(アキラ=モリヤ)
ここラフエル地方にはラフエルリーグとラフエルチャンピオンシップというトレーナーたちにとって大きなイベントが2つ存在する。
ラフエルリーグとは正式にはポケモンリーグラフエル大会のことで、カントーのセキエイ高原に本部をもつポケモンリーグのラフエル支部にあたるものだ。8つのバッジを集めたトレーナーがリーグ優勝を目指し戦いを繰り広げるという他地方と同じシステムで行われる。
一方のラフエルチャンピオンシップはラフエル地方で独自に行われるチャンピオン及び四天王を決める大会でのことを指す。
地方によってはポケモンリーグの優勝者をそのままチャンピオンとしたりチャンピオンリーグなる大会を開催したりしているが、ラフエルではバッジ以外にも条件を設けて厳正に選別されたトレーナーを集めて行われる。そして成績順にチャンピオン以下四人の四天王が決まるということになる。
と、二大大会が並び立つややこしいルールだが人々からは好意的に受け取られている。お祭り好きのラフエルの風土にくわえ興行として地方全体が潤うことがその要因だろう。
そしてそんな今回のラフエルリーグに決意をもって挑むのはなにもトレーナーだけとは限らない。
すぅっと深呼吸をした。そうすることで安らぎの分子が肺に流れ込んでくるような気がした。何せここが彼女にとっての正念場なのだ。
マイクを持つ手の震えを鎮める。語りかけるのはこちらに向けられた大型カメラではなくその向こうにいる視聴者だ。
出された合図に体が自然に反応した。
「リーグ会場のエルメスです! 開会式を控え、スタジアムが凄まじい熱気に包まれている様子が伝わりますでしょうか。ここから生まれる名勝負に期待が高まります!」
何かに突き動かされるように滑らかに言葉が出た。
緊張でカチカチにはなったがそれでも想定していた内容をなんとか噛まずに言い終えることができた。
「はーいオッケーイ。それじゃいったん撤収な」
記者席に戻ったエルメスを他局の先輩記者が迎えた。労いをこめてペットボトルを放って寄越す。
「お疲れさん。急なお鉢だったわりにはなかなかよかったんじゃないのか?」
「ありがとうございます。まあ棚ぼたですよ」
ごっそさんです、とラッパ飲みで一気に流し込んだ。渇いた喉がおいしいみずで潤った。
それにしても本来は局の看板がやるはずだったリポートがまさか自分にまわってくるとは。少々腑に落ちない部分もあるがリポーターとしての仕事が増えつつあることは素直に喜ばしい。
「『このご時世で危ないから行きたくないですぅ』ですって。先週私が行ったマルマイン大爆発祭りの密着取材のほうがよっぽど危険だったっつーの!」
髪がチリチリになっても保険っておりないんですよ、美容院の予約だってなかなかとれないのにとエルメスは口を尖らせた。
「まあまあ。それにこんなご時世にリーグなんてやってる場合かっていうのはごもっともだ。かなりの数のPGが配備されてるらしいがそれでも物騒だしなぁ」
連日報道されるバラル団関連のニュースに彼らも気が滅入っていた。そしてそんな二人の会話で記者席に重苦しいムードが漂う。これはいけない。
「あっ、そういえば今回のリーグはどうなんです」
「そうだな、今回新たにジムバッジを集めきったトレーナーは僅かだ。だから参加人数は例年並みらしい。大会のルールも特に大きな変更はないそうだ。予選リーグをやって勝ち残ったメンバーで決勝トーナメントの流れだな」
二人はすぐに軌道修正を図った。息の合った連携なだけに同じ職場でないのが悔やまれる。
「優勝候補はどの辺りでしょうか」
「そうさなぁ。やっぱりボ――――」
ここでついに周囲の我慢が決壊した。他の記者たちもとにかく自分の予想と一押しトレーナーについて語りたくて仕方がなかったのだ。
「そりゃあもちろんミントちゃんでしょ! なんてったってリーグを七つ制覇してるんだぜ。俺、プロトレーナーチップスでミントちゃんのカード当てるために50袋は食ったもん」
最後のは単なるカロリー自慢だがたしかにミントは強豪トレーナーで通っていた。数時間前にエルメス含め複数の取材を受けていたが、その全てに完全優勝と豪語しておりしかもそれが単なるビッグマウスととられないあたり彼女の評判が窺える。
その後ろから別の記者が体を乗り出した。
「プロトレーナーってんならラガルドも見逃せないぞ。特に最近は調子がいい。シャルムフリーダムマッチでは持ち味を存分に発揮して優勝したしな。君はどう思う?」
このようにラフエルリーグ常連のラガルドも有力な優勝候補に数えられている。チャンピオンシップでの勝ち点が足りず、剥奪されたとはいえ四天王の称号を勝ち取ったこともある凄腕だ。
まだまだラガルドの情報について披露しようとしていた彼をベテランの記者が制した。ワイシャツのくたびれ具合からこの記者席では最年長に思われた彼だがその口から勝者の予想が語られることはなかった。
