武内pが訳あってアイドルデビュー   作:Fabulous

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読者はついてゆけるだろうか 超展開のスピードに


女王VS武内

 過去 346プロ本社 改装中デスク

 

 

 かつて其処には武内と呼ばれた男が存在していた。

 

 しかし、忙しなく動き回る清掃業者によって一人の男の残光すらも文字通り塵一つ無く消え去っていく。機械的に作業をする清掃員たちには何の感慨も無いつもの作業もそれを見つめる複数の影にとっては悲痛な光景だった。

 

 城ヶ崎美嘉は事務員の千川ちひろと共にその光景に立ち尽くしていた。

 

「こうして見ると、やっぱりプロデューサーさんは辞めてしまったんですね。当たり前ですけど⋯⋯寂しいです」

 

 笑顔を絶やさない事務員もこの時ばかりは暗い影が差していた。しかし直ぐにちひろは自分の発言が迂闊だったと後悔する。

 

 城ヶ崎美嘉はただ涙を流していた。

 

 一言も、嗚咽すら漏らさず。

 作業を見ている目は焦点も虚ろで果たして何を写しているか本人にしか分からない。

 

 涙が頬を伝う音が聴こえるのではと思えるほど、深い悲壮だけが推し量れた。

 

「他の皆さんもショックを受けていましたが、私や今西部長が今以上にサポートしますので安心してください⋯⋯あ、財前さん?」

 

 ちひろが振り返ると廊下の向こうから346プロ所属アイドルの一人である女がいつの間にやらやって来ていた。

 

 コートに身を包み美嘉とは違う全てを侮蔑したかのような冷たい視線を放つ女──財前時子が其処にいた。

 

「どうやらあのプロデューサーが辞めたと言うのは本当だったようね」

 

 時子は軽蔑を露に隠しげもなく吐き捨てた──クズね、と。

 

 まるで周囲一帯の温度が急激に下がっていくかのような感覚にちひろは襲われた。時子の醸す怒りとも嫌悪とも取れるオーラに関係の無いはずの作業員すら肩を竦め示し会わせるように無言で俯いた。

 

 だが美嘉は、弾けた。

 

「取り消しなさいよ⋯⋯! 今の言葉⋯⋯!」

「み、美嘉ちゃん!? 落ち着いて!」

 

 目を見開き虚ろな目のまま迫る美嘉は正気とは思えなかった。しかしそんなことは意に介さないとばかりに時子の罵倒は止まらない。

 

「あら美嘉、いたの。でも思えば貴女も哀れね。あんなぺてん師に弄ばれたせいでその有り様なんて⋯⋯同情するわよ」

「ハァ⋯⋯ハァ⋯⋯ぺてん師?」

 

「言葉通りの意味よ。口ではアイドルがどうの、笑顔がどうのと散々宣った癖にあの男は何も成さず、何も残さず、とっとと尻尾を巻いて逃げたのよ。ぺてん師じゃなかったら何なのかしら? 教えて頂ける?」

 

「美嘉ちゃん! 何をするつもりですか! 時子さんももうやめて下さい!」

「ハァ⋯⋯ハァ⋯⋯馬鹿にした! プロデューサーを、プロデューサーを馬鹿にしないでよ!」

「美嘉ちゃん! やめて!」

 

 執拗に武内を貶す言葉に悪意はない。時子は純粋に思った事を言葉に乗せている。しかしそれがひたすらに聞く者の心を抉るのを除けばだが⋯⋯

 

「結局あの男は口だけだったのよ。馬鹿の一つ覚えみたいに笑顔笑顔笑顔って⋯⋯! 終いにはたかが三匹の負け犬が可哀想だから自分も辞めるですって? もうあいつは下僕でも豚でも無いわ。ただの無価値なゴミクズよ」

 

「違う! あの人はシンデレラガールズを作ったプロデューサーだ! 私の今があるのは、全部プロデューサーがいたからだ!!」

 

 あわや衝突する距離まで詰め寄る美嘉。だがその怒りはちひろでも時子でもない第三者によって阻まれた。

 

