ポケットモンスター虹 ~A Aloofness Defiers~   作:裏腹

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Episode.01 蜘蛛の子、虎の子

 その羽は、空を掻っ裂いてばたばたと回転していた。

 寒い寒い、冬空の下で。人々の恐怖で凍り付いた、街の上で――。

 

「――以上が、作戦の全容となる。異議がある者はいるか」

 

 時は昼下がり。

 ネイヴュ刑務所からイズロードが脱獄し、一二時間が経過する頃。

 ポケットガーディアンズ本部の応援部隊を乗せたヘリが、ネイヴュシティに到着しようとしていた。

 

「危険な作戦だ、もう口が開けなくなるかもしれんぞ。今のうちに文句の一つでも言っておいた方がいいのではないかね、諸君?」

 

 いくら輸送用のヘリとはいえ、人口密度の高さに変わりはない。

「はっは、冗談だよ」そんな数十もの人が詰まったむさ苦しい鉄の箱の中で、うすら寒い冗談を吐いては、ただ一人涼し気に笑う男。

 黒の制服に身を包んだ彼は、同じような衣装を着込んだ者達が取り囲むモニターテーブルの操作を行っている。どうやら指揮官のようで。

 

「では、言っておいてやる」

 

 出し抜けの起立。その指揮官に食らいつく者が、一人。

 

「その退屈を極める冗談をやめろ。今すぐに」

「これはなかなか手厳しい。お気に召しませんでしたかな、ギーセ警視殿」

「当たり前だ! 最期に耳にするのが貴様の箸にも棒にもかからんジョークだったと考えただけで、寒気がしてくる!」

「ははあ、それはネイヴュの真上にいるせいでは?」

「黙れ! 上官をおちょくってからにッ!」

「落ち着いてください警視殿! ソヨゴさん、あなたも冗談は時と場を選んでくれとあれほど!」

 

 失敬、失敬。三者のやり取りは、その一言で締められる。

「まったく」

 星三つのスーパーボールを煌めかせる巨躯の男性――ギーセは、指揮官ソヨゴに呆れ顔を向ける。周囲を見回せば、そういった面持ちの人間は決して少なくなくて。彼がいかに雰囲気をぶち壊しているのか、よくわかる。

 

「この中で階級が最上であるはずのアストン殿ではなく、お前が、今回の作戦の指揮官として選ばれた……その理由ぐらいは、考えてくれよ」

「作戦が失敗すれば、『冗談でした』では済まないからね……」

 

 中肉中背の身体を折り曲げながら、見下ろすように窓の外をのぞき込むもう一人の青年も、ギーセの口に乗ってみせた。

 

「ええ、勿論ですとも。第三機動旅団長のギーセに、ハイパークラスのアストン……これら名だたる英雄を信頼しての作戦だ。どうか期待して頂きたい。そして同時に、期待させて頂きたい」

 

 軽々しい口調を以て調子合わせが如き答えを紡ぐ一方で、眉間に皺を寄せ苦々しい面をつくるもう一方。

 いい加減な。沸いた心境を押し殺しつつも、ギーセは「ふんす」と鼻を鳴らし、襟を整えた。

 

「ソヨゴ警部、指定ポイントに到達しました」

 

 程なくして脇をすり抜ける、準備完了の言葉。

 

「ふむ、結構。残るはタイミングだけ、といったところか」

 

 ソヨゴはそれを聞き受けると、おもむろに大粒の銀粉で曇り曇った地上を見やって。

 

「あとは――所轄(ちじょう)次第だ」

 

 小さく呟いた。

 

 

       ◆       ◇       ◆       ◇       ◆

 

 

『庁舎より各位へ。C区二番、フルト街にて犯罪者の目撃情報あり。付近の者は至急確保に向かわれたし』

「『レイドだ。こっからだと多分俺が一番近い。向かうぞ』」

『こちら機動課五隊エフゲニー、脱獄囚ナンバー83を発見! 現在F区八番の大通りをウインディで逃走中! 拳銃を武装、人質を乗せています!』

『なんだと!?』

『おそらく昨晩の脱走の折、気絶した看守の武装を奪ったものと思われます!』

『保安課二隊、応援を要請します! パニック状態の避難者が暴動を起こし――!』

『早く壁の門を開けろ! 犯罪者なんぞさっさと外へ逃がせばいいんだ! 助けてくれェェ!』

 

