目覚めると、赤いような、オレンジ色のような、そんな暗い天井が目に入った。
だが、ピントが合ってよく観察すると、窓から入った西日に照らされた白い天井だと気付く。
目だけで周りを見回すと、木で出来たシンプルな箪笥に、洗面台、自分の寝ているベッドだけが目に入る。最低限の家具が置いてあるこの部屋は、よく知るものだ。
病室。
喉がヒクリと引きつった。
この人生で学校の次に多く訪れる公共の場所で、僕の一番嫌いな……苦手な場所とも言えた。
僕は起き上がると、傍に置いてあったピッチャーから水を注いで飲む。
喉の絞まるような感覚は、無理やり押し進む水に負けてほどけた。
そういえば、最後にオールマイトがやってきて気を失ったようだが、あの後どうなったのだろうか。
今は何時だろう。
両方を確認するために、僕は運び込まれた時に一緒に持って来られたらしい荷物から携帯を取り出し、画面を開いた。
パッと明かりがつく液晶には、4時57分と表示された。学校はとっくに放課後だろう。
メールがあるようなので、僕はロックを解き確認する。
三件着信していた。
店長と緑谷君と、焦凍から。
店長のメールは、僕の身を心配する内容と、今度また顔を見せるようにと書いてあった。
僕は次に緑谷君のメールを開く。
内容は、オールマイトが敵を倒した後の報告のようなもの。
事情聴取を受けたとか、血だらけで気を失って運ばれた僕を皆が心配していた旨。
勿論自分も心配していたとその後の行に書いてあって、彼が勘違いをさせないように慌てて付け足しているところが思い浮かんだ。
そして画面を下にスクロールしていくと、少し改行を重ねた後に、何やら謝罪の文が書いてあった。
"それと、ごめん。轟君と金木君が仲良さそうだったからてっきり話してあるものだと思って、轟君に敵の肉の事、思わず話しちゃった。勝手な事をして本当にごめん!……でも、きっと大丈夫だと思うんだ"
画面を凝視する。
大丈夫って……何が?
取り敢えずこの件は置いておこうと、最後のメールを開く。
"話がある。後で、二人で話したい"
焦凍からのメールは、相変わらず短い。
いつもは行間から何となく読み取れる感情が、今回ばかりは全く分からなかった。焦凍はどんな顔で、どんな気持ちでこのメールを送ったんだ?
ていうか、このメール送ったのはいつ?話す前?後?
僕が混乱していると、扉がノックされて肩が跳ねた。
看護師が見回りに来たらしい。そういえば、起きた時にナースコールを押すのを忘れてた。
彼は僕が起きている事に驚いていたが、僕に帰宅の許可が出ている事を告げて去っていった。
普通の会話をして落ち着いた僕は、緑谷君への返信を作成した。
"今起きたよ、心配ありがとう。僕は大丈夫"
送信して、一瞬の躊躇の後画面を閉じた。
「だから、大丈夫って、何がだよ」
呟くと、僕は着せられていた病人服から制服へともぞもぞと着替えた。
コスチュームは、作り直しかな。店長にも後で謝らなきゃ。
いろいろな事が重なり、憂鬱な気分だ。
僕は軽い荷物を肩に掛け、病室の引き戸を開けた。
―――――
次の日、学校に行くと、僕は数人のクラスメイトに取り囲まれた。
峰田君が今にも泣きそうな涙目で僕の足にすがり付いている。
「がねぎぃぃぃ!死んだかと思っだんだぞぉ!!」
泣いた。
僕は困って首を傾げつつも、ごめんねと謝った。
「よく分かんねえけど、緑谷たちと一緒に水難ゾーンからお前が大怪我して敵と戦うのを見てたらしくて」
「そうなんだ」
「てか、髪!どうしたんだそれ、イメチェン?」
上鳴君が僕の頭を指す。
「個性の関係で、ちょっと」