「少し⋯⋯頭を冷やしましょうか」

 

 女はただ、美嘉の顔に手をかざした。それだけの行為。しかし、その行為によってもたらされた結果は

 

 重大だった。

 

 

 美嘉の意識は一瞬で刈り取られ糸の切れた操り人形のようにその場に崩れ墜ちた。

 同時に凄まじいまでの圧が通路内に張り詰められる。

 

 戦慄

 

 全員が戦慄した。

 

 目の前のアイドルに。

 

 美嘉ではない。左右で緑と青のオッドアイを持つ女性、高垣楓にだ。

 

 

 ──右手一本で美嘉を制した? 流石は346プロ最強のアイドル、と言うことかしら。

 

 

「美嘉ちゃん⁉ しっかりしてください!」

「心配いりませんよちひろさん。軽めにしたので直ぐに目覚めます。美嘉さんや時子さんは、まだこのレベルには達していませんけど」

 

「なんですって?」

 

 あからさまな侮りの言葉に時子のプライドが刺激される。普段では想像もつかないオーラを放ち、明確な敵意すら醸す楓。

 

 

 グニャリと両者の間の空間が捻じ曲がる。

 

 

 ちひろの小さな悲鳴を合図に、最初に動いたのは時子。

 

 のはずだった。

 

「──ッガッ……‼⁉」

 

 時子が攻撃の意思を行動に移すその寸前に、既に楓の行動は終わっていた。

 

 笑顔。

 

 楓は静かに笑った。微笑とも言えるそれはいともたやすくメディアの女王 財前時子の戦意を削ぎ落し人生初となる片膝をつかせた。

 

「なん……だと⁉」

 

 ──笑顔だけでこの私を制した? 

 

 其処には純然たる力があった。物言いなど付きようもない、完璧なアイドル力。

 

「喧嘩はいけませんよ。Sランクの私とAランクの時子さんでは、Liveバトルなんてしてしまったら命を失うことになるかもしれません。もう美味しいお酒も飲めませんよ?」

 

 ちひろは楓の言葉に眉をひそめるが時子はそれも可能であろうと考えた。高垣楓は巫山戯た駄洒落はよく吐くが虚言を弄するような女ではないと知っているからだ。

 

「クッ いいわ、認めましょう。まだ貴女には勝てないわ」

「随分とイライラしているようですが、プロデューサーさんがいなくて寂しいんですね?」

「ハァ? 私がアイツを? もう興味なんて無いわよ」

「プロデューサーさんがアイドルになったそうですよ? 765プロに所属してアイドル活動をするようです。楽しみですね、共演が」

 

「は?」

 

 自らの耳を疑った。高垣楓はなんと言った? 

 

 ──アイドル? あのむさいデカブツがidol? 

 

「アイツがアイドル? フン! どうせ頭の中の蛆虫が悪さをしたに違いないわね♪ 貴女の寒いギャグはいつも笑えないけど流石にそれは笑えないわ」

 

「そうですか? いいアイドルになると私は思いますよ?」

 

「笑えないと言ってるわよ。でもまぁ、それなりに売れでもしたらその時は相手になってもいいわ」

「まぁ♪ きっと楽しい時間になるでしょうね。楽しみです」

 

「私が楽しむとでも? だとしたらそれこそとんだお笑い草よ。私はね、ただ踏み潰すだけよ。そう⋯⋯いつもそうしてきたわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 現在 765プロ事務室

 

 

 私は波に乗っていた。

 

 無論、本当の波ではない。仕事の波だった。

 

 人気お笑い番組での私の活躍(私自身の手応えはあまり無かったが)が評価され主にバラエティー番組での露出が増え、私の名はそれまで以上に有名となった。

 

 嬉しいことでデビュー当時はスカスカだったスケジュールも今は休みを探すのも難しい程だ。

 

「大変よー!」

 

 プロダクションに響き渡る小鳥の絶叫によって私の意識は現実に引き戻される。青ざめ受話器を片手に口をパクパクさせる小鳥は私をじっと見つめた後、天を仰ぎそのまま机に突っ伏した。

