金木研はヒーローになりたかったのだ   作:ゆきん子

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21話 金木研 オリジンⅠ

 

『後生だ……行かないではくれまいか……』

 

僕は振り向かずに置いていった。

 

――ねぇ、もし、彼と違う出会い方をしたら、もしかしたら……友人になれたのかもしれないよね?――

 

久しぶりに聞いた"彼"の声は、どこか不安に震えているようだった。

…もしかしたら、彼の声ではなく、諦めきれない僕の願いだったのかもしれない。

 

「……ありえないよ。"喰種"と人間の友情なんて」

 

人の体に発現した個性。

そんなことは言い訳でしかない。

 

僕は、喰種だ。

 

生きる場所が変わったって、世界は残酷だ。

 

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

 

 

 

日曜日。

明日から学校に復帰するという夜に、チャイムが鳴った。

 

初夏の夕食時。日が伸びてきたとはいえ、宅配を頼んだ覚えはないし、約束の無い訪問者が来るのは少し不自然なように思う。

セールスとかだったら、悪いが居留守してお帰りいただこうとドアスコープを覗き込む。

アパートの廊下の薄暗い明かりに照らし出されたのは、縦にきれいに分かれた目立つ紅白ツートーンカラーの頭だった。

 

「はっショ、は?」

 

何も考えずにドアを勢い良く開けると、バンッと大きい音がぼろいアパートに響く。

力加減を忘れて開けた為、ドアチェーンによって横の壁が歪んだ気がしたが――気のせいだろう。

 

焦凍は音に驚いたのか俯いていた顔を上げて肩を跳ねさせた。

 

「あ、カネキ…」

「や…やぁショート。あの、どうしたの、こんな時間に」

「いや、その。入ってもいいか?」

「え?」

 

ドアチェーンに遮られた狭い隙間越しに話していたが、その時丁度焦凍の後ろを通ったお隣の人が変な目で此方を見ている気がして、僕は一度扉を閉めると一瞬の躊躇の後、チェーンを外す。

再び開けると、焦凍は居心地悪そうに立っていた。

何故だろうと隣を見ると、さっきのおばさんがドアを開けてこちらをじっと見ていた。

 

「こ、こんばんは。すいません騒がしくして…」

「あらぁ、いいのよ。今日はお泊りかしらねぇ?」

 

微笑ましげに笑ってゆっくりとドアを閉めて消えたおばさんの言葉に焦凍を見ると、少し大きな荷物を抱えていた。

今日は学校も無いはずだし、わざわざ何を持ってきたのだろう。まさかお泊りセットでもないだろうし。

 

「……とりあえず、入って」

「おう」

 

僕が一歩身を引くと、焦凍は隙間に身を滑り込ませるように入ってきた。

玄関を興味深げに見回す焦凍を尻目に、僕は防犯の為に玄関の鍵をかける。

彼の肩がピクリと反応したのを、僕は目敏く見つけてしまった。

 

「別に取って食ったりしないよ」

「いや、ああ」

 

渾身の喰種ジョークは失敗だったらしく、焦凍はお茶を濁すようにどっちつかずの返事をする。

僕はさして気にすることも無く、先に入った。

 

「どうぞ、上がって」

「…お邪魔します」

 

焦凍は礼儀正しく呟くと、きちんと靴をそろえて中に入る。

そのまま、僕が座るように(すす)めたソファーにどこか遠慮がちに腰掛けた。借りてきた猫みたいだ。

僕は突っ立っているのも変だし、ソファーに一緒に座るのも違う気がして、腕を組んで壁に寄りかかった。

 

「急にどうしたの?別に夜遅くって時間でもないけど…こっちに態々来たってことは、何か用事があったの?」

「あ、あぁ。用事はもう済んだんだが、財布を落として」

「落とした?財布を?」

「ああ。帰りの電車代が無くなっちまった」

「電車代が無いの!?」

 

コクリと頷く焦凍。

現金派だったんだっけ?いまどき珍しいけど、お金でも借りに来たんだろうか。

変に大人しいのはそれが理由か?……いや、それはもっと"別の"理由か。

 

「警察には届けたの?」

「いや、電車代しか入ってなかったから」

 

焦凍はナチュラルにお金持ちだから、もしかしたら財布だけでも値が張りそうだが…。

 

「というか、君って財布をポケットに入れる派だった?どうして…何処で落としたか覚えてないの?」

「え?いや、それは…」

 