「ったく、ヘマしやがって、あのボケナス共が……」

 

 歪み歪んだ電子の声が、乱雑に絡み合う。調和なんてものを唾棄せんと、小汚い音を奏でている。

 誰も彼もが、何もかもが白化粧する地――名を『ネイヴュシティ』。壁に囲われ、しんしんと雪が降りつもる幻想的な街として有名だ。

 が、今、この時ばかりは。そんな生易しい表現が、出来ない状態でいる。

 

「人が休暇取りゃ、すぐこれだ」

 

『イズロードが逃げ出した』。

「刑務所がある町」「犯罪者を閉じ込めておく町」という側面を、この一言は、見事にくしゃくしゃにしてくれた。

 純白の雪原を、鮮血の赤色(せきしゃく)に染めかねない出来事。それが起こったのは、あまりに突然で。

 

「『こちらレイド。83は臆病な殺人犯だ、下手に追い回すな。土壇場で何をしでかすかわからねぇ』」

『逃げ回らせろということですか?』

「『ああ、そうだ』」

 

 しかし、今になってみれば。

『この最初の一報だけで済めば、どれほど良かったか』と、誰もが考える。

 

「『いいか、待ち伏せもするんじゃねえぞ』」

『しかし、それでは壁の門(ゲート)を通すことに……!』

 

 奴が、他の牢も解放しなければ。

 奴が、他の犯罪者も逃がさなければ。

 

「『お望みなら通せばいい。それでもいいから、住民の安全を最優先にしろ。残りのケアはこっちでどうにかする』」

『……了解しました』

 

 ――そう、考える。

 攪乱のためか、他に協力者を得るためか。

 イズロードが己が身のみならず、禁忌の獣すら解き放った理由は定かではないし、この状況で改まって考える者など、どこにもいないだろう。

 だが、確実に言えることが、二つある。

 今日が、PG設立以来史上最悪な日であるということ。

 

「こんな時に、支部長様も副支部長様も演習でいやがらねえ。指揮系統もガタガタだ」

 

 そして、今の壁内(へきない)は“牢獄”ではなく――大量の犯罪者が跋扈する“地獄”なのだということ。

 

「クソッタレ、最悪だ……、こうなるなんぞとわかってたら、大人しく夜勤しときゃよかったんだ」

 

 暗く冷え切った市街地の中で車を走らせながら、ネイヴュ刑務所の看守長レイドは、忌々しげに舌を打つ。

 暫くして、ブレーキ。車両を休ませたのは、商店街のど真ん中。パトランプだけが虚しく灯り、心許なく辺りを照らす。

 周辺住民の避難が完了したここは、まるで普段の活気が嘘だったかのように静まり返っており、閑古鳥すら鳴こうとしない。

 

「『レイドだ。現場に着いたが、現在人気のようなモンはねぇ。周辺を捜索する』」

 

 不気味な様相を呈する風景から目を離さずに、無線通信を送った。拳銃を握り締め、「了解。無事を祈る」の応援も聞かずに、車外へ出た。そうして荒れきった商店街――フルト街に、足を踏み入れる。

 八百屋、魚屋、肉屋、菓子屋、玩具屋……軒を並べる多種多様な店だが、一貫して、共通して言えることがあった。

 

「荒れきってやがる」

 

 どこもかしこもガラス戸が割られ、店内の物品が散乱し、ともすれば廃墟に見紛いそうなほどに。

 脱獄囚が空いた腹を満たしたのだろうし、逃げるための武器を漁ったのだろうし、殺すための人を探したのだろう。そのどれもこれもが容易に想像できて、どれもこれもが正解で。

 一軒ずつ、虱潰しに調べていく。人が立ち入った最新の形跡はどれか。人の気配はないか。事細かに目を光らせる。

 

「……へえ」

 

