「あー…口の中が砂っぽい。ジャリジャリする。」
「荒野のど真ん中だからな。ならば口を閉じて、運転に集中しろ。物資を届けたら寄り道せずにキャンプへ帰るぞ。」
どこもかしこも砂、砂、砂の荒野。しかし、もう少し車を転がせば河口が見えてくる。
「もう少し行けば河口が見えてくるよ。」
「…この辺りの地理に詳しいんだな、前にも来たことがあるのか?」
僕が慣れた様子で運転していたからか、彼が土地勘があるんだなと意外そうな反応をする。
「小さい頃にね、父さんの仕事でこの近くに来たことがある。懐かしいなぁ、父さんと僕に付いて来た人に近くの遺跡に連れてって貰ったんだ。その人が結構、土地勘のある人でさ。」
「遺跡?」
「神殿跡だよ、結構大きめのね。この辺り土着の太陽神を祀った立派な神殿だったって話。もう数千年以上前の古いものだ。寄ってく?」
助手席にて、彼があからさまに顔をしかめた。寄り道せずに帰ると、今言ったばかりじゃないかと。
「観光で来た訳じゃないんだぞ。」
「僕にとっては実家に寄る様なもんだよ、付き合ってってば。」
窓から景色を眺めていた彼が此方を見やる。まぁでも、本当の意味で実家に寄る様な感じなんだけど。
「何故に遺跡が君の実家になるんだ?」
「それだけ、君にも見せたいって意味…駄目?」
「……5分だけだぞ。」
お伺いを立てる様にして、彼に再度誘いの言葉をかける。彼が観念した表情をすれば、それが折れた合図だ。
「………喉、渇いた。」
なんか、妙な夢を見た気がする。あれは多分ぼくで、隣にいたのは…誰だろう?なんか、見覚えがある様な無い様な。
でも、車の運転免許なんて持ってないしあんな荒野のど真ん中なんて昔キレイの仕事で中東方面に行ったきりだ。
丁度、キャスターと王様の故郷が近かったらしく王様が実家参りだとか言って、小さなぼくの体力が許す限りあちこち連れ回されたなぁ。
隣で寝ているシロを起こさない様にして、そっと部屋を抜け出す。荒野の夢なんて見たから、喉が渇いた。
台所にて、コップを拝借し水道の蛇口を捻る。シロの家の水道水は地下水から直接汲み上げてるらしく、カルキ臭くないから飲み易い。
コップに満たした水を一気に喉へ流し込む。渇きは潤され、眠気が和らいだ。あー…なんか目が覚めちゃったな。
「リヒト?」
「うあっ!?びっくりしたぁ…急に出て来ないでよアーチャー。キャスターは?」
「疲れたから寝ると言って、先ほど君が使ってる客間へ行った。」
「あぁ、そういうこと…」
霊体化していたらしい、アーチャーが背後から現れてびっくりする。生身の人間の気配なら分かるけど、流石に霊体化したサーヴァントの気配は分かり辛い。
「すまない、驚かせた…その格好は?」
ぼくの格好を見て、アーチャーが珍しく目を丸くする。最近は家にずっといるシロが時間があるからと、張り切って家の掃除をした際に仕舞い込んでいた切嗣さんの寝巻き用の浴衣が出て来た。
殆ど着てなかったものらしく、自分が着るにしても丈が余るからぼくなら丁度いいだろうって借りたんだ。
「切嗣さん…シロのお父さんの浴衣借りた。殆ど着てないみたいでさ、シロが勿体無いからって。変かな?」
「少し着付けが緩い…着付けたのは衛宮士郎か?」
アーチャーがジッとぼくを見るなり、着付けが緩いと指摘する。着付けたのはシロかって聞くから素直に頷く。
「着付けがなってない。全く…一度解くぞ。」
「えっ!?ちょっ、アーチャー…!」
耳元で、アーチャーのロートーンな掠れた声がして腰にゾワリと何かキた。普段は別段何とも思わなかったけど、アーチャーの声は危うい。
ものの数秒で帯を解かれ、浴衣の前を一瞬大きく開かれた。これ、人に見られたら明らかに誤解される。
「筋肉はあるが、野菜は食べているか?料理は出来るが君は自分の食生活を気にしなさ過ぎる。」
「アーチャー!?どこ触ッ…!前よりはちゃんと食べてるよ!」
アーチャーはただ浴衣の着付けだけすれば済む話なのに、いつもの世話好きが妙な方向に発揮されて無遠慮にペタペタと無防備な腹筋のあたりを触ってくるからたまったもんじゃない。頭の中がパニックになってる間に、いつの間にやら着付けは終わっていた。
「ほら、終わったぞって…リヒト!?」
ちょっと涙目になりながらアーチャーを睨み付けるぼくに対し、無自覚な当人は何事かとひどくうろたえるばかりでタチが悪いにも程がある。
アーチャーのばかぁっ!キャスターこの無自覚、何とかしてよと泣きたくなったら後ろから底冷えする様に恐ろしく低い声がした。
