昨日双海姉妹は765プロ所属アイドルに向けて新人男性アイドルの存在を一斉送信した。それを受け取った各アイドル達は驚きや喜びなどそれぞれの反応を示したが少なくともそれはほぼ好意的な反応だった。
ただ一人、萩原雪歩は最悪だったが。
元来男性に苦手意識を持つ彼女は最近になりようやく仕事による慣れ、仕事やプロデューサーとのコミュニケーションによって徐々にその傾向は押さえられていたがだからと言って嫌いが好きに変わるわけでもなく、依然として萩原雪歩にとって男性は恐怖の対象だった。そこに来て新たなる新人男性アイドルの所属の事実を知り昨夜は何度も双海姉妹や律子に確認の電話をしていた。
どうか嘘であってほしい────
質の悪い冗談であったならどれだけ良かったか……。雪歩の必死の確認作業は結果的に男性アイドルの事実を裏付ける事となりその夜雪歩は考えるのを止めた。そして今日の朝まで一睡も出来ず目に隈を作り朝食にも手を付けられなかった。更に悪いことに今日は新人男性アイドルの歓迎会をするため事務所に行かなければならなかったが、なかなか決心が固まらず気付けば太陽は真上まで昇っており既に遅刻は確定していた。
雪歩は思った。
(いっそのこと……このまま休んじゃおうかな……)
そうなれば自分が765プロに行く必要は無くなり必然的に新人男性アイドルに会う必要も無くなるまさに一石二鳥の素晴らしいアイディアだ。そも貧相でちんちくりんな私が歓迎会に出席したとしても何か気の効いた言葉を言えるわけでもない。場を盛り上げるなんて事はとてもではないが自分には無理だ。むしろ場を盛り下げてしまうかもしれない……。
「今日は……休もう。皆には申し訳ないけど体調が優れないって連絡しよう」
雪歩は携帯電話を取りだしアドレスから765プロを選択するがその指が止まる。
(私……どうしてこんなに駄目なんだろう。やっと男の人にも慣れてきたと思ってたのに……。これじゃあ前と変わんないよぅ……)
雪歩は罪悪感と羞恥心の中で一人の男性を思い出す。彼は雪歩にとって初めてと言っていい心許せる他人の男性だった。彼と一緒に居るときは不思議と嫌悪感は和らぎ、多くの素晴らしい経験を共に過ごしてきた。
「プロデューサーさん……」
だが、その彼も今は雪歩の側には居なかった。雪歩はゆるゆると765プロに電話をかけようとしたその時、不意に自宅のチャイムが鳴る。
普段ならば家族や若衆が応対するが不運にも今日は皆仕事で出払っており家の中には雪歩一人であった。
そんなことを考えているともう一度チャイムが鳴る。どうやら相手は帰る気がないと察し、雪歩は765プロへの連絡は一先ず後回しにして玄関に駆け寄る。
「は、はーい! 今出ますよぅ」
「あっ、やっぱり雪歩居たんだ。早くしないと歓迎会終わっちゃうよ?」
玄関の扉を開けて現れたのは765プロの王子様、菊地真だった。
「……へ!? なななんで真ちゃんがいるのっっ!」
「いやー実はさっきまで近くで仕事が有ってさ、それで歓迎会に少し遅れるかもって事務所に連絡したら雪歩もまだ来てないって小鳥さんから連絡がされてね。それならボクが家に寄ってみるって言ったんだよ」
「そ、そうなんだ……」
雪歩はこの時ばかりは真を恨んだ。なぜよりにもよってこんな時に……こうなってしまった以上、もう体調不良で休みますとはとても言えない。
「さ、雪歩。一緒に事務所に行こう! 新しい男のアイドル、皆楽しみにしてるよ♪」
「……うん、そうだね。楽しみだね♪」
(ひえぇぇぇぇ~っ、誰か助けてください~)
私は姿見の前で自分の格好を念入りに観察している。
何故私はこんなことをしているのか?
