うずまきナルコは木の葉の里の嫌われ者である。
道を歩けば謂れのない誹謗中傷を受け、時には直接的な暴力を振るわれる時さえある。
そしてそれらの嫌がらせの中に、ナルコの最も印象深かったエピソードがあった。
あの日は朝から重い雲が漂っていた。
ナルコは当時四歳。買い出しのため、自宅であるアパートの一室をしばらく留守にしていたのだがーー玄関を開けてすぐだった。
可愛がっていた犬の死骸が転がっていたのだ。
名は付けていなかった。付けるつもりもなかったし、そもそも飼ってさえいなかった。
時折近所の公園へ赴いてーー件の犬はそこを根城としていたーー撫でたり、抱きついたりしていただけだった。そしてその対価として僅かな餌を与えていた。
要はギブアンドテイクの関係だったのだ。この犬は友達でも何でもない。自分とは無関係で、だからこそ、こんな風に殺されていいはずがなかった。
明くる日、ナルコは件の犬を襲ったであろう里の男の元を尋ねていた。
この頃、特にこの男からうける暴力行為が酷かったので、目星はついていたのだ。
『別にあの子は、わたしのこと何とも思ってなかった。エサをくれる人間くらいにしか……なんで殺した!』
『うるせぇ』
男はナルコの腹を蹴りつけながら言った。
『お前が少しでも幸せそうにしてると、ムカつくんだよ』
ナルコは腹を押さえ、痛みに呻きながら思ったものだった。
ーーそれなら自分はもう、誰とも関わり合いにならないでおこう。
うたた寝をしていた。先ほどまで、ナルコは懐かしい夢の中にあった。悪夢の類ではあったが、それでも春のまどろみは気持ちが良かった。
本日は忍者学校(アカデミー)の入学式。
ナルコとその他の新アカデミー生は午前中の内につつがなく式を終え、現在は一年生の教室で担任のうみのイルカより、注意事項、連絡事項等を聞かされていた。今日の日程はこれで全て終了して、12時には解散の予定である。
「あっ、おいアレ」
「ナルコじゃないか…」
「うちの子と一緒の教室なの…?」
「クラス変えてもらえないかしら」
教室の後ろにずらりと並ぶ新入生の保護者たちから声を潜めた騒めき。ナルコはそれを、まだウトウトとしながら聞いていた。
「うずまきナルコ!」
「!」
驚いてパチリと両目を見開くと、目の前にいたのはうみのイルカだった。
……もしかして、自分をアカデミーから追い出すつもりかもしれない。
ナルコがそう身構えていると、頭頂部に硬い感触を感じた。見ると、うみのイルカの拳が自身の頭の上に乗っている。
痛くなかったが、どうやら拳骨のつもりらしかった。
「さっそく居眠りとはいい度胸だな。学校は自分の部屋とは違う! 勝手に話したり、寝たりしてはダメだ! いいな!」
「…………」
「返事!」
「うっさいバカ」
「……!! ナルコ! お前はこのあと職員室へ来い!」
初日からの呼び出しをくらったナルコに周囲から失笑が漏れる。
出どころは保護者の一団からだったが、やがてそれがクラス全体に波及した(といっても、子供たちからのそれは悪意のないものが殆どだったが)
「……先生は何もナルコだけに言っているわけじゃないぞ。みんなも、これからはアカデミー生としての自覚を持って、しっかりと勉学に励んで貰うことになる。それと、保護者の皆さん」
イルカが教室の後ろへと目をやる。
「先ほどから私語が目立ちます。慎んでいただきたい」
教室での説教は以上となった。
新入生たちは解散と同時に保護者の元へと向かい、今後の抱負やら、昼食について話しながらぞろぞろと帰宅を始める。
それを何となしに眺めていると、逃さないようにする為か、ナルコの肩にイルカの手が置かれた。
「お前はこっちだ」
普段なら警戒して逃げる算段を立てるかとっくにそうしていたところだが、親子の波に混じって一人家路を急ぐのもまた惨めに感じ、ナルコは素直に従った。
イルカは教室を出て、玄関口へと向かう親子たちとは逆方向に歩き出した。ナルコもその後ろを付いていく。
二人はまず、一階を玄関を抜かしてぐるりと一周した。
