在を煌びやかに顕示した。

 伝説のポケモン――フリーザーという、存在を。

 

「久方ぶりだな。お前ならば或いは、と思っていたが」

 

 長い青の尾を悠然とゆらめかせ、静かにイズロードを見下ろすフリーザー。瞳に宿る意志は、好奇のようにも、戮力(りくりょく)のようにも感じられて。

 

「やはり持つべきは優秀なビジネスパートナー、かな」

 

 イズロードは、ポケモンをモンスターボールで繋ぎ留めない。

『ヒトとポケモンはいついかなる時でも、持ちつ持たれつ対等であれ』。そう考えるが故に、欲したポケモンがいた時には交渉を持ちかけ、誠意を見せ、まるで人間相手の商談のように、口八丁と手八丁で協力を仰ぐ。

 そこに支配が入り込む余地など、微塵もない。

 このフリーザーとて、そうだ。ビジネスパートナーとして、一対一の生物として、真っ向からイズロードが口説き落とした仲間でもあって。

 いや、むしろ、彼がそういう人間だったからこそ、フリーザーも自ら傍にいるのかもしれない。

 掴まれ、と差し出された脚を握るイズロード。それを確認したフリーザーは、ゆっくりと羽ばたき、壁の外へ飛翔しようとする。

 重力の抵抗を我が身に感じた。弱く落ち込む風を受けている内に、立つ浮足。上がる視線は自ずと空に運ばれて、陸との別れを惜しまない。

 

 ――事件発生から、二四時間。いよいよイズロードがネイヴュの地から飛び立つ。

 

「さらばだ」

 

 心にもない言葉で、別れを告げた。これで終わりだ。これで。

 

「いいや、まだだ」

 

 直後、独白を台無しにする、鋭利な氷柱の針。

 

「……!」

 

 それは四本。間違いなくイズロードを狙って飛んできたものだった。

 さしもの彼も認識の外からの攻撃には後手を掴まされたようで、頬と手を敏く掠められる。堪らずフリーザーの脚を放し、図らずも地上と再会してしまった。

 

「まったく。どいつも、こいつも」

 

 掌に渡った冷ややかな感覚を拭うのも忘れ、己を同じ土俵に引きずり落とした人間を溜息まじりに見やる。

 風情をわかっているというのか、わからないが。その人物が一歩ずつ踏みしめてこの場に訪れると、雪雲が薄まり、切れて、やがて開けた夜空が鏡面のように照った満月を写し出す。

 

「こっちの信号弾で大まかな人の位置を把握し、それを避けるような逃走経路を取った。敵ながらに見事だ」

 

 そして彼の輪郭を余計に、鮮明にする。

 

「そうやってここまで来て、今にも逃げ出せそうな所にまで辿り着いた。この賭けは君の勝ちだ」

 

『アンタは、イズロードを追え』

『なんだって? 僕が?』

『奴がここから逃げ出すとすれば、こっちが壁の見張りだなんだと言ってられねえ、今この時のはずだ』

『理屈はわかるが、それはギーセ警視の方が』

『いいや、ここ(ネイヴュ)は俺達の(ホーム)だ。現状、ここで一番戦えるのは、アンタ以外にいねぇ』

『……なかなか、高く評価されているようで』

『だから、野郎(イズロード)はアンタに託す。任せたぞ』

 

「だけどね。僕らの大将が賭けたのは――、ここからなんだ」

 

『――ユキナリ』

 

 ネイヴュの門番が、そこにいた。

 出すのも入れるのも、勝手なぞ許さない。絶対に止める。

 いつものジムリーダーでも、平素の優しいおまわりさんでもない。ただただ悪鬼を塞き止める、地獄の門戸の管理者として。立ちはだかる。

 

「ほう……、面白い」

「せっかくここに来たんだ……もてなしは、最後のお楽しみまで受けていってくれよ」

 

 伴う『氷のサンドパン』は、その証明。

 

「受けて立つ――貴様の意地、ポケモン越しに見せてみろ!」

「いくぞ相棒……、共に責務を果たしてくれ」

 

 氷結の鳥が鳴いた。

 氷獄の針鼠が咆えた。

 その時、それぞれの戦局が開かれた。

 最初で最後の大戦の火蓋が、切って落とされた。

 

「――一緒に戦ってくれ!」

 

『イズロード発見』を意味する五色目――橙の信号が、月明かりの後押しを受けて、空に輝いた。


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