私がアイドルだからだ。
今日は765プロ事務所で双海姉妹が立案した私の歓迎会があると、昨夜電話越しに社長からそう伝えられた。事務所内でのささやかなもの、私と765アイドル達との懇親の会であると。
当日はお昼に事務所へ集合と言われ私は了承した。が、最後に高木社長から言われた一言が今の私の状況の原因であった。
「では明日はお昼頃事務所に来てくれたまえ」
「はい。分かりました。明日の持ち物などありますでしょうか?」
「いや、特には無いよ、手ぶらで大丈夫だよ。……ああそうだ、明日は私服で構わないからね」
「私服ですか?」
「君のスーツ姿も実に男らしくて似合うがアイドルたるものファッションセンスも大事だ。美希くんなど若者達のファッションリーダーだからね」
「ファッション……センス……ですか」
「私も君のファッションセンスを知りたいしね。楽しみにしてるよ! では」
そこで電話は切れた。私は暫く携帯電話を握り締めたまま立ち尽くす。
私は会社に入社してからスーツ以外を着た覚えがない。常に346プロの一員として襟をただし、たまの休みも自主的に仕事をし方々を駆けずり回っていた。仕事においてはアイドル達の為に最新のガールズトレンドや流行ファッションの勉強をしたが私自身はと言えば、元々必要以上に見てくれを気にする質ではないためメンズ系の知識も見識も皆無と言っていい。スーツなら多少分かるが……。
昨夜は大慌てでクローゼットの中をひっくり返して私服を確認した。久方ぶりに目にした数少ない私服は幸いサイズは合っていたが殆どが部屋着であり数少ない外出用の服も果たしてこれがアイドルの私服かと言われれば目を逸らさざるを得ない。いったいいつ購入したかも覚えていない衣類の数々は町に出るのは申し分ないが765プロの一流アイドル達の前に着ていくにはあまりに心許なかった。
歓迎会は昼に行われる。明日の朝急いで服を購入すると言う手も考えたがどんな服を購入すれば良いのかまるで分からない。闇雲に当てもなくでは砂漠で針を探すのと変わらない。
万策尽きた……最早これ迄、そう思った時、私はある事を思い出す。
私は収納部屋の奥底に眠っていた段ボール箱を取り出した。
それは、大学時代に彼女も作らず勉強ばかりしていた私を心配した母が少しでもお洒落をと送ってきた衣服だ。しかし当時の私がこの衣服を段ボール箱から出さず今の今まで封印していたのにはそれなりの理由がある。
……私の趣味ではないのだ。母は昔から私に対してもっと羽目を外して女性に目を向けてみろと常々言っていたからか、そんな母の選んだ衣服はどれもこれも洒落ていた。私なら決して購入しない衣服の数々がこの段ボール箱の中に入っている。今までは捨てるに捨てれずかと言ってとても着る気にはなれなかったが今回は別だ。これならば双海姉妹にも嘲笑されることはもうないだろう。まさに来るべき時が来た、と言ったところか……。私は心中で母に感謝した。
そして今。私はようやく今日着ていく服を決め、その姿を鏡で確認している。
下はダークブラウンのパンツを履き、上はブラックのボタンダウンシャツ。その上からホワイトのストライプベストを掛け首元にスプラウトのストールをワンループで巻く。
改めて全身を確認する、バランスは取れているが激しい違和感を感じる。なるべく落ち着いた物をと意識してコーデしてみたがまず間違いなくこんな機会がなければ着ることはない服装だ。出来れば着て行きたくはないが既に歓迎会の時間ギリギリでありそんなことを言っている暇はない。
(行くしかない……っっ)
私は覚悟を決めて家を出る。
いつも慌ただしいこの765プロだが、今日はいつも以上に慌ただしかった。
