「ねえ、なんか不気味じゃない?」
そこはカッツェ平野の霧の中。帝国を中心に活動するワーカーチーム、フォーサイト。彼らはいま、その地にいた。彼らがなぜそこにいるかというと、それは一週間ほど前に受けた依頼のためだった。『カッツェ平野の調査に向かえ』。要約するとそういう依頼だった。それはいつもなら冒険者に与えられる依頼だ。カッツェ平野に発生したアンデッドの討伐。それはバハルス帝国と敵対するリ・エスティーゼ王国の冒険者が毎年共同で行う作業だった。両国はエ・ランテルをめぐって争ってはいるが、その点については利害が一致しているため協力関係にはある。
だが今年は、毎年行われている帝国と王国との会戦が遅れている。その理由はフォーサイトには知る由もないが、依頼を受ける上で気がかりであったことは確かだ。依頼主はフェメール伯爵という帝国貴族。毒にも薬にもならぬ貴族だ。フォーサイトのメンバーで貴族令嬢であるアルシェ・イーブ・リイル・フルトによると、わざわざその伯爵が依頼をだすはずはないと分析される。カッツェ平野に権益は持っていないし、彼女の実家ほどではないが、そこまで力はない。つまり何か裏があることがうかがえる。また報酬も一般の調査に比べれば破格だった。見るからに怪しさ満点ではあるが、アルシェはその依頼を引き受けることを主張した。
多額の借金を抱え込む身であるため、その焦りもあったのだろう。仲間には悪いが、カッツェ平野なら慣れているということもあったため大丈夫だろうという甘い考えもあった。それにアルシェ自身、ワーカーであるにはもったいない第三位階魔法の使い手だ。有象無象のアンデッドなど蹴散らしてくれる、という意気込みでこの依頼に喰らいついた。
カッツェ平野で心配なのは伝説級のアンデッドであるデスナイトと魔法が一切効かない
――だがそういうときに限って、最悪の事態は起こるものである。
突如、霧に覆われた空からそいつは現れた。翼をはためかせて霧を吹き飛ばす。徐々にその全貌が見えてきた。アルシェなど軽く押し潰せるかのような前足。数メートルにもなる強固な尻尾。不気味に赤く光る瞳。そして万物をもかみちぎるかのようなアギト。それはこの地で出会いたくないアンデッド第二位の
不意の遭遇だった。ここにいたるまで、アルシェはおろかフォーサイトのメンバーも誰一人気づかなかった。人は頭上にあまり注意がいかないものである。彼らもそれは分かってはいただろうが、頭上を見上げてもあるのは霧のみ。うっかり(うっかりでは済まされないが)見落としていた。
「グオオォオォオ!!!」
それは激戦だった。その地で最も警戒しなければいけない超強力なアンデッド
絶対に戦うな。
そうならないよう索敵は怠らないはずだった。だが不運と慢心が重なった。真っ先に浮かんだのは逃亡。だが
「――っ! なんて力だ……」
前衛の男――フォーサイトのリーダーであるヘッケランが辛うじて
「いま、回復させる。イミーナは牽制を! アルシェはヘッケランに防御魔法を!」
神官の装いをした男――ロバーデイクが、二人の女に指示をだす。それを聞き、弓使いのハーフエルフ――イミーナは
「こっち向きなさい。このデカブツ! もしもヘッケランを傷つけたら、その骨を煮込んでスープの出汁にしてやるんだから」
もう一人の小柄なマジックキャスターは、その隙を逃さず防御魔法を展開する。
「はぁっ、はぁっ。いまやってる!!」
(……だめっ。このままじゃ魔力が足りない。おねがい……だれか気づいて)
アルシェは魔法を放つ。目の前のアンデッドには効かないことは分かっている。彼女の狙いは、魔法の発する光で周囲に異変を知らせることだ。そのためにも大声を出したり、貴重な魔力を消費しているのだ。
このままではじり貧になる。それはフォーサイトのみんなが分かっていることだ。だからアルシェだけでも逃がそうとした。だが、彼女は断った。自分ひとりだけ逃げるなんてできない、と。それは裏稼業をこなすワーカーのあいだでは極めてめずらしい、信頼と友情だった。
ワーカーは本来、打算でチームを組む。アルシェもはじめはそうだった。暗殺、拉致などの非合法な行為をしている者たちだ。裏切られる可能性は常に考慮している。報酬を分け合うとき、任務先で財宝を見つけたとき。そして今回のように、勝ち目がないモンスターと遭遇したとき。それぞれが自分のことだけを考えて動く。チームのメンバーなどそのための駒でしかない。
しかし、アルシェ。そしてフォーサイトのメンバーは違った。メンバーのためなら、命を捨てることもいとわない。そんな連中だ。
アルシェは決してあきらめない。だが彼女の華奢な身体は悲鳴を上げる。長時間の戦闘、一撃でも喰らえば瀕死になるのは間違いない。その緊張はいつも以上に体力を消費させる。
「あっ!」