「……あのさ、ショート。あまり言いたくないけど、危機意識が少し足りてないんじゃないの。貴重品だよ?それに、君はこんな事言われたくないと思うけど、お金だってお姉さんか、――エンデヴァーさんが稼いだものでしょ。大切にしないと」

「そう、だな。わりい」

「いや…僕はいいけど」

 

部屋に沈黙が流れる。

食材なんて入っていない安物の冷蔵庫のモーター音がやけに大きく響いた。

 

「……なぁ、やっぱり迷惑だよな」

「え?そういうわけじゃないけど…どうして?」

「なんか、ピリピリ?してるっつーか」

「……。ごめん、確かにそうだったかも。何日も謹慎で休んだから、皆に置いて行かれないか心配で。苛々してるのは君のせいではないよ」

 

僕は少し頭が冷えて、穏やかな声を出すように注意して話す。

焦凍はじっと僕の顔…顎?辺りを見ると、目を伏せて静かに頷いた。

 

「で、君はどうして家に来たの?帰りの電車代なら貸すよ?」

「いや、いい」

 

すぐに断った焦凍に首を傾げる。

 

「泊まる」

「……ん?」

「今日は、ここに泊まらせてくれ」

「は?いや、貸すよ。お姉さんが心配するでしょ?」

「連絡は既にしてある」

 

…なんだかやけに準備がいいな。

 

「着替えとか…君と僕は背が10センチ近く違うし、窮屈だと思うよ」

「持ってきてある」

 

焦凍は足元に置いた大きな荷物をポンと叩く。

 

「……教科書類は?」

 

もう一度ポンと叩く焦凍に、僕は文字通り頭を抱えた。

 

「本当に用意がいいね」

「ああ」

 

「はぁーーー」

 

僕は肺の中の空気を全部吐き出すと、気持ちを切り替えた。

こうなったら頑固な焦凍はてこでも動かない。

 

「夕飯は、食べたの?」

「!いや、まだだ」

 

じゃあ、といいかけて、思い出した。

冷蔵庫の中には何も入ってなかった。

というかこの家には炊飯器どころか米すらない。

 

「…じゃあ、コンビニ行こうか」

 

僕は財布と鍵を手にとって焦凍を促した。

 

 

 

 

コンビニの中でどっちがお金を払うか(払うも何も焦凍は財布を()()()()()()()()なのに)一悶着あったものの、またすぐに帰ってこられた。

僕はキッチンスペースに入ると、袋から買った物を取り出していく。

野菜炒め用野菜セットと、レンジでチンするだけのご飯だ。便利だなあと思う。

野菜炒めは二人分と書いてあるが、明日の朝ごはん用に余った分はスープにする予定だから、余って捨てることは無いだろう。調味料は確実に余るだろうが……まあいい。

少し季節外れな気がしないでもないが、急な事だったしコンビニで用意したにしては上出来じゃないだろうか。ついでに冷蔵庫に入っている豚肉も一緒に炒めよう。

 

店長のレシピどおりに作れていればあっさりした味付けのはずの野菜炒めと温まった白米を、焦凍の前にドンと並べる。

 

「…うまそうだな。いただきます」

 

手を合わせてペコッと頭を下げた焦凍は箸を取って野菜炒めを黙々と食べた。

ふと手を止めてこちらを見る。

 

「お前は食わねぇのか」

「うん。食べれないから。それに、お腹空いてないし」

 

焦凍はふうんと言うように頷いて食事を再開する。

予想した上での質問だったのかもしれない。

 

 

 

 

 

「ご馳走さま」

「うん」

 

食器を流しへ片付けながら背後の焦凍に風呂に入るように言うも、焦凍は断った。

 

 

「あのさ、この間のことだけどよ」

「ああ、うん。それね」

 

きた。

ピタ、と僕の手が一瞬止まる。

薄々そうかもしれないとは思っていたが、不自然な泊まりの流れはこの話をする為だったのだろう。

僕は一見何も感じていない風を装って返事をして、振り返る。

 

「お前――敵の肉も食えたのか」

 

些か急だったが、予想通りの質問。

僕は深く息を吸うと、ゆっくり頷いた。

 

「……うん。ていうか、本当は人の肉の方が、この体には栄養として優秀なんだ。黙っててごめんね。人の肉を食べる事は、今後一生無いと思ってたから。……怖い、って言うか、気持ち悪いよね、ごめん」

「おい、」

「あ、さっきの野菜炒めに入ってたのは、勿論豚肉だよ。はは……」

 

「――おい、何勘違いしてんだ」

 

「え?」

「そんなこと一言も言ってねぇだろ。大体、俺は()()()()お前(友達)を見捨てるほどの鬼でも、悪魔でもねえよ」

 

焦凍の左右色の違う美しい目が、僕の醜い心を貫いた。

僕はただ瞳を揺らして彼の目を見つめる。

 

まさか……この子は、人肉を食べるような存在とそれでも一緒にいると言うのか?