「男のアイドルって楽しみだよね。千早ちゃん」
「そうね春香。どんな人なのかしら」
「あふぅ、眠いの……」
「ミキミキー、起きて歓迎会の準備手伝ってよ~」
「頑張ってね~」
「新たなる出会い……待ち遠しいものです」
「そうねぇ、どんな人なのかしら~」
「何々、男には気を付けろ? ハム蔵~嫉妬してるのか?」
「フッフッフッ、ハム蔵も男ですな~」
「新しいお仲間さんですぅ♪」
「全く、いきなり男のアイドルがデビューなんて社長も勝手よね!」
「ほらみんな、もうすぐ新人アイドルが来るわよ。小鳥さん、真と雪歩はどうですか?」
「真ちゃんが雪歩ちゃんを連れて一緒に事務所に来るそうですよ」
「でも良かったですよね、律子さん。みんな忙しいのに今日はみんな集まれて」
「そうね、春香。みんなも今日はありがとう。急な歓迎会でまだ仕事がある娘もいるのにわざわざ時間を作ってくれて感謝してるわ」
双海姉妹が興奮した様子で捲し立てる。
「そりゃあ律っちゃん、男のアイドルデビューなんて盛り上がらないわけないっしょ!」
「そうそう! 亜美達も昨日知ったときはぶったまげたよぅ~」
「亜美や真美は昨日新しい男のアイドルに会ったんですよね。どんな人だったのか気になりますー♪」
「自分も気になるぞ! ハム蔵もさっきから知りたがってるしな!」
「フフフ……それは本日会ってみてのお楽しみだよ~」
「トップシ→クレットってやつですぞ♪」
その時事務所の扉が勢いよく開かれる。
「遅れてすみません! もう歓迎会始まっちゃいましたか?」
「み、みなさーん……遅れてごめんなさぃ」
「大丈夫よ、真、雪歩。まだ武内さんが来る時間じゃないわ」
「ふあ~ぁ……たけうち? どこかで聞いたようなないような?」
「まぁ武内さん、と言うのですか……結構大人の方なんですか?」
「ふんっ、アイドルは個性が大事なんだから適当な男が来たら追い出してやるわ!」
「いんぱくと、と言うものでしょうか?」
「私も昨日会ったけど詳しくは……けど、あの346プロで前はプロデ……」
「失礼します」
ちょうど律子の話を止めたのは事務所内に響いた低音の男声だった。
全員が会話を止め、視線が事務所の扉に向けられる。
扉がゆっくりと開かれそこから見上げるほどの大男がぬっと現れる。
「………………」
(((インパクト……ッ!!)))
沈黙……痛いほどの沈黙が場を支配した。
(ちょっと、春香。貴女何か言いなさいよ! リーダーでしょ!)
(うえぇ!? そんなこと言われたって……ち、千早ちゃん助けて!)
(私に言われても……其れにしても凄く大きい人なのね)
(うわー父さんより大きいなぁ。ひょっとして空手やってるのかな? ねえ雪歩)
(あわ……あわわわ、家の若衆より怖そうだよぅ~)
(なんと……面妖な)
(あらあら、固まっちゃって緊張してるのかしら~。うふふ可愛いわね)
(な、な、な、なによアイツっ! 家の警備員より強そうじゃないっ)
(ハム蔵、威嚇はダメだぞ!)(フー!)
(うわわ、怖そうな人ですぅ……大丈夫かなぁ)
(昨日一度会ったとは言えやっぱりすごい威圧感。てゆーかみんなも引いちゃってるし不味いわね)
(ウシシッそろそろ助け船を出しますか亜美どの?)
(いや待たれい。もうしばし泳がせるのも面白いぞ真美どの)
目の前の男性はこの空気を察してか目線をオロオロと流し困り顔になり首筋に手を当てている。190㎝を越える身長の大男が意外に似合うファッションセンスコーデで狼狽する姿は非常に奇異な光景だった。
各々が動揺するなか唯一皆の意見が合う印象が有った。それは、
(((個性……的ッ!)))