「……アーチャー?何やってるんだ。」
キャスターだ。すっごく眠そうだが、キャスターの目はすっかり据わっていた。壁から半分だけ顔を出して怒ったキャスターはさながら幽鬼の様だ。
「世話焼きも度を越すと何とやらだぞ。それとも…貴殿は顔が一緒なら、どちらでも良いのか?」
「何の話だ!?私は顔が一緒ならどちらでもいいという訳では…!あ、」
キレたキャスターを見て、やっと自分が何をやったのか薄っすら自覚したらしいアーチャーがダラダラと冷や汗を掻く。
「…無自覚なのが余計、タチが悪いなぁ?半身、君は早く寝るといい。くれぐれもシロにはこんな風になるなよと伝えておけ。」
何でシロ?と思ったけど、なんか一気にどっと疲れたから後はキャスターに任せて、シロの部屋に戻ることにした。
「シロ?」
まだ眠たい意識の中で、頭上からリヒトの声がする。リヒトの声は、何処か俺を気遣う様にいつもより優しめだ。
「まだ、眠…ン、」
「…ちょっと、熱っぽいね。今日は安静にした方がいいんじゃない?」
こつりと、基礎体温の高そうな人肌の感触。お前、俺と額合わせるの好きだよなぁ。
「駄目だ…慎二、見付けないと……」
「昨日、普通なら死んでた筈の怪我したのにもうマキリを探す気?君も相変わらず、自分のこと大事にしないよね。」
「……るさい、お前も…似た様なもん、だろ。」
君程じゃないよと、リヒトが小さく溜息を吐く気配がした。頬を心地良く撫でられ、指先の感触が気持ち良くて無意識な内に頬擦りしてしまう。
すると、リップ音と共に瞼へ柔らかい感触が一瞬だけ触れる。おいリヒト、いつもながらちょっとスキンシップが過剰じゃないか?もう、慣れたけど。
「…シロ、死んだらやだよ。」
「約束…したろ?親父の墓参り、一緒に……行く、って。」
「その約束、憶えてるなら大丈夫か。先に行ってる。もう少し寝てなよ。」
「……そうする。」
隣から、リヒトの気配が離れてく。ちょっと名残惜しいと思ったけど、口に出すのは恥ずかしいから眠気で誤魔化すことにした。
昨日、目が覚めたらリヒトが元マスターでキャスターがサーヴァントでしたって怒涛の出来事が待っていたものの日常的にはいつもとあんまり変わらない。
「おはよう、姉さん。」
「おはよ…いつもながら、早いじゃない。」
眠気で朦朧とする意識を引きずり、洗面台に向かうと一足先に弟が浴衣姿で歯を磨いていた。最近、弟は士郎と桜のおかげか朝寝坊をしなくなった。今日なんか士郎より早く起きてきたらしい。
昨日、弟が元マスターであることを知らされたのに弟本人はいつも通りだ。いや、少し前から何と無くそうなんじゃないかと思っていたら本当にそうだった。
『魔術協会にバレたら、半身は格好のモルモットだぞ?サーヴァント召喚の触媒になり得る人間のサンプルなど中々無いからな。』
昨日、弟が元マスターである事が知れてキャスターがあの嫌な笑みを浮かべながら私にそんなことを言ってきたのを忘れられない。
『半身は自らを触媒に本官を現界させた。本官の触媒は今の時代、マトモに残っているものは無いからなぁ…半身を除いてだが。』
生きた人間を触媒にサーヴァントを顕現させたなんて話、聞いた事が無い。何でリヒトが触媒なのよと問い質したら、とんでもない答えが返ってきた。
『正確には、触媒は半身の魂だ。本官と半身は、元は一つだった。』
英霊として召し上げられた魂は死後、輪廻を外れて英霊の座なる場所に記録されるとお父様から聞いた事がある。キャスターだって、死んだ後は魂を輪廻から外された筈だ。
『本官は死後、名前と正史上からの存在を消される筈だった。しかし、それでは余りにも哀れだと…とある方の恩赦で我が魂の半分は全くの別人として輪廻を外されるのを免れたのさ。』
じゃあ、リヒトは一体何なのよ。っていうか、アンタ何しでかした訳?名前と存在を正史上から消されたって只事じゃない。
『神への反逆など、神話の中ではさして珍しくない話だろ?いつだって、神への反逆者は神々より厳しい罰を与えられてきたじゃないか。』
神様への反逆って何様のつもりよこいつ。やたら、態度のでかい奴だとは思ってたけど。
『半身は元を辿れば本官であり、本官はあの子だ。この意味が分かるか?イナンナの娘。』
さっぱり意味が分からなかった。私にとって、リヒトは私の弟みたいな奴であんたとは違うのよ。あと前から言おうと思ってたんだけど、そのイナンナの娘って何よ!?私には遠坂凛って名前があるのに!
