(フェレンツ=モース)
「バクフーン、ふんか!」
それは例えるならば歩く爆裂火口。ただしバクフーンはこの『噴火』を繰り返し行うことができる。
凄まじい炎と噴出物はその戦いのフィナーレに相応しいものだった。
「いやー、まいったまいった。君めちゃくちゃ強いね。軽々しく勝負をしかけるんじゃなかったなぁ」
15ばんどうろを根城にしているこのトレーナーはここまで10連勝と好調を維持していた。しかし今回ばかりは相手が悪かったようだ。
観光客風のカップルを見つけたまではよかった。男に勝負をしかければ彼女の手前、まず断られることはない。だからこそ全力で挑んだのだ。
ここまでコテンパンにやられると清々しささえあった。そこで彼は賞金を支払うだけでなく気のよい現地人として振る舞うことにした。
「君たち観光だろ? この先にモタナシティって街があるんだけど、もしよかったら寄ってみるといい。メシも旨いしいいところだよ」
「ありがとう、そうするよ。ほらメルル。シャキシャキ歩いてくれよ」
「やっぱり私には当たり強くないですか⁉」
男女はどうろを東へ。
「メルルちゃんか。可愛かったなぁ」
彼女いない歴と年齢がイコールで繋がってしまう彼からすると、あのトレーナーがどうにも羨ましくて仕方ないようだ。
「なんというか俺にはインパクトがないんだよな。うん」
冷静な分析は見事だが彼の出番はこんなものである。
やって来たモタナシティ。街全体がお祭りムードに包まれている。そしてそれは翌日に控えた釣り大会のせいらしい。
イベントに敏感なメルルがこれを逃すはずがない。
「先輩先輩! 出てみましょうよ! でっかいのを釣ればいいんですよでっかいの!」
「メルルが釣るのか?」
「釣るのは先輩です。私はおーえんおーえん」
どこかにいるであろうオーエン氏とともにユマは痛む頭を抱えた。
とはいえ釣り大会という単語には胸が躍る。なんやかんやでメルルに流されてしまう自分に内心苦笑しつつも大会の参加を承諾した。
街行く人々はみな釣り大会の話題で持ちきり。それもあって参加の受付窓口を見つけるのにそう時間はかからなかった。
「先輩。優勝したらトロフィーは私にも持たせてくださいね?」
「へいへい」
とらぬジグザグマの皮算用とたしなめるのも面倒だったので適当に流した。
そしてそんな二人に興味を示す者が。
「君たち! 釣り大会に出るのかい?」
暗がりから男が現れた。目をギラつかせて受付を済ませた二人に詰め寄り――――
「どうだろう、誰がこの大会の優勝トロフィーをゲットするか賭けてみないか? 一攫千金も夢じゃないぜ?」
「一攫千金⁉ 賭けます賭けます!」
ユマがやんわりと断ろうとする前にメルルが話に食いついた。タッチの差だっただけにかなり悔やまれる結果となってしまった。
男はニヤリと笑ってどこから入手したのか二人に参加者の写真つき名簿を見せた。目を輝かせるメルルを無理やり引っ張っていくわけにもいかず、ユマも仕方なく話を聞くことにした。
「二つ返事とは気に入った。俺の見立てでは優勝候補はサイノスっておっさんだな。なんでもボロのつりざおを配りまくる釣りマニアで過去に優勝経験もある。安パイだと思うぜ?」
賭け事は程度の差こそあれほとんどの場合胴元が儲かるようにできている。それをじゅうぶんに理解しているユマはこの男から胡散臭さしか感じなかった。
「私は先輩に賭けます! これまでもそうだったようにきっとなんとかしてくれるはずです!」
男は一瞬驚いた表情を見せたが、狙いからはそれていなかったのかメルルの案を否定しなかった。
「大穴に突っ込むとはお嬢ちゃんはギャンブラーの素質がある。もちろんいいとも。思いきりベットしてくれ」
メルルが口にした金額はそこまでではなかったが大会を前にユマは重たい荷物を背負った気分だった。
大会当日もユマはどんよりとしたものを心中に抱えていたが競技が始まればそんなことは言っていられない。
レンタルした漁船を巧みに操って沖に出る頃にはいつもの調子に戻っていた。
釣糸を垂らしてからここまでそう大きな獲物はかかっていなかったが、湖に慣れ親しんだ彼は大物の気配を敏感に察知していた。