誰がこの空気を打ち破るか……皆が皆牽制しあうその時、
「あっ、思い出したの。昨日のナンパさんなの」
「は? ……貴女は星井み……! ……ひょっとして昨日の方ですか!?」
「うん、そうだよ。ごめんね、美希はハニーの物だから気持ちだけ貰っておくの♪」
「………………」
またしても沈黙。しかし今度は別の意味を持ち場を駆け巡る。
「……武内さん」
「こ、これはなんと言うか誤解なのです。秋月さん……」
「昨日の今日でうちのアイドルを口説いたんですか~!!」
その後誤解が解ける迄武内は皆の前でずっと正座をしていた。
「すみません! 早とちりしちゃって……。ほら美希も謝りなさい」
「むー、分かったの律子……さん。ごめんなさいなの」
秋月さんと星井さんが私に頭を下げる。
「どうか、気にしないでください。私も星井さんと気付かずスカウトしたのも軽率でした」
「アハッ♪ 美希の変装もかなり上達したの!」
「いや、普通気づくと思うぞ」
「皆さん初めまして。既にご存知の方もいらっしゃいますが私、この度765プロとアイドル契約をしデビューいたします武内、と申します。どうか緒先輩方には御指導御鞭撻のほどを宜しくお願いします」
1拍おいて彼女達は私に次々と質問を投げ掛けた。
「何歳なんですか?」
「今年で2⚫歳になります」
「あの346プロに居たって本当なの?」
「はい。退職後はしばらく派遣社員をしていました」
「脱サラアイドルってことかしら~」
「はい、そう言うことに……」
「何故、アイドルの道を志したのでしょうか?」
「つまりそれは……」
「わっわっ、みんな武内さんが困ってるよ」
「そうよ、みんな。静かにしなさい!」
律子の一声でようやく場が落ち着き武内とアイドル達は歓談を楽しんでいた。
「いくら変装してたからって美希をスカウトしようとするなんてマヌケね!」
「……お恥ずかしい限りです」
「最初は厳つい感じだったけど結構優しそうな人で良かったね、雪歩」
「……そ、そうだね。真ちゃん」
一名を除いて。
(うぅ……、プロデューサーさんより男らしい感じだよ~。それになんかドーベルマンみたいにも見えるし……私、武内さんとこれからやっていけるかなぁ)
雪歩は一人皆の枠に入れずにただ皆を眺めていた。
(みんなもう武内さんと打ち解けてる……いいなぁ)
私以外はもう既に武内さんと楽しく会話していた。私はと言うと未だ一人皆から距離をおいていた。私もその輪の中に入りたかったが体がそれを許さず一歩を踏み出せないでいた。プロデューサーさんと過ごしてだいぶ男性に免疫が出来たと思っているがそれでも辛いものは辛い。
「萩原雪歩さんですよね」
「へ!?」
突如呼ばれた声に気付くと目の前に武内さんが立っていた。
「あ、わたわたわわたし……」
声を出そうにも突然の事に上手く呂律が回らない。
「! ……すみません。男性が苦手なのですよね」
そう言い武内さんは私から一歩後ずさった。
「……あの、知ってるんですか? 私が……男の人が苦手だって」
「はい、存じてます。不用意に申し訳ありません」
武内さんは私に謝罪した。
「あ、謝らないで……」
その時真ちゃんが割り込んできた。
「武内さん、武内さん! 武内さんは空手や筋トレとかしてるんですか?」
「いえ、武道などはしておりませんしトレーニングも特には」
「へぇー、絶対鍛えてるって思ったんですけどね♪」
「よく言われます」
「あははっ……そうだ! こんど空手を教えますよ。武内さんなら絶対黒帯いけますから♪」
「はぁ……ありがとうございます」
(真ちゃん。楽しそうに話してるなぁ……)
私と一緒にいるときじゃまず話題に上がらない会話で盛り上がっている。他のみんなも武内さんに興味深々だ。
武内の態度は一貫して紳士的であり以前まで彼女等のプロデュースをしていた彼や高木社長のように社交的な性格とは対照的で実直かつ寡黙であった。しかしそれが逆に彼女等の興味を引いていた。更にプロデューサーや事務員としてではなく自分達と同じアイドルとしての武内の存在は、新たなる仲間、男性の後輩、見た目とのギャップによってより注目を集めている。
