(マカーシ=リンファン)
「おっ、トオル。買い物帰りか?」
「はい。今晩は鍋にしようと思って」
「鍋かぁ。いいよな、団らんの象徴っていうかさ」
トオルの新たな友人、ザックは何でも屋としてネイヴュ復興に尽力していた。時々その仕事を手伝うこともありこうして会えば立ち話をするほど仲がいい。
「鍋は1人より2人、2人より3人だ。ユキナリさんは今日帰ってくるんだろ?」
「そうみたいです。今から楽しみで楽しみで」
「そっか。よろしく伝えてくれよ。あっ、よいお年を!」
そんじゃあな、とザックはフワライドに掴まって飛び去っていった。
荷物を積んだソリを引きながらトオルは雪原を足早に歩く。
ジムでの一件以来ネイヴュに留まって何かと多忙なユキナリにかわって雑用をしているのだが今日は特別。年末ということもありPG本部への出張からユキナリが久々に帰ってくるのだ。
「とりあえず鍋だよ。大晦日には鍋って昔から決まってる。そうだよな、ブースター?」
別に決まってはいないが。
とはいったものの鍋パへの道のりは険しい。
壊滅的な被害を受け住民の大部分が避難したこの街で物資を調達するのは一苦労だ。定期的にやって来る輸送船を利用するかネイヴュを配達区域から外していない命知らずなネット通販サービスに頼るかの二者択一となる。
そこでトオルが選んだのは後者、ラフエルオフィスサービスが運営する通販サイト『ラフ天市場』だった。その理由は港の集配センターへ自ら取りに行くことで割引になるからという切実かつ単純明快なもの。運動もかねて港まで行き、予算からみてだいぶ奮発した鍋の具材セットを受け取ったというわけだ。
ぱらぱらと粉雪が舞っているが薄く陽が差しており歩くうえで特に支障はない。あとは帰って仕込みを済ませてあるつまみとともにユキナリが戻ってくるのを待つだけだ。自然と足取りも軽くなる。
トオルが世界一周旅行を当てラフエル地方に来てからしばらく経つ。ジムについての論文を執筆するなかで生じた迷いを払拭できたのがこのネイヴュだった。彼のトレーナーである以上やはり勝ちたいという気持ちに火をつけてくれたネイヴュジムとユキナリへの感謝の念は尽きない。
だからこそこのような雪中行軍も苦ではない――――とも言っていられない事態となった。
突然粉雪が豪雪となり、立っているのも困難なほどの吹雪が巻き起こった。たまらずトオルはその場に膝をついた。
ユキナリが口を酸っぱくして言っていたことを思い出す。吹雪を体に受けてはいけない。どんな方法でもよいから一旦身を隠す方法を考えろ、と。
遮蔽物のない雪原だ。道具はないがひとまず積もった雪を固めて塀を作ることで安全を確保した。そして魔法瓶に入れておいたマトマスープを一口。
「ブースター、暖をとらせて」
いくらウォームテックを着込んでいてもさすがに寒い。体温が高く寒さにも滅法強いブースターの存在が何よりありがたかった。そうでなければあの日のヤシオのようになってしまっていただろう。
(さて……)
ネイヴュの天気は変わりやすいがさすがに限度というものがある。さらに、この感覚には覚えがあった。
(ポケモンのとくせい、そして技か)
ユキナリ戦でユキノオーが見せた『ゆきふらし』からの『ふぶき』のコンボに似ている。技の主こそ捉えられないが明確にこちらを狙っていることは間違いない。
そうなると問題となるのはそれが野生のポケモンかトレーナー付きのポケモンかなのだが、それについてもトオルには確信があった。
よく見ると雲が立ち込めているのも吹雪いているのもきれいにトオルの周辺のみ。ここまでピンポイントならば指示を出しているトレーナーの存在は疑いようがない。
このまま隠れ続けていてもじり貧だと判断した。トオルは呼吸を整え、塀から顔だけ出して叫んだ。
「どこの誰だか知りませんが何の用ですか! こちらに戦う意思はありません! いい加減寒いんでそのくらいで勘弁してください!」
最後のは切実な願望。
トオルの叫びは吹雪の轟音のなかに消えていった。これはさすがに無駄なように思われたがそうでもなかった。
吹雪がぴたりと止み、雪原をこちらに向かう足音が聞こえてきた。誰かがいる。そしてその誰かはトオルに敵意を持っている。