「せんぱぁい。ホントにここでいいんですかぁ?」
日焼け止めを塗っておけばよかったと後悔するメルル。言い出しっぺなどそんなものである。
すぐに大きなアタリがきた。
「これはでかいぞ。メルル、ネットボールを頼む」
「はーい!」
活きのいいポケモンは釣り上げられたとたんに襲ってくることもある。備えはしておかなければならない。
「ぐっ、こいつは大物だ!」
ユマが力任せに釣り上げたそれは二足二手に赤い帽子の――――――
「ぎゃああああああ! 先輩、それ人ですよ!」
「いんやぁ助かったよぉ。あんがとますあんがとます」
海水をひとしきり吐き出したのち、その青年はユマらを命の恩人と見定めて礼を述べた。
「本当に大丈夫ですか?」
土左衛門を釣り上げたかとばかり思っていたユマは面食らってしまう。
「だいじだいじ! ヤシュウ男児はタフが取り柄よ」
「おっとまたしても挨拶がまだだった。オレはヤシオ。ラフエルのリーグとキングダムに挑戦しに来たんよ」
大きく両手を広げるジェスチャーをするヤシオ。ユマもメルルもそのポーズに見覚えがあったものの、その場では思い出せなかった。
「俺はユマです。シンオウから来ました」
「メルルでーす」
自己紹介よりも気になることがあった。
「ところでヤシオさんはなんで海のなかに?」
「いんやぁ、ルシエに行こうと思って歩いてたらいつの間にか海にボチャーり落っこってたみたいで」
説明になっていないが彼の言葉に嘘はない。
ヤシオはユマとメルルをしげしげと眺めた。
「お二人さんは海難救助の講習中ってとこかい?」
ピーカンの下、私服にライフジャケットというラフな服装を見てそう判断した推理力はお察しといったところ。
「釣り大会ですよ釣り大会。なんでもラフエルの名物イベントらしいんです」
「私は先輩にガッツリ賭けたので是が非でも勝ってもらわないといけないんです!」
ヤシオはポンと手を打った。
「なるほど。事情は分かった。そういうことなら助けてもらった恩もある。オレも手伝うべよ」
手伝いはありがたいが先ほどまで海中を漂っていたような男が助っ人としてどれだけ機能するかは正直微妙なところではある。
しかし陸まで送っていく時間のロスとは天秤にかけるまでもない。ユマもメルルもあえてそれを口に出すことはしなかった。
「釣りは一子相伝をその原則とし、名跡を受け継がせるにあたっては、外弟子を外部から『子』として受け入れその『子』を後継者とする」
突然難しいことを語りだしたヤシオ。
「つまりヤシオさんはその『子』ってやつなんですか?」
「ちがうけども」
「じゃあさっきの話はなんだったんですか……」
呆れながら再び糸を垂らすユマ。そこへ再びアタリがきた。
「ぬぉっ、こ、こいつもデカい!」
「まーた誰か溺れてるんかね。だめだぁ、海難事故には気をつけないと」
「失礼ですけどそんなのヤシオさんくらいですよ」
メルルとヤシオのとぼけたやりとりを尻目に、ユマはこれまでにない手応えの相手と格闘を始めた。
「先輩! 頑張って!」
「そうだ! 先輩、頑張っぺよ!」
応援が功を奏したのかははっきりしないが、海に引き込まれそうになりながらもユマはポケモンを釣り上げた。
「こいつは⁉」
水しぶきとともに現れたのはギャラドス。
コイキングの分布の広さから生息圏はそれと同等とされるが、釣りによる捕獲は難しいとされるポケモンだ。
そしてこのギャラドスにはもう一つ特徴があった。
一般的にギャラドスは7メートル弱ほどとされるが、この個体は目測でも10メートルを優に超えていた。
「先輩! ボール! 捕まえれば優勝間違いなしですよ!」
「お、おう!」
しかしユマが投げたネットボールはヒゲで弾かれた。捕まえるには弱らせる必要があるようだ。
「お望み通り勝負といこうぉっ⁉」
ギャラドスが咆哮とともに放ったはかいこうせんが浮かんでいた船の近くのブイを粉砕した。
「まずいな。あいつの技をまともに食らったら俺たち以前に船がもたない」
しかも釣り上げられたことでギャラドスはいわゆる『気が立っている』状態。距離をとって体勢を立て直す余裕などない。