 

 

「私が、Liveバトルですか?」

 

「そうなんです! 346プロから武内さんをご指名で直々のオファーが来ちゃったんですよ! どうしましょう! もうテレビ局も動いてるらしくて断るに断れませんよ! きっと346プロが武内さんとウチを潰しにきたのよぉー!」

 

 ムンクの叫びも可愛く見えるのスクリームに小鳥が沈む中、武内は思案した。

 

 Liveバトル。

 それはアイドルとバトルを組み合わせたまったく新しいライブ。

 

 多様化、多極化する昨今のアイドル業界において単純な人気を測るのは極めて難しい。しかしそれでもランク付けをするために生まれたのがライブバトルだ。

 

 互いに観客の前でライブを行いリアルタイムで人気が変動する。ある種、残酷な戦いでもありあまりに差が開きすぎるとアイドルにも相当のダメージが発生してしまう危険な代物だ。

 

「しかも、よりによって相手があの財前時子だなんて」

「なんですって⁉」

 

 財前時子の名に武内は驚愕した。あの全てに興味が無いと言うような目は忘れようとも忘れられない。

 

 ──アイドルに、興味はありませんか? 

 ──不躾な視線でジロジロと、貴方、脳みそは何グラム? 

 

「武内さんは当然ご存じだと思いますが財前時子は346プロのトップアイドルの一人ピヨ。ステージ上の女王様とも言われてライブバトルでは無類の強さを誇っています」

 

 初めて彼女に出会った日のことは今でも覚えている。彼女も、城ケ崎さんと同じく最後まで一緒に歩む約束を破ってしまった一人だ。財前さんとは別れも言えずそのままだ。

 

 私は奇妙な因果を感じた。逃げてはいけない戦いだ。

 

「お受けしましょう小鳥さん。Liveバトルで、財前さんと戦います」

 

 

 

 

 

 

 

 Liveバトル会場 東京 後楽園ホール

 

 夜の帳が降りた今宵、アイドルに熱狂する多くのファンたちが犇めくほど集った後楽園ホール。プロレスやボクシングとは違った、しかしそれらと遜色無い膨大な熱を帯びていた。

 

「レディース&ジェントルメン! 今夜もやってきたさー! Liveバトル! どっちが強いアイドルか見たいか──っ!」

 

 司会役の我那覇響のアナウンスに会場は一層沸き上がる。

 それもそのはずだ。

 

 346と765。

 

 古くからの伝統を持つ346プロと、飛ぶ鳥を落とす勢いの新興プロダクション765プロのバトルを期待するなとと言う方が無理だろう。

 

 

「自分も見たいぞー! それでは早速アイドル入場だ──!」

 

 アナウンスと共にきらびやかな照明が落ち、代わりに灯ったレーザーライトと立ち込めるスモークが不穏な雰囲気を作り出す。

 

「まずは白虎の方角さー!」

 

「その女、まさに女王! 

 立ちはだかる敵は全て下僕! 

 強烈無比の鞭はあらゆるアイドルを打ち据えるさー!」

 

「身長 168cm! 体重 46kg! 

 B-83 W-55 H-85!」

 

「346プロ所属! 

 アルティメット・サディスティック・アイドル! 

 財前ンンンンン時子ォォォオオオ‼」

 

 

 

 女王顕現。

 

 

 彼女の歩みに観客は色めき、

 視線一つに魂を震わせ、

 身に纏いし衣装と鞭すらも従わせる強者。

 

 財前時子⋯⋯今この時、世界は彼女中心に廻っていた。

 

 

 誰もが彼女の勝利を疑わないだろう。

 誰もが対戦相手の不様な敗北を挑むだろう。

 

 これは、戦いではない、女王の処刑なのだ。

 

 

「む~~ちょっと武内に酷しくないか~? でもみんな見とけよー! 武内は凄い奴さー! 財前時子の対戦相手はこいつだ──!」

 

「青龍の方角!」

 

「元プロデューサーがアイドルを知るためアイドルに成る! 