「まじかよ。なんかかっけーな」
「あれか?本気を出すと、「俺はまだ変身を残してる」とか言うやつか?」
切島君と上鳴君が僕を取り囲んでしげしげとまだらに黒が残る白い頭を眺めた。
「変身なんて、大層なものじゃないよ」
「でも、お前昨日めっちゃ強い触手みたいなの出してたよな」
僕のズボンを濡らしていた峰田君が、顔を上げて言った。
尾白君がおお、と声を上げる。
「どんなの?」
「なんか、赤っぽくて…伸縮自在の鞭みたいなヤツ」
やっといつもの調子に戻った峰田君は、目を血走らせて「そう、鞭……」と呟いた。
上鳴君がすかさず彼の額に突っ込みの手を入れる。
「そういうネタやめれ」
「ってぇ、なんだよ女子の前だからって!」
「うるせ」
いつも通りのじゃれあいを笑って見て居ると、切島君が真剣な目でこちらを見ていることに気付いた。
僕は、鼓動が嫌に跳ね上がるのを無視して、無理に口角を上げる。
「…どうか、した?」
「いや、なんかお前、雰囲気変わった?」
「……そう?」
教室の後ろに居る焦凍が、顔を上げてこちらを見るのが分かる。
僕はあえてそちらを見ずに、首を傾げた。
「そうかぁ?いつもこんな感じじゃね?」
「よく分かんないな」
「あれか?強いやつと戦って、強さに目覚める、的な」
「はは、そうかも」
「どんな漫画だよ!」と峰田君と、その意見に同調した僕に危険なセリフで突っ込む上鳴君。
嘘は言っていない。脳無があの場に現れなかったら、もしかしたら一生"僕"は目覚めなかったかもしれない。
そんな事を考えていると、背中を誰かに蹴られた。
「!?」
「邪魔だどけブッ殺す」
さわやかとはお世辞にも言えない朝の挨拶に振り返ると、爆豪君がギッとこちらを睨みつけていた。
朝から何故か怒っているらしい。心当たりが無さ過ぎて困惑する。
爆豪君は特に道を塞いでいる訳ではなかった僕の背中を態々蹴りに来たくせに、無言で睨むと自分の席に乱暴に座る。相変わらず机に足を置くスタイルだ。
「ガラ悪っ!チンピラかよ」
いつの間にか来ていた瀬呂君は、苦笑いで爆豪君に対する感想を言うと、おはようと此方に挨拶をした。
僕は未だに困惑しつつおはようと返す。
「心配したぜ、血だらけで気を失ってたから、マジで死んでんじゃねぇかって、」
「おい」
切島君が瀬呂君の言葉を遮った。
そんなに気を使う事ないのにと僕は苦笑する。
「うん、ありがとう。割と体が丈夫だから何とかまだ生きてる」
僕が冗談っぽく言うと、気遣わしげだった空気が霧散する。
ほっと息を吐く間もなく、また別の人に声を掛けられた。
「金木くん」
「はい。……ミッドナイト先生?」
ホームルームの時刻が近付いたのか、やって来ていた相澤先生の隣にミッドナイトが立っていた。
何となく用件を察した僕は、心配してくれていた子達にそれじゃあと別れを告げて、ホームルームの号令をする相澤先生の声を背にミッドナイト先生に先導されて職員室の方へと向かった。
「連絡が行っていると思うけど、これから警察の事情聴取があるから。校長室へ行ってくれる?」
「はい」
「終わったら話す事があるから、悪いけどまた私のところに来て頂戴。待ってるわ」
「分かりました」
教室まで迎えに来てくれたミッドナイトにお礼を告げて、僕は校長室の扉を叩いた。
事情聴取は、割と早く終わった。
担当してくれた塚内さんという刑事は、良心的で話の分かる人物だった。彼は僕の行動の報告を受けた上で、真摯に聴取を行ってくれていた。
「実は君のお父さんに会ったことがあってね。課は違ったが、とても優秀で優しい人だったよ」
「……そうですか」
塚内さんが、不思議そうに僕を見つめる。
