ホットスパーズ ~命知らずの騎士と二人の女神~ 作:公私混同侍
翌朝、恭夜は意識を取り戻した。ベッドの上だ。恐る恐る鏡で鼻の状態を確認する。折れているようだが触っても痛みはほとんどない。包帯で強めに固定されているようだ。多少動くだけで痛みが走りそうで不安が拭えない。一歩ずつバランスを取るようにして歩く。痛みはない。廊下に出て大広間に向かう。
あかりと隆太がテーブルに突っ伏すようにして寝ている。ルナとゲルマは庭を歩いている。ルナが恭夜に気づいた。ゲルマにサリーの容態を聞いた。深手を負ったが大事には至らないという。シェリーヌが撃たれたことを知った恭夜は理由よりも容態を問いただした。一時は意識不明にまで陥ったが命に別状はないようだ。
数日が経った。
傷もだいぶ癒えたサリーは恭夜と共にシェリーヌを尋ねるため医務室に向かう。中にはルナがシェリーヌと話していた。
恭夜「サリー、怪我はもういいの?」
サリー「刀は握れる。特に問題ない」
ルナ「おば様……」
シェリーヌ「お嬢様、お怪我はありませんでしたか?」
ルナ「うん」
恭夜は鼻をさすっている。違和感が拭えないようだ。
恭夜「やっぱり気になるなぁ」
サリー「何がだ?」
ルナ「風邪引いた?」
シェリーヌ「包帯だけでは不安があるのでしょう。それならばアレを着けてみてはいかがでしょうか?」
恭夜「アレ?」
ルナ「持ってくる」
サリー「あまり期待したくないのだが……」
シェリーヌ「まあそう仰らずに。唯城様のご期待に添えるものだと思いますよ」
ルナは奥の部屋で乱雑に積み重ねられた段ボールを漁っている。洞窟のように薄暗く、何故電気を点けないのかと三人は疑問に思っていた。数分後、ルナが黒いマスクの様なものを持ってきた。
シェリーヌ「見つけられたようですね」
ルナ「こほっ……こほっ……」
サリー「むっ!埃まみれではないか!」
恭夜「これって……」
シェリーヌ「運動に最適なフェイスガードでございます」
ルナ「着けてあげる」
サリー「自分で着けた方がいいのではないか?」
恭夜「これを――こうかな?」
ルナとシェリーヌは笑みを浮かべ頷く。サリーは苦笑いしつつも言葉を発しようとしない。
恭夜「ちょっと何か言ってよ」
シェリーヌ「お似合いでございます」
ルナ「うん」
サリー「あの男の仮面みたいだな」
恭夜「あんな奴と一緒にするな」
恭夜は他の三人にお披露目してみた。
ゲルマ「あっしも欲しいでござる。普通のが」
隆太「ちょっと……あはは……」
あかり「恭夜お兄ちゃん、そういうのが好きなんだね」
恭夜は意地でも外さないことを固く誓った。
サリーは慌ただしい足取りで来賓の間に向かった。絵画を確認する為だ。だが、案の定何者かに持ち出されていた。サリーはうなだれるどころか急いで身支度を始めた。恭夜も思い立ったように荷造りしている。
準備が終わったサリー達は恭夜をよそにシェリーヌに昨夜の出来事を問いただした。
シェリーヌ「怪我の方はよろしいのですか?」
サリー「長居しても色々と迷惑をかけてしまうという思いもあるが、それ以上にあなたがボロゾフ氏と繋がっている事実を看過することは出来ない」
ルナ「違う!」
隆太「サリーさんは間違ってます!メイドさんは僕達の事を守ろうとしてくれたんですよ!」
あかり「もう私たちの味方だよ」
シェリーヌ「いいえ。サリー様の仰る通りでございます」
ルナ「どうして?」
シェリーヌ「ワタクシはボロゾフ様の命を受け、皆様をこの邸宅まで案内したのでございます」
隆太「それじゃあ最初からメイドさんに騙されていたってことですか?」
あかり「そんなぁ……」
サリー「そして私達、いやルナをあのオークション会場へ誘い出した」
シェリーヌ「ボロゾフ様は国際弁護士をする傍ら、多くのビジネスに手を染めているようです。絵画を求めていたのもビジネスの一つでしょう」
サリー「だが、昨夜聞いた話では絵画には興味はないと――」