 異色の経歴を持つ男は彗星のごとくアイドル業界に旋風を巻き起こした! 

 鉄仮面の下に秘める笑顔はまさに殺・人・兵・器!」

 

 

「プロデュース&アイドル! 

 武内ィィィイイイイ‼」

 

 静謐。

 

 リビドーを刺激し調教する財前時子のランウェイが動ならば、武内の歩みは静そのものだった。

 黒のダークスーツ調にアレンジされた専用のアイドル制服に身を包み、能面のごとき顔面は表情筋一つ微動だにせず、その姿はまさに漆黒の騎士。

 

 既に時子の勝利に振りきれていた観客たちの心を剣が貫くように、ある者は失神、ある者は失禁、またある者は男女問わず想像妊娠した。

 

 

 弩S女王対黒騎士

 

 

 

 期せずして会場のボルテージは、最高潮に達していた。

 

 

 盛り上がる大観衆の中心で、両雄は向かい合う。

180㎝を優に越える武内と時子とでは、必然的に時子の方が見上げる形となる。

 しかし武内は相対してからずっと時子から見下され、見くびられ、あし様な上から目線を突きつけられていた。

 

「お久しぶりです。財前さん」

 

「正直逃げないか心配していたわ⋯⋯この豚。なるべく手っ取り早く苦しんでから消えてくれる?」

 

 挨拶代わりとばかりに振るわれた鞭は音速を易々と突破し、衝撃波が会場全体を振動させる。それだけでも財前時子のアイドル戦闘力が並外れていると分かる。

 

「私は豚ではありませんよ。財前さん」

 

 だが鞭の先端は額を穿つ直前に武内の手によって握られていた。

 この男もまた、既にアイドル活動を通して人の域から脱却していた。

 武内を前にして、女王は獲物を狩る肉食獣の笑みを浮かべ鞭に舌を這わせる。

 

 

「さぁ、豚のような悲鳴を上げなさい♪」

 

 

 そして幕は上がる。

 

 

 

 

 

 

 I Want 

 

 言わずと知れた天海春香さんの代表曲。それまでの明るい曲調はそのままに挑発的で蠱惑的な歌詞は天海春香の新境地を切り開いたとファンの中では語られている。

 

 それ故に多くのカバーが存在する曲だ。大前提として、カバーは所詮カバー。独自色は出せてもオリジナルは越えられない。

 

 だが此処に、例外が存在した。

 

「財前時子の歌は完璧のようだぞ! ここまでミス無し! 更に盛り上がって盛り上がってきたぞー!」

 

 ──ただのカバーではないですね。完全に自分の歌にしている。ここまで成長したのですか。財前さんは⋯⋯しかし! 

 

「私にも武器はあります⋯⋯!」

 

 全身のバネとなけなしの笑顔を使いステージ上でポーズを取る。ただのポージングではない。所謂アピールと呼ばれる技法だ。

 

 

「そう来ると思っていたわ! さぁ下僕共! 私にひれ伏しなさい!」

 

 

 財前さんの呼び掛けに応じて観客のほとんどが総立ちではなく総土下座をした。強制ではなく自らが進んで額を床に擦りつけながら感涙している。

 

 そして満を持するかのように振るわれた鞭は空を切り裂き、世界を越え、全ての観客たちの背を穿ち抜く。

 

 激震。

 

 地鳴りのような歓声と共に私のアピールは力なく霧散した。

 

 同時に私の体にも反動としてダメージが反映される。

 

 

「グハッ⋯⋯! ば、バーストアピール⋯⋯!?」

 

 

 財前さんは所謂天才肌のアイドルだった。

 幼い頃の習い事でダンスや歌をしていたと話されたがそれでもデビュー僅かにして並みいる先輩たちを押し抜けスターダムをかけ上がっていった。

 

 だが私の知る限りアイドルの中でも一握りの選ばれた者しか体得できないとされるアピールの更に上、バーストアピールはまだ身に付けていないはずだった。

 

 