続けて階段を登り、二階もまた一周。ナルコはその途中で職員室らしき部屋を確認したが、イルカはナルコに待つように言って、鞄だけ持って来てまた歩き出した。
二人は三階も同じように回って、屋上へ出た。
「よっと」
ナルコが不審に思う中、イルカは屋上の奥まった所に腰を下ろすと、鞄から茶色の巾着袋を取り出した。そして所在無さげに立ち尽くすナルコに笑いかけると、自身の隣を指差して手招きをしたのだった。
巾着の中はおにぎりだった。
「食うだろ?」
全部で三個あったそれを、イルカは二つナルコへと渡した。
一つ一つが大ぶりで、不恰好で、作った人間の「腹が膨れれば良い」といった思いが透けて見えるそれは、ナルコが初めて口にした他人の手料理だった。
「美味いか?」
「…………」
ナルコが黙々とおにぎりを口に運ぶのを見て、イルカはやがて聞くのをやめた。
階下からは新入生たちのはしゃいだ声が聞こえてくる。ここからは見えないが、もう少し柵の近くに寄ってみれば賑やかに帰宅する親子たちの姿が伺えるだろう。
「……明日からはな、親も来なくなるから」
「…………」
ナルコはやはり答えず、やがておにぎりを全て平らげると、包んであったラップをポケットに突っ込んで帰っていった。結局ずっと表情を変えず、礼も言わなかった。そして、もうその頃には階下に人気はなかった。
ナルコのアカデミーでの生活は意外なほど順調だった。
親から吹き込まれたのか、級友から無視されたり馬鹿にされることは多かったが、別に陰湿な嫌がらせ等は受けず、ナルコはごく普通に授業に取り組むことができた。むしろ家ですることがない分、宿題と予習復習は完璧で、優等生とすら言えた。
ただ、ニコリとも笑わず喋らないナルコは、偶に気遣って掛かる声すら無言で返し、友人関係の進展はさっぱり無いままだった。
ところで、ナルコのこの異常なほど内向的な性格は幼少期の経験を元に形成されたものなのだが、それ以前までさかのぼってみると、本来のナルコは天真爛漫で、屈託のない笑顔の似合う、明るい性格の持ち主であった。
そしてそのような生来の気質は閉じ込めることは出来ても無くなる訳ではない。
そうすると、自然と彼女の好奇心や行動力といったものは精神の牢獄とも言える己の内側へと向けられ、例えば『人は何故生きているのだろう』とか『人は何故こんな形なんだろう』とか、そのようなことばかりをナルコに考えさせた。
そして後に残るのはいつも『無』であった。
いわゆる無我。驚くことに、ナルコは弱冠六歳にしてある種の悟りを開いていた。
その為か。ナルコは己の内側については恐ろしいほどに敏感だった。
それに気がついたのはアカデミーに入学して一月ほどだったか。授業で教えられた『チャクラ』が切っ掛けだった。
『いいか、チャクラとは身体エネルギーと精神エネルギーをヘソの辺りで混ぜ合わせることで生まれる力だ』
ナルコはそれを聞いて怪訝に思った。
何故なら、己の内側からは三つのエネルギーを感じられたからだ。
一つは身体エネルギー、もう一つは精神エネルギーで間違いなかった。イルカに言われた通り、この二つを丹田にて練り合わせることで滞りなくチャクラを精製することが出来たからだ。
問題は正体不明の三つ目のエネルギーだった。いや、これはエネルギーというより、練り合わせた後のチャクラの方に性質が近いような気がした。
練り合わせる必要のあるチャクラと元々そこにあるチャクラ。この二つを視覚的なイメージで捉えると、自身が精製した方を『青チャクラ』元からあった方を『赤チャクラ』と認識することが出来た。
赤チャクラはより大きく、融通が利かない。青チャクラは小さいが、扱いやすい。
ナルコは試しに、アカデミーで習ったばかりの分身の術を赤チャクラで試してみた。
青チャクラではあっさりと己の分身体を作り出すことが出来たが、赤チャクラではまずチャクラを引っ張り出すところから苦労した。
ーーどうやら本当に、自身の中には謎の力が眠っているらしい。
それを自覚した瞬間、ナルコは赤チャクラのトレーニングを開始していた。それが強くなる為の……誰にも頼らず、一人で生きていく為の一番の近道だと、無意識の内に理解したのだった。