「永久の氷獄へようこそ。歓迎いたしますわ」
凍てつくような寒さのなかでもその女性の声はよく通った。
どんな荒くれ者かと思いきやそこにいたのははっきり見ずとも明らかな、こんな場所に似つかわしくない妙齢の美女だった。
御丁寧にもボールから出して連れているキュウコン・ツンベアー・バイバニラの3匹がこの状況をつくりだしていることもすぐに分かった。
さらに彼女についてトオルにはもうひとつ判断材料があった。
「PGの方ですか?」
うっすらと見える彼女が纏った制服。ネイヴュに駐在するPGが着ているものによく似ていた。
「ご明察。私はネイヴュ支部長のカミーラ。見かけない顔ね。さらにソリなんて引いてジムへ向かうなんてドがつくほどの不審者とお見受けします。最近何かと物騒だしここで片付けておきましょう」
カミーラが笑った。紅い唇が血の色に見えた。
トオルの第六感が
「ちょっと待ってください、僕はユキナリさんのところでお世話になっているトオルといいます! 怪しい者ではありません! 必要ならトレーナーカードも学生証も見せます!」
「悪いけど怪しいかどうかはこっちが決めるの。そっちでやっていいのは辞世の句をひねることくらいね」
もちろんこれまでの人生を5+7+5で集約することなんてできるはずもない。警察呼びますよ、も相手が警察なら通用しない。こうなると最早話し合いでの解決は望めないのでトオルに残された手は少なかった。
「それでは遠慮なくいかせてもらいましょうか」
バイバニラの『れいとうビーム』がトオルを襲う。咄嗟に身を伏せて体とソリの荷物を守った。
「隠れていても無駄。『めざめるパワー』」
あれだけ苦労して作った雪の塀があっさりと溶けていく。自身は氷タイプながら炎タイプの『めざめるパワー』を撃っているようだ。
そして寒さと熱さのダブルパンチは相当にきつい。
「危ないでしょうが! PGがそんな横暴、許されるとでも思ってるんですか!」
「私の辞書に乱暴なんて文字はないの」
「酷い落丁だな!?」
続いてキュウコンの『ふぶき』にツンベアーの『いわなだれ』と手を緩める気配がない。
たまらずその場から逃げようとするが雪深く足元が安定しない。雪国出身でないトオルにはフィールドからして酷だった。
「さあさあ。楽しませて頂戴な」
このカミーラ、とにかく話が通じないタイプの人種であることだけは確実なようだ。暖かいジムであつあつの鍋をつつくためにもここを突破しなければならない。
「やるしかないか。ブースター、頼む」
今の純粋な手持ちがブースターしかいないトオルは数のうえでは不利だが、炎タイプだったのは幸運だった。
氷は熱で溶かすのみ。地の利こそ相手にあるが、それでも全く戦えないわけではない。
「ふうん、そのブースターが……」
繰り出されたブースターを見てカミーラは顎に手をあて何事か考えている。
ならばとトオルが先に動いた。
「『だいもんじ』!」
燃え盛る炎がバイバニラを襲った。これは相当効いたようでバイバニラは真後ろに倒れた。
「よし!」
「なにが?」
たった今ブースターに倒されたはずのバイバニラが背後から再び『れいとうビーム』を放った。
「『みがわり』か。ブースター、今度はツンベアーに『でんこうせっか』だ!」
体温が雪を溶かすため雪原でも脚の回転が落ちることはない。ブースターは体ごとツンベアーにぶつかっていった。とにかく的を絞らせないように立ち回りつつ少しずつでも相手にダメージを与えていく。競技としてのポケモン勝負ではなかなか出てこない発想だ。
「今度はキュウコンに『だいもんじ』!」
これもヒット。ここまでカミーラは回避や防御の指示をほとんど出していない。もし舐められているのだとしたら彼にとっては大きなチャンスだ。
「『フレアドライブ』!」
「『れいとうビーム』」
力比べだったが相性の差でブースターが押しきった。
「もういちど『フレアドライブ』!」
バイバニラを蹴りとばし、キュウコンにも大ダメージ必至の攻撃を当てた。
「『れいとうパンチ』」
「『でんこうせっか』」
元の素早さは低くとも小回りが利く。ブースターはツンベアーの一振りをかわして『だいもんじ』を見舞った。