(そうだよね……私もしっかり武内さんと関わらないと……。これから一緒に頑張っていくんだから先輩としても情けない事は出来ないよね)
「あ、あの~武内さ……きゃっ!?」
雪歩は武内と分かり合おうと自ら歩み寄ったその時、運悪く足がもつれてしまいバランスを崩してしまう。
「危ない!」
それに気付いた武内は、すかさず雪歩を受け止めようと飛び出した。
「…………?」
私はもうすぐ自分に来るだろう痛みに備えて目を瞑って覚悟していたが、一向に衝撃が来なかった。不思議に思って目を開けると私は抱き締められ床に倒れるのを防がれていた。
一体だれが? そう思い顔を上げると……
「大丈夫ですか萩原さん?」
「今のは危なかったよ、雪歩。武内さんが助けてくれなかったら怪我してたかもね……あっ」
私は武内さんの分厚い胸板に顔を埋めて逞しい両手で体を抱き締められていた。肌が一斉に泡立った。
「…………お」
「お?」
私の何かが弾けた。
「男の人~~~~!!」
雪歩は堪らず叫びだし夢中で手に持っていたジュースの入ったグラスを武内に投げつけた。
「……っ」
「うわっ、ちょっと雪歩落ち着いて!」
「え? …………あっ」
真ちゃんの声で私はハッと我に帰った。慌てて武内さんを見ると武内さんは頭からジュースを被って頭部から肩にかけてしたたかに濡れていた。
「武内さん、大丈夫ですかっ? これボクのハンカチですけど使ってください」
「ちょっと雪歩何してるのよ!」
「いえ、私が軽率でした。萩原さん申し訳ありません」
伊織が雪歩を非難するが武内はあくまでも自らの落ち度だと主張する。
「………………す」
「す?」
「すみませ~~~~~~ん!!」
またも叫び声をあげ、雪歩は事務所の扉から外へ飛び出した。
「ああっ、ちょっと雪歩待ってよ!」
真も雪歩の後を追い事務所を飛び出す。
「ちょっと雪歩、真、待ちなさい!」
「ほっときなさいよ、雪歩も相変わらずね!」
「まこと、ままならないものですね」
「あらあら、雪歩ちゃんには刺激が強すぎたようね」
「…………」
私は菊地さんから渡されたハンカチで顔を拭きながら罪悪感を感じていた。咄嗟に萩原さんを抱き止めてしまったがもっと良い方法があったのではないのかと反省する。そして私の軽率な行動で萩原さんを傷付けてしまったことをどう償うべきなのか?
「……さん……武内さん!」
「天海さん……」
これからどうすべきかと考え込んでいた所、不意の呼び掛けに意識を外に向けると目の前に天海さんが立っていた。天海さんは私にそっと耳打ちした。
「武内さん……雪歩の所に行ってあげてくれませんか? たぶんその方が良いって、わたし思うんです」
「……しかし、私は萩原さんに……」
「そうですけど、上手く言えないんですけどここは私達よりも武内さんじゃないとダメだって思うんです」
「……分かりました。すぐ戻ります」
「雪歩は多分近くの公園とかで穴を掘ってると思いますからすぐ見つかると思いますよ。見つけたら連絡下さい。これ、私の携帯番号です」
私は番号を記録して事務所を出た。辺りを見回しても萩原さんも菊地さんもいなかったが一先ず天海さんに教えてもらった公園に行ってみることにした。
(それにしても穴を掘ってるとはどういう事なのだろうか?)
主役が居なくなってしまった歓迎会で皆どうして良いのか佇んでいた。
「う~、雪歩さん。大丈夫かな?」
「大丈夫よ、やよいちゃん。信じて待ちましょう」
「真や武内殿が向かわれたのです。わたくし達はただ待つのみです」
「そうだよ、みんな。心配なのは分かるけどそれより3人がいつ戻ってきても良いように準備しようよ。ね?」
「春香の言う通りだわ。武内さんに任せましょう」
春香の言葉と千早の同意により彼女達は雪歩がこぼしたジュースや割れたグラスの後片付けを始めた。その時、事務所の扉が勢いよく開かれた。
「うわっ、ゆきぴょん早っ。もう戻って来たの?」
「兄ちゃんもまこちんもネゴシエイト力強っ!」
「やぁ、諸君! 楽しんでいるかね!」
皆の視線の先には、何処で買ってきたのかド派手なパーティー衣装に身を包んだ高木社長が居た。
「あ、あれ? 武内君は? そしてこの空気は一体……?
