我が姓は王、名は允、字は子師。
そして真名は希才、『希望の才気を持つもの』という意味が込められたものだ。
出生は并州太原郡祁県。齢十五。
名士の家で不自由無く無事生き延び、名士らしい教育と生活を嗜みながら平穏平和に今の世を精一杯頑張って歩む才気溢れる若人。
らしい
『らしい』と言うのも致仕方ない。そもそも突出せず平凡平穏でありたい自分にとってこの『希才』という真名や『希望の才気を持つ』とかいう特徴は寧ろ不愉快極まりない物だ。そもそも才だ才だと大した言葉を大安売りするなど薄っぺらい事この上無い。
しかしそんなものは気にせず我関せずで居れば良い、目下問題なのは
比喩でも何でもない表現だが当時…齢八歳の幼い時分ではこの問題の意味すら自らの問題であるのに理解すら出来なかった。
七年前…俺が八の年の頃。北方各所の名士・旧家の集まりで出会った董卓・盧植・丁原・蔡邕という年の近い才女と名高い四人と『お友達』になり、一時はこの四人に
しかし北方とは言え遠い。出向くにしてもガキの時分では到底一人で向かえる距離ではないし、何より所詮はただの『
万策尽きた俺は『
すると初めの内は「ふんふん」と興味ありげに首を振っていた癖に次第に手で口を押さえ始め、震えだしたかと思うと突然大爆笑された。挙げ句家族や侍従の連中に告げ口もされる始末。
信頼を裏切るものに姉も女も関係ない、弟ながら
しかしそこには舌を出しながら「ごめんよ」と笑う姉、何とも調子の良い事だ。気付けば姉の笑顔の前に振り上げた拳は重力に従うかの様に勝手にすり落ちていった。
そのせいなのか何なのか。父母には自意識の薄さを含めあまり家族愛的なものを感じ得なかった俺だが、この馬鹿姉には…悔しいが我ながら珍しくそういった物を感じていたらしい。
「俺らしくもない」
自分らしさなど感じた事も無かったのにそう思わずにはいられなかった。
忘れる前にとりあえず拳骨1つ頭に落としてはおいたが。
その次の日、俺は突然姉に抱き締められた。唐突にそんな事をされたので驚きを隠せる筈もない。
普段から何がしたいのか良く分からん姉であったがなおの事何が何をしたいのか分からない。そりゃあそうだ。自分の事すら分からぬのだから他人の事なぞ本当の意味で分かる訳も無い。
その上、北方の并州太原郡には珍しく炎夏の気候に包まれていた事もあり、正直暑苦しいとしか感じられなかった。
いい加減離して欲しいと思い、少し抵抗を試みたがどうやらこの姉は普段アホ丸出しの癖にやけに力は強いらしい。それに止まらず俺の頭を撫で始めた。
「大丈夫だよ、希才。あたしは希才のお姉ちゃん!そして希才は希才!あたしの愛すべき自慢の弟だよ!」
唐突に抱きついて来たと思えば今度は唐突に訳の分からん事を言い始めやがった。本当にこの姉は突拍子も無いことばかりし始めるのが好きなのか得意なのか…
「…ありがとう、希麗」
まぁ………悪い気分じゃあねぇけど…な。
「あー!やっと真名で呼んでくれたね!もーずっと姉だ馬鹿姉だばかりでお姉ちゃんとっても寂しかったんだよ!」
…もう勘弁してくれ
ところで話を戻そう。
繰り返すようだが俺は自分が全くもって分からない。
話す言葉も、動かす体も、何もかも、確かに自分が意図している事であるのに霞を掴む様な空虚な感覚を感じるかの如く自意識を持てない。
全くもって。
全くもって不可解極まりない。
結局物心付いた幼少の頃からこの15の年になるまで、その答えは理解どころか迷路の入り口にすら辿り着ける気がしない物であった。
だが俺は否応にもそれの正体を思い知ることになる。そう、よりによって感じ始めていた家族への愛が、絆が、無理矢理綻ばされるあの出来事によって…
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~希才齢十五、晩夏の夜~
唸る業火、崩れる火柱、俺達の平穏が灰と化す音が聴こえる。
「逃げろ…お前達だけでも……生き延びてくれ…!」
「私達の事は気にしないで、早く…!」
ある日、平穏の象徴とも言える『俺達』の屋敷は突如表れた紅蓮の悪魔に包まれた。
「イヤだ!イヤだよ…お父様!お母様!絶対!絶対助けるから!」
希麗、馬鹿言うんじゃない、もう助かるはずも無い。
最早助かる見込みの無い父母を助けようとする姉を冷静に諫める時点でそもそも父母は俺の中の『俺達』では無かったのだろうか。