「おいおい、一点買いは素人がすることだろ。ミントにもラガルドにも可能性はあるんだろうが……まあ伏兵の大物喰いが見られるならそれはそれでスリルがあっていいんだが」
まるで取材よりも、そして勝敗よりも重視している何かがあるような口ぶりだった。
そしてそのままちょいと一服、と記者席をあとにした。
少し面食らったが、勝敗予想にはさらに熱が入った。
「大物喰いならコゴロウが――」
「いやいやあいつの炎ポケモンが――」
「バトル山の――」
プレゼンがオーバーヒートしてきたところでスタジアム全体に放送が入った。
『ただいまよりラフエルリーグ開会式を行います。選手のみなさま、ご来場のみなさま。スタジアム中央のステージにご注目ください』
途端にスタジアムが水を打ったように静まり返った。
『それではフリック市長、よろしくお願いいたします』
金髪が眩しい男性が登壇し、白い手袋越しにマイクをとった。
「今回のラフエルリーグで大会委員長を務めさせていただくペガスシティ市長のフリックです」
俳優のような端整な顔立ちに細部まで弛みのない所作。聴衆は大会委員長の挨拶というより劇場での観劇に近いものを感じたことだろう。
「皆さんもご存知の通り現在このラフエルでは大きな悪意によって多くのものが奪われ、私たちの心は悲しみに満ちています。ですが今この瞬間にも、元の生活を取り戻すため大勢の方々とポケモンたちの力がラフエル全体に注がれています。困難に折れることなく立ち続けるその姿は一市長として本当に頼もしく、さらにラフエルに生きる者として誇りに思っています。人もポケモンもその力には限界があります。しかし仲間に支えられることで、かつての英雄たちのように大きな困難を乗り越えることができると信じています。私たちに今、できること。それはこの大会をさらなる一歩を踏み出すきっかけとすることです。今大会にも素晴らしいトレーナーの皆さんにお集まりいただきました。ラフエル全体を盛り上げるような熱い勝負に期待をしております」
万雷の拍手とともにフリックは降壇し、続いて来賓として招かれていたハロルドが登壇した。彼の挨拶についてはいつも通りの一言で片付くので掘り下げる必要はないだろう。
その後大会ルールの確認や予選リーグの組分けなどが発表され、ラフエルリーグは正式に開幕を迎えた。
その貫禄にエルメスは感心しきりだった。もちろんハロルドではない。
「さすがフリック市長ですよね。あの若さでよくぞ思いきってくれましたよ」
「リーグ側はどうしても開催する気だったらしいが大会委員長がバックにいないとどうしようもないもんな」
ラフエルリーグはラフエル市長の一人が大会委員長を務めることになっている。名誉ある仕事なうえに自らの街のPRにも繋がるので平常時であればその立場は奪い合いになる。しかし開催すら危ぶまれた今回は辞退が相次いだ。
そんななか名乗りをあげたのはペガスシティ市長のフリックだった。
ネイヴュ避難民の受け入れを積極的に進めただけでなく、職を含めた彼らの生活のサポートを万全にしたことで他地方の行政からも注目の的となっていた。その彼が『やる』と言えば誰もが諸手を挙げて賛成するに決まっている。
エルメスも先輩含む他の記者たちもフリックの手腕と決断力を讃える原稿を書くことだろう。『ラフエルを照らす光』に絡めた記事が出回るのはそう遠くない。
とはいえ何事にも例外は存在する。
おそらくそうしないであろう記者が1人、開会式を見もせずに会場の片隅で話していた。聞くべき者が聞いていなかったことが悔やまれる。
「そっちの首尾はどうだ?」
『上々だ。既に3のうち2は済んでいる』
通話の相手はどこか気象の荒れている場所にいるらしく声とともに強い風と雷鳴が聞こえてくる。
「景気がよさそうで何より。ったく、班長連中でよさそうなものをよりによって俺が記者ごっことは超過勤務もいいとこだ。ブラックでもホワイトなのがバラル団じゃないのか」
『まあそう言うな。こっちは私で事足りる。幹部のワース様に御足労いただくのはあまりにも申し訳ない』
ワースはふんと鼻を鳴らし、くたびれたワイシャツの裾を伸ばした。
「幹部のイズロード様々ってわけだ」
どこで差がついちまったかねぇとぼやいた。
『むしろ私からすればそちらも羨ましいがね。イキのいいトレーナーが山ほどいるのだろう? 真の
「記者どもと同じ話題で盛り上がれるなんてつくづく俺たちは幸せだな」
イズロードの側の轟音がさらに強まった。
『お出ましだ。3を3にする時が来た。いい運動になるといいんだがね』
「おう。お前さんの値打ちを見せてやれ。あぁ、あと俺からもよろしくと伝えといてくれ」
豊穣の神に。ワースは通話を切った。
開会式後会場内をふらふらとうろついていたヤシオは見知った顔を見つけて駆け寄った。
「シンジョウさん! やっぱ来てましたか!」
「そっちこそよく会場まで辿り着いたな」
