学園黙示録×瀕死のライオン   作:oden50

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#1st day⑫

 カチ、カチ、と規則的な金属音が手の中で響く。

 手の中の二〇連箱型弾倉に、単三電池よりも若干大きい7.62mmマッチグレード弾をひたすら込めていく。

 一発一発を押し込む度に弾倉のバネが強く反発し、抵抗感が増していく。

 二〇発をフルに装填しようとすると、最後の一発を込めるのには結構な力が必要だ。

 清田は、確実に弾薬が薬室へと送り込まれるように装填弾数を減らし、バネを圧縮しすぎないように気を付けた。

 フルで装填するとそれだけバネを強く圧縮するので、いざという時に弾性が弱って装填不良の原因となるかもしれないからだ。

 二〇発入るところを、十八発の大口径弾を詰め込んだスチール製弾倉はそれでもずしりと重く、振ると薬莢内に充填された炸薬(ガンパウダー)がしゃかしゃかと音を立てた。

 最後に、弾倉を振って掌で叩き、込めた弾薬の並びを均等にする。

 映画などで兵士が弾倉をヘルメットに何度か打ち付けてから装填するシーンがあるが、あれは装填不良を減らす為の工夫だ。ただし、固いもので叩くと暴発の恐れがあるので、清田は掌で叩くようにしていた。

 清田は重くなった弾倉に満足すると、それを弾薬の込め終わった弾倉の列に置き、新たに空の弾倉を手にして次に取り掛かった。

 なんであれ、作業に没頭していれば煩わしい苦悩から解放されるような気がして、清田は目の前の物事にひたすら集中した。

 清田の他には全員が二階の寝室に会しており、黙々と弾込め作業に従事していた。

 沙耶に銃の扱いを教えていると、階下にいた三人が途中で加わり、簡単だが改めて銃と弾薬の取り扱いを教えた。

 昼間に自ら進んで拳銃の扱いを教わろうとした京子が一番、四人の中では習得が早く、次点で沙耶、冴子、静香の順といった具合だ。

 特に冴子は銃に関しては乗り気ではない様子だったが、生き残る手段であればと受け入れた。だが、銃よりも狩猟弓に興味を示し、実際彼女は弓道の心得もある―毒島家の息女として武道全般に精通している―らしく、手に入れた武器を無駄にせずに済みそうだ。

 静香に関しては豊満すぎる乳房が運動に向かない故か、射撃姿勢の覚えが悪かった。

 そうして四人とも一通りの扱い方は覚えたので、今はこうして更に銃へ慣れる為に弾倉への弾込めを手伝って貰っていた。

 銃に早く慣れる為には、日常的に触れる事が近道である。

 清田も入隊当初は銃の分解結合や基本教練を数え切れないほどこなしてから、実弾射撃や戦闘訓練に臨んだ。

 銃に限らず、己の手足の延長とするようになって初めて武器の扱いは上達するのだ。それは刀や弓、槍も同様だろう。

 女性陣が弾込めという何の変哲もなさそうに見える作業に四苦八苦している傍ら、やはり耕太の手付きは淀みなく、滑らかである。

 彼は間違いなく実銃に触れた経験があると見做すべきだろう。それも一度や二度の射撃ツアーではなく、濃密な体験をしている。

 清田は黙々と作業をする間の暇潰しとして、その事について訊ねてみる事にした。

 

「平野君。君は銃の扱いに慣れているようだけど、以前にこういう経験があるのかい?」

 

 待ってましたとばかりに、耕太が誇らしげに答えた。

 

「アメリカに行った時、民間軍事会社…ブラックウォーターのインストラクターに1ヶ月教えてもらいました」

 

 にやり、と唇の端を歪める耕太の愉悦の表情は、何処か人間の暗く澱んだ感情を匂わせた。

 民間軍事会社と言えば聞こえは良く思えるが、結局は金で雇われる傭兵集団である。

 特にブラックウォーターは業界内でも評判はよくない―そもそも彼らPSMCsはどんな形であれ戦争を食い物にしている―ので、それに関して清田はあまり良い感情は持っていない。

 

「そうか…君のような存在は、今は心強いよ」

 

 裏を返せば、平時にあっては危険なオタク少年と言えたが、今は素直に耕太の存在を喜べた。

 己の感情など二の次でいい。大事なのは有効な手段を利用する事に他ならない。

 耕太が銃火器の扱いに精通しているという事実が今は大事だ。

 

「ところで。鞠川先生、その友達とやらは一体どういう人物なんですか?」

 

 清田はずっと気になっていた疑問を、静香に向けた。

 

「警察官をしているわ。確かSATとかいう部隊に所属しているらしいの」

 

 弁当箱ほどもある弾倉に、三インチ・マグナムショットシェルを一個ずつ詰めながら、静香は答えた。

 女性でSATに所属しているという時点で凄まじい女傑であるのは察せられるが、清田は何故か脳裏にとある人物を思い浮かべていた。

 まさか、と思いつつ、その人物について静香に聞いてみる。

 

「SATか…もしかして、その人って、彫りが深い顔立ちで、肌が浅黒い女性ですか?」

 

「ええ、そうよ。でも、どうして清田さんがリカを知ってるの?写真とか家には置いてなかったと思うのだけれど」

 

 静香の言葉に、やっぱりか、と清田は全て得心がいった。

 

「いえ…今更隠すのもどうかと思うので、教えましょう。実は、今日、学園に来る前に床主洋上空港に強襲降下し、既に展開中のSAT部隊と一緒に行動しました。その中で女性のSAT隊員がいたのが強く印象に残ってましたので」

 

 清田の言葉に、静香が食い入るように彼の顔を見た。

 

「リカに会ったの?! あの子は無事だった?!」

 

 おっとりしている彼女らしからぬ反応だった。

 声を荒げ、今にも詰め寄らんとするその表情に、清田は気圧された。

 