しかし逆に言えば俺は姉を、この大馬鹿で小生意気で迷惑この上極まりない癖に俺を俺だと肯定してくれたこの姉を死なせんとするのは、俺が確実にこの姉に自分に感じる意識以上の何かを感じているからに違いない。
故に死なせない、死なせたくない。
そう思えば人は不思議な物である。
普段力など入れぬ部分に大きな活力が沸くのか、その姉を担ぎ上げては燃える屋敷の出口へ一直線。
さながら雨を避け、巣に必死に戻り帰る野良猫の様な機敏さで駆けていった。
が、しかしだ。そこに現れたのが『ヤツ』だった。
俺を姉ごと蹴り飛ばし、離れ離れにさせた『ヤツ』は正直周囲が真夜中な上逆光で殆ど特徴らしい特徴は見えなかった。
だがおよそ中肉中背、あまり見たことの無い珍しげな服の影をした『ヤツ』は確かに言った。
「これでは何のために
何の事か。
それはその時の俺達にとって大事では無い。
この燃え盛る屋敷の中にどう入ったのか、そもそもこの屋敷内に潜んでいたのか、この火を付けた犯人がこいつなのか。そんなことは今はどうでもいい。
姉だ。希麗はどこだ。俺の、俺のたった一人の…
絶望とは果たしてこういう事なのか。俺が見たものは姉が。
自分の唯一の家族が。
涙を流し、舌を出しながら、
「姉!そこで待ってろ!今行くか「いいんだよ」…?!」
何を言っているんだこの姉は。何がいいのかさっぱり理解出来ない。
「馬鹿な冗談言ってる場合か!クソ、もう少しで出れ「希才!」何だ!」
「お姉ちゃんの最後のお願い、聞いて欲しいな…」
『最後の』お願い?おい、本当に何を言ってやがんだこの姉は。さっさと逃げるんだよ。
「希才…今まで楽しかったね。希才にいっぱいいっぱい迷惑かけて、怒られて、心配かけさてちゃって…」
この非常時にあの馬鹿姉は何を言ってるんだ。いいから早く立て、走れ、生をこんな理不尽な理由で諦めるな。
「昔…言ってたよね。『自分の事が分からない』って…」
それがどうしたんだ。
そんな事はどうでもいいんだ。
早く立ってくれ。
じゃないと。じゃないと…
「あの時あたし思ったんだ。『カッコつけちゃって』って…いつも年の割りに冷静で物静かだったから、さ。珍しく相談事聞いてみたら何言ってるんだろうって……」
本当だ。『何言ってるんだ』はこっちの台詞だ、昔話なんてしてる暇ないだろう。
「でもね!…あたしも落ち着いて考えてみたらさ、希才の事…ちょっとだけ、分かった気がしたんだ…!」
『分かった』…だと?俺ですら俺の事を『分かって』もいないのに?
「きっと希才は誰よりも生意気で!誰よりも無愛想で!頑固でっ!地味でっ!性格悪くて!…老け顔石頭野郎でっ!…でも…でも………誰よりも………誰よりも純粋で、誰よりも優しくって、誰よりも『希望の才気』を持っている。…そんな自慢の弟だって…気付いちゃったんだ…!」
「姉…」
やめてくれ。
やめてくれ。
もうやめてくれ。
既に火の手は姉の柔肌を焦がさんとする勢いで勢い巻いている。
気付いていた。気付かないフリをしていたのだろう。姉を…俺の事を
だからやめてくれ。
もうやめてくれ。
「……死ぬのは恐いよ。悲しいよ…くやじいよっ…!もっと…もっどっ、生ぎだいよ!お父様とお母様と…希才とっ…大好きな人達と皆でずっど…ずっど一緒にいだがっだよぉっ…!!………でも、ね……ううん。
これ以上『優しい言葉』なんてかけないでくれ。
これ以上『俺達の思い出』を増やさないでくれ。
これ以上…これ以上…『後悔をさせないで』くれ。
「生きて…絶対に生きてっ…!皆の分も!あたしの分も!生きて!生きて!生き延びて!絶対に…絶対にっ…!
ドガシャァァーーーーン
……いな、い……………?
いや、『死んだ』のだ…
姉が。希麗が。俺の唯一の
何故だ
何故だ
「何故だ………何故だ……何故だ、何故だ、何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だなんでなんでどうして何故だなんでどうして何故だなんで何故だどうして!!!」
こんな…こんな理不尽なっ…!ふざけるな…!ふざけるなっ…!!
何故死ななければならない!?何故平穏を壊されなければならない!?何故…なんでっ…最期の最期っ…言うに事欠いてっ!
人並みに命乞いすればよい物を!
ただただ泣き叫べばよい物を!
なんで…なんで…なんで『俺の幸せなんか望んだ』んだっ…!!
