そんな感じに書いていきたい。そう思います。
中学1年 夏
何処に行ってもついて来る煩わしい視線と声に、俺はいい加減に辟易していた。
じっとりと汗ばむ体にシャツが張り付く感覚も、不快さを後押ししている。
ただ、窓に映るのはいつもと変わらない無表情だった。入学したばかりの頃、姉に「もう少しにこやかにしてみれば」と言われたと事があるが、自分の表情が変わりにくいことは自覚していた。
「轟クーン!」
打ち合わせたように数人の女子が遠くから揃って声をかけてきたので、振り返る。
女子生徒たちは俺が振り向くと「キャー」と叫び、何事かを興奮したように話しながら去っていく。
用件はないらしい。じゃあ何で呼んだんだ。
こういうことは中学に入ってから増えた。
数人に呼び出されたこともあり、「良かったら付き合って」と言われたこともある。
だが、俺には他人の用事に付き合うような時間は無い。そもそも自分の用事に話したことも無い俺を誘うのは普通なのだろうか。
大事な用でも無さそうだし、いつも短く断っていたらその内そういうことも無くなった。
男女問わず纏わりつく視線にいい加減鬱陶しくなった俺は、昼休みを使ってこうして静かな場所を探しているのだ。
そういえば体育館裏はまだ行った事がなかった。今日はそこに行ってみる事にしよう。
体育館裏には、既に先客がいた。
変な奴だった。
3匹の猫に囲まれて、中には膝の上に乗っている奴まで居るのに、構わずに本を読んでる男子生徒。
学年カラーが同じなので、俺と同じ学年なのだろうが見たことが無い。クラスが遠いのだろう。
「あ……どうも」
俺の気配に気付いたそいつは、よく櫛の通された黒髪を揺らしてひょこ、と頭を下げる。
目は合わなかった。
俺のズボンと上履きを見たから、性別と学年だけを確認したかったんだろう。
一匹の猫がそいつの包囲網から抜けて、俺の足元に寄ってくる。
何で猫が。そう思ったが、ここの柵は少し間隔が開いていて、細身の猫なら通ってこれるんだろう。
何にせよ、先客が居たからとまたあの騒がしい校舎に戻るのも面倒だと思って、俺はその場に腰を下ろす。
俺の行動に驚いたそいつは、肩を少し跳ね上げて俺の顔を見る。
その時初めて目が合う。
白い眼帯をしているから片目しか見えないが、確かに目が合った。
俺の顔を認識しただろうが、そいつは何も言わずに視線を本に落とした。
暗い奴だ。と思った。
どこか別の場所を見ているような目をしている……というのは、少し詩的過ぎるだろうか。
いずれにせよ、怯えて逃げるでもなく、好奇の眼差しを向けるでもなく、何も言われないまるで無関心な反応は新鮮だった。
落ちた沈黙に俺はふと気付く。
耳を澄ませば、梅雨の明けたばかりの初夏の風が木の葉を揺らす音と、猫がにゃあと気まぐれに鳴く声、そして少し離れたこいつが本を捲る微かな音しかしない。
大きな体育館で日陰になっているここを通る風は、湿気を帯びているものの涼やかで、心地がいい。
こいつも気にした様子はないし、次から昼休みはここで過ごす事にした。
予鈴が鳴って立ち上がる。
後ろで猫の毛を払うやつに声を掛けるか、クラスと名前だけでも聞いておくべきか。
一瞬悩んだが、別にいいかと思いなおした。
ついさっき会ったばかりで、会話らしい会話もしていない。
名前を聞いたところで、どうなるというのだろう。
俺はワタワタとズボンに付いた猫の毛を取っている奴を横目で見たが、一人で校舎に向かった。
「あ、やぁ」
本を片手に顔を上げたこいつは、いつからか少し困ったような顔で笑うと俺に声を掛けてくるようになった。
俺も頷きを返して、いつものところに座る。柱があるのか等間隔に出っ張っている内の一つのここは、背もたれにもなって座りやすい。
「君、いつもここに来るけど、好きなの?」
「あぁ…静かで、落ち着く」
「そっか。僕も結構好きなんだ。冷房が付いた教室よりは暑いけど、風通しも良くて涼しいし」
「お前、いつも飯ここで食ってんのか」
「うん」
会話が終わる。
――「今度、名前聞いてみるといいわ。きっと仲良くなれる」――
まるで先生のように言った姉さんの言葉を思い出す。…仲良く、なる?
はたしてそれは必要だろうか。
ただ、俺はこいつの名前が気になった。知りたいと思った。
「……そういえば、お前の名前聞いたことねぇ」
「そ、そうだっけ?」
「あぁ」
虚を衝かれたように目を瞠り、どぎまぎと返すこいつに頷く。
何週間も過ごすうちに、いい加減いちいちこいつだのお前だの言うのも面倒だった。それだけだと思う。
「嫌なのか」
「あ、ごめん急だったから」
「急……か?」
首を傾げると苦笑を返される。
急だっただろうか。俺としては以前から疑問に思っていたのだが。
「僕の名前はカネキ。金木研だよ」
「そうか」
「君は?」
「知らねぇのか?」
純粋な疑問だった。
中学に入ったら、"エンデヴァーの息子"である俺の事は大体の奴が知っていた。
話しかけてくる奴も、大抵はエンデヴァーの普段の様子だとかを聞いてくることが大半だ。
「轟君……だよね。流石に知ってはいるけど、こういうのってその人の口から聞くべきじゃないかなと思って」
その考えは、今まで誰の口からも聞いたことが無かった。
大抵の奴は噂で俺の事を知り、俺から俺自身について何かを聞くことは無い。
姉も、こういうつもりで俺に名前を聞く様に言ったのだろうか。
本当のところは分からないが、その考えは俺には好ましく聞こえた。
「……轟焦凍だ」
「そっか。じゃあ、あらためてよろしく。轟君」
「…あぁ、よろ、しく。カネキ」
ぎこちなく返すと、こいつ――金木は気にする様子も無く笑った。
他人とこんなに長く会話したのは、初めてかもしれない。
隣で相変わらず本を読むこいつは、どうやらカネキというらしい。
金木研
やっと聞けた名前は、今まで意識して無かった分、よく聞くようになった。
聞いていて気持ちのいい噂話ではなかったが、「警察官の父親が敵に殺された」とか「母親はパートを転々としていたが、いつからか見なくなった」「母親も死んだのでは」とか。他にも根も葉も無いような噂はあったが、これらが一番多く聞く。
前者はその"物珍しさ"と刺激的な内容に。後者は生徒の親が何人も見聞きしたのだとか。
煩わしい事だ。本人がそう言ったという話は一度も聞こえてこなかった。真実にしろ周りが勝手に話していい内容でもねぇ。
俺は他人を気にかけていることに気付いた。
同族意識…では無いといいが。情けねぇし。
ただ、金木が俺のことを"轟焦凍"として見るなら、俺もそれを返してみようと思った。