10/12 修整
結局。沙条家から離脱しようとした俺の企みは儚く潰え、俺が寝かされていた部屋へと逆戻りすることになった。
――目覚めてからなんか様子のおかしい幼馴染様と一緒に、である。
広樹さんが何を考えているかは大体わかる。本人に悪気があるとか、そういうわけでないことも。昔からそうだったからね。
ただ、彼は知らないだけなのだ。自分の娘が恋のためなら、町一つ知ったこっちゃねえと滅ぼしかねない根源接続者だということを。
さて、そのお姫様はどうしたのかというと、現在は落ち着きを取り戻して何が楽しいのか笑顔でしゃりしゃりとリンゴを剝いていた。何でもできちゃう幼馴染様は器用にもリンゴの皮を一本の紐状に切っていく。意外と難しいよねそれ。
ずっと黙っているのもどうかと思うし、情報を得ることも生き残るためには重要なこと……ということで会話をしよう。正直さっきまでの動揺が抜けきっていないのだが、それはそれ。
「あー……よく血が落ちたな。真っ白だし、ただでさえ落ちにくいのに」
「ううん、それは新しいシャツで、前のはわたしの宝物に――あっ、剝けたわ」
今一体何を言いかけた!? 不穏どころじゃない単語が聞こえた気がするんだが!? やっぱりあれか、シャツに付いた血を触媒に魔術でフ〇ブリーズ案件化に方向性をシフトしたのか!?
シャツを取り返さないことにはどこに逃げてもゾンビにされる危険性がある以上下手に逃げることもできない。
やってくれたな沙条愛歌……!
なんて考えていると、奴は不意にくすくすと笑いだした。心を読まれていたのかと思うほどのタイミングである。しかもこの幼馴染様ならやりかねないというのがさらに恐怖を増長する。
「……いきなり笑いだすと不気味に思われるぞ」
「そうね。……でも、あなたはわたしが何をしても受け入れてくれるでしょう?」
……ねーよ。東京を滅ぼしたら流石に引くよ。ドン引きだよ。
こちらの内心を読み取ってはいないらしい、機嫌の良さそうな奴はフォークで刺したリンゴを差し出す。特に抵抗はせず口に含む。シャリシャリとした食感に、程よい酸味のある甘い果汁。うまい。
飲み込み、次の一切れが差し出される前に問いかける。結局なんでいきなり笑い出したのこいつ。俺の憐れな未来を想像してつい笑ったとか?
「で、いきなり笑いだした理由は?」
「……ええ。それはね――」
溜めたかと思うと突然身を乗り出し、蠱惑的な声で耳元に囁きかけてくる。吐息が耳に当たり、ぞわりとした感覚に気を取られたところにたった一言。
「久しぶりに二人っきりで過ごせてるから」
「っ……」
――っあ、ぶねぇぇぇぇぇ!!! 死ぬかと思った!!
心臓が飛び跳ねたのがよく分かった。直視できないくらい顔が熱い。また鼻血出そう。
……不覚にも、可愛いと思ってしまった。
やっぱり変だ。あのパーフェクト愛歌様がこんなことを言うはずないだろうし、夢か、幻覚か、魔術か……少なくとも現実じゃない。
だってそうだ。俺の知っている沙条愛歌ならこんなことを言うはずがない。
こんな甘い空気を出す相手はセイバーただ一人。対して、俺はあんな完璧イケメンと比べることすら烏滸がましい存在なのだ。
ならばそれは現実ではないだろう。
寝よう。寝ればきっと俺の知っている、あの沙条愛歌に戻っているはずだ。そう、そのはず。
顔を見られたくなくて、背中を向けるようにしてベッドに寝転んだ。
「……寝る。血が無くなってるし、疲れてるみたいだ」
「そう。……ふふ、おやすみなさい」
くすくすと見透かしたような笑みで見ているのだろう。地味に腹立つ。
それから程なくしてリンゴを齧る音が聞こえてきた。きっと俺が残してしまった数切れを食べているのだろう。
不意に口の中に甘さが戻ってくる。リンゴは美味しかったが、この甘さがそうでないことくらいは認めよう。悔しいが。
横になるとやはり疲れていたのか、眠気はすぐにやってきた。睡魔に身を任せる直前、幼馴染様が何か言っているような気がしたが、よく聞き取れなかった。
目が覚めてすぐ、完全に夜になっていることを確信した。窓から見える街並みが明るく、夜の暗闇の中で煌々と輝いている。
東京の夜景は好きだ。なんというか、一人一人の物語が見えてくる気がして。だからこそ、あの幼馴染様をどうにかしなくてはならないと一人奮闘しているのだが。というかいつになったら俺の戦いは終わるのか。
ここでうだうだ考えていても仕方なし、そろそろ出来るであろう夕食に間に合うためにも、居間に行かなければなるまい。
……顔を合わせづらいが、行くしかない。
「……あ」
体を起こして気付いたが薄手のタオルケットがかけられていた。……これもファ〇リーズの匂いがする。『クランの猛犬の匂い』だ。
こういう気遣いが出来るあたり、やっぱり基本性能は高い。
……ふむ。
「行きますかね……」
――絶望と希望と混沌渦巻く
メルトリリス、メルトリリスが欲しいの……
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