「ククク! バーストアピール⋯⋯私が使えないとでも? 貴方が私の担当を離れていったいどれだけの時間が経ったと思っているのかしらねぇ!」

 

 

 

 膝をつき歌詞が途切れファンが急速に離れていく。だが動けない。全身の筋肉と骨が軋み、息すらできない。

 

 吐血が顎を伝い衣装を真っ赤に染め上げる中、財前さんは狂気すら従えた威風堂々たる姿で鞭をしならせながら悠然と迫ってくる。

 

 数メートルはある鞭が生み出す暴風は大気を震動させ小型の真空波を放ち私の肉を切り裂く。

 

 

 

 

 ──このままでは⋯⋯負ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──私の世界に色はない。

 ──絵筆は指、絵具は血、キャンバスは世界。

 

 ──血の色は、モノクロ──

 

 ──モノクロの世界は進み続ける。移ろうことすらできない私を置いて──

 

 

 

 

 

 既にLiveも佳境に入り更なる盛り上がりを見せている。されどその歓声は財前時子一人に向けられていた。

 

 誰もが勝敗は決したと思った。

 やはり女王に敵う者などありはしない。

 

 時子は終了を待たず止めを刺しに鞭を構える。

 

 

「アハハハ! 不様ね! 通常アピールじゃ私は倒せないわよ? と言っても、そのアピールすらもう撃てないでしょうけど♪」

 

 ステージに倒れ伏した武内は全身から出血しピクリとも動かない。既に事切れたのでは⋯⋯そう思えるほどにボロボロだった。

 

「終わりよ武内! 私の前で! 己の無力を知り絶望なさい!」

 

「⋯⋯た、たしかに、成長しましたね。財前さん⋯⋯! とても嬉しいです⋯⋯!」

 

 瞬間、時子は跳び跳ね距離を取った。

 周囲の観客には不思議な光景だろう。既に刀折れ矢尽きた瀕死の武内になぜ警戒する必要があるのだろうか──と。しかしそれは時子も同じだった。

 

 ──何故⋯⋯私は距離を取ったの? 一瞬、アイツのアイドル力が急激に上がった⋯⋯? 

 

 

「ですが⋯⋯私も多くを学びました。もう⋯⋯昔の私ではありません⋯⋯!」

 

 武内は立ち上がった。傷を負いながら、血反吐を吐きながら⋯⋯されどその姿を不様と見るものはいない。

 

 武内から爛々と迸る闘気を観客たちも肌で感じ取っていた。

 時子も額から汗を滴し戦慄した。

 

 ──あり得ないわ。武内がアイドルになってまだほんの数ヶ月⋯⋯そもそもアイツはアイドルの才能もない、アピールすら満足に出来ない出来損ない。何もかも中途半端なろくでなし。

 私に勝てる要素なんて一つ足りとて無いわ。

 

「私は⋯⋯負けられません。負けられないんです⋯⋯!」

 

 ──なのにこのオーラは何? こんな、私を置いて逃げ出した卑怯者がどうしてこんな覇気を放っているの? これじゃあ⋯⋯まるで一流アイドルのそれと同じ⋯⋯! 

 

 気づけば武内は手を伸ばせば届きそうな距離まで近寄っていた。それはつまり互いの間合いに互いが入っていることをさす。

 

 時子の背筋が震えた。だが死んでもそんな素振りは見せず余裕と侮蔑の笑みで鞭を握り直す。

 

 この時初めて、圧倒的優位に立っておきながら時子は無意識で受けに回った。

 

「貴女は、いつもそうでした。口よりも、結果で示さねば絶対に納得しては頂けません。ですので、お見せします。私の全力を!」

 

 何処からともなく現れたスタンドマイクを握り締め、スポットライトが武内を照らす。その出で立ちは観客たちに敗色濃厚のアイドルとは思えない凄みを与えた。

 

「それが貴方の全力? ただ立ち上がっただけじゃない。もういいわ、どうやら貴方は余程この私を馬鹿にしたいようね。私に勝つだなんて妄言の罪、払って貰うわ──」

 