彼は、一体どこまで優しい子なんだろう。

直視してはいけない気がして、僕は顔を俯かせた。

 

「ショート……言ってる意味、分かってる?」

「?」

「人の肉でも……いや、人の肉の方がいい、人の肉の方が美味いって言ってるような化け物だよ?」

「いや、それは初耳だ。……だけど、別にこれからも動物の肉を食べるんだろ」

「分かんないだろ、そんなこと。君に隠れて敵を捕まえて、食べてるかもしれないよ?」

「お前はしねぇよ」

 

思ったより近くで聞こえた声に、僕は俯いていた顔を上げた。

焦凍はいつの間にか、僕の目の前に来ていた。

 

「ど、うして?」

「お前は、ヒーローになりてえんだろ!」

「っ!」

 

目を見開く。

僕自身、今後人の肉を食べるつもりは無かった。

ただ、僕よりも僕の事を信じた焦凍に驚いたんだ。

 

 

「ショート」

「なんだ」

「君は……大馬鹿者だね」

「失礼な奴だな。…泣くな」

 

胸が熱い。きゅう、と胸の中にある何か(こころ)が絞られたように苦しい。

絞られたものは、僕の目まで押し上げられてあふれ出した。

顔をくしゃくしゃにして耐えたが、涙は勝手に僕の目から落ちてくる。

一筋の涙、何てかわいらしいものではなく、頬がびしょびしょになったが、どうしても止まりそうになかった。

 

 

ただ、自分の左側が醜いと嫌悪する彼の存在の、なんと美しい在り方か。

彼の存在は、()()()()きりの地獄に垂らされた蜘蛛の糸のようにきらきらしくかがやく。

僕の目には、彼の薄氷(うすらい)色の瞳はとても美しいものに見えた。

 

「お前はやっぱ、カネキだよ。人格とかそういうのは良く分かんねぇけど、少なくとも俺にとってはそうだ」

「うん。……うん、ありがとうショート」

 

 

 

 

 

 

「ごめん、僕、馬鹿な事をずっと考えてた」

「全くだな」

「はは、容赦ないな……」

 

例えば、もう少し背が欲しいと思っていた。友人が欲しいと思っていた。――喰種の僕を受け入れてくれる、友人が。

全てが叶っていると言えるこの世界は、まるで……。

 

「幸せすぎて、夢みたいなんだ」

 

僕は焦凍に笑った。

焦凍は不可解そうな顔をすると、僕の頬に手を伸ばして、途中で止めた。代わりに自分の頬を抓った彼は、「痛え」と呟く。

 

「何してるの……」

「いや、またいつものお前の言葉遊びかと思って。良く分かんねえから、とりあえず俺の目が覚めてることを教えようと」

「ふっ、何それ」

 

 

 

 

 

 

 

――――

 

 

 

目を覚ました僕は、時計を見る。

あれから3時間くらいしか経っていない。でもここ最近では一番長く寝たし、頭もすっきりしている。

僕はベッドから身を起こすと、リビングに繋がる扉をそっと開く。

ソファーから焦凍の長い足がはみ出していた。

 

突然とはいえ――ここ大事――お客さまなのだからと僕はベッドを勧めたのだが、彼は僕の目の下の隈を指摘して譲らなかったのだ。

僕はそっと焦凍をベッドに運ぶと、少し顔を見つめる。

 

多分、財布を失くしただとかは泊まる為の嘘なんだと思う。泊まると言ったのは、いつまでもうじうじと意気地ない僕を、彼自身の言葉で前に向かせるためなんだろう。

普段の彼なら、それをこちらに察する事を要求してくるのだろうけど、彼が言葉で伝えてくれた事が嬉しかった。

 

「……ありがとう。ショート」

 

微かに身じろぎした焦凍。起こしてしまったのかもしれない。

下を向いた拍子に、僕の伸びた髪が視界に垂れ下がった。

 

「おかあ、さ」

 