「チュイチュイ(空気読めよ社長)」
765プロから程近い公園の敷地に、人一人収まる穴が掘られていた。そしてその中で一人の少女が体育座りで啜り泣いていた。
「うぅ……ぐすっ……プロデューサーさぁん……」
(やっちゃった……武内さんに絶対嫌われちゃったよぅ……ぐす)
訳も分からず事務所を飛び出した直後、雪歩は直ぐ冷静になったが事務所での事に加えて逃走と言う失態に次ぐ失態に雪歩はまたもパニックになり気が付いたら穴を掘っていた。
情けなかった。余りに自分が情けなく穴を掘って埋まったのだ。
「これから……どうしよう。どんな顔をして戻れば……」
「萩原さん!」
「は、はい!?」
いきなりの声に私はビックリして立ち上がった。すると穴の上から武内さんが私を見下ろしていた。
「よかった、本当に穴の中に居たんですね」
「あ……あの、私……私……」
「高い所から失礼します。先ずは謝らせてください。先程は本当に申し訳ありませんでした」
武内は膝を折り穴の縁に両手を着き所謂土下座をした。
「! ……そ、そんなっ。顔を上げて下さい! 悪いのは私です。私がダメダメだから……武内さんに嫌な思いを……」
「いいえ、萩原さんの体質の事は知っていました。その私があのような軽率な行動をしてしまっては弁解のしようもありません」
「うぅ……謝らないで下さい。武内さんに謝られると私……私……もうどうしていいか分かりません……」
「……私はプロデューサーではありません」
「え?」
「すみません。先程の言葉、聞いていました」
「あ、ううぅ……ご、ごめんなさいぃ、ぐすっ」
「気になさらないで下さい。そしてどうか、どうか涙を拭いてください。萩原さんには似合いません」
「ふぇっ?」
「アリーナライブ……会場で見ていました。萩原さん達はあのステージでとても輝いていました。そんな貴女が悲しい顔をするのは私としても辛いです」
「た、武内さん……」
唐突に目の前の男性は歯の浮くような台詞をつらつらと自然に私に語り始めた。演技ではない……武内さんの目が本気で私に語っているのだと分かる。
「貴女はダメダメなどではありません。萩原雪歩さん。346プロに居たとき、貴女は346のアイドルやプロデューサーの多くが意識したアイドルの一人です」
「そんな……私なんか……実際はこんな臆病で……ドジで……間抜けで……」
「萩原さん、私は貴女が好きです」
「…………へっ!?」
「貴女の慎ましい態度、可憐な雰囲気、儚げな歌声、天性の容姿。その全てに多くの人達同様に私は心を惹かれています。私も貴女のファンです。萩原さん」
私は何か温かい物が胸の中から溢れる感覚を覚えた。武内さんの話に私は聞き入っている。
「ファンの一人として貴女には笑っていて欲しい。アイドルの後輩として様々な事を教えて欲しい。勿論、いますぐにとは言いません。ですが少しずつ萩原さんや皆さんに信頼していただけるよう努力します。ですからどうか、戻ってきてください」
私は武内さんから目を背けられなかった。
「私はプロデューサーではありません。だからこそ、アイドルとして、僭越ながらも貴女の隣に立ちたいのです。だからどうか……私の手を、取っていただけませんか?」
武内は穴の上から雪歩に手をさしのべた。それはまるで映画のワンシーンのように印象的であり雪歩の瞳に強烈に映り込んだ。
「武内……さん。私で良いんですか?」
「はい。貴女だからこそ、です」
雪歩はゆっくりと手を伸ばし武内の手を握った。その時の感触は不快ではなく、ひたすらに温もりに満ちていた。
「あのっ……ありがとうございます。武内さん」
「どんな惑星も一人では輝けません。光りを与える星、仲間が居てこそ輝ける、私はそう思います。萩原さん」
手を取り合い互いに見つめ会う二人。その空間はまさに二人だけの世界、誰の邪魔も介在しない一時。
(こんな気持ちになったの……初めてかも。プロデューサーの時とも違う感覚、これは何だろう?)