「つまり、船をやらせないようにってわけだべ。ならば簡単。飛べるポケモンと泳げるポケモンで的を絞らせないようにする! うん。シンプルイズバスト! いやベストだ」
半ばお荷物と化していたヤシオだったが、これは悪いアイデアではなかった。
トレーナー同士の勝負とは違い野生のポケモンとのバトルはルール無用。ライフジャケットは着用しているものの、海に投げだされてしまう状況だけは避けなければならない。
ギャラドスは体を揺らしながら狙いを定めている。迷っている時間はない。
「そういうことなら! トゲキッス!」
「プルプル、おねがい!」
現れたのはトゲキッスとブルンゲル。空と海に役割を分けることのできるよいコンビだ。
「ほほー。トゲキッスねぇ」
ブルンゲルのニックネームにはツッコまずヤシオはトゲキッスに興味を示した。
「トゲキッス、エアスラッシュ!」
「プルプル、シャドーボール!」
タイプ一致で放たれた二つの技がギャラドスを襲った。
ところがギャラドスはビクともしない。
「効いてない⁉」
それはあり得ない。何せ土手っ腹に決まった。普通ならば倒れていてもおかしくないくらいだ。
「湖で見たことがある。あれはコイキングとして他の個体より長い時間を過ごしたギャラドスだ!」
ユマの解説はこうだ。
通常ギャラドスに進化するタイミングであえて進化をせず、コイキングの体でより研鑽を積むことでサイズだけでなくその能力にも磨きがかかることがあるという。
トレーナーのもとではなかなか起こらない現象のため研究者たちが躍起になって調査しているとのこと。
攻撃の対象を舟からポケモンに変えたギャラドス。波間を漂うブルンゲルにその牙を突き立てた。
水中での機動力では敵うはずもなくブルンゲルはその餌食となった。
「プルプル!」
戦闘不能とはならないものの大ダメージを受けてしまったようだ。
「メルル、ブルンゲルを回復させろ! その間は俺が引き付ける!」
ユマの指示でトゲキッスがギャラドスの周囲を旋回するも、意に介さない様子。トレーナーの戦術を熟知しているかのようにその場で渦を巻き上げた。
「『りゅうのまい』。確実に仕留める気だいね」
ヤシオはのほほんとネットボールを乾いた布で磨いている。他人事なこの男を海に叩き込んでやろうかと思ったメルルだが、培った精神力で我慢した。
「エアスラッシュ!」
トゲキッス渾身の一撃も水中に潜られてはどうしようもない。
そして放たれた返しのはかいこうせんがトゲキッスを撃ち落とした。
「くっ」
ユマは慌ててオボンの実をトゲキッスに与えた。
「よっし! ついにオレの出番だな」
状況を見かねてヤシオがボールを手に取った。
これ以上ややこしくなるのを避けるため止めようとしたユマだったが黙りこんでしまった。
ボールを手に取った瞬間に彼は漂着物からトレーナーへと変貌し、その気迫が味方であるはずの自分にも強く伝わってきたからだ。
この男と彼が解き放つポケモンこそがこの状況を打開する助けとなってくれる。そう信じられる気さえした。
ギャラドスもヤシオを新たな敵を認め、警戒を強めた。
「いくべ!」
整ったスリークォーターでボールをリリースしようとしたヤシオだったが、あいにくここは海。足元は揺れに揺れる船である。
「あり?」
当然のようにバランスを崩し母なる海へダイブした。むしろ漂着物として本来の居場所に戻ったとさえいえる。
「何やってんのーーーーーー⁉」
ここまで頼りなかったヤシオが八面六臂の活躍を見せるのではないかと期待していた二人だったが、さすがに甘かった。
ギャラドスの尻尾が船を襲った。
「きゃっ!」
さすがに壊れはしなかったが漁船全体が大きく揺れた。そしてメルルが抱えていたネットボール入りの箱が手元を離れ海に落ちる不運。
敵はりゅうのまいによって素早さと攻撃力を高めている。少しでも隙を見せたらポケモンたちのみならずトレーナーも危ない。
ギャラドスが再び攻撃体勢にはいった。
「プルプル、シャドーボール!」
回復したブルンゲルのシャドーボールが炸裂するも効果は薄い。
頭脳をフル回転させ、打開策を練るユマ。さすがに万事休すだろうか。
「待てよ? 一つだけ策がある!」
「もうその作戦でいきましょう! このままじゃもちませんよ!」
