「武内さん。こっちの人は服部瞳子さん。あなたの先輩になる人です」
「よろしくお願いします。服部さん」
「…………よろしく」
高木社長が紹介してくれたアイドルスクールは意外に小さな所だった。トレーナーは目の前の彼女一人であり私以外の生徒も服部と言う人だけらしい。トレーナーさんは高木社長とも知り合いのようで今回私をよろしく頼むと高木社長に頼まれたらしい。この場所も恐らく私がレッスンに集中出来るように敢えて大きな養成所にはしなかったのだろう。
「高木社長にはお世話になりましたけどレッスンでは手を抜きませんから覚悟してくださいね!」
「はい、もちろんです。よろしくお願いします」
「すごいですね、武内さん! 初心者なのにもうこんなに基礎が出来てるなんて!」
「いえ、先生や服部さんに比べればまだまだです」
レッスン教室に通い始め数日が経過した。
ダンスや歌の基礎をウォーミングアップとして行ってみるとやはり先生のレベルの高さが分かる。さらに服部さんと言うもう一人の生徒もレッスン歴の長さを差し引いても明らかに私以上、それもかなりのレベルの実力を持っている。
確かに社長の言う通り765プロだけでは味わえない経験だ。
それに、
「そうね、まだまだよ。さっきのステップもワンテンポどころかツーテンポ遅れていたしその後の流れも本来のテンポからズレてたわ。歌も課題曲のキーを何度も外してたし大きな声出せば良いってものじゃ無いのよ。こんな実力じゃいくら765プロのアイドルだって直ぐに人気なんて無くなるわよ」
それに何より共に学び会う間柄と言うのは親近感が湧き私のモチベーションを高めていた。さらに服部さんの厳しいながらも的確なアドバイスは私にとって大変参考になっていた。
「はい。ありがとうございます。次は必ず修正します」
「…………そう。なら次は気を付けてね。武内さん」
「服部さんの基礎はほぼ完璧なので武内さんも是非参考にしてあげて下さい!」
「はい先生。服部さん、勉強させてもらいます」
「……言っておくけど私遊びでやってないの。あなたのレベルに合わせる気は無いわよ。どうしても教えて欲しかったらあなたが私のレベルに合わせてちょうだい」
「分かっています。ご迷惑は掛けません」
「……ずいぶん張り切ってるのね」
「はい、近々ライブがありますので」
「っ……そ……そう。ならこんなレベルじゃお客さんに失礼よ。止めるなら早めに止めたら?」
「服部さんの言う通りもちろん今のレベルではとてもステージには立てません。だからこそ、私はレッスンを通して自らの実力を高め、ステージに立つだけの資格を獲ます」
「……そう」
武内君は真っ直ぐな瞳で決意を語った。私はその瞳から目を逸らした。
(嫌な女よね……私)
我ながらなんて小さな人間なのだろうか。
武内君に対する私の態度は明らかに敵意に満ち、高圧的で、端からは後輩イビりをしているように見えるだろう。実際その通りだけど。
原因は分かっている。嫉妬だ。
聞けば彼はアイドルのレッスンを始めて半年も経っていないという。そんな短い期間で彼はあの765プロにスカウトされ今や雑誌やネットで話題の新人アイドルとして騒がれている。更には近々ライブも有るという。
対する私は先輩とはいえ正確には今現在アイドルではないしオーディションも連戦連敗、十代の頃なら未だしも今は街中を歩いたところで精々水商売かいかがわしい仕事のキャッチしか声が掛からない。ライブなど夢のまた夢の話だ。だからこそなのだろう。目の前で実際に起こっている彼のシンデレラのようなサクセスストーリーに私は激しい憎悪と嫉妬を抱いていた。
(妬み嫉みで辛く当たるなんて私は女子高生か……どうかしてる。これじゃ本当に救いようが無いじゃない……)
彼にとっては全くもって理不尽な話であり私もやってはいけないと思っているが、どうしても彼の未熟な姿を視ているとイライラが募ってしまうのだ。
今をときめく765プロからスカウトされたこと。
それなのに私より劣る実力でありながらアイドルとしては私の一歩も二歩も先にいる現実。
武内君を擁護すれば全く見込みが無い訳ではない。私から見ればおざなりなレッスン内容でもそこには彼が秘めている確かな才能を感じた。765プロの名は伊達ではないということだろう。
そんなところも腹が立ち、彼がレッスンで初歩的なミスをする度に一瞬殺意にも似た感情が芽生えては消え自宅に帰り独り反省を繰り返す、そんな酷い日々がここ最近続いていた。
