「切嗣さん、その子は?」
「あぁ、ちょうど君が来る少し前に来てね…」
士郎が切嗣さんに引き取られる少し前のことだ。衛宮邸の軒先に腰掛ける切嗣さんの膝上にちょこんと座る、黒服の見知らぬ子。詰襟の洋服を着て、短パンからは白い素足がのぞく。
ハーフなのか、異国風の顔立ちに綺麗な瑠璃色のくりくりした瞳が印象的だった。
「……切嗣さん、お子さんいたんですか…?」
「息子だったら、どんなによかったか…ちょっとした縁があった子でね。この通り、すっかり懐かれてしまったよ。リヒト、藤村のお姉さんにご挨拶は?」
切嗣さんは苦笑しながらも優しい眼差しで、その子の頭を愛おしげに撫でる。リヒト君というらしいその子は、切嗣さんに頭を撫でられて気持ちよさそうに目を細めた。切嗣さん曰く、随分な懐き様だ。その子は私に対し、ぺこりと礼儀正しく頭を下げた。
「…はじめまして、藤村のお姉さん。」
それが一応、私とリッちゃんの初対面ということになる。
ある日、切嗣さんが帰って来たと聞いて家を訪ねると…軒先にて、切嗣さん、士郎、リッちゃんの三人でハンバーガーを食べていた。士郎はむすうっとした表情で口をもぐもぐ動かしている。
「藤ねえからも何か言ってくれよ!リヒトの奴、やっと来たと思ったら来る度にジャンクフードばっかり買って来るんだ。」
リッちゃんの来訪は不定期だ。法則性があるとしたら、切嗣さんが行き先不明の旅から帰って来るとリッちゃんもひょっこり顔を出す。まるで、切嗣さんの帰って来る日をあらかじめ知っていたみたいに。
そんなこともあってか、私の中でリッちゃんは不思議な子という印象があった。当時は何処から来てるのかとか、リッちゃんの苗字すら知らなかったし。
「まぁまぁ、士郎。たまのジャンクフードも悪くないだろ?」
「じいさんはそうやってリヒトを甘やかす!」
「シーロ、口元に食べカスついてる。食べ終わってから話そうよ?行儀悪いから。」
「俺と年変わんないんだから、リヒトはお兄ちゃんぶるなよ!」
士郎とリッちゃんは年が近いらしく、仲良くなるのにそう時間はかからなかった。リッちゃんは妹か弟でもいるのか、時折お兄ちゃんの顔をする。リッちゃんが取り出したハンカチで士郎の口元を拭いてあげると、士郎は恥ずかしそうに頬を赤らめた。
「きょうだいができてよかったな?士郎。」
「じいさん、絶対面白がってるだろ…藤ねえも笑うなよ。」
自然と、そのやり取りに笑みがこぼれた。こんな日がずっと続けばいい。そう、思っていた。
切嗣さんが亡くなったという報せを聞いたとき、目の前が真っ暗になった。確かに最近、行き先不明の旅に出なくなって少し痩せたなとは思っていたけど…何処か体が悪いとか、そんな話は聞かなかったのに。
そして切嗣さんのお葬式の日、リッちゃんは来なかった。士郎が連絡をしたとは思う。流石に士郎なら、リッちゃんの連絡先位は知ってる筈だし。リッちゃんの代わりに、リッちゃんそっくりな神父さんが来た時は驚いたけれど。
お寺に神父さんは、なんとも奇妙な組み合わせだった。切嗣さんの告別式の日、私が受付をしていたときにその人は葬儀が執り行われた柳洞寺にふらりと現れた。
「この度は、お悔やみ申し上げます。リヒトが故人の方にお世話になったと聞きまして、あの子が来れないので…代わりに参りました。」
不謹慎ながら、綺麗な人だと思わず見惚れてしまった。リッちゃんもおっきくなったら、こんな感じになるのかなと。すらりと背も高く、神父服はその人によく似合っていた。
「リッちゃんの…お兄様ですか?」
お父様、というには若過ぎる気がした。すると、神父さんは少し考え込む様な素振りを見せ、「そういうことにしておいてください。」と不思議な答え方をした。お香典を渡され、慌ててご芳名をお願いしますと神父さんに記入用のペンを渡す。
「あの子の代理で来たので、どうかあの子の名前を書かせてくださいな。」