「安心して下さい。鞠川先生の友人は健在でした。空港のメインターミナルビルは確保され、今頃は我々の主力が展開している事でしょう」

 

「そう…良かった」

 

 そう言うと、静香は心底から安堵した様子だった。

 しかし世間は狭い、と清田は思わずにはいられなかった。

 まさかあの女ゴルゴが静香の友人とは、一体人と人の関わりは何処で絡んでくるのか予測がつかない。

 清田にとって空港での出来事は苦い思い出しかない。

 今日という一日で様々な戦闘を潜り抜け、名実ともに精鋭となった清田だが、初めての実任務は上手くいかない事ばかりの連続だった。

 どうにかして戦闘が終わると、清田は極度の緊張と疲労によって嘔吐してしまい、その恥ずかしい場面を静香の友人・南リカに目撃されてしまった。

 彫りの深い端整な顔立ちと、なめらかな褐色肌という日本人離れした容姿の美女ならば一目会えば忘れられる筈もない。

 しかもそれがノーメックスフライトスーツと突入装備に身を固めていれば尚更である。

 不敵な笑みを浮かべながら細い葉巻を唇の端にくわえ、此方を見ていた褐色の女傑―エスも大したことないのね、と言われたような気がして、清田は暫く己の不甲斐なさにうんざりしていた。

 その後、ヘリでやってきた剣崎とSATの部隊長が互いに情報交換し、今後の行動方針について話し合っていたが、清田は直後に高城沙耶の保護命令を下されて再出撃したのでリカとはそれきりである。

 恐らく、彼女は無事だろう。

 まず、彼女自身が相当タフであり、加えて特殊作戦群を始めとした各部隊が今頃は空港に集結しているのだ。これで駄目なら安全な場所など日本の何処にもない事になってしまう。

 そうだ。あそこは安全だ。俺の仲間もいる―不意に仲間の安否が気になったが、清田は作業を続けた。

 そうしていると、ぱん、と乾いた音が外から聞こえ、清田は反射的にカーテンを潜ってベランダに出ていた。

 今の音は間違いなく銃声だろう。

 しかも距離はそれほど離れていないと思われ、一気に緊張感が張り詰め、全員が物音を立てずに清田の背中を静観した。

 清田は、ベランダで乾かしていたタクティカルベストのポーチから双眼鏡を取り出し、周囲の路上を観察した―発砲者の姿はすぐに見つかった。

 他よりも一際に群がる<奴ら>の集団の矛先に、上下二連装散弾銃を持った少年がいた。

 年の頃は高校生ぐらいだろうか。

 凶暴な笑みを浮かべた少年は、<奴ら>に向かって銃を撃っている。

 至近距離から浴びせられるダブルオーバックの散弾が、二、三体の<奴ら>を纏めて吹き飛ばす。

 だが、相手を引き寄せ過ぎていた。

 少年は再装填しようとしたが、既に手遅れだった。

 あっという間に<奴ら>の群れに飲み込まれてしまった―皮膚を剥ぎ、肉を貪るように喰われ、骨を噛み砕かれて骨髄を啜られ、まだ血の流れる内臓を引きずり出されている。

 それでもなかなか死ねない少年の断末魔が此処まで聞こえてきて、背筋におぞましい寒気を感じた。

 余所に双眼鏡を向ければ、もう一人、男性が命辛々逃げているのが発見できた。

 <奴ら>の間をすり抜け、掴み掛かる手を彼が躱す度に清田は胸中で冷や冷やし、どうにか逃げ延びて欲しいと祈った。

 男性は決死の逃避行の末、漸く一軒の家に辿り着き、縋り付くように扉を叩いた。

 どうか彼を入れてやってくれ!―しかしその願いは聞き届けられる事はなく、男性は追いついた亡者の群れに背中から引き裂かれ、殆ど間を置かずに血飛沫となって掻き消えた。

 

「酷すぎる…!」

 

 いつの間にか耕太と冴子が横におり、耕太はG28をベランダの手摺に据え付けてその狙撃眼鏡で、冴子はロッカーに入っていた双眼鏡で一部始終を見ていた。

 耕太に関しては、リカの私物であるタクティカルベストを着込んでおり、臨戦態勢を整えていた。

 清田も彼の言葉には同感だったが、かといって自分達にはどうする事もできない。

 全てを救う事など出来はしない。

 これ以上、道連れを増やしても身動きがとれなくなるだけだ―集団の規模が増大すればそれだけ機動力は失われてしまう。

 微かな灯りの中に浮かぶ街のそこかしこでは、亡者たちの陰鬱な晩餐が繰り広げられていた。

 

「慣れておくべきですね。この世界に…」

 

 そう呟く清田の表情は嶮しく、迷いに満ちている。

 

「生き残りたければ…ですね? 清田さん」

 

 その言葉を強く肯定するように、冴子が彼の横顔を覗く。

 清田はその事実を否定できなくて、双眼鏡で熱心に周辺を観察する振りをした。

 

「…清田さん! 十一時の方向! 距離一〇〇!」

 

 そうしていると急に耕太が警告してきたので、清田は咄嗟にその方向に双眼鏡を向けた。

 その光景が網膜に投影された刹那、清田の心拍数は上昇し、瞳孔は開いた。

 鉛を飲み込んだように酷く胃のあたりが重く、口の中が渇いた―背筋に悪寒を感じるほどの忌々しい記憶が蘇り、足元が喪失するような感覚に襲われた。

 血と脳漿に塗れたナイフの刀身が網膜に。

 溜息のような幼子の臨終の吐息が耳朶に。

 汗と乳の入り混じる独特な体臭が鼻腔に。

 骨を刃物でゴリゴリと裂く感触が左手に。

 母の作る甘く優しい卵焼きの味が味蕾に。

 血肉の通っていた生肉を素手で引き裂くように生温かく、痛みと恐怖に満たされた声を、清田の魂は血を吐きながら絶叫した―実際は、声にならない渇いた呻きがその唇の隙間から漏れ出ただけだったが。