『…あぁ、これも君に言うのは初めてなんだが君は本官の叔母上に顔だけは本当にそっくりなんだ。叔母上の名はイシュタル、別名イナンナ。我が義父の双子の妹君だった。叔母上は大嫌いなんだが、君はむしろ好ましく思っているんだぞ?これは嘘じゃない。』
私はあんたの叔母さんじゃないっつの!キャスターはその叔母さんのことを相当嫌っていたらしく、だから私に対する態度も意地の悪いものだったのねと余計に腹が立ったのだ。
キャスターが言っていたイシュなんとかだかイナンナとかいう呼び名に、何故か私は聞き覚えがあった。ずっと昔に…けど、何処で?
「凛、早いな。」
歯を磨くリヒトの傍ら、半身半裸で呑気にキャスターも歯を磨いていた。青いタトゥーが嫌でも目立つ。いつの間にか洗面台の歯ブラシが一本増えてるなと思ったら、キャスターのものだったらしい。
「キャスター!服着なさいよ!!寒くない訳!?」
「多少、朝は冷えるがもう慣れた。凛は朝から元気だな本当に。」
私がイナンナの娘って呼び方はやめてと言ったら、キャスターは馴れ馴れしく昨日から私を凛と呼び始めた。弟と全く一緒の声で凛と呼ばれると、調子が狂うけどあのままイナンナの娘と呼ばれ続けるのも癪に触る。
「…姉さん、ストップ。」
呆れた眼差しのリヒトからストップがかかり、仕方無くキャスターとは休戦する。キャスターが先に口をすすぎ、洗った歯ブラシの水気を切って元の場所に戻す様子はサーヴァントらしからない。
「リヒト、今日の朝食どうする?士郎の奴、いつも通り自分がつくるとか言い出しそうだから私たちで早めに準備しちゃいましょう。」
「…….朝食なら今頃、アーチャーが準備してる筈だ。先につくっておけばシロも大人しくなるだろ。」
まさか、アーチャーが朝食の準備を始めてるとは思わなかった。士郎はあの怪我だし、私とリヒトでつくろうとしていたのに。
「昨晩、色々あってな。なぁ?半身。」
「……アーチャーだって悪気は無かったんだから、おかげで着崩れてないし。」
「浴衣の着付けも出来るとはアーチャーも器用な事だ。」
どうやら、リヒトの浴衣の着付けはアーチャーがやったらしい。寝起きにしてはリヒトの浴衣はきっちりと着付けられている。私のサーヴァント、もしかして日本人なのかしら?おおよそ日本人らしからぬ様相だし、真名は覚えてないとか言ってたけど。
「…半身、服を借りるぞ。」
「はーい、どーぞ?」
姿を現してから、本当にあのいけ好かないサーヴァントったら士郎の家でも遠慮が無くなった気がする。現代生活に馴染み過ぎと言うか。
居間に着くなり、なんかいつもよりハイグレードな朝食が既に並んでいる。遠坂やリヒトにしては手が込んでるし、誰が…?