薄目を開けて僕を見た焦凍は、確かにそう言った。

僕は驚きハッと息を飲んで飛び退る。

 

今ので完全に起こしてしまったかもしれない。息を殺して様子を窺っていると、やがて規則的な寝息が聞こえ始めて肩の力が下りる。

僕は逃げるようにすばやく部屋を出ると、音が出ない様に扉を閉めて、それに寄りかかるようにズルズルと座り込んだ。

 

違う。あれは寝ぼけていたし、薄暗くて見間違えただけだ。

焦凍は、僕を誰かの代わりにするような人じゃない。

さっきだって言ってくれただろう。僕は僕だって。

 

フー、と細く長く息を吐き出した。

不規則な鼓動はもう治まっている。

 

 

 

焦凍の寝息を壁越しに聞きながらも、目は冴えていた。

"僕"は眠るのが上手くない。前世は色々時間が無くて、寝る間を惜しんでいたり精神的にいっぱいいっぱいだったせいで不眠症気味だったが、今の僕のは、その頃の名残――悪癖とも言うそれのせいで、睡眠時間が短い。寝てはいるから、活動に支障はないけれど。

静かな部屋は、考えたくなくてもいろいろな事を考えてしまう。

 

 

 

―――僕が生まれた意味。

何も守れなかったのに、再び生を受けた意味って、何だろうか。

初めは、今度こそ母さんの心を守るために生まれたんだと思った。

父さんが死んだ後、できる事は全てやった。思い付く事は全て試した。

掃除、洗濯、料理に彼女の身の回りの世話まで。

 

結果、彼女は傍に居る息子(ぼく)ではなく、何処にも居ない(ちち)を求め、僕の生きていた場所を……。

僕はもう母に見てもらうことを諦めた。

 

そんな時、中学で僕と同じく一人ぼっちの男の子に出会った。

僕と違って、強い子だった。不器用だけど優しい子だった。

 

僕はこの子を友達(大切)にしようと、この子の友達(大切)になろうと、また努力をした。

誰かを大切にしたいと思いつつ、心のどこかでは、誰かに大切にされたいと願っていたのだろう。

きっと、僕は無意識のうちに轟焦凍でなくても良いと思っていた。

男とか、女とか、老人若人関係なく、僕はただ傷の舐め合いがしたかっただけなのだ。

彼の過去を知った時、僕は似てると思った。僕に、僕の境遇に。

 

僕は傷を慰めているつもりで、いつだって彼に救われていた。彼は、僕のちっぽけな慰めなんて必要としてなかった。

必要ないくらいに強い人だった。

 

結局"僕ら"は前世から何にも成長してない。互いに依存して、そして誰かに依存する。

僕の前世はヒデが救いだった。会えなくても、ヒデとまたくだらない事で笑って、遊ぶ日が来ると思っただけで何でも出来た。

変わらない僕は"いちばんのともだち"になった焦凍を守る事で、自分の存在価値があるような気になってただけなんだ。

 

僕がヒーローを目指した理由。

それは、誰かに必要とされる人になりたかった。

ただ、それだけ。

薄っぺらい僕の理由なんて、皆と比べるのもおこがましい。

 

焦凍じゃなくても良かった。―――初めは。

だけど、彼と接する内に……僕は彼の一番でありたいと思ってしまった。

母の時、僕はもう誰かの一番を諦めたと思った。必要とされれば、記憶の隅に留まる程度でも構わないと思ったのに。

 

だから、僕は決めたのだ。

もう二度と、欲張らない。弱い僕に守れる命には限りがある。母さんの時は失敗したんだ。だったら、僕はこんな僕を"友達"だと言ってくれる焦凍を大切にして、守りたい。

 

 

 

 

――やっぱり、僕らは弱いね。――

 

"僕"の口から零れるように発された言葉が、僕の頭に響くように聞こえた。

 

「うん。僕は、弱い」

 

 

 

 

 

 

 

根っこからヒーローに向いていない。それが、僕だ。

 

 

 

 

 

 




オリジンⅠですが、このまま続く訳ではないです。

金木君と轟君の仲、何でこんなにいいの?っていう方がまだ居たようですが、やっとこさ説明できたような気がします。USJ編のときとか、やたら轟君ばっか心配してたのはこういうことです。
今回の話は割と連載初期の頃から、五本の指に入るほどには書きたかったかもしれない。
ずっと大切に温めてあった、そんなお話です。ほかほかをどうぞ。

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