 その時、ぴくん、と反射的に眉が動くのを感じた。

 反応したのは、看板が古めかしい骨董屋。そこに続く足跡が、この降雪の中で鮮明に残っていた。

 発見するやいなや、迷わずその足跡をたどるレイド。一旦ストップし、割れたスライドドアの隣の壁に背を合わせ、店内を覗き込んだ。

 よほどの不用心と見た。それは確信のモノローグ。刑事の勘などという大それたものでは、ないけれど。

 足元には、まだ解け切っていない白色の欠片が点々としているではないか。物音のようなものはないが、人がいる事などもはや明白であった。

 わかってしまえば、することなど一つ。

 看板通りの古臭い匂いが鼻をつつくのも構わないで、進入。張り巡らせた警戒の糸は緩めない。水になりかけの淡雪をくしゅくしゅと踏みつぶす感覚を膠も無くあしらい、手狭な店内の奥へ奥へと、袋の鼠を追いつめるように向かっていく。

 出会うのは時間の問題。

 常に首を回し、銃身を振るい、小さく進める歩み。

 のさばる静寂をかき分けるように、佇む無音を打ち壊すように、ゆっくり――。

 

「いらっしゃい」

 

 その声は、落とされた。

 刹那、物陰より奔る風切り音がレイドの頭上を掠めた。

 

「――ッ!」

 

 パキン、と乾いた音が鳴る。

 脳の命令より先に出たレイドの警棒が受け止めたのは、幾度と人を斬り殺したであろう、片刃剣の第二波。(くろがね)の鈍い反射光が示すのは、刃の向こう側の存在で。

 

「ああ、惜しいねえ、タイミングがずれた。もう少しで労せず首ちょんぱだったのに」

「お前らは本当に礼儀ってもんを知らねえな……、ムショで何教わってやがった」

「今から死ぬやつに、挨拶なんているのかい」

「お、なんだ、手前のことでも言ってんのかよ」

「あれ、もしかして……看守長?」

 

 覗かせる鋭い眼光に収まるは、手本のような下卑た笑みを浮かべるシリアルキラー、『囚人9999』。

 だが今のレイドに、彼の存在を必要以上に気に留める暇が、あるだろうか。

 

「まさかねえ、最後にアンタに会えるなんて。嬉、しい、なァ……ッ!!」

 

 答えは否。

 この右手に乗る力を僅かでも緩めてしまえば、綺麗に頭が割れてしまうから。

 食い縛った歯の隙間から漏れ出た唸り声。腕が震えて筋肉を軋ませる。さらに加わる力が、余計に彼から発話の時間を奪い取っていく。

 

「俺達を世話してくれて、見送りまでしてくれるなんて、ホントにいい人だねぇアンタ」

「ちッ……」

「ま、見送るのは、俺なんだけど……!」

「ごちゃごちゃ、うるせえよ!」

 

 尤も思考の時間は、十全にあったようだが。

「な」あまりに一瞬のことで、囚人9999の目が丸くなった。まさかレイド左手の銃口が自分に向くなど、思いもしなかったのだろう。

 しかし当のガーディアンズはどうだ。発砲許可はとうに出ている。射殺もやむなし。

 あまつさえ罪人、まして殺人鬼に情も沸くはずがなくて。殺されない可能性を模索する方が、難しいのだ。

「呆気ないが、終わりだ」レイドは迷わず引き金を引いた。

 撃鉄に打たれた雷管より放り出た弾丸は、バレルを通って9999へと一直線。

 

「――オーダイル!!」

 

 と同時に銃声すらかき消す9999の大声が響き渡る。すると潜伏していたのであろう大顎ポケモン『オーダイル』が、それを合図に店内の棚を盛大に破壊しながら出現。レイドへ二メートルにも及ぶ巨体をぶつけて吹っ飛ばした。

 ぐは、と瞬刻のダメージに短く息を吐いたレイド。その衝撃で、一気に店外まで弾き出された。

 

「っ……」

 

 幸い、積雪がクッションになる。まとわりつく硝煙の匂いもろとも転げて上体を起こすと、9999が自分の後を追うように、店内の暗闇からにっこりと笑顔を顕示したのが見えた。

 