 

 

 

ニコ

 

 

「はうっ──!?」

 

 

 刹那。

 

 

 時子はそれまでの闘いの経緯全てを忘却した。

 

 未だ血の滴る武内の口角が僅に上向き作り出されたのはアルカイックスマイル。古代ギリシャより受け継がれる奥義。

 その微笑は幸福感と生命力を暗示し、時子のみならずその尊顔を目にした観客たち全員が煩悩から解き放たれ瞑想の達人の如き無我の極致へと至った。

 

 ──あり得ない。 一瞬、アイツの笑顔から目が離せなかった。この私が⋯⋯よりによってアイツに、見蕩れた? 

 

「私は、本当にちっぽけな男です。多くの方に助けて頂いて今があります。だからこそ、恩返しをするにはアイドルしかありません! それが奇跡だと言うなら、起こします。何度でも!」

 

「無駄だと言っているでしょう! 奇跡なんて起こりはしない!!」

 

 時子のアイドル力が急速に増し、まさか、と武内が身構えるが既に遅かった。

 気づいたときには武内の腹部を鞭が抉り取っていた。

 

「カハッ⋯⋯!?」

 

「ゴホッ⋯⋯ハァ⋯⋯ハァ⋯⋯! 私は女王よ! 敗北なんて! アイドルも歌もただの暇潰しよ! だけどどんな小さなことでも手を抜いて負けるだなんて私の誇りが許さないわ!!!」

 

 都合3度のバーストアピール。

 

 通常ライブでたった一度きりしか発動できないバーストアピールを連続で3度。それは武内に揺れ動いていた観客の視線を一気に取り戻して余りある効果となった。

 

「⋯⋯⋯⋯ッッ!」

「ハァ⋯⋯ハァ⋯⋯! ここまで食い下がった事だけは褒めてあげるわ。けど⋯⋯終わりよ!」

 

 ただ一度のバーストアピールで瀕死の重傷を負った武内。それを計四度もその身に受けたアイドルの体が無事である筈が無い。

 

 

 

だ が 武 内 は 倒 れ な い。

 

 

 肩を震わせ、沈み行く足を地に打ち付け、ひたすら笑っていた。とうに限界は越えている。しかし、武内は、ステージに立ち笑顔であり続けた。

 

「これが、私にできることです。財前さん、貴方には⋯⋯()()()()()()()()()()()()物の一つです」

 

「その間抜け面が何? 笑顔が何だって言う訳よ。そんな物に拘って貴方は失敗したんじゃない!」

 

「そうです⋯⋯! だから、私が諦める訳にはいかないんです! 私が⋯⋯彼女たちの思いを、彼女の歩みを、無駄にはさせません!」

 

 あくまでもいつもの丁寧な口調だがその節々には燃え盛るような決意が滲み出ていた。

 時子はその姿を嘲笑うようにグイ、と顎を上げ見下す。

 

「今更プロデューサー気取り? 反吐が出るわ。終わらせましょう、武内」

 

「ええ、終わらせましょう。財前さん」

 

 

 両者は理解していた。曲はクライマックスに差し掛かり残された時間、体力から考えてもアピールは後一回で限界。

 しかしリアルタイムで計測されているファンの推移は武内3:財前7と、仮に武内がバーストアピールに成功してもその差を埋めきることは理論上不可能に近かった。

 

 

 だが時子はそれを踏まえた上でバーストアピールをもう一度放とうとしている。

 

 彼女とて無傷ではない。自身のアイドルランクを遥かに上回るパフォーマンスを短い時間で立て続けに行った代償は深刻だった。

 神経は焼かれ筋繊維は断裂し心臓は張り裂けそうなほど拍動していた。

 

 

 それでも、尚。女王のプライドは武内を叩き潰す敵と捉えていた。

 

 これまで彼女の前に立ちはだかった障害は本気を出す価値の無いものだった。

 敵は全て踏みにじる。それは最早、矜持を越えた信仰とも云うべきもの。

 