「クソ、クソぉぉっ…!畜生っ…!畜生がっ…!う、ぐ…ぐ、ぐ…うおおああああああああああああああああああ!!!」
『ヤツ』は既に消えた後だった。
俺を照らすのは満月の怪明。
傍らには残火滴る灰屋敷。
この湿気の多い季節によくもまあここまで燃え尽きたものだ。
泣いたかって?
泣いたさ。
当たり前だ。俺は失ったんだ、『俺の愛すべき姉』を…たった一人の理解者を…
「立たなきゃ…」
そう、前を向かねば。
「行かなきゃ…!」
そう、歩まなければ。
「生きなきゃ…!!」
そう、
なってやる…
絶対になってやる…!
何をしてでも
人を殺めようとも!
騙ろうとも!
盗もうとも!
嘯こうとも!
あらゆる悪に身を染めようとも!
絶対に
そうでなければおかしい。この様な理不尽極まりない目に合い、まるで残夏の蝉の様に無意味に地に落ち果てるなぞ有り得ない!
「諦めるものか…!絶対に諦めるものか!いや、諦めさせて見ろ!この俺を諦めさせて見ろ!生も希望も何もかも!…やれるものならやって見ろぉッッッ!!」
咆哮だ。
この世への、そして自分自身への咆哮。
姉の『願い』と、俺の『誓い』、この2つを成し遂げるための儀式。
必ずや。
必ずや。
必ずや。
必ずや成して見せる。
「まるで獅子の雄叫びねん」
不意の声が聞こえた。俺は自分でも驚くほど冷静に後ろを振り返り、その声の持ち主を確認した。
「アンタ……誰だ…?アンタがやったのか…?屋敷を。俺達をこんな目に合わせたのはアンタか……?」
「アタシの名は貂蝉、この世界線の管理者。…その質問には『いいえ』と答えるわん、そもそも此処には今来たばっかりなのよん?」
正直コイツが『ヤツ』かどうか、と言うよりもコイツの正体が気になる自分がいた。………少し冷静に見てみれば確実に不審者以外の何者でも無い風貌だが。
「そうか…じゃあアンタへんた……いや、客人か?…ここには何もない、あんたがもし王家を訪ねて来たのなら悪いな。…もう王家は俺を除いて滅んだようなものだ…訪ねる意味も無い」
「それは…心中お察しするわん。随分酷い目にあったみたいね…?」
『酷い目』、ね。確かにそうだな。俺はそんな目にあったからさっきの様に叫んだんだ。
…なのに、なのに何故だ?何故自分の感情が分からないのだろうか。
怒りなのか。
悲しみなのか。
憎しみなのか。
悔やみなのか。
呆れたもんだ…こんな事に合ってもまだ俺は自分の事が分からないなんて…まるで白痴だ、自分自身が愚かしくて仕方ない。
「その理由、知りたい?」
「…何だって?」
「アナタがアナタ自身のコトを『分からない』理由…知りたいかしらん?」
奇妙奇天烈摩訶不思議な存在の癖に不可思議な事を言う、不審極まりないな。
「あっら~んアナタ、ちょ~とシツレイなコト、考えてたでしょ~ん?」
「…大当たりだが、なんで分かる……?」
「それは乙・女・の・カ・ン、ってヤツよぉ~ん♪」
…もうコイツ無視しようかな……
「うふふ、そんな顔しないで。アタシもママゴトしに来た訳じゃ無いわ……じゃあ、質問を変えましょうか」
「…と、言うと?」
「『アナタの正体』、知りたくないかしら?」
『正体』。その言葉に抱いた感想としては不気味極まりない物、と言ったところか。まるで自分が世にも不明な人間だと存在を否定された気分とも言える。
平凡を自称する俺がその様な存在と言われるのも気に入らない。
「疑問半分不快半分って顔してるわねん…?いいわん、ヒントを教えてあげましょう」
「ヒントもクソもあるか。こんなもの、質問にすらなってな…………『ヒント』……?」
『ヒント』…だと………?なんだその言葉は?聞いたことも見たことも無いし、当然意味も分からない。
だが………何故だ…?俺は知っている。確かに知っている。『この言葉』の意味を、使い方を………!
「
「………正直、理解が追い付かねぇ」
当たり前だ、そもそも先程まであんな事態に遭遇していた上に今現在こうして意味不明な筋肉ダルマに意味不明な質問をされ…自分自身から
「じゃあなんだ?俺が訳の分からん言葉を使う異国の人間だとでも言うのか?」
平穏を裂く不遇の火
俺を知る不可思議な男
「惜しいわね、正解はこうよ…アナタの正体は……」
自らの正体を知ったあの日
『俺が俺を知った』あの日
「『未来から来た人間』よ」
奇しくも
その日こそ俺の
往事渺茫の
『昔道』
相変わらずまともな恋姫武将が出ませんでした。悲しいね、バナージ