思わず、アルシェは地面につまづいた。おぼつかない足取りだったため、それも時間の問題だっただろうがタイミングが悪かった。
体力を回復したヘッケランが、いま
迫りくる巨大な骨の塊。絶体絶命。アルシェは思わず目を閉じる。戦場で絶対にやってはいけない行為。だが頭ではわかっていても彼女の防衛本能がそうさせた。そんな彼女の頭を帝都にいる妹の顔がよぎる。
(クーデリカ、ウレイリカ。ごめんね)
しかし、その衝撃は来なかった。
恐る恐る目を開けるアルシェ。
そこにいたのは
その戦士が手に持っているのは通常の戟とは違う得物だ。本来なら三日月形の刃が一対で取り付けられているが、それが片方しか存在しない奇妙な武器だった。しかしその刃はアルシェが思わず見惚れるほど優しい光を放った。
対する
「ふん。その程度か」
――数時間前。
「それでいつになったらこの霧を抜けられるのだ?」
呂布と船長のロジャーが船を動かしてしばらく。未だ彼らは霧の中にいた。船長といってもこの船には二人しかいない。一人で動かせるほどの代物ではないが、そこは魔法に精通したリッチのロジャー。不思議な力で操っている。
「やけに霧が濃いな。これは警戒せねばならんか……」
ロジャーは長年の経験からか、このカッツェ平野での深い霧を何かの前触れだと察知していた。濃い霧は負のエネルギーをため込み、それが強力なアンデッドを生み出す。
ロジャーの強さはリッチとしての魔法能力だけではない。そうした情報をもとに最善の行動を決める頭脳だ。だからカッツェ平野で王国や帝国の間引きが幾度となく行われても、彼はここまで生き残ってきた。
「そういえば呂布よ。そなたの持っている武器、方天画戟だったか。よくそんな重いものを振り回せるものだ」
「これか。まあ、もう十年近く振り回していることになるのか。普段の鍛錬ではこれの三倍の長物を振っているから、戦場ではまるで棒切れのように軽いぞ」
「それはすごいな。私も鍛えてはいるがこのカットラスだけで精一杯だからな。そのかわり魔法なら誰にも負けんという自負があるぞ。はははっ」
ロジャーのアンデッドに似つかわしくない陽気な笑い声は船に響いた。
「さっきから何をしている?」
呂布はロジャーがさっきから何かを調べている様子に疑問をいだいた。
「ああ、実はこの地では毎年戦が行われるのだが、今年はまだ起こっていなくてな。戦がはじまったら巻き込まれるのを防ぐために南へと移動しなければならん」
例年のカッツェ平野での会戦が遅れていることにロジャーは疑問を抱いていた。そんなことを話していると霧の中から、赤や緑の鮮やかな光が漏れているのを見つけた。暗い平野に魔法が光る。それは何者かが戦闘をしていることを示す。そしてそこはかなり霧が深い場所。ロジャーとしても近づきたくないところだ。
「あれは戦闘でもしているのか?」
「そのようだな。巻き込まれないよう針路を変える」
ロジャーはそう言って針路を斜めに傾ける。時間が経つにつれ、さっきよりも戦闘の状況がつかめるようになっていた。
霧に映る大きな黒い影。それはリッチであるロジャーが、警戒していた
そんなスケリトルドラゴンに挑んでいる者たちがいる。前衛は必死に喰らいつき、他の者たちも彼を守るための最善の行動にでる。それは一つの生き物のように連携ができていた。
(だが、決定打がないな。このままでは押し切られる)
呂布は甲板の上でそれを見ていた。モンスター討伐の経験など無いが、武人として戦局を見極めることは可能だ。それを見て彼らが苦戦していることを見抜いていた。
「ロジャー……船を止めろ」
「ん? どうしたんだ呂布?」
呂布の言葉にロジャーは疑問をうかべた。そんなロジャーを尻目に呂布は肩や首をまわす。
「少し腕試しがしたくなった。あの
それは暗に
ロジャーにもその真意は掴めなかった。ただ一つ。そこには武人となった漢がいた。
「だが、やつは危険だ……と言っても聞かんか。はあ……」
ロジャーは呂布の姿をみて、激しい既視感を覚えた。ロジャーが見てきたなかで、その姿になった戦士を止めることはできないと実感している。だから説得をあきらめた。
「分かった。ならば、針路を変える。掴まれ!!」
大きな船体がありえないぐらいの角度で曲がる。そして
――アルシェ視点――
漆黒の戦士のその言葉は、命のやり取りをしていたアルシェにとって耳を疑うような言葉だった。
漆黒の戦士は巨漢だ。アルシェが正面から立てば見上げるような形になるだろう。しかし
男がちらりとアルシェを見る。その顔は怖く、多くの修羅場を経験した顔だ。だがアルシェにはとても頼もしく映った。一瞬アルシェの心臓がトクン、と高鳴ったような気がした。
(いやいや、そんなはずない)
アルシェは心のなかで今の鼓動の高鳴りを否定した。