そう言って、リッちゃんそっくりな神父さんは綺麗な字で言峰リヒトと芳名帖に名を記した。リッちゃん、苗字は言峰というらしい。ファミリーネームじゃないんだ。
名前の隣に記された住所には言峰教会と書かれている。リッちゃんが教会の子だということもその時、初めて知った。確か、隣町に言峰教会という教会があった気がする。
「…暫く、あの子も衛宮さんのお宅に来れなくなるかと思います。あの子はまた父親と日本を離れますので、帰って来られる時期が不定期になるかと。」
リッちゃんが何故、たまにしか顔を出さないのかも分かった。お父さんの仕事で海外へついて行き、日本を離れる期間がよくあるらしい。
リッちゃんの代理で来たとその人は言っていたけど、その人もまた切嗣さんと交流があったのか…遠目がちに、亡くなった切嗣さんの亡骸と対面した彼は涙こそ流さなかったが、とても悲しそうに見えた。切嗣さんはやっぱり、顔が広い。
リッちゃんそっくりな神父さんはお焼香をあげ終わると、「衛宮さんの息子さんによろしくお伝えください。」と私に小さく頭を下げ、その場を後にした。リッちゃんと同じくらい、不思議な神父さんだ。
それ以来、その人は見かけていない。リッちゃんもここ五〜六年ばかりは、家に顔を出さなくなっていた。
「藤村先生、いたいた。」
病院の個室にて、退屈を持て余していた時にリッちゃんがお見舞いに来てくれた。何故か、リッちゃんは神父さんが着る様な服を着ていて…切嗣さんのお葬式に来たあの神父さんそっくりだ。
「リッちゃん!?どうしたの?しかもその格好。」
「お見舞いに来ましたー場所はシロから聞いて。シロったらやる事あるみたいで、藤村先生によろしく伝えておいてくれって。この格好は父の仕事の手伝いで。」
そう言いながら、リッちゃんはにっこりと人懐っこそうに笑う。学校でのリッちゃんの印象は取っつきにくい優等生で遠坂さんと揃うと…より近寄り難さが増す気難しい子なのだけれど、案外素のリッちゃんは昔と変わらない。
「先生、体調はどうですか?」
「退屈を持て余す程度には元気なのだー!…なんてね、あと数日は入院しとけっておじいちゃんが。私は共同部屋でいいって言ったのに、こんな個室手配しちゃっていつまでも過保護なんだから。」
士郎やリッちゃんが高一に上がった頃、私も授業の出席簿を見てリッちゃんのことには気付いていた。
けれど、大きくなったリッちゃんの印象はそんな感じだし、士郎は何故かリッちゃんをあからさまに避けているしで私が余計な横槍を入れて面倒な事になると困るなと敢えて見守っていた。
それが一週間と少し前、リッちゃんが遠坂さんと士郎の家に転がり込んで来て、リッちゃんと士郎もすっかり元の仲良しに戻った様だった。士郎ったら、リッちゃんのことを単にすっかり忘れていただけだったらしい。
リッちゃんと遠坂さんは幼馴染で姉弟同然に育ったとか。本当の姉弟ではないらしいけど、この二人は並ぶと似ている。
「気を遣わせて、なんか悪いわね。士郎ってば、お姉ちゃんのお見舞いに来てくれないなんてひどいと思わない?リッちゃん。」
「ぼくも行かないのかー?って、聞いたんですけどね。最近、なんかシロも忙しいみたいで。先生、これお土産です。」
リッちゃん曰く、士郎は最近何やら忙しそうだ。
「これ、新都にあるデパ地下のちょっといい和菓子屋さんのどら焼き!リッちゃん、私の好みよく分かってるじゃなーい。折角だから一緒に食べましょ?」
「…それじゃあ、お言葉に甘えて。」
今日はリッちゃんがお土産持って、お見舞いに来てくれたから良しとしよう。
「リッちゃん、私うれしいのよ?」
急に、藤村先生がそんなことを言うものだから何がですか?と首を傾げる。先生のお見舞いに行くと、先生は割とお元気そうだった。