 双眼鏡の丸く切り取られた視野の中に、女の子が映っていた。

 視界の中に清田が手に掛けてしまった女の子が映っていた。

 俺は気でも狂ったのか―震え出しそうになる手を誤魔化すように、清田は双眼鏡を強く握り締めた。

 気を落ち着けるように呼吸を穏やかにし、改めて観察すると、その女の子は、あの子とは全く違った。

 年の頃は、あの子と同じで小学校低学年ほどだろう。

 柔らかな亜麻色の癖っ毛を白いカチューシャで留めており、子供らしくピンクのワンピースにレースのカーディガンを羽織っていた。

 不安げな表情をしている顔立ちは愛らしく、左の目元には泣き黒子があった。

 その女の子の手を引く女性は、恐らく母親だろう。

 女の子と同じ亜麻色の癖っ毛と、左目許の泣き黒子までもが同じだった。

 母親のパーカーにチェック柄のスカートといった装いなのに足元はサンダルというちぐはぐな格好から、親子ともども着の身着のままで逃げてきたのが容易に察せられた。

 親子は、必死に亡者の間を掻い潜り、安全な隠れ家を探して走っていた。

 途中、母親は何度も家々に駆け込んでは堅く閉ざされた玄関を叩き、保護を求めたが住人の返答はどれもがつれないものである。

 娘だけはお願いします、とこの距離では声は聞こえないが、必死に訴えかける表情からそう窺えた。

 親子は何件もの家を回ったが、時間が経過するに従って二人をのろのろとつけ回す亡者の数が増えていく。

 あれではじきに逃げられなくなる―清田がそう危惧した直後、最後に訪ねた家屋の軒先で、とうとう親子の進退は窮まった。

 親子は玄関扉を背に、目前の鉄格子の門扉には数体の<奴ら>の姿があり、これでは連中をすり抜けての逃走はもはや不可能だった。

 あの親子が危機から脱するには、家の住人達の良心の在り方次第だろう―だが、その可能性は万に一つもなく、扉は閉ざされたままだった。

 自分達の運命を諦めた母親は、幼い娘を強く掻き抱き、餓えた亡者たちに背を向けてうずくまった。

 抵抗よりも、最後まで愛する娘と共にいる事を選択したのだろう―母親の背に回した女の子の手が、ぎゅう、と迫り来る凄惨な未来を覚悟するように母の衣服を握り締めていた。

 自分の首に回された小さな手が、襟を握り締める感触がフラッシュバックする。

 あの子も最後は覚悟していた。俺に殺される運命を黙って受け入れていた!―あの苦々しい無力感が再び、清田の胸中に蘇る。

 少しも救ってやる事の出来なかった女の子。

 どうしたってただ死ぬしかなかった女の子。

 俺が殺す事でしか楽になれなかった女の子。

 だが、目の前のあの子は、あの女の子と違って母親と一緒に救ってやる事ができるかもしれない。

 その可能性に考えるよりも先に身体が動きそうになったが、清田は寸での所で辛うじて押し留まった。

 あの親子を救う事で少しでも贖罪になるのではないか、と分かり易くもある罪悪感から逃れる方法に直ぐにでも飛びつきたくなる感情を押し殺し、僅かに残った理性的な部分が現状を機械的に分析する。

 あの親子を救う事で得られるものは、果たして相応の価値があるのだろうか?

 自分を含めた残りのメンバーの命を危険に晒してでも救う価値があの親子にはあるのだろうか?

 あの親子を一行に加える事で得られるメリットは何があるのだろうか?

 答えは考えなくても解りきった事だ。

 皆無である。

 あの親子を救う価値は皆無である。

 一行の安全とあの親子の救出は、どうしたって前者を優先するべきだろう。

 単純な算数の問題だ。

 6と2ではどちらが大きな数字だろうか。

 無論ながら6である。

 6>2という数学上の永久不変の真理が覆らない限り、この問題は論ずるに値しない。

 そう、価値がないのだ。

 あの二人には救う価値がないのだ。

 自分のちっぽけな心の安寧や人情を優先するよりも、今は冷酷に徹して、あの二人の命を無価値と切り捨てなければいけない。

 でなければこの先、寄り道ばかりでどうやって一行の安全を守れるというのだろうか?―非人間的とも言える思考の御陰で、清田は真横で聞こえた弾倉を叩き込む音に咄嗟に反応できた。

 清田は槓桿を引こうとしていた耕太の手を無造作に掴んだ。

 

「清田さん?!」

 

 清田の思いがけない行動に、耕太が驚愕の声を上げる。

 彼の手を振り解いてG28の薬室に第一弾を送り込もうとするが、膂力に大人と子供以上の差がありすぎて、耕太にはどうする事も出来なかった。

 

「…撃ってどうする?」

 

 冷たく掠れた声で、清田が訊ねた。

 

「決まってるじゃないですか! あの親子を助けるんですよ!」

 耕太の、至極真っ当な人間らしい感情から迸る言葉が、清田には何よりも眩しく、心に痛かった。

 

「それは此処にいる全員の命を危険に晒してでも?」

 

 対する清田の無情な言葉も、この場にあっては紛う事なき正論だった。

 

「それは…」

 

 熱くなっていた感情に水を差され、耕太が口ごもる。

 

「どちらが正しいと言えますか? 毒島さん?」

 

 清田は耕太の右隣の冴子に目を向け、言葉を促す。

 

「…どちらも正しいと思いますが、我々の状況を考慮すれば清田さんの言葉に従う他ないでしょう」

 

 なるべく感情を表に出さないように、冴子は努めて素っ気なく答えた。

 つい先程、陰惨な世界に慣れるべきだと主張した彼女だが、真っ直ぐな正義感を備えた心はそれを決して許容しないだろう。

 内心では今すぐにでも木剣を携えて亡者の群に斬り込みたいと思っていた。

 胸の前で組んだ腕に、爪を強く立てなければ冴子は自分を押さえきれる自信がなかった。

 