シェリーヌ「良く覚えてられましたね。確かにボロゾフ様が絵画に興味をお持ちになられたのはつい最近の事なのです。ここからはワタクシの憶測なのですが、ボロゾフ様は何者かに取引を持ちかけられたのではないのでしょうか?」
サリー「その人物が三枚の絵画を所持していると?」
隆太「ちょっといいですか?」
サリー「ん?」
シェリーヌ「ご用があればなんなりとお申し付け下さい」
隆太「いえ、少し気になったので聞きたいんですが僕やあかりには関係ないのかもしれないですけど、ルナさんはその絵の取引と関係するのでしょうか?」
サリー「無いとも言い切れない」
シェリーヌ「少なからず取引の材料、あるいは手段として必要としていた可能性はあるでしょう」
あかり「んー、それってルナお姉ちゃんと絵を交換するってこと?」
シェリーヌ「オホホ……面白い事を仰るのですね。ですがそれはあり得ないのでございます」
サリー「あかり、あまりふざけた質問をするな。傷が開いてしまう」
あかり「ふざけてなんかないもん!」
隆太「でもどうしてあり得ないんですか?」
シェリーヌ「昨夜のお嬢様の態度を思い出して頂ければご説明は不要かと」
サリー「ルナは父の元には帰らないと言っていたな。それにボロゾフ氏程の敏腕弁護士が自分の娘を売るなどという愚直な発想に至るとは思えない」
シェリーヌ「顔の広い方ですからね。経歴に傷がつく事を極端に嫌う性格ゆえ、お金にならない事案は門前払いしていたようです。それにリスクの高い取引はそれ相応の対価を支払わされてしますから、万が一足がつくことになれば法曹界から排除されてしまいます」
暖炉もといテレビの前でスリープしていたゲルマが突然動きだし、シェリーヌの元に近づく。
シェリーヌ「これはゲルマ様、ご気分がすぐれないご様子ですがガソリンが必要でしたらご用意しますが――」
ゲルマ「手負いの御婦人の気を煩わせたくはない」
シェリーヌ「ゲルマ様は女性の扱いに手慣れていらっしゃるの上にお言葉が上手なのですね。それとどことなく雰囲気があの方に似ていらっしゃるようで――」
ゲルマ「我々の他に誰か訪れたのか?」
シェリーヌ「ええ、カイン様がお越しになられましたよ」
ゲルマ「本当か!?」
ルナ「カイン?だれ?」
隆太「変な仮面を着けた人ですよ」
あかり「エクレア食べてたよね」
サリー「なぜ仮面の男がここに?」
シェリーヌ「もちろんオークション会場でお嬢様を説得する為でございます。カイン様には皆様の足止めを担当する手筈になっていました」
ゲルマ「そんな事はどうでもいい!カインと何を話した?」
ルナ「ゲルマ?」
隆太「どうしたんですか?」
あかり「なんか恐いよ……」
シェリーヌ「他愛のない世間話でございます。カイン様はレモンティーを大変気に入られたご様子で『このような美味な物は生まれて初めて飲んだ』と余韻に浸っておられました。カイン様はかなり変わった方なのですね」
サリー「レモンティー?」
あかり「飲んだことない人っているんだね。あたしは好きじゃないけど」
隆太「僕でも淹れることぐらいなら朝飯前ですよ!」
ゲルマ「他は?」
シェリーヌ「手土産にしたい仰られるのでお裾分け致しました」
隆太「そういえば腰につけた袋をぶらぶらさせてました」
あかり「その袋がレモンティー?」
シェリーヌ「カイン様は常に持ち歩いているのですか?お気持ちは嬉しいですが、せめて室内で保管してもらいたいものです」
ゲルマ「近い内に出会うはずだ。その時にお伝いしよう」
ゲルマは勝手に会話を打ち切ると部屋から出ていった。
サリー「なんなのだ、あの態度は」
シェリーヌ「ゲルマ様にも人並みのご事情があるのでしょう」
そうこうしている内に恭夜は身支度を終えた。一同はシェリーヌとの別れの挨拶をすませ邸宅を出る。結局ルナは恭夜達に付いていくらしい。シェリーヌからの了承も得ているという。