嫌味ではなくヤシオを知る者ならば誰しもが感じることだった。
ヤシオは方向音痴ゆえ苦戦したが、そもそもチャンピオンロードの突破はリーグに参加するための予備選でもある。野生ポケモンや他のトレーナーとの連戦に打ちのめされてしまう者も少なくないのだ。
「市長さんの挨拶! ありゃもう永久保存版だべ。オレがこれまで出たリーグは毎回タマランゼ会長のエンドレススピーチだったからなぁ」
今日のヤシオはいつもの倍喋る。それだけ興奮しているのだろう。
「いやぁオレもう楽しみで楽しみで。そういやシンジョウさんは予選リーグ何組でした?」
「俺はE組だった。そっちは?」
「A組でした。あっけらかんのAですね」
「……A組なら1番コートで最初の試合なんじゃないか」
イッシュの出身でアルファベットの順番には十分に親しんでいるはずのヤシオだが冷や汗が流れた。
「やっべぇ! ちょっくらいってみます! 決勝トーナメントで会いましょうや!」
「あぁ。それまで負けるんじゃないぞ」
表情を変えないシンジョウだが、その内にはリーグの高揚以外のものがあった。
そんなことは露知らずヤシオは足早に駆け出した。見送るシンジョウがどんどん小さくなっていく。
「これよりテスケーノ選手、プリスカ選手、ヤシオ選手による予選Aリーグの試合を始めます。試合は総当たりのリーグ戦形式で行い、1位となった選手が決勝トーナメントに出場となります。使用ポケモンは3体で交代は自由です」
レフェリーが改めてラフエルリーグの公式ルールについて確認した。ジム戦でも聞いていることなので特に驚くこともない。
なんとか開始時間に間に合ったヤシオは話を聞きつつ他の2人を観察した。ヤシオよりだいぶ若いと思われるプリスカは神妙な面持ちでメモを取りながらレフェリーの話を一字一句聞き漏らすまいとしている。着ているネルシャツも背負ったリュックもピカピカの新品であるところから初めてのリーグなのだろう。
問題はもう一人。
「第一試合はテスケーノ選手対ヤシオ選手です。それでは両者、準備をお願いします」
その男は、荒く削った岩石を思わせた。
茶色いヴィンテージもののジャケットに無精髭の目立つ顎。全身から漂う殺気じみたオーラ。PGに通報すれば何らかの理由をつけて連行してもらえそうだった。
「お前、見ない顔だな」
つかつかと歩み寄ってきたかと思えば見た目通りの声で見た目通りのことを述べた。
挨拶は必殺であるというのがヤシオのモットーだ。
「ども。ヤシオっていいます。お手柔ら――」
大柄かつ強面のテスケーノに圧される。
それでも握手を求めたヤシオだったが、テスケーノは応じない。値踏みするかのようにじろじろと対戦相手を観察した。
残念ながらヤシオはお眼鏡にかなわなかったようで。
「俺は前回の大会で決勝トーナメントに出てる。つまり今回も直接決勝トーナメントにいってもいい存在だ」
「いやその理屈はわからんけども」
「とにかく! こんな予選なんて必要ない。カワマタとかいったか? まあせめてウォーミングアップくらいの役には立ってくれよ」
とはいえ鼻っ柱の強いトレーナーは珍しくないし、チャンピオンロードでそれ以上の逸材に遭遇している。ヤシオはテスケーノの手をとって半ば強引に握手した。
「そっけ。準備運動で怪我しないでくんさいね」
「けっ、シードがあれば……」
レフェリーとプリスカが見守るなか、テスケーノとヤシオがそれぞれトレーナーズサークルに立ち最初のボールを手に取った。その動作に一切の迷いもない。
「キノガッサ! やっちまえ!」
テスケーノは一番手としてキノガッサを繰り出した。
ファンシーな見た目のきのこポケモンながらパワーのある格闘戦士でもある。
「いってみんべ、スターミー!」
対するヤシオはスターミーに先鋒を託した。
「試合、はじめ!」
先制したのはスターミー。
「やんぞ、『れいとうビーム』!」
狙いは悪くなかったがキノガッサのフットワークがそれを上回り、『れいとうビーム』はフィールドを冷やしたのみに終わった。
「へっ! そんな攻撃当たるかよ。眠っちまいな! 『キノコのほうし』!」
「『サイコキネシス』!」
キノガッサを見れば誰しもが『キノコのほうし』による眠り状態を警戒する。ヤシオも当然ケアしていた。強力な念力が降りかかる胞子を弾き飛ばし、相性を突いたダメージを与えた。
「あぶいな。寝ちまったらどうしようもねぇ」
しかしここはテスケーノが一枚上手だった。
「かかったな!」
スターミーの頭上に何か固いものが落ちてきた。避ける暇もなくダメージを受けてしまう。
コアが点滅する。効果ばつぐんの一撃をもらってしまったようだ。
「なるほど。胞子に紛れて『タネばくだん』。こいつは痛ぇ。スターミー、ごめんな」
2発目の『タネばくだん』はなんとか回避した。
「あんなこと言われちまったけどオレのほうこそウォーミングアップが必要だったみたいだ。よっし、いぐぞスターミー!」