「服部さん。今の歌の所、少し聞きたいことが有るのですが……」
「え……ど、どこかしら? 私、忙しいのよ」
彼の態度も私を悩ませた。
これで彼が才能や立場を鼻に掛ける嫌な男なら私もここまで気に病まなかった。けれど彼、武内君は善良だった。
私の半ば嫌がらせの混じった指導も彼は今日まで何の不満も上げずにむしろ私に感謝をしながら私の指導に素直に従ってくれている。
そんな彼の純粋な姿勢が私を更に罪悪感で苛めた。
「お時間は取らせません。先程の課題曲なのですが私はどうやっても途中で息が途切れてしまって……、服部さんはどうやって息を続けられているのですか?」
「……腹式呼吸は出来るわよね?」
「はい。一応ですが」
「結構最近覚えたでしょ?」
「その通りです。確かに腹式呼吸は最近覚えました」
「やっぱりね。あなた、色々とテクニックは身に付けているけど基本がまだまだ。基礎練習の時間が足りてないだけよ」
「そ、そうだったのですか……すみません。くだらない質問をしてしまいました……」
武内くんはしゅんと落ち込んでしまった。私は申し訳なさそうに肩をすくませ伏し目がちになっている彼の姿に更なる罪悪感を抱くと共にほんの少しばかり母性をくすぐられた。
「ま、まぁ短時間でここまで来たのは流石よ。よっぽどあなたの先生が上手いようね」
「は、はいっ。そうなんです。千早さんはとても素晴らしいアイドルでしてその歌唱力も本当に勉強になりました!」
なるほど、あの如月千早が先生なら初心者と言っていた武内くんがそれなりの歌唱力を持っている訳も分かる。私も教えて欲しいくらいだ。
それよりも私が少し武内くんをフォローすると彼はパァと笑顔になり物静かな普段とは打って変わり饒舌に語り出した。
武内君は同年代の男性と比べ非常に落ち着いている。プライベートとビジネスを器用にONOFFを切り替えている人はいくらでもいるけど彼はあの態度が通常であり私やトレーナーさんにも常に敬語を使っている。そんな彼だけどもこと765プロのアイドルに関しては途端に饒舌になる傾向があった。今もいかに如月千早が素晴らしいかを聞いてもいないのに、見たこともない笑顔で私に語っていた。
その笑顔に思わず母性本能をくすぐられたが私は顔には出さなかった。
今日私はいつものレッスン教室に向かわず765プロの応接室の椅子に緊張した面持ちで座っていた。
本日の私の予定は吉澤さんと言う記者の方の取材を受けることになっている。
吉澤と言う名は私も少なからず知っている。業界でも優秀なことで有名な記者だ。彼の記事はスキャンダルで一時期メディアを自粛していた如月さんの独占記事を書き復帰の足掛かりに成ったほどであると私は考えている。だからこそ、優秀な記者とこれからインタビューを受けることに私は緊張していた。
「お待たせしました。武内さん」
メガネをかけハンチング帽子を被った男性が入室してきた。
「初めまして。吉澤さん、今日のインタビューよろしくお願いします」
「此方こそ、今密かに人気の武内君をインタビューできて光栄だよ」
「人気、ですか?」
「765プロに加わった新たなアイドル。それも初の男性とくれば僕のような職種の人間ならどんなぺーぺーでも飛びつくさ」
「はあ……恐縮です」
「高木社長から聞いた通りだね。実に謙虚だ」
「今の私の現状は全て765プロの皆さんのお陰ですから」
「はっはっはっいいね。長いことこの仕事をしていると相手が嘘をついているか何となく分かる。君は本心で言っているようだ」
「はぁ……」
「それじゃ早速インタビューを始めようか。ボイスレコーダーの電源を入れるよ。構わないね?」
「はい、お願いします」
吉澤記者のインタビューは多岐に渡った。何故アイドルの道を選んだのか、アイドルとしての目標は何か、好物は、好きなテレビ番組など多くの事を訊かれ答えた。
「はい、ではインタビューはこれで終わりにしようか。お疲れ様」
「お疲れ様でした。大丈夫でしたでしょうか?」
「実に面白いインタビューだったよ。いい記事が書けそうだ、期待していいよ」
「ありがとうございます」
その言葉に私は安堵しほっと息を吐いた。インタビュー中は緊張で何を話したのかよく覚えていなかった。
「ところで高木から聞いたが降郷村の夏祭りでライブをするそうだね」
「はい、させて頂きます」
「そうかそうか。765プロの彼女達もあのライブで大きく成長できたからね。期待してるよ」