(これはあくまで一時的なもの。私は、いくら危機に陥られているときに助けられても、それですぐなびくような女じゃない。理想は、白馬に乗った王子様にお姫様抱っこね。って何を考えているの私は)
ふとその男の背中が霞む。いやよく見ればアルシェのまわりもだ。霧がかかったのだ。疑問に思う間もなく、けたたましい音を立てて巨大な船が
「ウオオオォオォオッ!!」
その悲鳴でフォーサイトは本能的にうずくまる。だが漆黒の戦士は動じず、そんな彼らを横目でちらりと見て告げる。
「邪魔はするな」
そして漆黒の戦士――呂布が霧の中へ駆けだす。
船の突撃を受け、地面に倒れこむ
それらをかいくぐりながら呂布は
そしてあまりにあっけなく勝負はついた。原形を残さぬほど壊された骨の残骸が散らばる。フォーサイトの面々が突如現れた漆黒の戦士の加勢に行くべきか悩んでいるうちに、その勝負はついてしまった。呂布と
「ねえ、大丈夫だったアルシェ?」
「なんとか……」
イミーナがアルシェのもとへ向かい彼女を気遣う。そして他の二人も集まってきた。
「あの戦士は何者なんだ?」
「漆黒の鎧。噂に聞くアダマンタイト級冒険者、『漆黒のモモン』にも見えるけど違うような気がする」
「たとえアダマンタイト級でも、たった一人で
彼らがそれぞれの意見を述べるなか、突然聞きなれない声が聞こえた。
「なんという剛腕……。私で御しきれるだろうか」
背後から聞こえたその声に彼らは一斉に振り向く。
そこにいたのはまるで海賊のような容貌をしたアンデッド。ただ者でないことはその雰囲気で分かった。さっきの漆黒の戦士が介入してくれたおかげで
「はは……今日はアンデッドの大安売りでもあるのかねえ」
ヘッケランが諦めかけ、枯れた声をだした。それでも警戒の色を見せる彼ら。さっきの漆黒の戦士が助けに来てくれるのではないか、という期待もあった。フォーサイトが緊張の中、その場の雰囲気に似つかわしくない素っ頓狂な声をあげる者がいた。
「ぐふっ!! おえぇぇ!!」
アルシェが突然、吐き気を催したかのように少女とは思えない声をだした。フォーサイトのメンバーが彼女を気遣う。アルシェは相手の魔力をオーラのように見ることができる。それによって何度も命を助けられたわけだが、目の前に立つアンデッドを見てそのあまりの強大さに胃の中のものが逆流しかけたようだ。
「げふっ、げふっ。……はぁ、はぁ。大丈夫」
アルシェはなんとか嘔吐だけは避けた。信頼できる仲間とはいえ、その姿を見せるわけにはいかなかった。貴族令嬢、ひいてはひとりの乙女としての矜持は守り切った。
「ロジャー。そこにいたのか」
彼らフォーサイトを挟むかのように漆黒の戦士――呂布が現れた。フォーサイトの面々はやった。来てくれた。という思いと何か様子が変だ、という感想を抱く。戸惑っている彼らをすみにおいて呂布とフォーサイトに警戒されていたロジャーは話を進める。
「私は《テレポーテーション/転移》で逃げれたからいいものの、危うく巻き込まれるところだったぞ」
「ふん。お前ならば大丈夫だろう」
(はあ。呂布の実力は確かだが、いささか常識が足りんな。このままだと、また変なことに首を突っ込みかねん。常識を教えるにはどうすればよいか……)
ロジャーはふと視界の端っこにいる四人の人間をみる。
(そうか。こやつらを使えば……)
「ごほんっ。そなたらは冒険者であろう」
「は、はい!」
突然話しかけられたことで、うわずった声をだすヘッケラン。それも仕方がない。さっきまで
「ここから北の、そうだな……エ・ランテルへあいつを連れていってやれ。そしてなるべく常識を教えてやるんだ」
「……へ?」
フォーサイトの面々は意味が理解できないようで、困ったような顔をしている。だがそれに構うことなく話は進んでいく。
「呂布よ」
「ん?」
「私は船の修理にはいる。貴公は暇になるだろうから、彼らにここから北にあるエ・ランテルまで案内してもらえ。それと、これを」
といって、ロジャーは懐から取り出した角笛を呂布に渡す。片手に収まるぐらいの大きさのものだ。
「これは?」
「用があったらそれで私を呼べる。ではまた」
と言ってロジャーはさきほどの船へ戻っていった。取り残される呂布とフォーサイト。ヘッケランはどう話しかけていいか分からず、しどろもどろしているとアルシェが一歩前に出る。
「わ、わたしはアルシェ・イーブ・リイル・フルト。バハルス帝国で活動するワーカーです。アルシェと呼んでください。漆黒の戦士様」
アルシェは貴族らしい優雅な所作で呂布へ近づく。呂布にとって聞き覚えのない単語がいくつも並ぶが、それらはひとまず置いておく。
「俺は呂布。やつから話は聞いたか? そういう事らしい。では案内を頼むぞ」
こうして彼らはエ・ランテルへ向かうことになった。