「メイガス、今日の食事は誰が?」
「本官がアーチャーに頼んだ。食材に関しては心配するな。昨日、事前にアーチャーがスーパーで調達してきたものだ。」
遠坂、リヒト、キャスターは一足先に食卓に着いていた。これ全部、アーチャーがつくったのか!?あいつの思わぬ意外な一面にリアクションが付いていけない。
「士郎、セイバーも…冷めない内に頂いちゃいなさい。美味しいわよ?あと、アーチャーが台所借りたわ。」
「あ、あぁ…それは別にいいんだけど。あいつ、料理出来たんだな。」
聞けば、昨日のごはんもあいつのお手製だったらしい。俺は食欲所じゃなかったから、食べてないんだが。見れば、当のアーチャーはエプロン姿で台所で後片付けをしていた。エプロンが妙に似合ってて、普段とギャップがある。
「あ、アーチャー…ごはん、ありがとな。」
「貴様の為ではない。冷めない内に早く食べろ。」
うっわ、素直じゃない。アーチャーはキッと此方を睨み付けながら、洗った調理器具を拭いている。ほんとこいつ、俺のこと嫌いだよな。
「アーチャー、昨日の今日でごめんね?つくらせてばっかりで。」
「君らこそ、昨日から大変だっただろ?私に出来る事をしたまでだ。」
さっきまで俺を睨み付けていたアーチャーは何処へやら、リヒトに対しては優しげな顔をして気遣う様な態度すら見せているからなんか面白くない。
今日、リヒトも慎二を探すって言うから別行動だが出る時間は一緒になった。すると、アーチャーが何やら紙袋を持って玄関先へ現れた。
「先輩、リヒト、弁当だ。持ってけ。」
「はぁ!?」
「なんだ?衛宮士郎。先程、セイバーに弁当はいるかと聞いたら外で済ませるからと言われた。だからお前たちの分は無いぞ。」
「すみません、シロウ。流石にそこまでアーチャーに気を遣わせるのは申し訳無いと思い…」
セイバーに謝られてしまった。いや、別に俺は弁当が欲しかった訳じゃない。アーチャーがシレッと、リヒト達に弁当を渡そうとしているから…!
「…何でお前がリヒト達の弁当、シレッと用意してるんだよ。」
「今のお前の体で、無理はするなとセイバーに厳しく言われたのだろう?私とて、先輩に頼まれなければこんな事は絶対しない。」
今日だって俺が朝食つくれたら、俺とセイバーの分ついでにリヒトとキャスターの弁当もつくろうかなと思ってたのにこいつは…!
「衛宮士郎、食事メニューにもう少し野菜を増やせ。あれではリヒトの栄養バランスが余計に偏る。昨晩、浴衣の着付けを直すついでにリヒトの体を「アーチャー、ストップ!!」
玄関先で靴を履きかけていたリヒトが突然、アーチャーの言葉を制する。見れば、にわかにリヒトの頰が赤い。
「シロ、何でもないから!!早く行こう?」
「この件に関して、シロは気にするな。」
浴衣の着付けって…親父の浴衣が出てきたから、リヒトに着るか?って聞いたら着ると言ったので着付けを少しだけ手伝ったのだ。この件に関して気にするなと言った、キャスターの顔に怖いものを感じたので触れなかったことにする。
「あー…ごほん!すまない、失言だった。捨て弁にしてあるから、荷物にはならないだろう。量が多目のやつが先輩用だ。」
なんか、アーチャーがやけにキャスターに対して甲斐甲斐しいのは気の所為か。今日の朝食だってキャスターに頼まれて、あまつさえ見送りついでに弁当まで用意するなんてまるで…俺の思ったことをセイバーが代弁してくれる。
「新婚のような甲斐甲斐しさですね。」
「ばっ…セイバー!君は急に、何を言いだすんだ!?」
「昨日、凛に聞いてやっとあなた達の関係が理解できました。気付かなかったとは言え、申し訳ありません。シロウ、リヒト、私たちは先に外へ出て待ってましょうか。」
は?新婚??セイバーに促されるがまま玄関を出た。リヒトも何を察してかなるべく早くしてね、キャスターとキャスターに言い置いて玄関を出る。俺も色々察したく無かったが、察してしまった。
「セイバーに知れたことがそんなにショックか?」
ニヤニヤと、先輩は非常に愉しそうな笑みを浮かべてまさかセイバーに気を遣われるなんてと地味にショックを受けているオレに更なる追い打ちをかける。
「彼女は君にとってマドンナの様な存在だからなぁ?気を遣われたのはそれはショックだろう。」
「誰の所為で…!」
「貴殿が弁当をこさえてくれて、見送りまでしてくれるなんて初々しい新妻の様で本官も悪い気はしないぞ。いや、この場合は新婿か?」
そんなつもりはまるで無かった。先輩が新妻なんて言葉を発するものだから、一気に頰が燃えるように熱くなり、心拍数まで上がった気がする。昨晩の事もあったから、侘びを兼ねたつもりがとんでもない誤解だ。
「見送りの何とやらはしてくれないのか?アーチャー。」
凛は居間に居るだろうし、あの三人は戸を隔てた玄関前で先輩を待っている。あぁ、どうせ聖杯戦争が終わればこんなままごと染みたことも出来なくなるのだ。
見送りの何とやらは、速攻で済ませた。今日は災難が過ぎる。
寝ぼけた士郎に泣きついてセイバーに慰められて当のアーチャーは次の日の朝、遠坂嬢に代わって台所に立つまでが一連の流れ。