それだけ?と言いたげな視線だった。
僕はにこりと笑って、顎を撫でる。
「僕も、父を尊敬しています」
「そうか。本当に、いい人だった」
しみじみと語る彼の眼は、懐古の情に染まっている。
僕は頭を下げると、失礼しますと言って退室した。
後ろから彼の謝罪の声が聞こえる。何に対する謝罪か分からないが、適当に頷いておいた。
ミッドナイト先生は、僕の姿を目にするとすぐに立ち上がった。
「どうだった?」
「特には…初めての経験だったので、少し緊張しましたけど」
僕が答えると、彼女は一つ頷いて、その大きな目を気遣わしげに細めた。
「あなたの行動は、あの状況では仕方が無かったというのが、雄英教師の中でのおおよその意見よ。ただ、警察との話し合いで、倫理に反するって意見が向こうから上がったから、あなたに罰が与えられる事になったの」
「罰……」
まさか除籍、だろうか。
少し俯いた僕は、目だけでミッドナイトを見上げた。
彼女は安心させるように口角を緩く持ち上げる。
「大丈夫、謹慎処分だけよ。一週間は、無駄な外出と登校を禁止する事になるけど…」
「それだけ、ですか?」
虚を突かれて僕がいくらか目を瞠ると、彼女は眉を顰めた。
ミッドナイト先生は、内緒話でもするように身を屈めて、僕に顔を寄せる。甘い香りにのって潜めた声が、僕の耳や鼻をくすぐった。
「まぁ、そうね。私は別にもっと軽くても…いっそ無しでもいいと思うんだけど、そうも行かなくてね」
彼女が言外に匂わせているのは、警察とヒーローの関係性についてだろう。
ヒーローは個性も使えて、事件や災害等、幅広く活躍をしているため、民衆の覚えも良い、人気職だ。だが、その実強い権限を持っているのは警察の方なのだ。だから、警察側の要求は大体の状況で通される。
ようやく塚内さんの謝罪の意味が分かったが、別に謝る必要なんて無いと思う。
僕がやった事に対して、むしろ軽すぎるくらいだろう。
「分かりました。今日は、もう帰っても大丈夫ですか」
「ええ。大丈夫よ」
その時チャイムが鳴った。一限目が丁度今終わったらしい。
僕は彼女にもう一度お礼と挨拶をして、荷物が置きっぱなしの教室に向かった。
机の荷物を持って、すぐに教室を出る。
焦凍が物言いたげな視線を寄越したが、彼の方はどうしても見れなかった。
廊下を歩いていると、八百万さんと鉢合わせた。彼女は少し驚いたように目を見開くと、誰かを探すようにキョロキョロと僕の周囲を見る。
「やぁ、どうしたの」
「いえ、轟さんとは一緒じゃありませんの?」
「……僕ら、そんなにいつも一緒に居るイメージ?」
「ええ。というか、正直に申し上げますと、金木さんがどんどん先に行く轟さんに付いて回っているように見受けられましたわ。まるで保護者のごとく」
「え、そうなんだ」
何となくショックを受けていると、八百万さんは言いにくそうに口をモゴモゴさせる。
「あの……轟さんが、昨日から金木さんの返信が来ないと言っていましたわ。今日も一言も話していないようですし。……どうしてですの?」
「それは」
彼女は僕の次の言葉を上目遣いで待つ。
真っ直ぐな目に、僕の汚い何かが見透かされそうだった。
「僕が、弱いから……かな」
「金木さんが?」
「うん。僕は弱いよ、とても」
八百万さんはよく分からないと言いたげな複雑な表情を浮かべた。
「私、金木さんと轟さんの、お互いに他とは違う…信頼し合っているような関係を見るのが、案外好きでしたのよ」
「え?」
「付き合いの短い私に言われても、ピンと来ないとは思いますが…」
「いや、そんなこと」
信頼し合う…僕と、焦凍が?
