ホットスパーズ ~命知らずの騎士と二人の女神~   作:公私混同侍

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時の産声

とある日、恭一朗は家族で美術館に訪れている。久々の外出で美術館を選択したのは正晴の話が頭から離れなかったからだ。妻の麗華(れいか)は雨でも降るんじゃないか思うぐらい不思議に感じていた。恭一朗が芸術に興味を持つことなど一度たりともなかったからだ。

この日、滅多にお目にかかれない『コスモス』が見れると多くの客でごった返していた。恭一朗は恭夜の手を握ると、愛息がいつの間にかこんなにも大きくなっている現実を改めて実感した。ほとんどを研究所で過ごしている人間であるから恭夜の成長を実感する機会が少ない。育児も麗華に任せっきりしていたから罪悪感もある。父親としての責任を身に染みて感じていたのだ。

美術館に入ってみたものの芸術の価値など分かるわけもなく、目当ての作品だけを目で探す。

恭夜は色彩豊かな作品の数々に目をキラキラさせている。麗華も家族水入らずの外出とあって笑顔がはじける。

 

恭一朗「何が楽しいんだ?」

 

麗華「あなたが来たいって言ったんじゃない。もしかして仕事のこと考えてた?」

 

恭一朗「そんなわけないだろう」

 

麗華「ならちゃんと恭夜の手を握ってあげて」

 

恭夜は物欲しそうな表情で見上げている。小さい手を握るとニコッと笑った。

恭一朗は人だかりを見つけ目当てものではないかと目を細めた。

 

麗華「やっぱり凄い人だかりね。そんな立派な作品なのかしら」

 

恭一朗「そんなに流行が大事か。俺には理解しかねる」

 

麗華「あなたは違うの?じゃあ私と恭夜で見に行くね」

 

恭一朗「おい!ちょっと待て!」

 

麗華「何よ」

 

恭一朗「恭夜が怪我をするかもしれない。俺と恭夜で行った方がいいんじゃないか?」

 

麗華「見たいなら見たいって言えばいいじゃない」

 

恭夜の手を引き『コスモス』に近づく。人だかりが壁を作る。絵自体は小学校にある黒板ぐらいの大きさなのだが、飾られている位置が悪く恭一朗の場所からは女神の生え際しか見えない。すると、我慢する事を知らない幼い恭夜は大人達の足の間をするすると入っていってしまった。

 

恭一朗「恭夜?おーい、どこだぁ?」

 

人だかりの前列から悲鳴のような声が恭一朗に届いた。嫌な予感がして逃げたくなった。それでも鑑賞客の迷惑になるのは避けたい。恭一朗は小さい声で居場所をアピールしながら人垣を掻き分けていく。客の目が痛い。死んでしまいたくなるような恥ずかしさに恭夜を見捨てていこうかとさえ思ってしまった。

恭夜は最前列にまで進んでいた。精一杯身を乗り出して小さな瞳で見つめている。恭一朗は目を真っ赤にして拳を落とした。

 

恭夜「いったー!」

 

恭一朗「お前というやつは……」

 

恭夜は目に涙を溜め込む。甲高い声で泣き出した。周りの客が冷ややかな目で二人を見ている。恭一朗はその場を去ろうとするが恭夜は泣きじゃくりながら駄々をこね始めた。抱き上げられた恭夜は周りの大人たちと同じ目線になり女神が見下ろす視野に入った。

 

恭一朗「もういいだろう。後でおもちゃを買ってやるから」

 

おもちゃとは正晴の発明品の事である。無論、買うつもりはない。

 

恭夜「うっ……ひっく……いやだ……」

 

恭一朗「いい加減にしてくれ。ワガママばかり言うとお昼ご飯を食べさせないぞ」

 

恭夜「あー!わらったー!」

 

恭夜は女神の顔を指差しているが周りの客は苦笑いしている。

 

恭一朗「そうか。それは良かったな。もう帰るぞ――」

 

完全に油断した。恭夜は腕から身を乗り出す。指先を懸命に伸ばし絵に触れようとしている。どよめきが起きた。

 

恭一朗「おい!?何をする気だ!?」

 

絵に触れた瞬間、頭がぐらぐらと揺れた。恭一朗の脳内に膨大な情報が流れ込んでくる。

ヒト、文化、伝統、宗教、主義、思想、哲学、戦争、芸術、そして……歴史。

 

ライナ『そこに……いるのね……』

 

恭夜「わぁー!きれー!」

 

ライナ『おね……い……ゲルマ……せかい……たすけて』

 

恭一朗「な、何なんだ!これは――」

 

二人は脳に直接語りかけられ意識を失った。目を覚ました頃には閉館時間が迫る。乗り物酔いのような感覚が残り倦怠感が身体全体に残る。恭夜はまだ夢の中のようだ。

 

恭一朗「うっ……まだ夢の中……ではない」

 

館内は閑散としている。ついさっきまで感じていた冷たい視線は全くない。麗華の姿も見当たらない。

 

恭一朗「このような非現実的な事があり得るのか?まさかテレポートでも――」

 

(うめ)き声が聞こえる。恭夜の声ではない。女の声だ。それに幼い子供だ。

恭一朗はゾッとした。視線が合ったのだ。

 

恭一朗「な、何だ?」

 

サリー「……」

 

麗華「ちょっと、あなた!今までどこに行って……え?」

 

恭夜と同じくらいの年齢に見える少女だ。純真な瞳が淡い光を放っている。麗華はその瞳に強く惹きつけられたようだ。

 

麗華「あなた、この子はどこから来たのかしら?」

 

恭一朗「俺に聞くな。直接聞けばいいだろう」

 

サリー「わ、わたし……」

 

麗華「名前、教えてくれる?」

 

麗華は少女を気に入ったのか色々質問をしていく。少女の名前はサリー。年齢は四歳。恭夜より二つ年上だ。

 

麗華「パパとママはどこにいるの?」

 

サリー「わたし、パパとお馬さんに乗ってて……それで……」

 

麗華「どうしたらいいのかしら?」

 

恭一朗「頭をぶつけて記憶障害を起こしてるのかもしれないな。すぐに病院に連れて精密検査を受けさせよう」

 

これが唯城親子との出会いである。後にラングニックという姓を授けられた。次の日、恭夜は三歳の誕生日を迎えた。


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