「そこまで!」
ナルコがアカデミーに入学してから四ヶ月が経とうとしていた。
前期も終盤へと差し掛かり、本日は最終的な体術の成績を決める為、グラウンドでは忍び組手の試験が行われていた。
「両者、和解の印を!」
号令と共に、たった今勝敗の別れた二人が二本指を重ね合う。こうさせることでアカデミー生同士の遺恨沙汰を防いでいるのだ。
教官であるイルカはそれを見届けると今の試合結果を戦績表に記帳し、次の組である二人の名を呼びあげた。
「次、うちはサスケ、うずまきナルコ!」
今年の一年生は全校で九〇人。ひとクラス三〇人で、男子のクラスが二つとくノ一クラス一つとで綺麗に別れている。故に、通常ならば男子と女子とで授業は別々になるのだが、今回は一年生初めての試験である為、レクリエーションの意味も込めて一年全体、男女合同での実施がされていた。
といっても男子と女子とが実際に組手をする訳ではないのだが、一年生の男女でそれぞれ一名づつの欠員が出た為、一組だけは止む無く男女ペアとなっていた。
「両者、対等の印を!」
イルカの号令に合わせ、ナルコと相手方の男子生徒が片手印をつくる。
人間関係の一切を遮断するナルコは知る由もなかったが、その男子生徒は名家出身のエリートで、更に端正な顔立ちをしていることからくノ一からの評判が非常に良かった。
「あーあ、私もサスケくんとが良かったなぁ」
「私もー! 手取り足取り教えて貰いたかったー! ってか何でナルコが…」
「サスケくーん! そんな無口女ぶっ飛ばしちゃっていいからねー!」
「……ふ、ふん」
まだ女子たちの黄色い声援に慣れていないのか、サスケと呼ばれた男子生徒は少し照れていた。しかしナルコの姿を確認すると一転してふて腐れた様子で「女が相手かよ……これじゃあ勝っても兄さんに自慢できないじゃないか…」と呟いていた。
そしてその声は、ナルコに届くことはなかった。
勝負は一瞬でついた。
いま地面に尻餅をついているのがサスケで、それを悠然と見下ろしているのがナルコだった。
中忍のイルカですら何が起こったか知覚できず、ただ呆然としていた。解ったのは、ナルコが一瞬でサスケに接近し、倒した。ただそれだけであった。
静寂の後、わぁっ、と歓声があがった。その殆どは男子生徒で、サスケの女子人気をやっかんでいた者たちだったが、中には女子も混じっていた。
「あの女つえー! サスケって男子でも一番なのに!」
「一年最強は女ってことかよ」
「ナルコちゃんすごーい!」
「なーんだ、うちはも大したことないじゃん…」
「……っ!」
サスケは尻餅をついたまま、群衆の中からうちはの名を出した生徒を見つけ出し、睨みつけた。その生徒も普段の授業ではサスケに勝ったことがないので、怯んだように人垣の後ろへと後退する。
「ーーくそっ、オイお前!」
「あっ、おいサスケ! 和解の印はどうした!」
サスケはイルカの言葉すら無視して、自身の勝利に対して何の感慨も抱いていなさそうな、どこまでも無表情なナルコへと駆け寄っていった。
ーーこいつ、いったい何者だ!
対面して、サスケは改めて目の前の少女を見据えた。
特徴的な金髪は肩のあたりで乱雑に切り落とされている。恐らく自分でやったのだろう、前髪も眉の上でガタガタの線を描いていて、まるで折れ線グラフのようだった。
身なりは相当に貧相だ。服などしわくちゃで、所々に穴が空いているし薄汚い。
ーーこんなやつに…!
サスケは歯噛みしながらお互いの顔がぶつかるギリギリまで近付き、至近距離でその瞳を確認した。
……暗い青色をしている。
ーーおかしい。さっきはこうじゃなかった。
イルカの開始の合図と共に、サスケはナルコの瞳孔が縦に割れたのを確認していた。そして次の瞬間、やけに周囲がスローモーションに見えて、その中でナルコだけが普通に動いていたのだ。
そしてナルコはその時、瞳の色と同じ赤いチャクラを全身に纏っていた。
ーーこいつの強さの秘密を暴いてやる!
「ナルコっていったか……お前、オレに付き合え!!」
「「「ええー!?」」」
グラウンドに、くノ一たちの甲高い悲鳴が響き渡った。