暫し二人の世界に浸っていた雪歩だったが聞き慣れた呼び声に覚醒した。
「この声……真ちゃん?」
周りを見ると後方から真ちゃんがこちらに駆け寄って来た。
「武内さーん! 雪歩ー!」
「菊地さん、萩原さんは見つかりました。事務所にも戻ってくれるそうです」
「本当ですか! よかった~」
「ごめんなさい真ちゃん……私」
「謝るのは無しだよ、雪歩。それより早く事務所に戻って歓迎会の続きをしようよ。武内さんが主役なんですからね♪」
「みんなっ……ごめんなさい!」
事務所に戻った後、雪歩はけじめとして歓迎会の仕切り直し準備を終えた皆の前で謝罪した。
「雪歩、謝らなくて大丈夫だよ」
「ばかねぇ、私達が怒ってるわけないじゃない。心配しすぎよ」
「戻ってきてくれて良かったですぅ♪」
「春香ちゃん……みんな……ありがとう」
「いやー武内君が戻ってきてくれなかったら折角練習した私の手品がお披露目出来なくなってしまうところだったよ。良かった良かった」
「私こそ皆さんにご迷惑お掛けしました」
「あふぅ、二人して謝ってばっかりなの」
「す、すみません……」
「アハハ、また謝ったぞ♪」
「あのぅ……武内さん」
歓迎会が仕切り直されて暫くたった後、萩原さんが静静と私に話しかけてきた。
「何でしょうか萩原さん」
「こ、これ! よかったらお願いします」
萩原さんは顔を真っ赤にしながら一般的なキャンパスノートを差し出してきた。
「これは?」
私が中を見ようとノートを開こうとしたとき萩原さんが慌てて止めに入った。
「わわわわっ! ここでは開かないで下さい~!」
「す、すみません?」
「あの、私……その……趣味で詩を書いていまして、そのノートは私の……詩を……書いた物なんです」
「詩集ですか。それは素晴らしい趣味ですね」
「あっあの、そんな大それた物じゃないんですけどよかったら感想を……その……聞かせて貰えないかなーって……」
「分かりました。必ず読ませていただきます」
「ほ、本当ですか! あっ、この事はみんなには秘密でお願いします」
「勿論です。この事は二人だけの秘密とします」
「ふっ二人だけ……はぅ……」
萩原さんは更に顔を赤くして今にも茹で上がりそうだったが熱でもあるのだろうか?
「武内さん♪」
「天海さん……先程はありがとうございます」
思えば天海さんの後押しが無ければ萩原さんとも分かり合えなかっただろう。しっかりとお礼を述べなくては。
「お礼を言うのは私の方ですよ。ありがとうございます。雪歩、プロデューサーがハリウッドに行ってから元気がなかったんですよね。でももう安心ですね。武内さんが居ますから」
「……恐縮です」
「あっ律子さんもうこんな時間ですよ」
「うわっ確かにそろそろヤバイですね小鳥さん」
唐突に音無さんと秋月さんが時間を気にしだした。
「みんなーそろそろ時間よ。片付けを始めましょう」
「えー、ミキもっと歓迎会続けたいの」
「わがまま言わないの!」
秋月さんの一言で星井さん以外が素早く歓迎会の後片付けを開始した。
「あの……天海さん。皆さんひょっとして何か予定が?」
「えっ? あ、はい。みんなこれから仕事なんですよ。私もこれから千早ちゃんとインタビューがあるんです」
「そうだったんですか……すみません私のせいでご迷惑を……」
「大丈夫ですよ。それに今日の歓迎会はみんな出たくて予定を合わせたんですから。謝る必要なんてありませんよ」
「亜美、イベント行くよー」
「オッケー、盛り上げるぞ~!」
「真君、雪歩、一緒に撮影行くの」
「分かったよ美希。それじゃ武内さんまた今度」
「響、今日はらぁめん二十郎の新メニュー食レポートですよ」
「うぅ、明日は絶対胃もたれだぞぅ」
「やよい、ロケに行くわよ」