いや、そもそもそうだとして。
彼とその関係を築いたのは"僕"ではない。
同じ人物で、同じ記憶を持っていても、轟焦凍の友達として過ごしたのは"僕"ではない。"彼"は、あれ以来ずっと沈黙を保っている。
僕が以前焦凍に人格の事を話したのは、こんな状況になった時に必要のない戸惑いを無くす為だった。
だが結局、僕の個性のことを知られたら、僕の方が怖くなってしまったのだ。
「轟さんは、あなたのどこを見てお友達になったのでしょうね」
「えっと……。それは、僕が彼の友達として相応しくないとか、そういう?」
「いえ!ですが、他でもない貴方が轟さんの事を知って差し上げませんと、このままでは、」
「ありがとう、八百万さん。君はとても優しいんだね」
微笑んでそういうと、彼女の頬が照れたように赤く染まる。
「じゃあ、僕は行くね」
「あっ…」
彼女はまだ何か言いたげだったが、僕は鋭い言葉のその先を聞きたくなくて逃げた。
また廊下を進むと、今度は猫背の女の子が此方に歩いてくるところだった。今日はよく人と会う。
「金木ちゃん……」
「やぁ梅雨ちゃん」
僕が努めて穏やかに声を掛けるも、彼女は緊張したように人差し指で唇を触っていた。
「ねえ、梅雨ちゃん」
「ケロ、なにかしら」
「僕が……怖い?」
彼女もあの時、緑谷君と一緒に見ていたようだった。
脳無の腕を食べたところが見られたのかは知らないが、奴に開けられたお腹の穴から腸が飛び出した挙句、自分でそれを仕舞って更には無力化するために敵の四肢を奪ったところは見えただろう。彼女の居た水難ゾーンは、僕が戦っていた広場のすぐ近くだ。
「私、思った事は何でも言っちゃうのよ……」
彼女は何かを怖がるように、薄らと目に涙を溜めた。
僕のせいで、泣かせてしまっているのだろう。
彼女の次の言葉は、大体予想が出来る。彼女は僕を傷付けてしまう事を嫌って泣いているのだ。優しい子だと思う。
「だからこそ、君に聞いてるんだよ」
僕は普通に笑ったつもりだが、彼女には自嘲の笑みにでも見えていたのかもしれない。更に困ったような、悲しそうな顔をさせてしまった。
「怖いわ。あなたの個性は強すぎるし、それに平気で自分を犠牲に出来てしまうのも、すごく怖いのよ……」
僕は黙って相槌を打つ。
「お友達だもの。そんな事されたら、私とても悲しいわ」
「ごめんね」
彼女も、八百万さんも、優しい子だ。15歳の少女とは、こんなにも大人びていただろうか。
僕の記憶の高校時代で仲のいい女の子なんて居なかったから、分からなかった。
「ありがとう梅雨ちゃん。友達と思ってくれて、嬉しいよ」
僕は彼女にも別れを告げて、横を通り過ぎる。
「ケロッ、金木ちゃん」
梅雨ちゃんが僕の背中を呼び止めた。
僕は振り向かずに立ち止まる。
「まだ知り合って少しだけれど、私は金木ちゃんがとっても優しい人だって、知ってるわ」
「…そっか」
歩き出そうとした僕を彼女はまた止めた。
「金木ちゃん、何処にも行かないわよね?」
不安そうな彼女の声に、その言葉に驚いて振り向く。
彼女は真剣な顔をしていた。
行くって、何処へ行こうと言うのだろうか。僕には、ヒーロー以外の道なんて…。
僕が中々答えない様子にその表情を曇らせてゆく梅雨ちゃんに、笑いかけた。
「行かないよ。どこにも」
今度こそ、僕はその場を後にした。
あれ、ミッドナイトが流石の貫禄でメインヒロインを手に入れそう笑
:re11巻、出ましたね。少し遠くの書店まで行って、有馬さんのポストカード?(厳密には違いそう)を手に入れました。美しすぎる死神。プライスレス。
テーマは「恋」っぽいようですが、政ちゃん、君のは要らん。うそ、政ちゃんも好き。でも瓜江君は逃げて。
そしてヒロアカ14巻の治崎さんがすんごいわくわくするキャラ。
潔癖症っぽいところにシンパシー感じちゃうかもだ。ペストマスクとか的確に心をくすぐってきてますね。