ユマがメルルに何事か耳打ちした。
ここまで長く一緒にいた二人にはそれだけでじゅうぶんだった。
「トゲキッス! ギャラドスにかまうな、そのまま上昇!」
「プルプル、海に潜って!」
トゲキッスは見えなくなるほどの上空へ、ブルンゲルはギャラドスの真下の海中へそれぞれ姿を消した。
そうなればギャラドスは当然自分から近い敵、すなわちブルンゲルを狙う。
「シャドーボール!」
水中では当たらないうえに当たったところでダメージは期待できない。しかしそれもユマの作戦のうちだった。
ドッグファイトを繰り広げるブルンゲルとギャラドス。やはりギャラドスが押しているようだ。
ユマが双眼鏡で上空のトゲキッスを確認してメルルに合図した。
「プルプル、海から飛び出して!」
宙に浮く程度ならともかくひこうタイプのポケモンのように空中を高速で移動することはできないブルンゲルにとってそれは危険なことだ。それでもブルンゲルはメルルを信じて指示にしたがった。
海上に逃れようとするプルンゲルを追うギャラドス。ついに水面に顔を出した。
「今だ! トゲキッス、『ゴッドバード』!」
溜めにかかる時間をブルンゲルが稼いだおかげで間髪いれず技が発動し、回避の隙を与えることなく真正面から決まった。
今回ばかりは堪えたようだ。ギャラドスはなんとか戦闘体勢を保っているものの既に体がふらふらとしている。
ここで重要な見落としが。
「メルル、ネットボールは?」
「あっ落としちゃいましたぁ……」
これではここまでの苦労から得るものがない。
しかし天はユマを見捨てなかった。
足元の海中から聞き覚えのある声がした。
「これを使ぶくぶく」
再び漂ってきたヤシオがユマにネットボールを投げて渡した。海に落ちながらも先ほど磨いていたものを持っていたようだ。
「ヤシオさん! 無事だったんですね」
「オレのことはいいからギャラドごぼごぼ」
この大チャンスを逃すユマではない。
ここまで散々手こずらされたギャラドスを1個のネットボールで見事に捕獲した。
「それにしてもどうしてさっきのはギャラドスに効いたんです?」
メルルはユマからの答えを期待したのだが先に答えたのはヤシオだった。
「それはあのギャラドスが夢とくせい持ちだったからだべ。どうしてもオレたちトレーナーはギャラドスを見ると無意識のうちにとくせいが『いかく』だという先入観が働くのな」
いかくはあいての攻撃力を下げるとくせい。つまり物理のダメージを減らすわけで、そうなると相手は攻撃の手段を特殊に変えるのが自然だ。
「相性がいいなら話は別だけども。多分あいつはとくせいが『じしんかじょう』で特殊防御が異様に高い個体だったんだろうな。ゴッドバードは効いてたし」
あれだけの技を食らっても平気だったのだから間違いないだろう。
「うん、よくわかんないけどすごいですね!」
残念ながら途中から理解を放棄していたメルルにはあまり凄さが伝わらなかったようだ。
「準優勝の発表です!」
音割れ気味のマイク音声が市内各地のスピーカーから響き渡る。
静まり返った会場に取って付けたようなドラムロールが流れる。
優勝候補筆頭のサイノスが3位で消えるという大番狂わせもあり、それは超新星の誕生を意味していた。
「ゼッケン番号31番、ユマ選手です!」
先に準優勝を発表することで優勝への期待を煽る好演出だったがこれにはメルルもがっくりときてしまった。
「あれだけのギャラドスでも優勝できなかったってことは優勝の人は何を釣ったんでしょうね」
「マナフィとかでねぇの?」
「いやいや私はフィオネ派ですけどね」
会話を横で聞いていたユマは頭がショートしそうになるのを必死にこらえた。
準優勝は残念だったがあれだけの死闘を繰り広げたのちの捕獲には後悔はなく自分のベストを出しきったという自負もあった。
「ユマ選手、特設ステージまでお願いします」
この場にいる全員がユマの登場を求めている。この規模の大会であれば準優勝でも快挙にちがいない。
「だそうです。ヤシオさんも一緒に行きませんか」
この何時間かで一応ながら仲間としての連帯感が芽生えつつある。チームとして彼もステージに上がる権利があるとユマは考えた。