「そういう事だ、耕太君」

 

 マガジン・リリースボタンを素早く押し、清田はG28から弾倉を抜いて銃と共に耕太の手から取り上げた。

 成す術もなく従う他ない耕太だったが、代わりに憎悪と怒りを込めて清田を睨み上げた。

 だが、能面のような顔で清田は平然と受け流した。

 冴子も、氷刃の如く冷たく尖った眼差しを向けてきた。

 

「君はこいつを撃つべきじゃないし、撃つ資格はない」

 

 銃と弾倉を手に、清田は二人の視線が背中に突き刺さるのを感じながら部屋の中に引っ込んだ。

 そして彼を迎えたのは、事態を静観していた残りの三人からの侮蔑の眼差しだった。

 清田武という男に失望した、と言わんばかりの眼差しは、同時に清田を除いた全員から正常な思考が喪われている証でもあった。

 真っ当な正義感と使命感を備える人間であれば、目前で命の危機に晒されている子供を放っておけないだろう。

 尚更、自分達にそれを救うだけの力と手段が存分にある場合は―それは清田武という一個人が、それだけの難事を必ずやり遂げるだろうという期待を抱かせるに足る人物という評価でもあった。

 しかし、その期待は裏切られ、今日一日で積み上げた信頼すら失う結果となってしまった。

 だが、それでもいい―清田はそれらに対して大仰な仕草で肩を竦めて見せ、ベッドの上に銃と弾倉を放り投げて部屋の片隅に移動した。

 向けられる眼差しは非難がましいが、同時に一行の安全を疎かにして、感情による無計画な行動は出来ないという清田の論理を認めてもおり、彼を憎み切れてはいなかった。

 清田は周囲に構わず、屈み込み、目当てのものを手にベランダに戻った。

 清田が手にする代物に、三人とも目を疑っていた―そして、やはり彼という男は見上げた野郎なのだという安堵を覚えていた。

 

「撃つべきはこいつで、撃つ資格は俺にある」

 

 そして清田はタクティカルベストを足元に置き、フルカスタムされたHK416を構え、ACOGサイトを通して、親子に迫ろうとしていた<奴ら>の一体の頭を照準し、引き金を絞った。

 減音された銃声と、機関部が後退する音が響く。

 一〇〇メートル先でその<奴ら>の頭部が、腐った西瓜のように爆ぜる。

 硝煙を燻らせる薬莢が、きん、と鳴ってベランダに転がった。

 事態を飲み込めない冴子と耕太が、清田の言動の不一致な行動に目を見開いた。

 だが、清田は二人に構わず引き金を引き続けた。

 撃って撃って撃って撃ちまくった。

 まるで何かに憑依されたかのように、清田は没頭した。

 親子に迫っていた<奴ら>が次々と頭部を撃ち抜かれ、湿った水音と共に頽れる。

 すると弾倉が瞬く間に空になり、遊底が後退位置で停止した。

 油臭い熱気が解放された機関部から放出され、周囲にモーターの焦げ付いた臭いが立ち込めた。

 

「君はこいつで俺を支援しろ。そして君にこの事態を招かせるような真似はさせられない」

 

 最後にこれを見舞ったらな、と清田が呟くと、ぽん、と溜め込んだ空気が一気に抜けるような音と共に四〇mm擲弾が発射され、放物線を描いて飛翔する。

 親子の後背に迫っていた<奴ら>の新手が道路上で纏めて吹き飛ぶと、清田は固い決意を漲らせた瞳で、二人に向かって頷いた。

 

 

†††

 

 

 開戦の火蓋は切って落とされた―いや、切って落としてやったと言うべきだろう。

 くそったれな世界に対して俺は宣戦を布告する。

 今は小難しい理屈は抜きにしようじゃないか―非人情的な数学上の換算で、清田には目前の親子を見殺しになんて出来そうになかった。

 これが重責を担う立場にある者としては最低の行為であるとは自覚していた。

 だが、もはや体を突き動かす激情を押さえ込める理性も、赴くままに駆動する肉体を宥めるエネルギーも彼には残っていなかった。

 正直に白状すれば、純粋にあの親子を助けたいという利他的な思いと、あの親子を助ける事で殺した幼子に対する贖罪として少しでも自身の心に安らぎを齎したいという利己的な欲望があった。

 むしろ後者の方が強い。

 ああ、そうさ。俺は自分の為にこの集団を危険に巻き込んだ―半ば捨て鉢気味な思考に、自分自身で呆れ果てた。

 そもそも、助けるのに理由が必要なのだろうか。

 敵中に孤立した数人の兵士を助けるのに、航空機などの高価な兵器やありとあらゆる支援パッケージを投入する事など珍しくはない。

 そこで見捨ててしまえば、兵士は軍に対して不信感を抱き、結果として士気の低下に繋がる―それと同様の事が、今は目の前で起きているのだ。

 それに今は立ち直る切っ掛けが必要であり、見捨てていれば一行に芽生えた、自分に対する悪感情を払拭して新たに信頼を積み上げなければいけないという難事が待ち受けている。

 どちらにしろ、あの親子は助けなければいけないのだ―思いつく限りの理由を列挙して、清田は理論武装して己を正当化した。

 清田はタクティカルベストから弾倉を幾つか抜いてベランダの手摺に置くと、撃ち尽くした弾倉と擲弾の空薬莢を小銃から抜いた。

 

「耕太君! 銃の扱いは大丈夫だな?」

 

 ぽかんとしている耕太に、清田は有無をいわさず小銃を押しつけた。

 フルカスタムされたHK416のずしりとした重みに、耕太は慌てて我に返った。

 

「清田さん?!」

 

「そいつで俺を支援してくれ。G28じゃ銃声が大きすぎて目立つからな。ついでにこいつも渡しておく」

 

 清田は耕太に米国ハリス社製の軍用トランシーバーを渡した。

 銃と同じく、ロッカーの中に入っていた代物だ。

 

