13話 予兆
「フランツ・カフカ?」
「え?」
焦凍の声に顔を上げると、彼は僕の手にある本の表紙を覗き込んでいた。
僕もそれに習って、本を閉じると表紙を見る。
あの日以降、眼帯に遮られていない視界は広い。
この本は、まさか見覚えのある作家の作品に出会えるとは思わずに、古本屋で名前を見つけた時、つい衝動買いをしてしまったものだ。
変身。
カフカが書いた中でも最も有名だろうこの本しか見つけられなかったが、懐かしさからか最近はよく読んでいる。
「悪い。邪魔したか」
「ううん。内容はもう殆ど覚えてるんだ」
「?じゃあ何で読んでるんだ」
「何でだろうね……。なんだか、思うところがあるのかも。…カフカは、父親に対して"エディプス・コンプレックス"と呼ばれる……まぁ、簡単に言うと強い対抗心を抱いていたんだ。彼の父は家庭内で常に高圧的に振る舞い、大柄で頑強な体を持っていたみたいで、細身のカフカはそんなところにもコンプレックスを刺激されたんじゃないかと言われてる」
「……そうか」
そして菜食主義であり、肉料理は母がいる時にしか食べなかったという。僕はそんなところに共感というか、シンパシーのようなものを勝手に感じていたけれど……。
しまった。本のことになると、つい話しすぎてしまう。
というか言い終わってから気付いたけど、これってちょっと焦凍とその父親のエンデヴァーに似てないか?
注意不足というか……配慮が足りなさ過ぎだった。
しかし焦凍は機嫌が悪くなるというよりも、何か考え込むように僕の本を見ている。
「えと、どうかした?」
「それ、借りてもいいか?」
「えっ!?もちろんかまわないけど…。珍しいね、ショートが僕の本に興味持つなんて」
「あぁ。ちょっとな」
どうせ内容は覚えているし、今の内に渡しておこうと差し出すと、焦凍は短く礼を言って受け取り、かばんに仕舞った。
丁度昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り、相澤先生が入って来る。
彼は前置きもなく、次の授業の説明を始めた。
「今日のヒーロー基礎学だが…俺とオールマイト、そしてもう一人の3人体制で見ることになった」
"なった"、という事は、当初の予定と変わったのかもしれない。
最近の変わったことというと、この間食堂にいる時に起こったマスコミの暴動だろうか?
しかし、ただのマスコミに雄英がこれほど警戒をするだろうか。
いや、待てよ……?
"ただのマスコミ"でも、彼等はプロだ。ネタを獲ってくるのが仕事とはいえ、あんな犯罪スレスレな危険行為を、プロである彼らが犯すだろうか?
よくよく考えると、その可能性はきわめて低い。
雄英を根気良く張っていれば、オールマイトが出勤するタイミングに本人にインタビューだって出来る機会があるかもしれない。
本来の彼らの仕事とは、そういうものだろう。
では、なぜ彼等はセキュリティ3まで突破してきたのだろうか。
考え込む僕の耳に、クラスの喧騒が再び入ってくる。
幸い脳が早く回転してくれていたようで、体感よりも全然時間は経過していなかった。
「ハーイ!何するんですか!?」
瀬呂君が元気良く手を上げる。
相澤先生は彼の問いに答えんと、頭上にカードを掲げた。
「災害水難なんでもござれ。
その言葉と、掲げられた"RESCUE"と書かれたカードに、クラスは途端に騒がしくなった。
しかし相澤先生に凄まれると、すぐさま静かになる。皆、学んでるな。
相澤先生が端末のスイッチを押すと、お馴染みのロッカーが壁の中からせり出してくる。
「今回コスチュームの着用は、各自の判断で構わない。中には活動を限定するコスチュームもあるだろうからな。訓練場は少し離れた場所にあるから、バスに乗っていく。以上。準備開始」
相澤先生らしい、簡潔な説明を合図にして、各々準備に取り掛かる。
とはいっても、大体の人はコスチュームを着るようだ。
僕も少し悩んだが、動きやすさには代えられないだろうとコスチュームを取りに向かった。
―――
美しい死神が、赤ん坊のように蹲って眠る僕を抱きしめた。
死神が、まるで我が子をあやす様に優しく僕を揺らすと、僕の瞼は更に重たくなる。
死神はよく骨ばっかりの姿で描かれるけれど、彼の腕の骨は逞しい筋肉で覆われ、白磁の皮膚を纏っていた。この腕で鎌を振るうのだろうか。―――あれ、槍だったっけ……?