「キュウコン、『ふぶき』。バイバニラ、『フリーズドライ』」
「二枚抜きだ! 『フレアドライブ』!」
容赦ない波状攻撃にもひるまずブースターは周囲に春をもたらすほどの大暴れをみせた。
「なるほど。パワーは申し分ない。シンプルだけど的確な戦法も実戦向き。さらに1対多数もやれる。ただ、手放しには喜べないんじゃない?」
見るとブースターは傷だらけになっており肩で息をしている。反動のダメージがそれだけ重いということなのだろう。
「攻撃力の高いブースターの『フレアドライブ』は一番威力が出る技だけどこれ以上連発すると戦闘不能、かといってそれ以外の技じゃ火力不足。どうするの?」
「くっ……」
これだけ攻めればなんとかなると思っていたが見通しが甘かった。キュウコンが貼っている『オーロラベール』が敵の苦手な技のダメージを軽減しているのもトオルにとっては痛い。
逃げようにもカミーラもそのポケモンたちも隙を与えてはくれないだろう。
「ん?」
するとトオルの懐のボールがカタカタと揺れた。そして1匹のポケモンが勝手に飛び出してきた。
「リオル!? ダメだって。ほら、ボールに戻るんだ」
はもんポケモンのリオルだ。どうやらブースターに代わって戦うつもりのようで覚束ない足取りでキュウコンの前に立ち塞がった。
「あら。他にいるならブースター任せじゃなくていいのではなくて?」
「ちょっと事情があるんです」
カミーラが纏う殺気が一層強くなった。勝負慣れしていないポケモンに対して手加減しようという気配は一切ない。
「まあいいでしょう。ちょっとやりたいこともあったし」
「ブースター、『だいもんじ』」
薙ぎ払うように放たれた炎の塊がキュウコンを牽制した。ブースターが秘めた熱はまだまだ有り余っているようだ。
「まだそんなスタミナがあったの。でももう終わり。キュウコン、『ぜったいれいど』」
力量に差があればあるほど決まりやすい一撃必殺が放たれた。ひ弱なヒトの体ではブースターとリオルを庇うことすらできない。
「断頭台なんて洒落たものはいらないわ。ただ永久に凍りつきなさい」
『ふぶき』や『れいとうビーム』などとは比べ物にならない、質量を持った強烈な冷気が氷の柱となってその場を支配した。それはまさに氷の牢獄。プリズンバッジを携えるトオルにも対処の術はなかった。
(もうだめか……ん?)
目の前に巨大な氷の壁ができていた。これは2つの氷タイプのエネルギーがぶつかりあったことを意味するがトオルの手持ちに氷タイプはおろか氷タイプの技を使うポケモンもいない。
先に事情を察したのはカミーラだった。
「リオルの『まねっこ』。当たってもキュウコンには効かないけど悪くない出来」
リオルが『ぜったいれいど』を真似たおかげで防ぐことができたらしい。
「前にこの技を炎で打ち砕いた憎々しいトレーナーがいたけど、まさか真似ることで防ぐトレーナーがいるとはね。存外ネイヴュも捨てたもんじゃないってことかしら」
「リオル、ありがとう。休んでいいよ」
トオルはリオルをボールに戻し頭を回転させた。防いだはいいがすぐに次がくる。
幸いこの壁が目隠しになり逃げる時間を稼ぐことができる。なんとかジムまで逃げることができればセキュリティを盾に籠城してユキナリが帰ってくるまで凌ぐことができる。
氷技が連発されたおかげでジムの方向へなだらかな斜面ができている。こうなれば走るよりもソリが速い。視界も良くなっておりお膳立てはできていた。
「よし。ブースター、『でんこうせっか』」
紐を咥えたブースターが全力で走った。それが強力な推進力を生み、高速でソリが滑り出す。
ソリはどんどん加速していく。止まる際にはブースターの技を利用すればいいのでそこも問題ない。トオルの策は見事にはまっていた。
「いいぞ。ジムが見えてきた!」
遠くに見えるジムがだんだんと大きくなってきた。オートロックを開けてすぐに閉める。モタモタしなければ問題ない。
「ブースター、ありがとう。戻って休んで」
そしてソリを乗り捨ててたったひとりジムへの道を走る。トオルはポケットの中のカードキーをすぐに出せるよう構えていた。
あと僅か。足の指の感覚はとうになくなっていたがそれでも走る気力は衰えなかった。
(あと少し!)