申し出がなくてもふらふらとついてくるのではないかと思われたが、ヤシオはひらひらと手を振った。
「ははは。オレはいいよ。これは二人が勝ち取った勝利、オレはそれを祝うだけだ。それにルシエに行く船があるみたいだしそろそろ行くかんね」
特に何もしていないにもかかわらず一仕事終えた感を出しながら、漂着物は別れを告げた。
図々しさに慣れていた二人は面食らうも、引き留めることはせず彼を温かく送り出すことに。
ありがとう、と一言述べてヤシオはどこかへ去っていった。
「えっ、あぁ。色々とありがとうございました」
「特に思い当たる節はないけどありがとうございました」
こら、とユマがメルルを小突いた。
準優勝に続いて優勝者が発表される。司会者がまたマイクを手に取った。
「それでは優勝者を発表します! 第103回、モタナ釣り大会の頂点に立ったのは」
今度は準優勝の倍以上の時間をかけて勿体ぶる。
「ゼッケン番号7番、コゴロウ選手です! おめでとうございます! コゴロウ選手、特設ステージまでお願いします!」
観客の歓声とともにクラッカーが小気味良い音をたてた。
その場の全員が勝者の華々しい登場に期待した。
しかしコゴロウがステージに姿を現すことはなかった。
「コゴロウさん、帰っちゃったんです?」
「まさか。そんなすごい釣り人が帰るわけないしその辺にいるだろ」
そしてそれはここまで冴えに冴えていたユマの直感が初めて外れた瞬間だった。
「……スタッフがコゴロウ選手を探しております。みなさん少々お待ちください」
優勝者が確定したことで再び会場に喧騒が戻った。彼らはこの後30分ほどをこうして過ごすことになる。
モタナシティのはずれ。釣りざおを片手に歩いてきた男がおもむろにサングラスとカツラを捨てた。
「ふー参った参った。気晴らしで釣りがしたかっただけなのに優勝なんてなぁ」
誰もいない場所で愚痴をぶちまける優雅な一時だったはずが、思わぬ邪魔が入った。
「おろ? 7番のゼッケンてもしかしてあんたコゴロウさん?」
「いやいやコゴロウはエントリーのための偽名で俺の本名はコタローって――――っととあぶねぇ」
コゴロウ、いやコタローはヤシオの存在に気がついて飛び上がった。そしてゼッケンをつけたままの自分に気がついてげんなりとした。
受付に返すのを忘れたのはともかくこんなものをつけたまま歩いていたら目立ちまくることこの上ない。
さて、うっかり口を滑らせかけたコタローが必死に守ろうとした個人情報だったがヤシオからするとさほど重要な問題ではなかったようだ。
「えっと。行かなくていいん? このまま優勝者が表彰式に来ない場合は準優勝に流れるらしいけども」
今回の場合でいけば準優勝のユマが繰り上げ優勝となる。それに伴い賞品も彼の手に渡ることになるのだ。
「いいんだよ。俺としてもそのほうがありがたいし」
コタローにはあまり目立ってはいけない事情があるため当然の判断なのだがそんなことは知らないヤシオからすると、彼は釣り人の鑑そのものだった。
「そうなんか。オレは欲深い人間だから見習わなきゃいけないなあ」
感心しきりのヤシオを鬱陶しく思ってきたところでコタローのポケギアが鳴った。
「あっクロックさん! すみません! いやあの、モタナで釣りをしていたらこんな時間になってしまって……そうなんです、これも作戦の一環でして。本当です。あっ、はい。これからですか。すぐに向かいます。え?」
どうやらかなり気を遣う相手のようで3秒に1回は頭を下げている。
そしてどうやらビデオ通話をしていたため相手からも後ろにいるヤシオが見えたようだ。そのことを突っ込まれたとみえる。
「後ろの人? なんかそのへんをふらふらしてた変な奴です。絡まれただけで特に知り合いとかではないですけど……え? 分かりました。はい、はい。それじゃ失礼します」
通話を終えたコタローは人の良さそうな笑みを浮かべてヤシオに歩み寄った。
「親切に教えてくれてありがとう。それじゃあな」
親しげにヤシオの肩を叩き、立ち去った。
しばらく呆然としていたヤシオだったが船の時間が迫っていることを思い出して、いつものようにあさっての方向へ走り出した。