「はァ……危ないねえ。久しぶりに、命の危機って感じだ。生きてる実感とでもいうのかな」

 

 肩に、風穴を開けながら。

 

「正気じゃねえな」

「やだねえ、正気なら殺しなんてしないって」

「お前じゃねえよ」

 

「え?」と首を傾げた数秒後、伴いつつも明らかに様子がおかしいオーダイルを瞥見し「ああ」と自己完結。

 犯罪者が正気じゃないのは当たり前。レイドは、その正気じゃない人間に従うオーダイルが正気じゃない、と言っている。

 耳にした9999がおもむろに腰に下げた袋をまさぐった。すると出てくる一つの木の実に、レイドは腑に落ちた表情を向ける。

 

「『マゴの実』……、八百屋からパクりやがったな」

「そ。こいつは本来人間の食料だ。ポケモンに食わせるとしても加工は必須。ポケモンにのみ作用する神経毒で脳がヤられちゃうからネ」

「で、そいつを市民からブン取ったポケモンに食わせて、好き勝手やってる、と」

「そゆこと。おまけに栄養価も高くて体力も回復できる。最高だよねえ、これ」

 

 ドクドクと血が溢れ出るのもお構いなく上がる、ご機嫌な肩。そうして指をさして『アクアジェット』。

 直後、目を爛々に輝かせたオーダイルが足から水を噴き、再び突進。

 垂れた涎を振り乱し、咆哮を上げ、降雪を撥ね砕き――迫る狂獣のその面からは、抑制の意志どころか、理性すら感じられなかった。

 

「ぐッ!!」

 

 レイドはひき肉にされかねない高速の体当たりを横跳び、紙一重で回避。どがしゃという音は、オーダイルが背後のカメラショップに突っ込んだことを伝える。

 

「んん、いい身のこなしだね、どちらも」

 

 衝撃でよろけて、頬を流れる冷や汗を、一拭い。

 立ち込めた塵煙が晴れると、まだオーダイルは立っていた。

 ガラス片が無数に刺さり、腕が歪んだ姿で尚、獲物を殺さんと眼光を飛ばして。

 

「ウガアアァ……!!」

 

 すれ違いざまに覚えたものが、確信に至る。

 あれは野生の目だ、と。人を忘れ、人すらも殺す目だ、と。

 

「いい。やっぱり獣は自由が一番だ……一番、活き活きしている」

 

「俺たちみたいにさ」広がる光景の眼前で、いいぞ、と云わんばかりに拍手する9999。

 オーダイルは牙をかち鳴らした。あたかも肉体という肉体からの出血が、些末事であるかのように。

 あまりに平気な顔をするものだから、痛くないのか、と勘違いするだろう。そんなはずはない。脳機能が麻痺しているだけだ。

 目が覚めればきっと、いや確実に、その身は引き裂かれてしまう。

 

「人のポケモンパクった奴の、言う事じゃあねえな」

「パクった? はは、違うねェ、おたくらの天敵のような言い回しをすれば……解放してやったのさ」

「ものは言いようってな……」

「ガ、オアアアアアア!!!!」

 

 あてもない紅が、一杯の白をじわじわと犯していく。

 頬を縦断した赤黒の体液を、涙に空目する。虚ろに溶けた叫びが、悲鳴に聞こえた。

 

『助けてくれ』と。そう言ってるように聞こえた。

 

 これをトレーナーが見たらどう思うか――などと、柄にもなく考える。

 

「さて、どうする? 次も凌げるのかい?」

 

 べらべらと口を滑らせて尚、凌げるだろうね、と続ける。

 

「でも、よしんばアンタがかわし続けても、オーダイルが生傷を増やしていく。だからって動かなきゃあアンタが木っ端微塵だねえ」

 

 ずっと世界の悪意と向き合っていた。そのつもりだった。

 だが、でも、しかし。

 結局それは「つもり」止まりだったのかもしれない。

 

「目の前の任務か、散りかけの命か――正義の味方ポケットガーディアンズさんは、どっちを選ぶんだ?」

 

 今一度、檻を越えて。見て、聞き、触れて嗅いで、味わって。

 やっとわかった。世界の深淵に掃き溜まる泥。自分が犯してしまった過ち。

 

