ポケットモンスター虹 ~A Aloofness Defiers~   作:裏腹

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Episode.00 雪が解けた日

「――おやおや、此度はどんな看守が来るかと思えば」

 

 世界は、いつも灰色で出来ている。

 

「こんなに若く、可憐な青年でよろしいのかな」

 

 一〇〇人全員が全員で、白か黒かの、どちらかに断言出来ればいいのだけれど。

 

「なんだかバチあたりな自分には、どこか勿体無いような気もしてくるよ」

 

 それが罷り通らない、罷り通ることを許してくれない。

 

「それくらい美麗、ということなのだが」

「一人で喋るのが、好きなんですね」

「勘弁してくれよ」

 

 その理由は、神様という存在が、善も悪も、陰も陽も、清も濁も併せた全ての事柄を受け入れて、一片も残さずに嚥下するような性格をしていたから……という話で。

 そう思えば『人は神を模って作られた』なんて、嘘っぱちなように聞こえてくる。

 いいや、もしかしたら、本当に嘘なのかも。所詮はかも止まりだけど。

 

「こんなカビが大繁殖しそうな所に何年も何年も雁字搦めで放置されていれば、そりゃ少しは心も病むさ」

「その割には、瞳はギラギラと輝いている。今からでも僕を殺しそうなほどに」

 

 とにもかくにも、人っていうものは、白か黒かをはっきりしなきゃ落ち着かないんだ。白か黒しか、求めていないんだ。灰色を求める、世界の在り様に反して。

 でもそれはきっと、僕も同じで。

 そして今、目の前で鉄面を被されて、鎖とベルトによって椅子に括りつけられている男も――。

 

「それはそうと、君、ここの者じゃないな」

「わかりますか」

「無論さ。ここが長い私でも、君のように綺麗な目をした奴は見たことがない」

 

 マスク越しでくぐもってはいるけれど、返答できる程度には聞こえる鮮明な声で、格子の向こうの男は言う。

 

「いちいち他人の容姿とか、そういったものを褒めるけど……気が触れすぎてそちらの趣味にも目覚められたんですか」

「そうだな、それと、ここの人間はそんなに冗談が面白くないんだ」

 

 先程から項垂れるようにして話を進める彼が、僕の正体を探り出した頃か。

 次にくる言葉が、自然とわかるようになった。

 

「となれば、君は」

「きっと、誰でもない」

 

 だから返す。まるで糠に釘を刺すような手応え。ご愛敬だ、幾度と経験した。

 

「誰でもない。から、たぶんここに来れたんだと思います。どこかに身を置く、誰かではないから」

「トモ」

 

 隣で火を揺らめかせるヒトモシ。

 彼が鳴く向こうで、何人もの看守が倒れている。

 恐らく、というか起こした当人だから断言する。これは異常事態だ。されど人が来ないのは、今が夜遅いからでも、僕が特別優れているからでもない。

 

「ヒトモシ――人の命を吸い、炎を煌めかせる。いいポケモンだ」

「ありがとう」

「それで? そのヒトモシで道行く者を手当たり次第に眠らせ、刑務所――それもこんな奥深くにまで立ち入って、君がしたいことはなんだ?」

「……なんでしょうね」

 

 鉄臭い床に吐き落とされる小さく白い一息を、聞き逃さなかった。

 

「強いていうなら、自分の居場所を探している。人生でも物理的にも、迷子なんだと思います」

 

 それを拾い上げた途端。男は呼吸で上下する肩をぴたりと止めた。

 

「……おや」

「!」

 

 瞬間、時を同じくして鳴った足音。

 数秒だけ止まり、直後にまた聞こえた。そしてどんどん音が膨らんでいく。

 胸にぴりりとした緊張の杭が突き刺さる。

 だって、まだ人がいたなんて、予定外だったから。

『ト、モ』ヒトモシが目に見えて焦り始める。一人を眠らせる命を吸うまでに一分以上かかるのに、こんな猫も杓子も警戒心を剥き出しにした状態で、通用するビジョンが浮かばない。

 

「急げ、こっちだ!」

「まだいるはずだ、警戒は解くな!」

 

 そうやってヒトモシを宥める間も、思考巡らす時間も与えられないままに、声が鮮明になる。

 とことこ、すたすた、たたたた。伴う足音も同じこと。

 迫って、来て、近づいて。

 