「チャンネルは既に合わせてある。俺が目標を指示する場合はその通りにしてくれ。それ以外は君の判断に任せる…あと、返事をする必要はない。了解したなら送信スイッチを二回押してくれ」

 

 自前のヘッドセットの端子をもう一個のトランシーバーに差し込み、喉に装着したスロートマイクに向かって声を吹き込んだ。

 

『テスト、テスト、テスト…感明良し、終わり』

 

 耕太の手の中のトランシーバーから清田の声が聞こえた。

 

「あと、グレネードは使うなよ? あれはコツがいるし、慣れないと何処に弾が行くかも分からないからな」

 

 ベストに屈み込み、拳銃の弾倉を幾つか抜き出しながら清田は続けた。

 そして彼が肩越しに振り返っても尚、耕太は固まったままだった。

 

「何をぼさっとしてるんだ! あの二人を助けるぞ!」

 

「は、はい!」

 

 清田の打って変わった態度に耕太はまだ戸惑っていたが、その叱咤で漸く自分のやるべき事を理解した男の表情となった。

 耕太はHK416を構えようとしたが、アクセサリーがしこたま付けられたら小銃は重いので、手摺にグレネードランチャーの装着された銃身を乗せて射撃姿勢を取った。

 

「LET&S ROCK!!!」

 

 レティクルを<奴ら>の頭部に重ね、獣のような笑みを浮かべて引き金を引いた。

 押し殺された銃声と共にサイト内で爆ぜる<奴ら>の頭部に、耕太は思わず射精するほどの快感を覚えそうになった。

 銃火器はしばしば男性器に喩えられ、射撃は射精の代替行為と謂われるが、まさしくそうであると耕太は実感していた。

 釘打ち機なんかでは味わえなかった、本物のスリルと充足感がそこにはあった。

 やっぱりホンモノじゃなきゃ!―引き金を引く度に強烈な解放感を腰骨あたりに感じながら、耕太は他人の銃で次々とヘッドショットを決めていった。

 耕太の活躍を横目に、清田は拳銃の弾倉の幾つかをスウェットのポケットにねじ込むと、立ち上がって冴子に向き直った。

 

「毒島さん。俺はこれから装備を整えてあそこへ向かう。君は女性陣を纏めて不測の事態に備えてくれ」

 

 そう指示を下してこの場を後にしようとした清田だが、冴子が咄嗟にその腕を掴んだ。

 何事かと振り返った清田が見たのは、強い決意を宿らせた冴子の瞳だった。

 

「私も一緒に行きます。いえ、行かせて下さい!」

 

 頑なな冴子の態度と言葉に、清田は少々戸惑った。

 冴子が幾ら達人といえども、木剣では限られた活躍しか出来ないし、一振りで人間の頭部を容易く砕くとは言え、雲霞の如く押し寄せる亡者の前にはやがて力尽きるだろう。

 だが、此処で彼女の申し出を無碍にするのも気が引ける。

 事実、メゾネットを捜索する際には冴子に助けられているのだ。

 彼女の機転がなければ、今頃清田は亡者として徘徊しているか、冴子自身の手で頭を砕かれていただろう。

 清田は逡巡した末に、その申し出を受け入れる事にした。

 

「…分かりました」

 

 清田の了承の言葉に、ぱぁ、と冴子の表情が明るくなる―これから死地に飛び込もうというのに、まるでデートにでも行く年頃の少女のように。

 

「ただし、貴女はあの弓で自分を支援して下さい」

 

 ロッカーの狩猟用コンパウンドボウを指差し、清田は言った。

 

「しかしそれでは」

 

 だが、予想通り冴子は不満の声を上げた。

 やはりこの少女は“こういう荒事”を好んでいる―清田はそんな冴子に若干の畏れを感じながら、言葉を続けた。

 

「今は少しでも火力が欲しいがやたらと銃声は出せません。そこで貴女の弓の腕前が必要なんです。貴女は階段下の門に陣取って、可能な限り支援射撃を行って下さい」

 

 サウンドサプレッサー付きの銃よりも静かな射撃兵器を使わない手はない。

 それに、と清田は腕を掴んでいた冴子の手をやんわりと外し、その掌に親指を立てて軽く握り込んだ。

 

「っつう!」

 

 皮の剥けた掌をテーピングで覆っている今の冴子では、長時間木剣を振るうのも難しいだろう。

 その現実に、漸く冴子も渋々と了承した。

 

「それでは行きましょう」

 

 寝室に足を踏み入れると、残りの三人が清田の指示を待っていた。

 それぞれが銃を手に持っているが、彼女らには銃を撃つよりも重要な役割があった。

 

「三人はもしもの時に備えて荷物を纏めておいて下さい。もし、この場所を今夜中に放棄するのであれば、トランシーバーで連絡します」

 

 ロッカーにあった最後の一個を京子に渡す。

 京子は、一瞬心配そうな表情を浮かべたが、直ぐに気丈な微笑みを見せた。

 

「分かりました。清田さん、毒島さん、気をつけて下さい」

 

 清田と冴子は頷き、戦闘準備を整える為に階下へ急いだ。

 

 

†††

 

 

 乾燥機の中から戦闘服と下着を取り出し、清田は破り捨てる勢いでスウェットを脱いだ。

 アンダーアーマーのスパッツを穿き、難燃繊維のシャツを着込み、厚手の靴下を履き、戦闘服に袖を通す。

 乾き切っていない戦闘服はごわごわしていて、非常に不快だったが清潔なだけマシだろう。

 今は素早い行動が重要なので、重くかさばるタクティカルベストと抗弾ベストは置いていく。

 戦闘服の上着の裾をズボンにたくし込み、丈夫なBDUベルトにレッグパネルとレッグホルスターを括り付け、ファスティックベルトでそれぞれの大腿部に固定する。

 そして簡易サスペンダー付きの弾帯を腰に装着し、手足の装備とヘッドギア類を手にどたどたと玄関へ急ぐ。

 タクティカルブーツの中から湿気取り用に丸めた新聞紙を取り出し、足を突っ込んで紐を強く引き締める。

 自衛官の多くがズボンの裾を半長靴に突っ込むという、米陸軍スタイルだが、清田を始めとした特殊作戦群の隊員は動きやすさを重視して裾は外に出したままの米海兵隊スタイルだった。