「さあ、決断の時間だよ!」

 

 こいつらがこうやって世界を歪ませる。こいつらがこうして世界を汚す。

 こいつらが――。

 

「オーダイル、アクアジェット!」

 

 三度、オーダイルがレイド目掛けて一目散に駆けた。

 水流に乗った巨躯がけたたましい音を上げて雪を押し退ける。

 道が拓いて上がる腕。前に突き出すは殺意の爪先(つめさき)

 

「……ええ?」

 

 当のレイドはというと、俯いたまま一歩も動かない。

 唸る狂気。迫った凶器。メートルからセンチ、ミリ――マイクロ。

 しかし青年は何を言うでも、どこを動かすでもなく、

 

『ぐしゃり』。

 

 ついぞ回避に踏み切ることはなかった。

 最後に銀世界の片隅で響いた音は、誰の想像よりも儚く、ずっと味気ないもので。

 あえて言葉にしてみれば、このような。

 

「あーあ」

 

 良く言えば予想外、悪く言えば期待外れなレイドの行動と、その結末に、どこか落胆したような声を発する9999。

 己が手で支配し、弄んで、転がして転がして転がした果てに、自らで終わらせる。囚人9999はこうして、幾人分もの命をその手にかけたきた。

 それだけに、だ。もうちょっとぐらいは転げてみた欲しかったなと、不満を口にする。

 

「呆気ないねえ」

 

 数秒の沈黙。9999は先程言われた事を皮肉交じりに返し、

 

「アンタらネイヴュのお巡りさんは、本部連中よりもう少しだけイカれてると思ったんだけどねえ。結局は俺の予想を上回んないのか」

 

 血まみれの剛腕が飛び出すレイドの背中へ語り掛けた。

「つまらないなぁ」

 眉間にしわを寄せ、ぼやいた。

 

「そうか?」

 

 ――想定外の雑音が、自分の耳朶を打つまでは。

 

「俺は、楽しいけどな」

「へ」

 

 振り向いた。

『ヨノワール、シャドーパンチ』――続けざまにそう聞こえた時、もう9999の躯体は宙を舞っていた。

 驚く暇すら与えないで、白黒の視界が、腹に捻じ込まれた激痛と一緒に暴れる。

「どうして」と内心でいくら発しようが、それが止まることはない。

 うわつく三半規管を目一杯御して、引き換えに脳みそを回す。

 

「(なんで、生きて――!?)」

 

 ようやっと事実を認識する頃に走った背中の衝撃に、9999は苦悶した。

 いくら雪が束になっていようと、緩衝材として扱うには限度というものがあるだろう。メートル単位の高さで飛んだ人間を受け止めきれるほど、ネイヴュの地の懐は深くなかった。

 

「普通、あれだけ追いつめられてもまだポケモン出さないって状況、ちったあ不自然がると思うんだけどな」

 

 隣で突き刺さった得物の刀剣が、殺したはずの男の声で小さく震えた。そしてその男の姿を写し出す。

「ま、それだけ詰めが甘いってことか」

 追いかけてきた独り言がぼそ、ぼそと雪を踏み潰す内、忽ちレイドは、横たわった9999の目交いに現れた。

 

「っ、オーダイルッ!!」

 

 咄嗟に放った叫び。木霊した。

 

「……? ?」

 

 木霊した、だけ。

 それだけで、他には何一つ変化はなかった。

 心底理解できないといった、間の抜けた表情を見せる。おかしいだろう。マゴの実はついさっきも食わせたばかり。こんな短時間で、借りてきた猫のように大人しくなるはずがないのに。

 

「お、おい!!」

「やめとけ」

 

 モノローグごと遮られた言葉が、虚しく落ちる。

 その後何秒、十何秒と待とうが、目前の景色が変わることはなくて。我が身に降り注ぐ冷酷な眼差しが、揺らぐことも、当然なくて。

 怪訝を通り越し、鳩が豆鉄砲をくらったような面をして、9999は身をもたげた。見回した周囲には、『レイドだった何か』を貫いたまま、まるでピクリとも動かないオーダイルの姿。