「はい、頑張ります」
この日のインタビューはこれで終わった。吉澤さんの言葉で改めて降郷村夏祭りを成功させようと私は決意し、明日からもレッスンを頑張ろうと心に決めた。
今日はどんより黒い雲が出て雨が今にも降ってきそうな嫌な天気だった。だけどそんなことは私には関係ない。一分一秒も私は無駄にできない。
(アイドルになる為ならどんな努力も惜しまないわ)
「お疲れ様です。服部さん」
「……お疲れ様。昨日はレッスンに来なかったわね」
「はい、インタビューがありまして」
「っそう。大変ね」
「いえ、これもアイドルとして必要なことですから」
(何やってるのよ私。自分で墓穴掘って落ち込んで馬鹿みたい)
「服部さんはすごいですね」
「何、急に?」
突然彼が私を褒めた。
「私は、自分の道を途中で投げ出した半端者です。それに比べて貴女は、夢を追い続けています。素直に貴方を尊敬します」
「物は言い様よ。私はただ諦めが悪いだけ。賢い人達はとっくに見切りを付けていったわ」
「そんなことはありません。私は貴女が愚かだとは思いません。アイドルに成ること、そしてアイドルであり続けることがどれ程難しいか私はよく知っています」
その言葉は私の逆鱗に触れた。
「あのね! この際だからハッキリ言っておくけどあなたイラつくのよ! 何なの? 嫌味なの? いつもいつも私の前でアイドルアピールなんかして!」
(ああ、又だ。また武内君に嫌なことを言ってしまう。お願いだから私に話しかけないで)
「そんなことは……」
「だったらもう私に構わないで。私は忙しいの。人気だからって浮かれないで。いくらあの765プロのアイドルだからって成功が約束されていると思ってるの!?」
「……約束された成功は、私はないと思います」
(ああ、もう駄目だ)
「っっじゃあ! あの時! 私のプロデューサーが言ってくれた言葉は嘘だったの!? 絶対……絶対トップアイドルにしてくれるって言ったのに! 私っ……私……ずっとそれを信じて頑張ったのに……頑張ったのよ! 私は!!」
今まで胸の中に溜まっていた黒い泥が一気に溢れてきた。こんなことを目の前の彼にぶちまけるのは理不尽と思いつつも止められない。
「みんな私に優しかった……プロデューサーも事務所の人達も……友達も……でも! 人気が落ちてきてっ、CDが売れなくて……歌わせてもらえなくて……周りがどんどん冷たくなっていって……」
あの時、私の幸せは壊れていった。まるでやすりで削ぎ落とされるように徐々に。
「気付いたら、私っ……アイドルじゃなくなってて、ワケわかんなくて……信じてたのに……信じてたのに……」
最早何を言っているのか私にも分からず止めることも出来なかった。
「どうせあなたも25にもなって夢見てる馬鹿な女だって思ってるんでしょ!? そうよ! その通りよ! 家族も生活も顧みないで好きなことばっかやってるクズよ!! でもっでもねっ! 私にはっ、もうこれしか無いのよ!? アイドルじゃない私なんて……それじゃあ私の人生何だったのよ!!」
外で降り出した雨の音が聞こえてくるほどの沈黙がレッスンルームを支配した。
私は怒りによる血圧の上昇で思考がぼんやりとする。ずっと心に抱えていた全てを吐き出してある種の爽快感を感じていた私だが、すぐに冷静になり青ざめた。
「あ、あの武内さん。ごめんなさいっ、私……好き放題言っちゃって……」
私は恥ずかしさで彼の顔を見ることが出来なかった。きっと呆れているに違いない。恐る恐る顔を上げると私をじっと見つめている。怒っているのだろうか。
彼にしてみれば私はとんだヒステリー女だろう。こちらからちょっかいを掛けて突然怒って突然謝る。自分から見ても余りに情けなく酷い醜態だ。
「ごめんなさいっ」
私はその場から逃げ出そうと彼に背を向けた。情けない限りだがこれ以上彼と一緒の場に居たくなかった。
「?」
私の体が静止した。右腕を掴んだ武内君の手によって。
「離してっ」
「離しません」
「どうしてよ」
「貴女が私に似ているから……でしょうか」
「え?」
「聞いてくれませんか? 私がアイドルを目指した理由を」
武内さんは私に全てを話してくれた。武内さんが元346プロのプロデューサーで新人アイドルの育成に失敗したこと。765プロのライブをみてアイドルになると決意したことを。
「だから私はアイドルになろうと思いました」
(いや、その理屈はおかしいでしょ!?)