 事ここに至り尚、財前時子は武内を見下し天に立とうとしている。

 

 

 

「流石ですね⋯⋯本当に⋯⋯財前さん、貴方は⋯⋯素晴らしいアイドルです。私の⋯⋯持っている物は⋯⋯コレしかありません」

 

 

 武内は笑った。なんの変哲も無い、ただの笑顔。

 

 既に相当量の出血をし意識も朦朧とする中でも、ふてぶてしさすら感じる程の笑みを見せた。

 

 

 互いに語る言葉は既に尽きた。

 蹟はただ、己の全てを歌に乗せるのみ。

 

 

 

 二人はアピールを繰り出した。

 

 時子は本来ならばあり得ない五度めのバーストアピールにして本日最高の威力。重力すら歪む財前時子の個性を顕現させた奔流は武内を飲み込みスポットライトの光も、影すら消し去る

 

 

 

 

 

 

 

その時、不思議な事が起こった。

 

 

 

 

 

 

ス・テ・キなハピネスどうぞ♪

 

 ステキハピネス

 

 天海春香の楽曲の一つにして彼女本人の作曲がベースとなっている。

 幸福や喜び、笑顔がトレードマークの天海春香を体現した歌。

 時子のIWantに対しての武内の楽曲だった。

 

 そして武内の体から溢れんばかりの光が放たれその衣装に変化が現れる。

 

 武内の中世騎士風な漆黒の衣装が姿を変え、そこに現れたのは純白の軍服を纏い剣に見立てたスタンドマイクを握る武内だった。

 

 無論ただの衣装交換ではないことは後楽園ホールの誰もが確信した。

 

 

 特別席でライブを見守ってきた高垣楓も思わず立ち上がり弧を描く口元から衝撃と歓喜の喘ぎが溢れる。

 

 

「アルティメットアピール⋯⋯あぁ⋯⋯武内さん♪ やっぱり貴方は⋯⋯私が思い描いた通りの人ですねぇ♪」

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっ────」

 

 視界がグラリ、と揺れた。

 

 己の限界を超え尚も立ち続けた財前時子を支えるのは誇りだった。しかし、今しがたの変貌した武内のアルティメットアピールの前では、その誇りすら砂上の楼閣のように脆く崩れ去った。

 

 

 鋼鉄のプライドが、敗北を認めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なぜ、そんな顔をしているのよ」

 

 

 

 

 時子が意識を取り戻すと、まだ視界がぼやけていた。次に腕や背中に温もりを感じた。徐々に視界がクリアになっていくにつれ、それが人の手であること。自分が抱き抱えられ、所謂お姫様抱っこ状態であること。そしてその相手が心配そうに自身を覗き込む武内であることか分かった。

 

 

「よかった! 大丈夫でしょうか財前さん。床に倒れる前に受け止めましたのでどこもぶつけてはいないと思いますが⋯⋯」

 

「⋯⋯貴方って、本当に」

 

 

 ──分かっていた。私の世界は最初からモノクロだった。アイドルになって、そんな世界に僅かばかりの色が落ちた。

 

 

 

 

 

「直ぐに医務室に行きましょう。このままお連れします」

 

 

 ──でも違う。私の世界に色を齎したのは他でもない。

 

 

「ゴホッ⋯⋯ゴホッ! だ、大丈夫です。私の事は気にしないでください⋯⋯」

 

 ──貴方だった。

 

 

 

「⋯⋯ねぇ」

 

「は、はい。なんでしょうか財前さん?」

 

 

「私、ひどい顔をしてるでしょう」

 

 その問い掛けに武内は少し戸惑い暫しの思案の後に、優しく語りかけた。

 

 

 

 

「いいえ。いい笑顔ですよ」

 

 

 

「⋯⋯⋯⋯そう」

 

 まるで幼子のように、一切の邪気が取り払われた満面の笑みが、そこにはあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

これが、そうなのね

 

 

 

 

 

 

 

 

 私を照らす、この光が

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

笑顔か

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




時子様は塵になって消えてはいませんのでご安心ください。

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