そして敷地内に入ったところで目の前にカミーラを抱えたツンベアーが降り立った。
「スピード違反。取り締まりの対象よ」
逃げようにも他の手持ちに周囲を囲まれてしまっている。
「残念ね。ミスはなかったけど雪原で私から逃げ切るなんて夢のまた夢ってこと」
「ツンベアーの『ゆきかき』か!」
雪中での素早さが倍加するとくせいはネイヴュならばほぼ永続のものとなる。雪が当たり前の環境ゆえに見落としていた迂闊さをトオルは呪った。
「さぁて。ここまでコケにしてくれたお礼に念入りにヤキをいれぼぼぼぼぼぼぼ」
カミーラが頭から大量の雪を被り沈黙した。
「そこまで。カミーラ、さすがにやりすぎだ」
マンムーに股がったユキナリがそこにいた。トオルは助かったことを実感し、へなへなと座り込んだ。
「間に合ってよかった。港でザックくんに会った時からなんだか胸騒ぎがしてね。その女性はジムで僕に勝ったトレーナーを襲ってはPGに勧誘する困った御仁なんだ。トオルくん、怪我はないかい?」
「ちょっと死にかけただけです……」
カミーラは勧誘を別の何かと勘違いしているのではないだろうか。そう言いたかったがとりあえず今はジムに帰りたかった。
「あらあら。ホントに殺そうとしてたなら今頃は三途の川にいるはずなんだけど?」
雪から脱出したカミーラ。ツンベアーたちがそれをおろおろと眺めている。
「トオルくん、といったかしら。注文はつけたいけどまあ及第点ってとこね。卒業したらPGネイヴュ支部に来ない? 辺鄙な場所ではあるけど金、権力、女、全て保証しますわよ」
「就活に文字通り命をかけたくはないので」
「あら残念」
ユキナリはトオルを助け起こし、マンムーをボールに戻した。
「さあ帰ろうか」
「はい!」
その夜。トオルはユキナリと向かい合って特製鍋を味わっていた。
「それにしてもトオルくん、災難だったね。まあ僕の責任でもあるか。しばらくチャレンジャーに負けてなかったからネイヴュで一番厄介な女性について教えていなかった。申し訳ない」
問題はそこではなかった。
「いや、それはもういいんですけどね。なんでこの人もいるんですか」
トオルの隣で
「ついてきちゃったんだから仕方ないじゃないか。さすがにこの寒さのなかを放り出すわけにもいかないし」
ユキナリのお人好しっぷりにどっかりと胡座をかきカミーラは大口をあけて蒟蒻を頬張った。
「そうよ。蒟蒻は
「ただでさえ寒いのにこれ以上冷やさないでください――――じゃなくって! さっき僕をあれだけ殺しかけておいてなぁにバクバク食べてるんですか! あっ、ユキナリさんそっちのお肉はまだ半生ですよ」
悪びれる様子はない。
「別にいいじゃないの。男だけの辛気臭い空間に華を添えてやろうという粋な計らいと受け取ってほしいですわ。それとユキナリ、その肉団子は私のだからそっちの豆腐にしときなさい」
「辛気臭いのは否定しませんが今度は血生臭いんですけど」
「そこは否定しようか? トオルくんも辛辣過ぎやしないかい!?」
思わぬ流れ弾。
それにしても一回りほどの年齢差があるはずの2人だが食べたり言い合ったりと忙しい。ユキナリは気にせず自分も食べることにした。
「さっきから遠回しに私が図々しいとでも言いたいわけ!?」
「ストレートにそう言ってるんですよ」
「わかってないのね。私の辞書の図々しいは慎ましいの項目に載っていますのよ」
「酷い乱丁だな!?」
「そういえば会合の時にリーグマニアのPGからちらっと聞いたんだけど」
「ユキナリさんも唐突ですね」
ベガスシティのPG本部で仕入れてきたネタについて話したくてウズウズしているのが伝わってきた。
「ヤシオくん、ルシエジムでコスモスに勝ったそうだ。そのままリーグに挑むらしい」
「無事にルシエに着いたことのほうが驚きですよ」
「たしかに」
PGとしての顔を持つユキナリは峡谷でのヤシオとクロックの一件についても知っていたがあえて口にしなかった。
「あぁ、ヤシオって接触しようとしたらその前に迷子になったあのトレーナーね。その子にも唾つけとこうかしら」
「別にいいですけどとりあえず通り魔だけはやめてくださいよ」
今度こそヤシオがミイラになってしまう。ひょっとしたらもうなっているかもしれないが。
なんやかんやで夕食の席は盛り上がり、カミーラがどこからか出してきた酒やキー局の特番など3人はそれぞれの抱える事情をこの一時限りは忘れ楽しんだ。
「おっと。いよいよ今年も終わりか」
「ちがうちがう。来年が今年になるのよ」
心底どっちでもいい。トオルはそう思ったが蕎麦のめんつゆを水で薄めつつ聞き流した。
掛け時計が0時を告げた。
世界がどうなろうとこの瞬間は等しくやってくる。バラル団もジムも長く遠い旅路さえもそれを妨げることはできない。
今年はどんな一年になるだろう。
5+5+5から成る新年の挨拶が居間に木霊した。