彼なりに精一杯私を気遣っていることは分かった。だけど私の心にあったのは感動とか感謝とかそういうのじゃなかった。
(なんでよ!? そこは普通プロデューサーに復帰する流れでしょ! 346辞めても765でプロデューサーデビューする流れでしょそこは!)
「私は気づいたんです。挫折することは人生の終わりではなくやり直すチャンスなのだと。それを教えてくれたのが765プロの皆さんで高木社長が……」
私の心中など露知らず武内君は私を元気づけようと話を続けていた。
(武内君。もういいいよ。途中から個人名が飛び交ってわけ分からない……しかも褒めてるだけだし……)
「つまり私が言いたいのは、服部さんはまだまだこれからです。と言うことです」
(そうなの!?)
「……ふっ……ふふふっ……アハハハハ!」
「は、服部さん?」
「アハハ! あー可笑しい。こんなに笑ったの久しぶりね」
「な、何か可笑しいことを言ってしまったでしょうか?」
武内君は先程までの真剣な表情からオロオロと困った顔になり心配そうに私に聴いてきた。その姿が余計に面白く、可愛く思ってしまった。
「くふっ、くふふふ♪ 負けよ負け。私の完敗。武内君には敵わないわ」
「あの、その」
「あなたの言う通り。恨み言言っても弱音を吐いても誰も助けてくれないのは私が一番知ってるわ。ありがと。嬉しいわ。本当よ」
「お疲れ様です! 武内さん! 服部さん!」
元気なトレーナーさんが勢い良くレッスン室に入ってきた。
「ありゃりゃ? ひょっとしてお取込み中でした?」
何を勘違いしたのかトレーナーさんは私と武内君を交互に見て頬を赤くしモジモジしだした。考えてみれば私の右手は未だに武内君の手の中だった。
「いえ、そんな、誤解です!」
「そうですよトレーナーさん。ちょっとお話していた所ですから」
「えへへ♪ そうですかそうですか。私は空気が読める大人なのでこれ以上は突っ込みませんよ」
(このトレーナー絶対勘違いしてるわね)
「おっとレッスンの前に服部さん、これを」
トレーナーさんは手に持っていた封筒を私に差し出した。封筒の宛名を見るとそこには346プロと記されていた。
「これは?」
「見てる人は見てるってことですかね♪」
私は封筒を開けるとそこには『346プロアイドル部門追加オーディションのお知らせ』と書かれた書類が入っていた。
「ウソ、これホントに?」
思わず口に出てしまった。それだけの衝撃。もう一度チャンスが巡ってきたの?
「少し卑怯な手かもしれませんが346の同期と話をしました」
「え?」
「書類だけでは分からない。輝くアイドルに成りうる存在がまだいると。誤解しないで頂きたいのですが服部さんの名前は一切出してはいません。トレーナーさんのいう通り誰かが服部さんの存在に引かれたからこそこのチャンスがやって来たと思います」
「誰かが私を……」
私は信じられなかった。書類審査で落ちた私に目を止めていた人がいたなんて、お世辞にも優良物件とは言えない私に。
「私は、私に出来ることならば何時でも服部さんのお力になります」
「何言ってるのよ。もう十分力になってくれたわ。後は私が自分で頑張るわよ。アイドルになるんだからね」
「そうと決まれば特訓ですよ! 特訓! お二人ともバリバリ鍛えますから覚悟してくださいよー!」
「「はい!」」
(あーあ。殆ど燃え尽きかけてたのに、最後の最後にチャンスがやってきたわね。これで駄目なら……また頑張ろう)
私はレッスンをしている彼に視線を向けた。
(一緒に頑張りましょう。私のアイドルさん)
雨は上がり暗雲は晴れ、私の心に太陽が輝いた。
暗い部屋の中でPCの画面だけが光っていた。カチカチとクリック音が響きあるサイトが表示された。
『765プロ降郷村夏祭りライブのお知らせ。今回は新人アイドル武内君も登場!!』
「えへ★えへへ★ごめんね。当日はお仕事でどうしても行けないけど応援してるよ~プロデューサー……うんうん違うね、武内きゅん♥️」
部屋中に飾られたポスターや写真立てには一人の男性が写っていた。無理やりネットから取り込み引き伸ばしたやや不鮮明なその写真を部屋の主は日々の孤独を癒す存在として役立てていた。
充血した目を見開き口角を引きつらせながら笑うその少女は自室のドアの隙間から二つの瞳が覗かれていることに気づいていなかった。
(……お姉ちゃん……武内きゅんって誰?)
COOL!PASSION!