 ブーツの紐を結び、膝まで覆う防弾レガースを両脚に、肘まで覆う防弾アームガードを両腕に固定すると、頭に難燃繊維のフェイスマスクと空挺仕様の八八式鉄帽を被った。

 暗視装置は装備する必要がないだろう。街灯などの光源は多くあり、戦闘をするには充分に明るい。

 東富士演習場や北富士演習場も、場所によっては町明かりによって暗視装置が必要ないほどなのだ―日本に於いて全くの暗闇は、人の手の届かないほど奥深い山中にしかないだろう。

 最後にタクティカルゴーグルを目許に下ろして、清田の戦闘準備は完了した。

 

「お待たせしました。それでは行きましょう」

 

 準備を終えるまで待っていた冴子に向き直る。

 彼女はエプロンの上からチェストガードを胸に付け、矢筒を右腰に下げているという格好だった。

 弓を保持する左手にはアームガードを装着し、矢を射掛ける右手にはグローブをはめており、不測の事態に備えて木剣を携えていた。

 裸エプロンというのを除けば、やはり冴子には銃よりも刀剣や弓槍の類がよく似合う。

 それは偏に、彼女が発散する静謐な闘気がそう思わせるのだろう。

 マーシャルアーツやコンバットシューティングでは身に付ける事の出来ない、武道特有の高い精神性を身に付けているからこそ持ち得る雰囲気だ―心手期せずして技が駆動する、達人の妙技を目の当たりにしているからこそでもあるが。

 清田はサプレッサーを銃口にねじ込んだUSPを手に玄関扉を開け、メゾネットの廊下に出た。

 銃身下部に備え付けた、フラッシュライトに照らし出されたそこら中に飛散している血痕は、既に乾いているが鈍い光を反射した。

 侵入しているかもしれない脅威に備えながら足早に廊下を渡り、エントランスを通り抜けてメゾネットの外に出る。

 石畳のアプローチを踏み締め、階段を下りて門扉に到着すると、そこからは耕太が次々と<奴ら>を射殺しているのを確認できた。

 一〇〇メートル程先にいる<奴ら>は、遠目からだと独りでに倒れているように見えるが、実際は耕太が放った銃弾が正確に頭部を撃ち抜いている為だ。

 銃火器からすれば一〇〇メートルなど目と鼻の先にも等しい近距離だが、静標的なら兎も角、多少なりとも移動している動標的に命中させるのは思った以上に難しい。

 ろくに訓練をしなければ、二〇メートルも離れていないE的―自衛隊で使用されている標準的な人型標的―に立射によるCQB射撃を命中させるのも難しいのだ。

 彼は思った以上にやるな―素直に今は耕太の確かな射撃の腕前に感謝したかった。

 清田は喉元のスロートマイクを手で押さえ、声を吹き込んだ。

 

「耕太君。今から門を出る。撃たないでくれ」

 

 カチカチ、と了解の合図が返ってくるのを確認してから、清田は門扉に手を掛けた。

 

「それでは行ってきます…毒島さんは左右の通りから近付く<奴ら>を排除して下さい。正面はなるべく撃たないで欲しい」

 

 狩猟弓の有効射程は銃よりも短いだろうが、射線上で行動しなければならないのは、心情的には嫌なものだ。

 

「分かりました」

 

 冴子は頷き、軽々とした身のこなしで門扉を据え付けている柱の上に登り、狩猟弓を構えた。

 柱の上という、足場が限られているのにも関わらず、冴子は最小限でなおかつ安定したスタンスを取り、ゆるゆると弓を持ち上げ、矢を一本つがえた。

 手近な<奴ら>は二〇メートルほど離れた場所でゆらゆらと動いているが、冴子はしっかりと目標に向かって肩を一直線にし、サイトを覗き込み、弓を保持する左手と矢をつがえる右手で弦の張りを均等にした。

 弓を持つ左手は、右が引く弦に引っ張られすぎないように前に押し出し、右手は引きすぎないように注意し、顎で矢を摘む右手を固定した。

 柱の上からでは路上の<奴ら>を撃ち下ろす形となるが、矢は緩やかな放物線を描いて飛翔するのであまり下に向けすぎると失中してしまう。

 冴子が構える狩猟弓の弦を引く強さは、標準的な七五ポンド(三五kg)であり、鏃の重さは三〇〇グレイン(約二〇グラム)もあった。

 標準的な7.62×51mmNATO弾の弾頭重量は一四七グレイン(約九.五グラム)である事から、限定的な条件下ではあるが弓矢の威力も馬鹿にはならない。

 精神統一し、自然体に、何の意識もなしに、ごく普通に、冴子は右手を離した。

 びゅん、と弦が風を鋭く切り、矢が放たれた。

 大口径ライフル弾の二倍以上の重さがある鏃は、容易く人間の頭蓋骨を貫通し、その脳を破壊していた。

 揺れ動く頭部を正確に射抜いた冴子は、矢を放った反動をフォロースルーした弓を素早く構え直し、腰から新たな矢を手に次の獲物を探した。

 先程の射殺した<奴ら>が頽れる音に引きつけられた新手を次の標的と定め、つがえた矢の照準を定め、弦を引き絞った。

 張力七五ポンドの弦をそのまま引くのは、幾ら冴子が鍛えているとはいえ女性の腕力では難しいが、この狩猟弓には梃子の原理を利用した滑車機構が組み込まれており、それほど強い力は必要なかった。