 光景を凝視していると、徐々にさっきまでレイドだったものの輪郭が、歪んでいく。

 

「まぁ……確かに、呆気なかったかもな」

 

 やがて保たれた人型は消え失せ、

 

「こいつは耐久力がなくていけねえ」

 

 飛び散った血だまりはいつしか綿へと変質し、

 

「ま、“あいつ”自体が打たれ弱いから――仕方ねえんだけどよ」

 

 いよいよ、その全貌を明かした。

 

「人、形……!?」

 

『身代わり人形』。ポケモンの技『みがわり』によって出現する、全てのダメージを一時的に肩代わりする人形。これこそ、オーダイルが穿ったものの正体。

 水晶体の狂いか、網膜の異常か――定かではないが、次のまばたきを終えた瞬間に、その身代わり人形の主もレイドの隣に浮かび上がる。

 

「こんな殺風景ではあるがな……なかなか美人で映えるだろ」

 

 ユキメノコ。極めて短い9999のうわごとに応えるように、彼女は目をうっすら光らせた。

 ほどなくして、彼の一切の身動きを封じる。これは純粋に拘束の意味合いもあったが、彼女なりの「種明かし」も、兼ねていて。

 

「ユキメノコ、『かなしばり』」

 

 9999は、出し抜けに笑い出す。ようやく腑に落ちた、その証明に。

 オーダイルがまるで動かない原因も。身代わり人形をレイドと誤認した理由も。何もかも全部、彼女のせい……いや、レイドからすれば、おかげだった。

 

「仕上げに『ゆきがくれ』かい」

「そういうこった」

 

 全てを察した回答にレイドは肯き、続ける。

 

「『ゆきがくれ』は降雪に視線を誘導して対象の意識を自分から逸らす。そうやって出来た無意識の間に催眠をかけ、相手を幻惑する――ユキメノコの特性だ。敵の攻撃が当たりづらくなるのも、その副産物に過ぎねえ」

 

 事前に出した身代わり人形を、ゆきがくれでレイドに錯覚するよう幻惑。騙されてのこのこと突っ込んできたオーダイルに、技『かなしばり』をかけた。レイドはそう言っている。

 年中雪が降り積もる街なのだから、ゆきがくれの発動にも困らない。地の利を活かした、まさしくネイヴュらしい戦いに、9999は打ち負かされたのだ。

 

「っくっく、ポケモンに人間を狙わせるなんてね……警察のやることかい」

「だから、どの口が言いやがる」

 

 目の前で突っ立つ片刃剣を引き抜き、自分の後ろに放り捨てるレイド。

 

「楽しい楽しいお勉強会は終わりだ」

 

 そうしてモンスターボールの一つを取り出したのと同時に、9999は自分の身に何かが絡まったのを確認した。

 

「……!?」

 

 手だ。黒色の、無数の手。

 

「続きは自習だ。あっち側でな」

 

 漆黒よりも濃く、暗黒よりも深い――謂わば、純黒。

 それは矢継ぎ早に背後より伸び、9999に巻き付いて、その身動きをあっという間に封じた。

 数少ない自由な部位である首を捻って動かすと、あるポケモンが自分を凝望して、佇んでいるのがわかった。

 瞳を輝かせ、純白の中にただ一つの黒を振りまいて己を誇示するポケモン。ヨノワール、ユキメノコに続く、レイドの手札の一つでもあって。

 

「で、デスカーン……!!」

 

 棺桶ポケモン『デスカーン』が、そこにはいた。

 古代イッシュの棺桶に酷似した肉体を持っており、空洞になっている自らの体内に人を閉じ込めてしまう習性があるとされ、国によっては墓荒らしを防ぐ墓守としても重宝されていた――あのデスカーンだ。

 にっと歯を剥き出した手の主は、己に収まる主を求めて、9999をゆっくり手繰り寄せる。

 いくら頭のねじが抜け落ちている殺人鬼でも、その意味が理解できないほどうつけではなかった。

 

「やッ、やめろ! やめてくれ!」

 

 だから、必死に身をよじらせた。

 声を裏返したし、一瞬で冷や汗も垂らしたし、

 

「やめろォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!!」

 

 形相で叫んだ。

 

「俺、まだだ! まだ俺は自由でいたいんだッ! まだ殺したい! まだ暴れたい!! 嫌だ!! まだ! まだあァァァ!!」

 

 されど引きずる手はそれら全てを無に還し、ゆっくり、ずるずると、血相変えた獲物を抱き寄せる。

 人格以上に破綻した言語をして「やっと人間らしくなったじゃねえか」。

 人の顔から遠ざかる地獄の管理者が、牢獄の戸よりもずっと重い口を開いた。

 

「今から口が無くなるテメェの代わりに、訂正しといてやる」

「何!?」

「俺達は正義の味方じゃねえ。まして、ご大層な正義を掲げた覚えもねえ」

「んなこたどうでもいい! 助けろ! 助けてくれッ!」

 

 かつて自分が言われ続けたことを、涙声でオウムのように発する。

 散々踏み躙ってきた、その言葉を。返事は言わずもがな。

 

「生憎、ここの連中はどなた様もエゴに凝り固まっちまっててな。世の中が手前の望んだ形にならなきゃ、気が済まねえときている」

「おい、聞いて」

「テメェらが大手振って堂々と歩ける世界を欲しがるように。俺達も、テメェらみてえな他人の不幸で笑い種を作る畜生が一匹もいねぇ世界を望んでる」

「あ――」

 

 眼光がさらに9999を突き放した気がした。デスカーンの身が開く重々しい音に、一体どれだけの言葉が打ち消されたか、わかりはしない。

 だが確実に言えることがある。

 レイドという人間はヒーローではないということ。そして。

 

「何にしたって、根っこはそれだ」

 

 この男は、もう助からないのだということ。

 逮捕劇、救出劇――メディアか観測者かが、大衆に向けての演出で吐いた無責任な言葉。でも彼らはそんなに高尚ではない。優しい場所で生きていない。この地に訪れたその時から。この雪に情を、過去を漱ぎ落とされたその時から。

 彼らはずっと、戦士なのだから。

 

「いつだって、喰うか喰われるかの戦争やってんだよ」

 

 戦士が畜生を知らなかったように、畜生もまた戦士を知らなかった。

 

「俺達は勝ち取る。テメェらを駆逐する」

「ちくしょう……ちくしょおォォォォォォォォォォォォォォ!!」

 

 でも、戦士は畜生の惨さを。

 だが、畜生は戦士の恐さを。

 ここで、改めて知った。

 

「そのために、ここにいる」

 

 そんな有意義な邂逅は、この瞬間で、終わりを迎えることになる。

 丸みを帯びた金枠の箱の中にある底知れぬ闇に、9999は背中からずぶずぶと埋まっていく。

 飲まれ、食われ、蝕まれ、侵され。きっとどの表現も正解。それほどに混沌としたそこは、さぞ旨そうに、9999を招き入れた。

 胴が見えなくなって、次に四肢が根元から消えていった。まるで灼け溶けるような感覚に身をやつし、濁った瞳は(から)に変わった。

 

「健闘を祈るよ――」

 

 最後の最後で、空虚な顔だけが発話して。

 

「せいぜい、足掻くんだな……一生尽きない人の悪意を、前」

 

「に」。そう言い切る前に、モナカのように割れていたデスカーンの肉体が閉ざされる。

 静寂が広がる随に、レイドの三匹のポケモンはどこぞへと消えた。

 当のレイドは何を思うでもなく、警察車両へと戻って、通信を入れる。

 

「『こちらフルト街、レイドだ。潜んでたのは囚人ナンバー9999だった模様。追いつめた結果自決に走り、確保ならず。市民のオーダイルを強奪し、マゴの実を食わせて操っていた。骨董店前で金縛りにして固定してあるので、至急保護に向かってくれ』」

『こちら庁舎、了解』

 

 淡々と手短に連絡を終え、無線を置こうとしたその時、尋常ならざる声色の通信が入る。

 