「…またリッちゃんが士郎と仲良くしてくれて。士郎もリッちゃんといれて、とっても嬉しそうだから。私、最初リッちゃんと士郎がケンカでもしたのかなって不安だったの。実は…リッちゃんが言峰君だってもっと前から私、知ってたのよ。」
あぁ、数年間シロとぼくが不仲だったって話か。どうやらシロは中学時代に何処かでぼくがマキリ相手に容赦しなかったのを最初に見て以来すっかり恐怖心を植え付けられたらしく。
ぼくは要注意人物と認定され、目を付けられたら怖いとあからさまに避けていたらしい。全く、ひどい話だ。
「先生、何でもっと早くシロとぼくのこと…とりなしてくれなかったんですか。」
「私が変に横槍入れて、二人の仲を悪化させても嫌だなって先生も普段は読まない空気読んだのに。」
藤村先生、そこは空気読まなくてよかったんですよ!そうすれば、こんな遠回りしなくても済んだかもしれない。
「そう言えばリッちゃん、お兄様は元気?ほら、切嗣さんのお葬式にリッちゃんの代わりに来てくれた。」
そして藤村先生、何故其処でキャスターの話題が出てくるんですか?それも、随分と前の。
「今日、リッちゃんが神父さんの服着てお見舞いに来たからちょっとびっくりしたのよ?あの時の神父さんと、リッちゃんがあんまりにそっくりだったから。あれ以来、あの神父さんお見かけしてないし。元気かなって。」
藤村先生も、キャスターのこと見てたのか…いや、寺に神父なんて相当目立つ。見てない方が有り得ないか。この格好で来て、失敗した。
「元気ですよ。先生がよろしくって言ってたと伝えときますね。」
というか、すぐ其処でちゃっかりどら焼き食べてるんだけど。霊体化してるから、先生には見えないだけで。
「お元気ならよかったわ。」
「……先生、ごめんなさい。ぼくが切嗣さんのお葬式行かなくて。」
「どうして私に謝るの?切嗣さんだって、きっと怒ってないわよ。」
思わず、先生に切嗣さんのお葬式にぼくがわざと行かなかったことを謝ってしまった。すると、先生は笑って謝る相手が違うでしょうと言ってくれる。
「今度、シロと切嗣さんのお墓参りに行こうかと思います。」
「士郎も、やっと行く気になったのね。士郎も切嗣さんが亡くなってから、一度もお墓参りにすら行ってないのよ?リッちゃんが行くって言ったからかしらね。」
「偶々じゃないですか?」
「そんなことないわ。」
切嗣さんは聖杯戦争が終わって以来、顔や口にこそ直接出さなかったが…病の様な“何か”に体を蝕まれていたと思う。
子供ながらに、ぼくはそれに薄々気付いていた。ぼくが何処か悪いの?と聞いても、リヒトは何も心配しなくていいし、士郎には秘密だよと切嗣さんは平気そうな素振りをするだけだったし。
本当は全然、平気じゃなかったろうけど。キャスターなら切嗣さんの体を徐々に蝕んでいた何かの正体を知っていると思い、一度聞いたことがある。
『あれは…人の手に余り過ぎるものだ。関わるな、君の為でもあるんだぞ?それに、あの男も延命を望んではいない。』
結局、そんなことを言われてうやむやにされてしまった。ぼくが首を突っ込んでどうにか出来る代物ではないらしいことを知り、それ以上の詮索はやめたのだ。
それにキャスターは言っていた。切嗣さんは、生き永らえたいとは思っていないと。あーあ、中途半端に事情を知ってるってのも辛いなあ。
「あら、リッちゃんもう二個食べちゃったの?もう一個食べる?」
「お構い無く、そろそろお暇しますから。」
「もっとゆっくりしてけばいいのに。」
もう一つ、どら焼きに手を付けようとしたキャスターの手をこっそりはたく。全く、油断も隙も無い。マキリの件、直に夕刻だからうかうかもしてられない。
「リッちゃんも何だか、今日は忙しそうね。」
「まだ父の仕事の手伝いが一つ、残っているので。」
先生のお見舞いに行く少し前、聖堂教会スタッフから、新都のオフィス街でマキリらしき学生服の少年を確認したとの連絡が入って来た。さて、そろそろぼくも行かないと。