 二射目も滞りなく頭部に命中させた冴子の腕前に、清田は思わず門扉の柱の上に立つ彼女を驚きの眼差しで見上げた。

 そして、丁度エプロンの下から覗き見る形となってしまったので、Tバックの必要最小限しかないクロッチによってくっきりと形の浮かび上がる、冴子の“女の子の大切な部分”を見てしまった。

 という奴は―清田はフェイスマスクに隠された頬を赤らめ、咄嗟に目を外そうとしたが、ほぼ同時に冴子も足元の清田を見下ろしていて、両者の視線はかち合った。

 

「どうですか? 私の弓も銃にも負けてませんね」

 

 月を背景に涼やかに微笑む冴子は、まさに夜叉のように美しく、ぞくりとした妖艶さを漂わしていた。

 この年齢で、これほどの色気を身に纏っているのだから、一体大人になったらどれだけの美人になるんだ―清田は別の意味で彼女の底の知れなさに畏怖した。

 

「ええ。その調子でお願いします」

 

 清田は若干、羞恥からか掠れた声で応じ、照れ隠しに鉄帽を目深に被り直した。

 冴子は、少し挙動のおかしな清田を不審に思ったが、両者の立ち位置から彼の視界が見る光景について直ぐに察した。

 

「…いえ。気にしてませんよ」

 

 年頃の少女らしい、人並みの羞恥心が冴子にない訳ではないのだが、今はそのような事を気にしている場合ではないと承知していた。

 

「それに、信頼の置ける男性に見られるぐらいなら別に構いませんし…」

 

 ぽそり、と呟かれた囁きは、清田の耳に届く事はなかった。

 

「それでは、此処の守りをお願いします」

 

 気を取り直して、清田は音を立てないように門扉を押し開け、いよいよ敷地の外に足を踏み出した。

 鉄帽の側面に取り付けてあるヘッドライトを点灯し、USPタクティカルを手に構え、握把に追加してあるフラッシュライトスイッチを握り込んだ。

 街灯によって充分な明かりが確保されているとはいえ、光源があっても損はない。

 周囲に感染者の姿は少なく、彼らの意識は一〇〇メートルほど先の民家の軒先で繰り広げられている、一方的な射的ゲームに向けられていた。

 清田は、まるで潜行する巨大な潜水艦のように足音を立てず、亡者の合間をすり抜け、塀に張り付いた。

 そして指を掛け、一気に身体を引き上げて塀の上に立った。

 その塀は、道路と平行して建てられており、件の親子がいる民家の軒先まで続いていた。

 清田ほどの巨漢が上に乗れば、幅の狭い塀の上は流石に場所によっては危うげかもしれないが、道路上を進むよりも安全だろう―尤も、バランスを崩せばそれまでだが。

 拳銃をレッグホルスターに戻し、清田は初めはおっかなびっくり歩を進めたが、やがて慣れてくると小走り程度の早さで塀の上を駆けた。

 一歩一歩が危うげで頼りなげで、やはり道路上を行けば良かったと後悔していたが、交戦する必要がないのは有り難かった。

 やがて修羅場の近くへと至り、清田は再び拳銃を抜いた。

 そこからは軒先にうずくまる親子と、彼女らに迫ろうとする<奴ら>が悉く頭を吹っ飛ばされて頽れる様子が確認できた。

 既に射殺もルーチンワークと化しているのか、民家の門扉の前には折り重なる無害な死者の遺体で土塁が築かれており、親子に迫ろうとしても足を取られて無様に転がる<奴ら>が多かった。

 清田はいよいよ、親子のうずくまる民家の塀の上にまで辿り着くと、巨躯に反して軽やかに敷地内に降り立ち、足早に駆け寄った。

 清田が駆け寄るのと、遺体の土塁を超えて敷地内に<奴ら>が侵入するのは同時だった―恐らく、耕太が再装填する絶妙なタイミングでこれを許してしまったのだろう。

 銃口を<奴ら>に向かって擬し、サイト・アライメント―照星と照門が一直線に並ぶ事―を取り、間髪入れずに引き金を絞った。

 つい癖で、胸と頭部に一発ずつ撃ち込んでしまったが、胸に銃弾を受ければ流石に衝撃で多少なりとも硬直するので効果はある。

 侵入した三体の<奴ら>はきっちり六発の9mmパラベラム弾で仕留め、清田は親子の傍に駆け寄って周辺を警戒した。

 門扉からは新手が押し寄せようとするが、今の三体を除いて撃ち漏らしはないようで、目の前で次々と<奴ら>の頭部が爆ぜていく。

 

「耕太君。親子は確保した。まだ射撃は継続してくれ」

 

 スロートマイクに声を吹き込み、耕太の了解の合図を確認してから、清田はうずくまる女性の肩に手を置いた。

 瞬間、びくりと女性は震え、娘を抱きしめる腕に力を込めていた―が、何時まで経っても襲いくるであろう死者のあぎとの気配がないので、恐る恐る此方を振り返った。

 しかし、清田が被る鉄帽のヘッドライトの光を直視してしまい、目を眩しそうに細めたので、彼は慌ててスイッチを切った。

 女性は細めた目で清田の姿を確認し、感染者ではない事を理解してくれたが、いまいち状況が飲み込めていない様子だった。

 安堵よりも戸惑いが大きいのだろう。

 

「自衛隊の者です。あなた達を助けにきました」

 

 清田は通りを気にしながらそう名乗った―耕太の狙撃の御陰で、<奴ら>の数はかなり減っていた。

 女性は戸惑うというよりも、疑い深い眼差しで清田を眺めたが、漸く状況を理解したらしく、娘を抱いたまま立ち上がった。

 

「親子ともども助けて頂き、なんてお礼を申し上げたら…」

 

 恭しく礼を述べようとした女性を手で制し、清田は自分の口元に人差し指を当てた。

 

「今は静かにして下さい…連中は音に敏感なものですから」

 

 間近で重武装の巨漢に凄まれては、女性は押し黙るしかなく、表情をこわばらせて固く頷いた。

 

「…ママ?」

 