「……な――!!」

 

 靴の音が最も大きくなった時に、それは来た。

 刹那、目が、合った。

 白服に身を包んだ男が懐中電灯で照らされた僕を発見した瞬間に、大口を開ける。

 そこから起こることは――残念なことに、もう見当がついてしまった。

 

「いたぞ! 侵入者――」

 

 いや、勝手につけてしまったと云った方が、いいかもしれない。

 

「がッ!?」

 

 こんなに早く裏切られるとも、知らないで。

 僕が目を点にしている間に、ぬうっと闇から伸びた手は、まるで己の中に引きずり込むかのように白服の男を捕縛、格子に磔にした。

 呆然とする。この怪物のような腕の主が、今しがたまで穏やかに言葉を交わしていた声の主なんだと、思うと。

 

「何、だぅわ……ッ!!」

 

 突然の事でさらに瞳が小さくなってしまったが、眼前の呻き声でハッと我に返ると、急いでヒトモシの目を手のひらで覆う。目の前の惨状が終わるまで、ずっと。

 ギリギリ、ギリギリと響く闇に消え入りそうな軋音が、果たして締まる首のものなのか、その後ろの格子のものなのかはわからない。

 わからないけど、何もかもがわからないなんてことは、なくて。

 

「ぐ、ぐるっ、じ」

 

 たとえば『先程まで喋っていた囚人が、実は囚われのふりをしていただけだった』とか、『彼は今の今までこうする機を窺っていた』――とか。

 断片的ながらに、言い切れることはあって。

 

「や、む、ぇ」

 

 そして『彼がバラル団の幹部だった』ということも、数秒後には断言できる事実として、カウントされてしまうことになる。

「やりすぎだよ」

 僕が今一度口を開いたのは、看守が足一つバタつかせなくなった頃。泡を吹いて白目を剥いた頃。

「安心しろ、紳士は殺しをしない」と返答が来た。冗談が面白いのはどっちだろう。

 意識もろとも解放された看守は、ずるずると格子伝いに背を滑らせて、座り込んだ。

 その腰から鳴る「チャリン」という音は、手の主が自由を約束された証明。

 再び伸びた手が牢の穴に鍵を刺す。

 

「ふう……」

 

 自由を手しちゃいけない人が、自由を手にしてしまう瞬間、世の悪意を垣間見た気がした。

 マスクの向こうにあった禍々しい双眸は、邪魔が消えてより一層の輝きを放つ。

 その光はほの暗さの中、彼の本当の姿をぼんやり照らし出す。

 ゆるく癖のついた、青髪の男だった。囚人服でわかりづらいが、体格もそこそこなようで。

 冷静に考えれば重罪人。常識を逸脱した存在。何が起こったって、不思議じゃないけれど。

 でもなんでか、不思議と、この逃げ足が動くことはなくて。竦んだわけでもないと思う。

 牢の戸が開く。人工の灯りの下で立ち尽くす僕へと目を配せながら、彼は訊ねた。

 

「居場所を探してる――と、言ったな」

「ええ」

「どうする? ここで君が私の身代わりとして牢に入れば、君の居場所は永劫に確定するわけだが」

「それは」

 

 どうしてあの時、僕は彼に引っ張られたのだろう。

 

「はっはっは、冗談だよ。おもしろいだろう?」

 

 どうしてあの時、僕は彼と同じ道を走ったのだろう。

 

「さあ……、わからないです」

「っは、つれないヤツだ。名前は」

「カナト」

「カナト、か。イズロードだ」

 

 どうして、あの時。

 

「共に来い。そのしけた顔がくしゃくしゃに歪むほど、愉快なものをお見せしよう」

 

 ――いや、いい。

 当時の自分すらわからなかった事柄、今となっては知る由もない。

 只、これは。

 

「世紀の大脱獄ショーの、開演だ」

 

 迷子が見た“確信”という名の、白昼夢の話。

 

 

       ◇       ◆       ◇       ◆       ◇

 

 

 その日、絶対と謳われていた氷の牢獄が、ただ一人の人間によって打ち破られた。

 イズロードと名乗るその男は、後にラフエル全土を震撼させた大事件『雪解けの日』の首謀者として、長きに渡って語り継がれることとなる――。


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