「はい! お仕事頑張りまーす♪」
「あずささん。グラビア撮影が押してるので急ぎましょう」
「はーい。それじゃ武内さん、今度はお仕事で会いましょうね♪ うふふ」
あっという間に彼女達は支度を済ませて事務所を出ていく。ついさっきまで歓迎会をやっていたとはとても思えない。
「春香。善澤さんのインタビューは17時からよ。急ぎましょ」
「あれっ18時じゃなかった!? 電車確認しないと……」
「雪歩ー! 早くしないとボク達も遅れちゃうよ」
「いま行くね真ちゃん。武内さん、感想待ってますね」
「雪歩さんはこれからどちらに?」
「真ちゃんと美希ちゃんとドラマの撮影があるんです」
「大丈夫なのですか?」
「もう大丈夫ですよ。お仕事ですから頑張らないとですし」
「ですが芸能界で男性が苦手と言うのはお辛いですよね?」
「……確かに最初の頃は私には無理だって思った時も沢山ありました。でもプロデューサーやみんなのおかげで自信が持てるようになったんです。今も辛く無いって言ったら嘘になりますけど……それ以上に私、今がとっても楽しいんです」
「楽しい……」
「武内さんもいつか分かると思いますよ。辛くても……ファンの皆さんのために頑張ります。だって私達、アイドルですから♪」
そこには男性に怯えるか弱い少女など何処にも居なかった。一人のアイドルが朗らかに笑っていた。
(あぁ……そうか。なんの事はない。彼女だってアイドルの一人なのだ。プロとしての覚悟はとっくに出来ている。私の心配は無用だったか……)
こうして私の歓迎会は紆余曲折もあったが無事に成功で終わった。
そしてまもなく私と萩原さんとの詩集交流が始まることをこのときの私はまだ知らない。
そう遠くない過去 346プロ撮影スタジオ
「それでは本日の撮影を終わります。お疲れさまでしたー!」
「「「お疲れさまでしたー!」」」
監督の音頭と共にスタッフが呼応する。
皆が皆互いに仕事の苦労を労う中、今回の撮影の主役にも監督が労いの言葉を掛ける。
「いやー良かったよ、美嘉ちゃん。最近元気無かったけど今日はいつも通り完璧だったよ」
「ありがとうございます監督さん☆ご迷惑お掛けしちゃいましたけどこれからもっともっと頑張りますね♪」
主役の名は城ヶ崎美嘉。
老舗芸能プロダクション 346プロが今期最も力を入れているアイドルの一人だ。
「346プロさんは安泰だね。美嘉ちゃんみたいなアイドルが居て。そういえば前に居た美嘉ちゃんのプロデューサー移動したの? 結構優秀だったから昇進とか?」
「……もう~御世辞言っても何にも出ませんよ♪ 私、ちょっと片付けがあるんで先に上がって大丈夫ですよ」
「そう? じゃあお疲れ様。また一緒に仕事しようね美嘉ちゃん」
「…………」
スタッフが居なくなり急激に静寂に満ちたスタジオ内。ただ一人残った少女は先程までの笑顔が嘘のようにその表情はまるで能面を張り付けたようだった。
そして少女はおもむろに携帯電話を取り出し何度も何度も再生した留守電メッセージを再生する。
「もしもし? 武内です。明日のスケジュールの変更が有りましたのでお伝えします。明日は10時からスタジオ入りでしたが1時からに変更となりました。急な連絡で申し訳ありません。1度ご連絡下さい。では」
「……うん♪ 大丈夫だよ。1時だよね? 分かった。私、頑張るからね? だから……だから……」
少女は最初快活に笑顔を表したが留守電が終わると声に震えが出て苦悶の表情が顔に満ちる。
「もしもし? 武内です。…………」
「………………えへ☆」
誰も居ないスタジオの中で少女はひたすら留守電メッセージを再生し続ける。
武内iにチャイルドスモック着させてとときら学園に出演させよう。