 女性の胸元に顔を埋めていた女の子が、一変した状況に気が付き、恐々と顔を上げて母親の様子を窺っていた。

 

「大丈夫、大丈夫だからね…ありす。もう大丈夫だから……」

 

 押し隠せない不安を誤魔化すように、女性は娘を抱く力を強め、その額に優しくキスをしたり、背中や髪を撫でたりして最愛の者の存在を感じ取ろうとしていた。

 重武装の兵士が助けにきたとはいえ、状況が好ましくない事は承知している―それは冷静に物事を把握している証に他ならないので、清田にとっては有り難かった。

 親子が暫し、束の間の危機を脱したのをしめやかに喜ぶ姿を横目に、清田は拳銃から弾倉を抜いてダンプポーチに放り込み、新しく全装弾された弾倉を装填した。

 そうやって母親に熱烈なスキンシップをされていた女の子だったが、やがて清田の存在に気が付き、ぎょっとした表情を浮かべていた。

 自分の母親よりも、ひょっとしたら父親よりも一回りも二回りも大きな、しかも物々しい格好の大男には怪獣と対面するかのような恐怖を感じているのだろう―それもまた、正常な思考ではあるので好ましい。

 生への気力が失われた、あの幼子の瞳が脳裏に蘇る―何に対しても無関心なあの小さな瞳は、もはや永遠に網膜にこびり付いて離れはしないだろう。

 

「………」

 

 きょとん、とした様子で、女の子は清田を眺めていたが、やおら母親の胸元に顔を埋め、そのまま彼を再び見る事はなかった。

「取り敢えず、此処から移動しましょう…自分の後ろに」

 

「はい」

 

 女性は清田の指示に素直に従い、彼の広く大きな背中の後ろに隠れた。

 

「耕太君。今から親子を連れて外に出る…その前に通りの様子を確認するから気を付けてくれ」

 

 カチカチ、と了解の合図が返ってきてから、清田は門扉の陰から通りの様子を窺った。

 清田と親子のいる民家の周辺に<奴ら>の姿はなかった。耕太が一通り掃討してしまったようで、いたとしてもまだ大分距離があった。

 全て消音器付きの銃火器による射撃だから、あまり遠くの<奴ら>を呼び寄せる事が無かったのだろう。

 民家からメゾネットまでの進路上に脅威と呼べるものは少なく、疎らである。

 

「耕太君。俺がいる民家からメゾネットまでの進路上にいる標的を、君から見て一番手前からどんどん狙撃していってくれ」

 

 了解の返信の後、清田からすると一番メゾネットに近い一体が射殺され、どんどん火線がこちらに延びてきた。

 最初の一体が狙撃されて、地面に湿った音を立てて倒れると、それに釣られて感染者達がメゾネット側に誘導されていく。

 もし、清田達の周辺にいる感染者を狙撃すれば、その音につられてやってくる集団は前後から彼らを挟み込む形となってしまう。

 清田は、少しでも<奴ら>の流れを一方に絞り、挟撃という最悪の状況を作り出さないように留意した。

 暫く、<奴ら>の流れを見極め、充分に距離を取れるほどのスペースがそこかしこに出現したのを確認してから、清田は親子に合図した。

 

「行きましょう」

 

 女性は硬い表情のまま頷き、その背に追従した。

 清田が通りに出て、拳銃を構えながらメゾネットに向けて歩き出す。後方にも<奴ら>の集団を確認しているが、充分に離隔距離は取れているので心配はない。

 問題は、耕太の銃弾が此方に飛んでこないかどうかである。

 メゾネットの二階からだと、かなりの高所からの撃ち下ろしとなるので跳弾も少ないとは思うが、地面への衝突角度が浅ければ此方に飛散しないとも限らない。

 前方では、一体、また一体と、<奴ら>が頭部を撃ち抜かれて頽れていく。

 いい腕だ。その調子だぞ―心の中で耕太に賞賛を送りつつ、清田は慎重に歩を進めた。

 まるで屠殺場で整然と殺されていく家畜のようだが、<奴ら>と家畜には異なる点がある。家畜は食肉にされるのを察して恐怖を感じるが、<奴ら>に感情はない。

 あるのは飢餓感―それすらも怪しいが―だけであり、もはや生物ですらない。

 あと十メートルと少しの距離に迫り、門扉の横の柱の上で狩猟弓を携える冴子の勇ましい姿が確認できた。

 まるで女武者だな―彼女の活躍の御陰か、周囲にあるのは矢を頭部で射抜かれた死体だけであり、清田の指示を忠実に実行していた。

 

「清田さん」

 

 門扉に辿り着き、先に女性を中に入れてやりながら、清田は冴子に向かって親指を立てて見せた。

 それを見て、冴子も緊張を解いた様子で安堵の吐息を漏らした。

 

「耕太君、よくやった。任務完遂…林先生、聞こえていればそのまま聞いて下さい。今夜はこのまま此処で夜を明かしましょう。放棄する必要はありません」

 

 それだけスロートマイクに吹き込むと、清田はゴーグルを鉄帽の上に跳ね上げた。

 だが、まだ終わってはいない―後ろ手で門扉の鍵を閉め、女性に向き直る。

 女性は、まだ硬い表情のまま、自分達の今後の処遇について不安げだ。

 清田は左腕にはめている、カシオのプロトレックに目を落としてから、女性を見た。

 

「もう夜も遅いので、今日は休みましょう…林先生、今から風呂と着替えの用意をお願いします」

 

 スロートマイクに向かって京子に指示を出すと、清田は再びデジタル腕時計の液晶画面のバックライトを点灯させた。

 時刻は既に深夜零時を回っており、日付が変わっていた。

 長い長い一日が終わり、新たな一日が始まっていた。




今回の原作からの変更点

初日で南邸の放棄→二日目まで逗留

希里父子→希里母子(母親は生存)

犬(ジーク)の加入→犬の出番は犠牲になったのだ
         人妻を加入させるという…その犠牲にな

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