ふと、彼の腕にきつく締められて、僕は薄く目を開けた。
遠くの湖で、沢山の赤い水鳥が一斉に飛び立つ。
僕は、まるで血飛沫の様だと思った。
きれい
なんて美しい世界だろう。あたたかい陽気にまどろむ。
しかし、何かが気に入らなかったのか、死神は僕から体を離した。
心地よいあたたかさが離れていくのを名残惜しむ。
死神は、眠り続ける僕を咎めるように、僕のがんきゅうにきすをする。
そのままつよく吸われて、ぼくのめが―――
「うぐぁっ」
よく分からない悲鳴を上げて飛び起きる。
冷や汗でじっとりしている気がするが、その感覚はすぐにひんやりしていて、それでいてさらさらと乾燥した気持ちの悪い感触へと変わった。
夢見が悪かったのだろうか。気分は最悪だった。
「大丈夫か?」
「あ……僕、どのくらい寝てた?」
冷や汗の感触を打ち消そうと首をさすりながら焦凍に聞く。
そうだ。バスで訓練場に向かっている最中だった。
焦凍は少し考えるように目線を上へ上げると、「ほんの数分だ」と答えた。
「数分か……そっか」
彼と話していたら、ようやく現実に戻ってきたような気がして、深く座席にもたれ掛かる。
幸い、誰も最後尾の僕等の様子に気付いた様子は無かった。
前の席で揺れる耳朗さんの頭をなんとはなしに眺めていると、聞きなれた名前が聞こえてきた。
「派手で強ぇっつったら、やっぱ轟と爆豪だな」
僕は隣の焦凍を横目で見たが、彼は我関せずと言った様子で窓の景色を眺めていた。
前の席の爆豪君は、興味ないと言いたげに「ケッ」と吐き捨てて顔を逸らす。
そんな爆豪君を指差した梅雨ちゃんは、初対面の時に言っていたように、思ったことをそのまま言った。
「爆豪ちゃんはキレてばっかだから人気でなそ」
「んだとコラ出すわ!!」
「ほら」
言った傍からキレた爆豪君を指差す梅雨ちゃん。中々肝の据わった子だ。
「この付き合いの浅さで、既にクソを下水で煮込んだような性格と認識されるってすげえよ」
「てめぇのボキャブラリーは何だコラ殺すぞ!!」
追い討ちをかけるように、なんというかユニークな語彙の選択でそういう上鳴君に、爆豪君はまた暴言を吐く。
「そういえば、金木の戦い方はビックリだよなー。第一印象がこんなに覆った奴は、初めて見たぜ。ピュンピュン跳び回ってたし」
「えっ!?」
僕の話題にはならないだろうと思っていたところに、上鳴君の不意打ちが入ってきた。
「そうね。正直怖かったわ」
梅雨ちゃんの言葉に項垂れる。
「いやほら、あの時僕は敵の役だったから、ちょっと不安を煽る様な、不気味な演技というか……」
「いやー、やりすぎだろー。怒ってたのか?おこ?」
「普段大人しいやつほど……って言うしなー」
僕がしどろもどろに言い訳をすると、上鳴君と切島君がからかう様にニヤニヤしてこっちを見てくる。
止めてくれ……僕はそういう耐性低いんだ。
僕がたらりと頬に冷や汗を垂らすと、隣から視線が刺さった。
じぃっと見てくる焦凍の視線は、純粋に「そうなのか?」と聞いてくる。
「ちがうからね!?本当に。授業中に怒るわけ無いよ」
焦凍と上鳴君、切島君に言い訳っぽく(いや、事実だ)言う僕に、相澤先生から注意が飛んだ。
「おい金木、もう着くぞ。いい加減にしとけよ…」
「す、すみません……」
なんだか納得が行かないが、相澤先生の声で居心地の悪い空気が霧散したのでここは大人になって飲み込もう。
僕は小さく息を吐くと、遠くに見えた山のような物に目を向けた。
か行トリオ(上鳴、金木、切島)仲良く成ってきてる?ような。なってますよね。
口田君も入れたら"か"ルテットになるんでしょうが、喋ってくれない事には…。笑