『こっこちらゲート前! 囚人ナンバー83が人質を盾にこちらに向かってきます!!』

『なんだと!?』

『このままではネイヴュを抜け出してしまいます! 指示を!』

「ちっ……!」

 

 レイドのこの舌打ちは、予定外を恨むもの。

 もっと早くにこの件を終えて、さっさと自分も応援に向かうつもりだったのに、という、そんな顔。

 考えはあった――いくらでもあった。しかし実行の時間がなかった。そしてそれは、今から他人へ指示しても同じ。考え直すのも、また同じく。

 万事休す。まさしくの、そんな状況だった。

 いくら任務のためとはいえ、武闘派とはいえ、警察組織だ。一般市民を見殺しにはできるはずもない。

 レイドは無線機を手に取った。そして「通せ」と――改めて、そう言った。

 

 最も、伝わっていたかどうかは、別の話だが。

 

「――――!!?」

 

 その瞬間、獅子の咆哮のようなけたたましい雷鳴が、ネイヴュ中に鳴り響いた。

 ゴロゴロ、などという易しいものではない。ガオオ、という本物の獅子を髣髴させる、腹を抉りかねないあまりに凄まじい轟音。

 突然の落雷は、遠く離れたレイドの耳すら塞がせた。そして稲光で雷の落下地点を推測し――驚愕する。

 

「ゲート前……?」

『ナンバー83、沈黙! 音の瞬間的なショックによる失神です! 至急確保に向かいます!』

「なに?」

 

「一体何が」。そんな疑問も、通信で聞こえてきた声で、全て払しょくされることになる。

 

『あ、ちょっと! 勝手に無線使わな……ちょっ!』

『あー、おほん。本日は晴天なり、本日は晴天なり』

 

『支部に告ぐ』。

 その声は、男の声。しかしレイドにとっては、まるで覚えのない声で。

 

『まず、ネイヴュ支部の諸君には、この度の災難および惨事に『ご愁傷様』と申し上げさせていただく』

 

 聞いた場面も、似た声も、知らない。本当にわからない声。

 

『しかし支部長、副支部長が演習で揃って不在という中でも尚これだけの活躍を見せる諸君は、賞賛に値することであろう』

 

 しかしそれは皆同じなようで、無線越しに「誰だ」と口々にしている。

 

『延いてはその働きに免じ、我々はこれより君たちの尻拭いを開始する』

 

 やけに鼻につく言い回し。やたら軽々しい言葉遣い。

 それは誰よりも誰かを苛立たせることに長けた話し口ではあるが。

 

『我々――PG(ポケットガーディアンズ)本部、ネイヴュ応援部隊がな!』

 

 何よりも、頼もしいもので。

 レイドが空の違和感に気付いて見上げると、そこには次々とパラシュートでネイヴュの地に降り立つ、本部の戦士達がいた。

 雪風にたなびく、何にも染まらぬ黒の服。いつもは違う場所で戦う者の、勇ましき姿。それを見ているうちに、次々と無線が入る。

 

『こちらエフゲニー! 本部構成員が囚人ナンバー12を確保しました!』

『こちらユーリ! 本部の奇襲で立てこもりの人質救出が完了! 確保に入る!』

「なるほど、な」

 

 圧倒的な手際で犯罪者を黙らせていく本部に、さしもの彼も感嘆する。

 

『応援部隊へ告ぐ。我々は部署も上司もやり方も、何もかも違う部隊――言ってしまえば寄せ集めだ』

 

 この日、雪が解けた日――ネイヴュには、異なる思想の戦士が降り立った。

 その手で掲げるものも、胸に抱くものも、絶対に白服(ネイヴュ)とは違って、相容れることは決してない。

 

『がしかし、この場の誰しもが、引き抜きの虎の子であることに間違いはない』

 

 それでも。

 あの日、あの時、あの瞬間だけは。

 

『そのご自慢の腕、寒さで毛むくじゃらになったハナタレ支部の者らに、存分に見せつけろ!』

 

 共に剣を取り。背中を預けて戦っていたと、そう思う。

 

 

 

「まぁ――、冗談だがね」

 

 ソヨゴは一人呟き、マスターボール勲章を輝かせ、自らもその戦火に身を投じた。


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